現在
あれから十年の時を経て、レティシアはエリーザと再会を果たした。
子どもの頃よりもさらにローザに似ていて、まさに生き写しと言っても過言ではなかった。
ローザが亡くなり、彼女が過酷な人生を送ってきたのは、シルヴァンから聞いて知っていた。
だが今日会ったエリーザは、ちゃんと顔を上げて前を向いていた。
それに、
「……ちゃんと言いたいことを口に出してた」
思い出してレティシアは、くすりと笑った。
あの頃は喋ることがほとんどなかったのに、と先ほどまでエリーザが座っていた椅子を眺める。
時は、人を変える力を持っている。
それは良い意味でも、悪い意味でも。
目を閉じて亡くなったローザとエリーザを思い浮かべる。
ローザが亡くなり、次第に表の世界からイーデン王とエリーザが姿を消し始めたあの頃、代わりに王太子が国の主として振る舞い始めた。
若さゆえか、どこか態度が大きく挑戦的な彼をシルヴァンもレティシアも口には出さないがよくは思っていなかった。
それからフェイアンとイーデンの間では交流が絶え始め、とうとうイーデンが裏切った。
予期していた事態ではあったが、シルヴァンもレティシアも顔を強張らせた。
戦が始まる――――。
シルヴァンにとってもレティシアにとっても、それは遠い過去のことのようだった。
何せシルヴァンの代になってからは大国フェイアンに手を出す者などなく、シルヴァンの父王の代でも治世が始まった最初の頃に小さな内乱があった程度だった。
国力はどう考えてもフェイアンが上ではあるが、万が一ということもある。
「……アリアーデに身を寄せるか?」
イーデンに向けて立つ前日、シルヴァンは重々しい口を開いた。
あそこならばレティスの目が行き届いているし、何かあればアリアーデの領地の一つである遠隔地にも身を寄せることができる。
もちろん王宮はどこよりも厳重な警備が成されているが、どこよりも狙われる場所である。
それゆえ、レティシアの身を案じて提案したが、それは他ならない彼女によって拒否された。
「馬鹿なことを言わないで。僕は王妃だよ? ここに居るに決まってる」
「レティ……」
強気に自分を見上げてくる彼女は、弱気になりそうなシルヴァンを叱咤するようである。
いつも変わらないその強気な態度に、シルヴァンも自然と気を引き締めた。
「そうだな」
シルヴァンも幼いころから覚悟と決意を持って王になることを目指したが、それはレティシアも同じだった。
王妃になる、それは生半可なことではなかった。
それでもレティシアはそれを目指し、誰もに認められてその地位を得た。
そしてその地位を得てからもシルヴァンと二人で幾多の苦難を乗り越えてきた。
それは、今をもっても揺るがない。
「僕はここに居る。ここで、君の帰りを待っている」
だから無事に帰ってきて――――その口には出さない声をシルヴァンもちゃんと分かっていた。
シルヴァンの腕がレティシアを抱きしめ、当然のようにレティシアもシルヴァンを抱きしめる。
「必ず、帰ってくる」
「……うん」
レティシアは目を閉じて、目の前の身体に頬を寄せた。
年を経て、子どもができても、レティシアにとってここがどこよりも安心できる場所だった。
失えないとお互いに思っている。
けれど、それでもこれが今生の別れとなるかもしれないと覚悟もしている。
だから二人は時を惜しんで、お互いの存在を確かめ合った。
それからシルヴァンがイーデンへと立ち、戦が終結したと宣言が成されてからもレティシアは、シルヴァンの無事な姿を見るまではと、気を引き締めて待っていた。
やがて凱旋した彼らを王妃として迎え、儀礼の間はどうにか平静を保っていられたが、そこまでだった。
先に私室へと下がり、今か今かと待っていたレティシアは、室内にようやく入ってきたシルヴァンに駆け寄った。
「セツ……!」
シルヴァンもレティシアを受け止め、固く抱き合う。
声には出さない、さまざまな想いを抱えたまま二人は長い間抱き合っていた。
ようやく顔を上げたときには、レティシアの目には涙が浮かんでいた。
「君が無事でよかった……本当によかった」
出兵した者の中には当然亡くなった者も、体に大きな傷を負った者もいる。
それは本当に言葉に表せないほどのつらいこと。
けれどそれでも今は夫が無事に帰ってきたことを喜びたかった。
「お帰り」
「ただいま」
涙を流すレティシアの頬に口づけ、シルヴァンはもう一度彼女を抱きしめた。
それからシルヴァンはレティシアにエリーザの命を助け、連れて帰って来たことを告げた。
彼女を助けた理由とフレイヴィアスの妻とすることを聞き、レティシアは目を瞬かせた。
「フレイヴィアスに?」
「……ああ。フレイヴィアスなら蔑にすることはないだろう」
「それはそうだけど……レイナが怒るだろうね」
「まあ、そうだな」
二人の娘は我侭で言い出したら聞かない性格だった。
その娘が特に執着しているのがフレイヴィアスだ。
よくないことになるのは目に見えているが、
「だが、いずれにせよレイナをフレイヴィアスに嫁がせるつもりはないし、フレイヴィアスもそろそろ妻を娶らせた方がいい。直感だが……二人ならうまくいきそうな気がする」
とシルヴァンは言い切った。
レティシアはもしかしたらシルヴァンは、レイナの望みを叶えるのではと危惧していただけに驚いた。
娘に甘いシルヴァンだが、さすがにレイナの態度は目に余るのだろう。
遅いぐらいの決断だったが。
「君がそう言うなら……僕は反対しない」
むしろ賛成するとレティシアは微笑んだ。
それにシルヴァンもほっと安心したようだ。
そんなシルヴァンに、レティシアはちょっと意地悪く尋ねた。
「エリーザはローザに似ていた?」
「……ああ」
「君が好きだった頃のローザに?」
「………」
シルヴァンは黙り込んだ。
それが答えである。
まさか好きだったローザに似ているから助命したわけではないだろうが、それでも少しは心が揺れたに違いない。
レティシアは正直なシルヴァンに怒って見せるか拗ねて見せるか考えた。
だがレティシアが何か言うよりも、
「――――そろそろ許してくれないか?」
とシルヴァンがため息をついた。
レティシアが目を丸くすると、彼は彼女の頬を撫でる。
「確かに俺はローザが好きだった。だが今は誰よりもレティのことを愛している」
「………」
「―――――ローザを想っていた時間よりも、ずっとレティシアを愛した時間の方が長い」
だからもう許してくれないか、とシルヴァンは微笑んだ。
その笑みに思わずどきりとしてしまい、レティシアはちょっと悔しくなった。
何か言ってやりたいのに言葉が思い浮かばない。
きっと今の自分は、顔を赤くしているに違いない。
「それにレティを愛する時間は、これからも増える」
そう言うと、シルヴァンは絶句するレティシアを抱き上げて。
久しぶりの寝室に向かったのだった。
「―――レティ」
声を掛けられ、レティシアは閉じていた目を開けた。
気が付かないうちに眠っていたらしく、部屋には夕日が差し込んでいる。
「ここで寝ていると風邪を引く」
気遣うようにシルヴァンに肩を撫でられる。
頷きながら、レティシアは身体を起こした。
見上げた彼は、執務の途中で抜け出してきたようだ。
少し時間が取れたから、と言う彼を見上げながらレティシアは、立ち上がった。
「今日、エリーザが来たよ」
「……ああ」
「本当に、ローザにそっくりだった」
君が好きだった頃のね、と口には出さなかった。
だがシルヴァンはちょっと気まずそうである。
レティシアはくすりと笑いながら、
「それから君の言う通りだったよ」
「……?」
シルヴァンが首を傾げる。
レティシアは彼ら二人を思い浮かべながら、
「フレイヴィアスとエリーザは、お似合いだね」
微笑んだ。
穏やかな関係を築き、静かな生を歩むだろう。
それが、あの二人なら簡単に思い描くことができた。
レイナとフレイヴィアスでは、決して思い描けなかったそれ。
娘を切り捨て、エリーザを選んだのは間違いではなかった。
「あの二人なら、きっと大丈夫だ」
「……ああ」
シルヴァンも微笑むと、レティシアの髪を撫でた。
二人は、娘の想いを遂げてやるよりも、家臣である彼を尊ぶことを選んだ。
切り捨てた娘は、あんな娘でも愛しい。
想いが通じない辛さは、誰よりも知っている。
そして叶った喜びも。
娘は仕出かしたことを償わなければならないし、親であるレティシアも―――。
「……ねえ、もしも僕が王妃をやめると言ったらどうする?」
本当は、退位することが正しいのだろう。
だが彼を前にすれば、決意は揺らいだ。
シルヴァンは、レティシアの言葉に目を丸くしたが、考える素振りもなく、首を振った。
「無理だ」
「え?」
「俺の王妃は、レティしか居ない。だから誰に何と言われようと、レティは俺の王妃のままだ」
「……退位すると言っても?」
「そのときは、俺も王位を退く。だから、レティシアは俺の王妃のままだ」
胸を張るシルヴァンにレティシアは呆れた。
「何その理屈。しかも簡単に王位を退くなんて口にしていいの」
「もちろん、必死で止める。それでも駄目なら仕方ない」
「……あっそ」
馬鹿な答えなのに、それでも嬉しくて。
レティシアはどうしようもない、と自分にも呆れた。
それからシルヴァンの首に腕を回し、囁く。
「………離さないでね」
唇を寄せる。
重ね合わせながら、合間にシルヴァンが離すものかと囁き、強く抱きしめられた。
身勝手だとは分かっている。
それでも、目の前の存在が何よりも大事だった。
それは、今までずっと変わらない。
これからも、きっと―――――。