018 その夜
その夜――。
ここ最近の日課のように、ゴシック調のだだっ広い部屋にグイドの姿があった。蝋燭で照らされただけの薄暗い室内はひっそりと静まり返り、時折、抑えたような吐息に混じってベッドの軋む音がする。微かに漂うのは血の香りだ。部屋の奥にある天蓋付きベッドはもう長いことレースのカーテンが閉ざされ、重なった二人の影を映していた。
夕子は枕に頭を埋めたまま暗んだ天井をぼんやり見上げていた。ぼーっとしているとどうしても考えてしまうことがある。自分のせいで死んでしまったあの少年のことだ。しかしこの日はいつもと少しちがった。夕子の頭の片隅には、まったく別の顔がちらついていた。
「君は……困った子だね」
僅かに感じていた重みと温もりが遠ざかり、突然夕子は現実に引き戻された。声のしたほうに視線を伸ばすと白い上着に行き着いた。さらに顔を上げたところで、銀髪の男と視線がぶつかった。
「またなのかい?」
ため息混じりにそう訊ねると、グイドは輝く銀色の髪をかきあげた。真っ白なひたいと、ほんの少しだけ寄せられた細い眉がちらりと覗く。どうやら呆れているらしい。それは彼の困惑した声からもなんとなく感じ取れた。
「いつにもまして集中できていないね。今度は何を考えてるんだい? 私は焦らすのは好きだけど焦らされるのはあまり得意じゃ――」
「アリスってグイドのこと好きなの?」
室内に流れる空気が一瞬止まったような気がした。
しかしすぐにグイドはやさしい眼差しに変わり、横たわる夕子の髪を一房すくった。
「なるほど……そろそろ君も色恋に興味が出てくる年頃だったかな」
「ごまかさないで」
「誤魔化してなどいないよ。可愛い娘の成長を心から喜んでいるのさ」
上品でゆったりしたまさに完璧な笑顔をグイドは披露した。ほとんど条件反射で夕子の顔が赤くなる。騙されるものかと必死に自分に言い聞かせるが、グイドの美しさは暗がりの中でこそ一番輝いた。どういうわけか、存在しない月明かりに照らされているように肌は白く浮かび、銀色の髪と瞳はキラキラ光るのだから不思議なものだ。
二人はしばらく無言で視線を交わしていた。余裕の表れなのか、グイドは始終笑顔を崩さなかった。しかしそれでも夕子が追求の視線を緩めずにいると、やがて無音のため息をついて肩をすくめてみせた。
「どうしてそう思うんだい?」
「……バカじゃないならわかるよ。アリス……最初から私のこと嫌いみたいだったし、退屈なこの屋敷にずっと留まってる理由なんてそれくらいしか思いつかない」
あのとき、アリスは夕子にこう告げたのだ。
――毎日が退屈で飽々してるんだ。君と友達になろうと思うほどにね。
だけどそれは本当の理由じゃない。そんな確信が夕子にはあった。百八十度変わったようなアリスの不可解な言動は、目の前のこの男が関係しているにちがいない。アリスがグイドのことを好きだというのならすべて説明がつくのだ。これまでのことも、今日のことも。
夕子はグイドの手を振り払い、上体を起こした。毅然とした態度で向かい合う。
「わかってるよ。グイドがアリスを唆したんでしょ?」
「というと?」
「私と友達になるようにってグイドが言ったんでしょ? なんで? 友達ならもういるよ。コンドルは友達だよ。それなのに――グイドまで身分がどうこうって言い出すの?」
「身分差の恋――ふふ、なんとも素敵な響きだと思わないかい?」
「コンドルは友達だってば!」
気づいたら叫んでいた。
すぐにはっとして視線を落とした。グイドの瞳がこちらを向いている気がして、夕子は顔を伏せたまま丸まった指先をなんとなくじっと見据えた。可愛げのない爪だ。短くて、なんの色もついていない。アリスの水色の指先とはまるでちがう。
「――私としては」
ふいにそんな声が聞こえて夕子は顔を上げた。グイドは唇に微かな笑みを浮かべている。
「応援してあげたいと思っているんだよ。コンドル――彼のことは私も気に入っているんだ。大切な娘に紹介するほどにね」
「え――?」
「おや、意外だったかい?」
そう言って僅かに眉を上げてみせる。それから妖しく誘うように大きな手のひらを差し向け、グイドは小さく微笑んだ。夕子は少し迷ってから自分の手を重ねた。
「なかなか素質のある青年だと言えるだろうね。正直言って同族としては珍しいくらい彼の心はとても優しく澄んでいて、なにより真っ直ぐだ。とても仲間想いでもある」
「なんだ知って……」
「当然さ。大切な娘と関わる相手だからね。――だからこそ心配なんだよ夕子」
グイドの手に力が入る。しっかりと握られた手とグイドの顔を夕子は交互に見比べる。少なくともグイドは小バカにするわけでも、嘲笑っているわけでもなかった。心配という言葉に嘘はないのだろう。もしかしたらそれだけなのかもしれない。
それでも、夕子は握られていた手を離した。
「言っとくけど、コンドルと友達をやめるつもりはないよ。グイドがなにを企んでるかは知らないけど」
「ふふ、疑ってるのかい?」
「まあね。なんか最近のグイドおかしいもん。アリスと仲良くさせようとするし、私の血飲むし、服だって――」
「おや、服といえば面白い話を聞いたよ」
突然、おかしそうにグイドが喉を鳴らすものだから夕子は呆気に取られた。おもわず口をぽかんと開けたまま、目の前の顔を二度見する。しかし本当に驚くのはこのあとだったのだ。
グイドはその面白い話とやらを思い出しているのか、引きつったように肩を揺らし、これまでの空気とは打って変わったように朗らかに話した。
「使用人たちが話してるのを小耳に挟んでね。なんでも夕子――君にコスプレ趣味があったそうじゃないか。もっと早くに打ち明けてくれれば素敵な衣装を贈ったというのに……ふふ、よかったら今度私にも見せてくれないかい? きっと可愛らしいのだろうね、君の宇宙人姿は。――おや、どうしたんだい? そんなに震えて――」
「っんのグイドのっ……!」
その数秒後、深まる夜をつんざくような叫びが屋敷中に響き渡り、慌てた様子で使用人たちが部屋のドアをノックしたときにはグイドの姿は消え、一人怒り狂う夕子の姿だけが残されていた。
にもかかわらず――。
「やられた……」
翌朝、夕子は紫と黒の室内に背を向けてへたりと尻をついていた。目の前に広がるのは、赤と黄色、黒、白と金、青――それから緑の、色とりどりのサーカスの衣装。
夕子はこれから訪れる憂鬱な時間を思い、長々と息を吐き出した。




