その夜、誰も戻らなかった
「……おまえは誰?……何をしている?」
突然、背後から男の声がした。
血の気がすっと引き、心臓が跳ね上がり、叫びそうになるのを必死で堪えた。
おずおずと振り返ると、四人の男が立っていた。
……四人もですか?
みんな険しい顔で、剣の切っ先をこちらに向けていた。
「……お、お邪魔、してます……」
声が意外と落ち着いていた。
――リーマちゃん、大ピンチ!
(ジャマだっ!)
リアが低く唸った次の瞬間、剣を持っていた男の一人に飛びかかり、勢いよく蹴り飛ばした。
そのまま足に噛みつき、体ごと突き飛ばした。
男は勢いよく木に叩きつけられ、そのまま地面に倒れ込んだ。
――気絶。
瞬殺だった。
さ、さすがホワイトウルフちゃん……。
仕事が早すぎるし、容赦がなさすぎる。
残りの三人がその光景にたじろいだ。
一人は後ずさり、逃げようとしたが、その隙を逃さず、私は気絶した男が落とした剣を拾い上げた。
一番近くにいた男が私に剣を振るったが、私はその剣を受け止めた。
その瞬間、腕がびりっと痺れた。
重い――っ!
木刀とは、全然違うじゃんかっ!
それでも夢中で男の剣を押しのけ、間合いに踏み込んだ。
思い切り股間を蹴り上げ、さらに無我夢中で足を振り抜いた。
それがたまたま顔面にきれいに入った。
……よ、よしっ!
「このヤロー!」
別の男が叫び、剣を構えて突っ込んできた。
——ぎゃあぁっ!
私はぎりぎりで剣を躱した。
……うぅぅぅ。
髪の毛が数本切られてしまった……
私はもう一度剣を握りしめて、そのまま反撃した。
数度、剣がぶつかり合うと、相手は次第に苛立ち、動きが雑になっていく。
集中が切れたのがはっきりわかった。
その隙に私は体を低くし、男の足を引っかけた。
男はバランスを崩し、前のめりに倒れた。
倒れた男の手から剣を蹴り飛ばし、腹を思い切り蹴り上げた。
剣の柄で顔を打ち、さらに三発、無我夢中で叩き込んだ。
男はそのまま、動かなくなった。
……はぁ、はぁ。
気づいたら、私は呼吸をしていなかった。
今まで木刀でしか模擬戦をしたことがなかったから、真剣を持つとかなり緊張した。
思わず、しゃがみ込んだ。
……はぁぁぁ。
さっきの私、ちょっとかっこよかったかも。
自分が倒した男を眺めた。
誰も斬っていないし、血も出ていない。
……よかった。
死なれてしまったら、大変だからね。
おじいちゃん――
武術を教えてくれてありがとう!
あの時は筋肉痛で死ぬほど辛かったけど……
でも今、ちゃんと役に立ってるよ!
ふと、自分の手を見ると、戦闘が終わった今になって、わずかに震えているのに気づいた。
……私、こんなに緊張していたんだ。
……ふぅぅ。
もう一度深呼吸をして、リアの方を見た。
――もう四人目を倒していた。
倒れた男の体の上に寝そべり、悠々と爪の手入れをしていた。
……余裕すぎるよ、ホワイトウルフちゃん。
私は小屋の中を覗き、カイテルさんたちも、すでに中の人たちを倒しているのがわかった。
アレックスさんとザインさんが犯人を縛り上げていて、タイラル隊長は小屋の中に残された薬物を調べていた。
カイテルさんは小屋の奥を確認していたのか、奥の扉から戻ってきて、タイラル隊長と小声で何かを話していた。
さすが国の騎士だ。
みんな、強すぎる。
リオはどこにいるのだろうと、ざっと周囲を見回すと――
リオが両方の前足と後ろ足を使って、この小屋の人たちの顔をぱんぱんと叩き、笑いながら楽しそうに人間の顔面で遊んでいた。
……あっちのホワイトウルフちゃんも、余裕すぎて容赦がなさすぎるよ。
小屋の中の戦闘は完全に終わったのだとわかり、私はリアを呼んで、一緒に小屋の中へ入った。
中を見回すと、壁一面に瓶がずらりと並べられていた。
……もしかして、これは全部、麻薬なの?
麻薬といえば、もっと毒々しいものを想像していたけれど、瓶の中身はどれも普通にきれいな色の粉ばかりだ。
おじいちゃんは、見た目が薬に似ているものほど危ないと言っていた。
綺麗な色をしていて、甘い匂いがして、少しだけなら大丈夫だと思わせる。
そうやって人を壊すものもあるのだと。
『妙によさそうな薬を見つけても、絶対に手を出すな』
『薬が必要なら、自分で調薬しろ』
村を出る前に、おじいちゃんはそう厳しく忠告していた。
まさか田舎娘の私が王都に来て三日目で、こんな物騒な出来事に巻き込まれるなんて。
早く、おじいちゃんに会いたいな。
会えたら、この素晴らしい話――
じゃなかった。
この怖すぎるお土産話をしてあげよう。
毒から作られた麻薬。
これを開発した人は、植物に関して並外れた知識を持っているのかもしれない。
……これ、本当に麻薬なのかしら。
見た目だけなら、まったく有害なものには見えない。
……なるほど。
だからこそ、多くの人が危険さに気づかず、服用してしまうのね。
気づいた時には、もうやめられなくなっているのだろう。
私だって、事前に麻薬が関係しているかもしれないと気づいていなければ――
ただの粉薬だと思って、何の警戒もなく吸っていたかもしれない。
私は麻薬のことを考えながら、ぼんやりと小屋の中を見渡した。
――あれ?
あの花って……
「リーマ、大丈夫だった?一人にしてしまってごめんね。
……って、その剣はどうしたのか!?何かあったのか!?」
私がうっとりとあの花を見つめていると、カイテルさんが慌てた様子でこちらへ駆け寄ってきた。
そして私の手に握られた剣を見た瞬間、顔からさっと血の気が引いた。
相変わらず過保護だけど、それでもこんなふうに心配してくれるのはやっぱり嬉しい。
カイテルさんに言われるまで、自分がまだ麻薬団員の剣を持ったままだったことに気づいていなかった。
「あっ、これは……ここの人たちの仲間のものです。外でも四人、寝ています」
「……寝てる?どういうことだ?」
カイテルさんの顔がさらに青ざめた。
「いきなり現れたので、ちょっとびっくりしましたけど……リアと私で、休ませてあげました」
「……そ、そうなのか?」
カイテルさんはまだ血の気の引いた顔のまま、私の肩に手を置き、ざっと全身を確認した。
そして怪我がないとわかると、ほっとしたように大きく息を吐いた。
「よかった……リーマが無事で」
そう言って私の頭を撫でると、
「剣、使えるんだね。すごいよ。一人にしてごめんね。……怖くなかった?」
と、優しい声で尋ねてきた。
「全然大丈夫ですよ!リアもいましたし、こう見えても、私はそこそこ強いですから!」
国の騎士を前に、私は少し胸を張って答えた。
その言葉を聞いたカイテルさんは柔らかく目を細め、もう一度私の頭を撫でてくれた。
「外に四人いたの、リーマちゃん?じゃあ、ちょっと縛ってくるね〜。私に任せて〜」
突然そう言いながら、アレックスさんが割り込んできて、ひっそりとカイテルさんを突き飛ばした。
カイテルさんはよろけ、私の肩から手が離れた。
……アレックスさん、何をしているんですか。
ちょっとカイテルさんの顔、見てください。
いつも優しいのに、今は鬼より怖い表情してますよ。
そんな私の内心などお構いなしに、アレックスさんは、よろけたカイテルさんにひとつドヤ顔を決めると、
「ザイン!外にもこいつらの仲間がいるぞ!リーマちゃんが戦ってくれたから、早く来い!」
と、元気よく声を張り上げた。
アレックスさんとザインさんはそのまま外へ向かい、静かに大人しく眠っている四人の男を手際よく縛り上げていった。
「小屋の裏には、もう誰もいません。全部で十一人ですね。
さっきの寝床も、それくらいの人数のものでした。これで全員だと思います」
ザインさんが、タイラル隊長に簡潔に報告した。
「他にも、こいつらの巣が残っている可能性はある。油断するな。見張りを厳重に。
これほどの麻薬の量だ、これから忙しくなるぞ」
タイラル隊長は、深く眉をしかめた。
そのまま、タイラル隊長、アレックスさん、ザインさん、カイテルさんは再び話し合いを始めた。
誰が騎士団本部へ報告に向かうか。
この場所をどう調査するか。
捕らえた十一人の麻薬団員の処遇。
麻薬の処分方法――。
断片的にそんな言葉が耳に入ってきた。
リオとリアはこの小屋に残る麻薬の匂いを嫌がり、外で待機しながら見張りをしてくれていた。
私は再びマスクをつけ、ひとりで小屋の中を歩き回った。
――もう一度、詳しく見ておきたかった。
壁際には、色とりどりの麻薬の瓶がずらりと並んでいた。
中央には大きな作業台があった。
その上には、イベルリアやナイトテイルなどの植物、
調薬道具、
そして、空瓶が無造作に置かれていた。
(……ふーん)
麻薬作りに使う道具は調薬とほとんど変わらない。
――ということは。
(私がその気になれば、麻薬も作れちゃう……?)
そんな馬鹿な考えが頭をよぎり、私はすぐに首を振って追い払った。
「あっ――!」
視界の端に、紫色が映った。
この花……!?
やっぱり、イブニングローズだ!
深い紫色をした珍しい薔薇。
回復薬の原材料にもなり、観賞用としても価値が高い薔薇だ。
(欲しいなぁ……あとでカイテルさんにお願いしたら、一本くらいもらえるかな……)
――いや、それよりも、こんなに珍しい薔薇がなぜここに何十本もあるのだろう。
(まさか、これも麻薬の材料……?)
作業台を改めて見渡した。
……あれ?
回復薬の材料が、全部揃っていた。
(えっ……あの回復薬も、ここで作ってたの?)
すごい。
あの回復薬はそんな簡単に作れるものじゃないのに。
でも、何のために……?
ここは、麻薬だけの工場じゃない……?
私は首を傾げ、いくつもの可能性を考えた。
けれど、どれも決定打にはならなかった。
そもそも、こんな大量の麻薬って、国中の人にばら撒くつもりだったの……?
もし、これだけの量が外に出回っていたら、国が滅びてしまうかもしれない。
何を考えて、こんなものを作るの?
そんなに、お金が欲しいの?
そう思った瞬間、ぞくりと体が震えた。
――見つかって、本当によかった。
そのとき……ほんの一瞬、頭がふわりと軽くなった。
まるで、夢心地になったような気分だった。
……しまった。
もしかして、私、この匂いを吸い過ぎちゃった?
これは危ない。
ここを出よう。
そう思ったとき、
「リーマは、俺と一緒に王都へ戻るよ」
騎士たちとの話し合いを終えたカイテルさんが、小屋のあちこちを探索している私のところへ近づいてきた。
「タイラル隊長たちは、戻らないんですか?」
「タイラル隊長と、アレックス、ザインはここに残って待機と見張りをする。
俺はリーマを屋敷まで送ったあと、騎士団長に報告して、増員を連れて戻ってくるよ。
さすがに、俺たち四人だけじゃ、どうにもならない量の麻薬と人数だからね」
「なるほど……そうなんですね。わかりました」
そのとき、タイラル隊長がこちらへ歩いてきた。
「リーマさん。このホワイトウルフたちも、ここに残してもらえませんか?
万が一、まだ麻薬団の仲間が潜んでいる可能性もあります。我々が捜査している間、見張りを頼みたいのです」
私は問題ない。
けれど、人間のために動くかどうかは、強き誇り高きホワイトウルフちゃんたち次第だ。
「聞いてみますね」
私は小屋の外にいるリオとリアのところへ行き、ここに残って見張りをしてもらえないかと聞いた。
(めんどくさいワネ)
そう唸りながらも、二匹は嬉しそうに尻尾をぶんぶん振っている。
……まったく。
この子たちは、「強き誇り高きホワイトウルフ」であること以外は素直じゃない。
森に長くいられるのが嬉しいくせに、文句だけは一人前なんだから。
私は、今の文句を「寝言」ということにしておいた。
太陽が西へ傾きはじめた頃、私とカイテルさんは森の小屋をあとにし、森の入口へ向かって歩き出した。
帰りは道がわかっているせいか、来るときよりもずっと速く進んでいる気がする。
しばらく歩くと、今朝、キルモンキーちゃんに会った場所まで戻ってきて、森の出口ももうすぐだった。
カレル森はイベルリアの繁殖地だ。
帰りに少し採って帰ろうかと思っていたけれど、カイテルさんは明らかに急いでいる。
大量の麻薬を発見したのだから、一秒でも早く、騎士団本部に報告しなければならないのだろう。
花を採って帰りたい、なんて呑気なことは言えず、私はイベルリアの採取を諦めた。
「リーマ、疲れてない?少し休む?」
いつも通り、カイテルさんはときどき、優しく声をかけてくれる。
「全然大丈夫です!早く王都に戻りましょう!」
急いでいるカイテルさんを見て、「休みたい」なんて言えるはずもない。
そもそも、そこまで疲れているわけでもなかった。
……今度、リオとリアが狩りに来るときに、イベルリアをお土産に持って帰ってくれるよう頼もうかな。
森を出ると、ザインさんが隠蔽魔法で隠しておいた馬車に乗り込み、私たちはそのまま王都へ向かった。
「俺は先にリーマを屋敷に送るから。今日はもう、ゆっくり休んでね。
朝からずっと歩いてたし、疲れたでしょ?」
がたがたと揺れる馬車の中で、カイテルさんが心配そうに言った。
私は、十日間も森を歩いていた女ですよ、カイテルさん。
「全然大丈夫ですよ!それより、私も騎士団本部まで行かなくて大丈夫なんですか?
麻薬のことや、植物のことの報告は……?」
「俺が全部報告しておくから、心配しなくていいよ。
リーマに聞きたいことがあったら、屋敷で聞くから。
今日は無理しないで、ゆっくり休んで」
「……そうなんですか。わかりました……」
カイテルさんは、どうしても私を騎士団本部へ連れて行きたくないように見えた。
……気のせい、かな?
馬車に揺られているうちに王都へ入り、そのまま屋敷へと向かった。
「じゃあ、行ってくるね。リーマはたくさん休んで」
カイテルさんは屋敷の玄関まで私を送り、頭をなでなでしてから、そのまま一人で馬車に乗り、騎士団本部へ向かった。
……ちょっと、残念。
本当は、カイテルさんの職場を見てみたかった。
騎士団本部って、なんだか重苦しい場所のイメージがあるけれど、
タイラル隊長も、アレックスさんも、ザインさんも、そんな雰囲気じゃなかったし……。
小屋に植物もたくさんあったから、その報告ついでに連れて行ってくれるかも、
なんて少し期待していたけれど、ダメだった。
……まあ。
いつか、カイテルさんが飼育場に連れて行ってくれる日に、ついでに騎士団本部にも寄ってくれないかな。
今日は仕方がない。
私は大人しく屋敷で待つことにした。
――でも、日が沈み、夕食の時間になっても。
私がお腹いっぱいになるまで食べ終えても。
そろそろ寝る時間になっても。
カイテルさんも、お父様も、リオも、リアも戻ってこなかった。
……きっと、捜査で忙しいんだろう。
そう思おうとした。
けれど、夜が深くなるほど、胸の奥の不安は少しずつ大きくなっていった。
カレル森で見つけたものは、あれで全部だったのだろうか。
その答えを、私はまだ知らなかった。
胸に残った不安の正体を知るのは、もう少し先のことだった。




