可愛い子には旅をさせよ
——時間が流れ、気づけば三年が経った。
私はふと目が覚めた。
……静かだ。
窓の外を見ると、外はまだ暗い。
「ふあぁぁぁ〜〜〜」
あくびをしながら起き上がって背伸びをすると、窓を開けた。
いつもなら聞こえる鳥ちゃんの声が、今日はなぜか、一羽も聞こえなかった。
……あれ?
みんな、どこに行っちゃったのかしら。
――チュッチュッ。
あっ、来た!
「みんなおはよう〜」
私は毎朝のように窓際まで飛んできた鳥ちゃんたちに挨拶した。
この子たちはまた、
『チュッチュッ』
可愛く鳴いて、挨拶を返してくれた。
「今日は遅かったね。どうしたの?」
『チュッチュッチュッ!』(アッチアッチアッチ!)
一羽が小さな翼をぱたぱたさせながら話した。
小さな体が震えながら、翼が森のほうを指している。
どうしたのかしら。
「大丈夫だよ。怖がらないで。後で見に行くからね」
(オネガイ!コワイノ!)
私は鳥ちゃんの頭を撫でながら慰めた。
私はベッドから降り、軽く体操をして顔を洗ってから小屋を出た。
「みんなおはよう〜」
今度は小屋の前で私を待っているブランちゃんという大きくて真っ黒なブラックベアちゃんと三匹の鹿ちゃんに挨拶した。
一緒に川まで歩いて水を汲みにいく。
……ちょっと鳥ちゃんが教えたところにも行こうかな。
水汲みが終わると、私は弓を背にかけ、ブランちゃんと三匹の鹿ちゃんたちと一緒に森のほうへ向かった。
……今朝の鳥ちゃん、何を怖がっているのだろうか。
森に入って間もなく、ブランちゃんが低く唸った。
(……チノ、ニオイ)
私は思わず、足が止まった。
「え?血の匂い?」
ブランちゃんが頷いた。
後ろを歩いていた鹿ちゃんたちが私の前に出て、私を守ろうとした。
すると、草むらの向こうに、一匹のフォレストディアちゃんが倒れていた。
脇腹には弓矢が深く刺さり、その周りの毛が血で濡れていた。
私は思わず駆け寄った。
「ねぇ、大丈夫!?どうしたの!?誰がやったの!?」
(……タス……ケテ)
まだ、生きている。
「ちょっと待っててね!すぐ薬を持ってくる!」
私は小屋へ駆け出そうとした、そのとき。
(ニンゲン!)
ブランちゃんが唸った。
「人間?」
(タクサン)
ブランちゃんが人間を探すように大きく匂いを吸い、歩き回った。
三匹の鹿ちゃんたちは私を囲んだ。
「フォレストディア、見つけたぞ!獣め、逃げやがって!」
「おいおいおいおい!女いるぞ!」
どこか騒がしい男の声が聞こえた。
……え?
男が六人現れた。
腰には剣をかけていた。
服装がボロボロ。
背には大きなかばんを背負っていた。
ここの村の人じゃない。
この六人の男は私を舐め回すように私の頭先からつま先まで眺めた。
……気持ち悪い。
私は弓と矢を取り、いつでも引けるように構えた。
「しかも、イイ女~」
この村にはときどき盗賊が現れる。というより、この一帯は隣国とつながっている。
商人や旅人、盗賊が通ることもあるから気を付けろ、とおじいちゃんから聞いた。
私は今までそんな人に会ったことないけれど。
「近くに村があるんだな。その女を連れてこい。あとで村へ行く」
一人の男が私のほうへ歩いてきた。
私が矢を飛ばし、男の足元すれすれに突き刺さった。
「……この女、やるな。嫌いじゃないぜ」
「……あのう」
私は口を開いた。
「村へ行く前に、あの子、どうするつもりですか?」
私は近くのほうを指さした。
「は?」
男は私が指さしたそのさきにゆっくり振り向いた。
真っ黒な、巨大な、ブラックベアちゃんが立っていた。
——ゴロオオォォォ!
ブランちゃん。
「……え?ぶ、ブラックベア?」
「はい、ブラックベアちゃんです。ブランちゃんと言います。
私を連れて行くってあなたたちが言うから、あの子、とても怒っていますよ?」
——ウオオオオオオオッ!
(ニンゲンメ!……リーマヲ、イジメルナ!)
ブランちゃんは六人の男に襲い掛かった。
「に、逃げろォ!!」
男は死に物狂いで逃げていった。
「ブランちゃん、死なない程度にしてね!」
私は慌てて叫んだ。
再び怪我をしたフォレストディアちゃんへ向かった。
早く治療しないと——
だが、フォレストディアちゃんは静かだった。
微動だにしなかった。
私は震える手で、フォレストディアちゃんの胸に手を当てた。
鼓動がなかった。
……え?
さっきまでまだ息をしていたのに。
「ふ、フォレストディアちゃん!フォレストディアちゃん!しっかりして!」
血を止めないと!
まだ間に合うかもしれない。
私はスカートの裾を破り、フォレストディアちゃんの傷口を拭いた。
止血薬の材料になる花を潰し、何度も傷口に塗り込んだ。
「フォレストディアちゃん!しっかりして!お願い!」
呼吸は?
鼻先に手を近づける。
……動物特有の熱い吐息がない。
「お願い!戻ってきて!」
私は胸を押した。
もう一度。
もう一度。
「フォレストディアちゃん!戻ってきて!」
何度押しても。
何度呼んでも。
傷口を拭いても。
薬草を塗っても——
フォレストディアちゃんが戻ることはなかった。
——ぽろり。
目から涙が流れた。
……助けられなくて、ごめんね。
私はしばらく、その場から動けなかった。
……ふうぅぅぅ。
深呼吸して、手を動かした。
フォレストディアちゃんのお墓を作るためだ。
私と三匹の鹿ちゃんは土を掘った。
しばらくすると、ブランちゃんが戻ってきた。
爪に少し血の色がついていた。
……でも、見なかったことにした。
死なない程度に、って言ったし、あの人たちは死んでいないはず。
「ブランちゃん、この子にお墓を作るの。手伝ってくれる?」
ブランちゃんが頷いた。
私はフォレストディアちゃんのために小さな葬式を開いた。
その日のご飯は、味がしなかった。
フォレストディアちゃんのことと、盗賊のことをおじいちゃんに話した。
「生き物は皆死ぬ。いくら頑張っても助からないものもいる。これはおまえにとっていい勉強だった」
私の頭を撫でながら言った。
それから数日間、私は毎日のようにフォレストディアちゃんのお墓へ通った。
ブランちゃんも、鹿ちゃんたちも、いつも一緒だった。
そして、ある日の晩ご飯のとき、おじいちゃんが突然、
「おまえはこの村に来てもう三年だな」
と、言い出した。
「そうだね〜」
「村を出たらどうだ?」
「……うん?」
……幻聴かしら。
「おまえはまだ若いからな、もっと世の中を見るべきだぞ。
この小さな村に埋もれるのはもったいないんだ。
おまえは賢いから、きっと多くの人の役に立つだろうな」
「ど、どこに行けっていうの?」
げ、げ、げ、幻聴じゃなかったよ!
「そこの川をずっと下っていけば、トレストという街に着く。
そのあとはおまえの行きたいところに行けばいい。
トレストにずっといてもいいし、王都に行ってもいいし、他の街でもいい。おまえ次第だ」
おじいちゃんがおかずを口に入れながら、淡々と話した。
まったくこの可愛い可愛い私の気持ちを微塵も気にしない様子だった。
悲しい……。
「お、おじいちゃんは?」
「わしがここにいるに決まってるだろう」
「じゃ、じゃあ……誰がおじいちゃんの面倒を見るの?
水汲みは?
薪は?
村から離れるのはいやよ!
絶対にいや!
い――や―――だ――――っ!」
「それにこの村、老いぼれしかいないから、おまえはこのままだと結婚できないぞ」
おじいちゃんはまったくこの可愛い可愛い私の訴えを聞かない様子だった。
悲しい……。
「じゃあ、しなくていいじゃん。私はおじいちゃんとずっと一緒にい・る・の!」
「わしに孫を抱かせろ」
「でも、村を出たら孫を作ってもおじいちゃんは抱けないんじゃないの?
おじいちゃんがこの村にいるんだからさ!」
「おまえの薬の知識は口答えの能力と同じぐらい高いんだから、きっと世の中の役に立てるんだろうな」
「……えっ?今私を褒めてる?褒めてるよね!?」
ちょっとひどいことを言われた気がしなくもないけど。
……あっ、いや、今はそんなことはそこら辺にいったん置いておこう。
「わしは意味もなくおまえにやらせたことがあったか?」
「えっ?何を言ってるの?
何度もあったでしょう?
この前だっておじいちゃんが私をあの崖に行かせたよね?
あれ、けっこう危なかったよ。
足が滑っちゃったら死んじゃうよ。
あれ何のため……じょ、冗談ってば〜。目が怖いよ〜」
おじいちゃんがギョッと私を睨みつける。
何百回もこの恐ろしい鬼目で睨まれてきたけれど、慣れないわね。
ムリムリ。
おじいちゃんは普段すごく優しいけど、怒ると鬼に化ける。
というか鬼より怖いのだ。
「じゃ、じゃおじいちゃんも一緒に行こうよ!ねねねね!一緒に行こう!絶対楽しいよ!」
「わしはもう六十三歳だ。楽にさせてくれ。
何日も森を歩かせる気なのか?
ぎっくり腰したらどうする?
膝が痛いんだろ?
それにわしも行ったら村の病人はどうするのだ?
おまえはまだ若いんだから一人で行きなさい。
こんな村に埋もれるのはもったいない」
おじいちゃんはひと口ご飯を口へ運んだ。
「なにそれっ!?
この前六十三歳舐めんなとか、わしの膝とか腰とか心配するなとか言ったくせに!
都合よく六十三歳だとか、言い訳にしないでよ!」
「やはり口答えが達者だな、わしの見込み通りだ」
おじいちゃんはトウモロコシのお茶を飲んだ。
「おまえには才能がある。
だが、この村にいたら、風邪や頭痛くらいしか治す機会がない。
外に行って、村にはないことを学べ」
鋭い視線で私を見つめた。
「おまえはあのフォレストディアを助けたかったんだろう?
なら、外に行け。世界を学んで来い」
とまあ、こんなふうに言い合いをしながら、いろいろ説得されたのち、四日後村を出ることになった。
まったく納得していないけどね。
おじいちゃんから少しお金をもらった。
昔、おじいちゃんが「こういうものもあるんだ」と言って、お金の価値や使い方を教えてくれたことがあった。
でも、村では使うことがないから、私はお金の存在をすっかり忘れていた。
街では、お金が必需品らしい。
「これがあれば一ヶ月ぐらい安い宿に泊まって、しばらく生活もできるはずだ。
その間にちゃんと仕事を見つけて、給料をもらえれば心配することはないぞ。
お金の使い方、覚えてる?後でちゃんと練習しな」
「だいたい忘れかけてるよ。後でもう一回教えて。何というお金だっけ?……く、く、くれん、だっけ?」
「セルだよ、セル。忘れかけてるより、すっかり頭から消えたんじゃないか」
おじいちゃんが大きなため息をついた。
「ほら、これは一セル」
「これは一セル」
「これは十セル」
「これは十セル」
「これは五十セル」
「これは五十セル」
「……金、要らんか?」
「めちゃ要るに決まってるでしょう!!」
……………………
…………
「よし!覚えた!ありがとう、おじいちゃん。
でもさっき一ヶ月ぐらい生活できるって言っていたけど、それって二十年前のことじゃない?
今の相場はどうなっているの?
全然変わっていないの?
本当に足りるの?
二十年経った今でも五セルで果物を三個買えるの?
十セルで果物三個の可能性はない?
本当に十セルでご飯を食べられるの?
二十セルの可能性は?
どうなの、これ?」
「……知らんわ。足りなかったら自分でなんとかしろ。自分で稼げ!」
「えっ!無責任なことを言わないでよ!足りなかったら、私どうするのよ!?」
「知らん」
「……シクシク」
「泣いても無駄だぞ」
「……」
涙作戦、失敗……
四日後、村を出る日がついにやって来た。
今日もいつも通り、まだ暗い朝の時間に起き、水を汲み、朝ご飯を作る。
ブランちゃんと鹿ちゃんたちにお別れをして、おじいちゃんのことと村のことを頼んだ。
これからおじいちゃんと一緒に朝ごはんを食べたら、出発するのだ。
「リーマ、元気でな。道中気を付けるようにな。
森で動物や植物と遊んでばかりいないでちゃんと街に行くんだぞ。いってらっしゃい」
私は自分の荷物を背負いながら、おじいちゃんにお別れをした。
「うん!おじいちゃんも元気でね!じゃね!行ってくる!」
意外とあっさりしたお別れだった。
背にはかばんと弓矢。
腰には短剣。
準備満タンだ。
この瞬間から――
私はおじいちゃんと一緒じゃなくなる。
……そんな不安と寂しさと楽しみを胸に抱えながら、
私は一歩、また一歩、歩き続けた。
……村の外って、どんなものかな。




