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大学の正門をくぐって行く。いつの日か智子と会った時と同じ守衛が立っていた。僕は特に気に留めることもなく彼の前を通り過ぎた。ちらっと胸の辺りを見ると、そこには「乾」と書かれた名札がピンで留められてあった。
演技場は大学の一番奥にあった。僕は坂を上り、いつもの文学部棟を横目に真っ直ぐ演技場を目指した。
演技場の前には、観劇しに来たのであろう人だかりが出来ていた。列になっている。
最後尾はどこかなと、僕は辺りをうかがった。
すると遠目に、ポニーテールの見知った顔に出会った。
中川智子だ。
僕は、あ、と声を漏らして思わず立ち止まった。智子も僕に気が付き、こちらに駆け寄って来た。
「本城君」
にっこりと微笑んで、彼女はそう言った。
「やあ、久しぶり」
右手を軽く上げて、僕は智子に挨拶した。
ケイとの共同生活開始から殆ど学校に行っていなかったため、智子と会うのは以前正門付近で声をかけられて以来だった。彼女は変わっていなかった。少し垂れ目な顔も、大きめな胸の膨らみも、そのままだった。
「ケイを見に来たの?」
背が低い彼女は、若干僕を見上げるようにしてそう尋ねた。
「ああ、そうだよ。もしかして、君も?」
僕は、相手の頭の高さに合わせるように首をやや下げてそう問い返した。
その刹那、彼女の顔から笑みが消えた。目を横にそらして俯き加減になった。
「うん」
どこか不安げな、小さな声だった。僕はぴんと来た。何かあるなと思った。
「どうしたの?」
努めて穏やかに、僕はそう聞いた。
智子は答えなかった。その代わり、肩を落としてうな垂れた。まるで飼い主に怒られてしょんぼりしている犬のようだ、と僕は、率直に思った。
「何か、あったの?」
僕は、赤ん坊に語りかける父親のような口調で、落ち込んでいる彼女にそう言った。
「ケイね」
相当思いつめているのか、智子の声は消え入りそうだった。下を向いたままだった。
「ケイがどうしたの?」
「ケイね、演劇部で、いじめられてるの」
一語一語区切って、智子は、はっきりとそう言った。そして顔を上げた。左目から涙が一筋、頬を伝っていた。
思いがけない言葉だった。僕は言葉を失い、その場に立ち尽くした。そして思った。智子は泣いている。友達の智子が泣くぐらい、それぐらい、ケイはひどいことをされているのか、と。
「演劇部中の、皆から、男子からも女子からも、無視されてるの。それだけじゃなくて、物を隠されたり、擦れ違い様に、口にするのも汚らわしい、どうしてそんなことが平気で言えるのかって思われるような悪口を言われることもあるの。直接手をあげたりしないけど、それは、そうすると証拠が残っちゃうから。皆が、ケイを厄介者扱いしてるの」
智子は、泣きながら続けた。
「ケイがああいう性格だから、誰にも媚びないからってのもあるけど、一番の原因は、多分、嫉妬なんだと思う。いきなり途中から入ってきて演技をすごく評価されて、劇作家の先生達から激賞されて、主役に抜擢されて、それでもケイは何事も無いように振舞ってて、前からいる部員達はそれが気に入らなくて、ケイに嫌がらせするの。でも、違うの。ケイは、何事も無いように振舞ってるけど、本当は、人一倍、周りに気を遣うタイプなの。あの子は、筋を通してるだけなの。挨拶だってちゃんとするし、目上の人に対しても尊敬の念を抱いてる。ただ、あまりにも、あまりにも真っ直ぐ過ぎて、自分の夢に向かい過ぎてて、それが誤解されちゃうの。あの子は、実直過ぎるだけなの。熱過ぎるだけなの。ケイは、ぱっと見は何ともないように見えるけど、本当は、とても傷ついてる。立ってられないくらい傷ついてるのに、無理して立ってる。いじめられても、やり返すこともなく、ただひたすらに、自分の演技を磨いてる。まるでそうすることが自分の宿命であるかのように、耐えて、耐えて、耐え抜いてるの。でも、誰も、演劇部の誰も、ケイの味方をしようとしない。ケイのことを、謙虚じゃない、とか言って、自分達がケイにしていることを正しいことだとすら思ってる。ケイは、媚びないだけで、礼儀はちゃんと果たす子なの。無闇やたらに他人にへつらったりしない子なの。そういうことは逆にその人に対して失礼だと思ってる子なの」
喋りながら、智子の目からは涙が止めどもなく流れていた。彼女はそれをしきりに指で拭っていた。
智子が演技をしているようには見えなかった。彼女は、心からケイを心配しているようだった。彼女の心が、彼女の言葉の一つ一つから、僕に伝わった。
僕は目を閉じ、これまでの僕に対するケイの言動を思い出した。無茶苦茶で、腹立たしい、理不尽なことばかりだった。しかし、そんな彼女の態度が、強がりの裏返しなのだとしたら。一途に夢を追い求める女の子の純情の一側面なのだとしたら。才能があるが故に誰からも理解されない人間の魂の叫びなのだとしたら。
いただきます、と、ごちそうさま、を欠かさず律儀に礼をする彼女の姿が、瞼の裏に浮かび上がった。
僕は目を開くと、涙で潤んだ瞳を向けてきている智子の前で、腕組みした。複雑な気分だった。得体の知れないもやもやが、僕の胸の中に渦を巻いていた。
とりあえず見てみよう。僕は直感した。ケイの演技を見てみよう。そこに、答えがあるような気がする。
列の方に目を向けた。もう殆どの人が演技場の中に入ってしまっていた。泣いている智子に、行こう、と声をかけて、僕は入り口に向かって歩き出した。




