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鋼色の青春  作者: 泉流計
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 演技場の中に収容されている人は、かなりの数だった。空いている席は少なかった。僕と智子は、前から二列目の端に座った。智子が持っているチケットは関係者用らしく、彼女の連れだと受け付けに言うと、特別料金は取られたものの、演者の表情まで良く見えるその場所に陣取ることができた。

 僕達のすぐ前の列、すなわち一番前の列には、どうみても学生ではない杖を持った白髪の翁や初老らしい老婦人などがいた。「演劇の先生方なの。結構有名な人もいる」と、赤く腫れた目をした智子が僕に耳打ちした。

 開演を告げるブザーが鳴り渡り、照明が落とされた。辺りは静寂と薄暗闇に包まれた。

 幕が、ゆっくりと開いていく。

 西洋のドレスを着た女性とタキシードを着た男性が舞台上に立っていた。どうやら中世ヨーロッパの話らしい。それっぽい大道具と小道具も備え付けられていた。

 演者達は、それぞれがそれぞれに、立ち振る舞い、セリフを言い、演技した。袖から新しい者が出てきて加わったり、元いた者が引っ込んでいったり、入れ代り立ち代り、舞台上は目まぐるしく、しかし話の筋を観客が見失わない程度に変化していった。

 僕は舞台上で役を演じる演者達の様子を、ストーリーを見失わないように注意しながらつぶさに観察していたが、やがて、苦笑した。全然なってない。セリフは棒読み、振る舞いは無駄に大袈裟なだけ、目は相手を見ているようで見ていない。彼らは、演じることと自己陶酔とを履き違えている。見ていて僕は、これは本当に大学生のする劇なのか、どこかの小学校でやる学芸会か何かじゃないのか、と、油断すると本気で思ってしまいそうだった。彼らがしているのは、観客に見せるための演技ではない。ただ自分達が面白ければそれでいい、役者の真似事をして自分達が気持ちよければそれでいい、という自己満足だけの、いわゆる「ごっこ」だった。こいつらは真剣にやっているのか、真剣にやってこれなのか、と、劇も中盤に差し掛かった頃、僕はそう思い始めていた。

 それに何より、花が無い。蕾すら無い。言ってしまうと、全員不細工なのだ。演劇は「ショウ」だ。「ショウ」なのだから、見た目が命だ。見た目で、観客に与える印象が大きく変わってくるのだ。テレビや映画などもっとそうだろう。役者は、まず、鏡を見なければならない。未知の食材を吟味するように見なければならない。そこで自らの美醜を、第三者に与える印象を、的確に判断しなければならない。「自覚」しなければならない。

 こいつらは、それがまるで出来ていない。醜いアヒルの子はいくら着飾ったところで、所詮、醜いアヒルの子なのだ。醜いことに変わりはないのだ。たとえ醜くとも卓越した演技力があれば、成長して白鳥に、いや、不死鳥にすらなることが出来るだろうが、こいつらの演技を見る限りではそんな可能性は皆無だった。醜い上にろくに演技が出来ないような者が生きていける程、この世界は甘くはないのではなかろうか。

 舞台上では、ぴいちくぱあちくと、つまらない役者達が何かやいやい言い合っては幼稚な演技を繰り返していた。劇はそろそろ、「起承転結」の「結」に向かっていた。

 突如、舞台の明かりが消えた。真っ暗闇になり、人影が黒い塊となって僕の目に映った。どよめきが観客の中に広がった。

 円形の光が、上手に当てられた。スポットライトだった。光の当てられた場所だけが、浮かび上がっているように見えた。観客全員が、そこを見た。すると、袖から、一人の女性が出て来た。

 ケイだった。

 彼女は、長い髪を後頭部で留め、紫のドレスを見に纏っていた。しずしずと、舞台中央に向かって歩いていく。それに伴ってスポットライトも、下手に向かって動いていく。

 彼女の様を僕は眺めた。そして思った。いつものケイではない。

 役を演じているのだから当然だろうとも思ったが、それだけではなかった。目を伏せてゆっくりと歩いていくケイには、どこかしら、この世の者とは思えないような雰囲気があって、まるで生きながら死んでいるような、そんな二つの相反する属性が彼女の中に同居しているような印象を受けた。

 ケイの役は、戦場で夫が死んで悲しみに沈む王妃の役だった。後継争いに明け暮れて日夜互いを罵り合う欲に目が眩んだ家臣達の傍若無人な振る舞いに、醜さに、夫はこんな者達のために死んでいったのかと落胆し、病床を出てついに家臣達を叱り付けるシーンだった。王妃の命はもう長くはなく、この叱責を最後に彼女は還らぬ人となる、という設定だった。蝋燭が尽きかける寸前にぱあっと大きく燃え盛るような、臨終前の命のきらめきを表現しなければならない場面だ。

 摺り足で歩くケイ。その足取りは、力無く、両手はだらんと垂れ下がり、殆ど動くことが無かった。ああこの人はもうすぐ亡くなるんだな、旅立ってしまうんだな、と、一目でわかった。そういうメッセージが、彼女の一挙一動には込められていた。

 僕は目を細めて、ケイの表情を見た。

 生きていなかった。

 彼女の肌は元々透き通るほど白く、その白さは白粉で際立たせられており、死人のそれと同じように設られていたが、僕が注目したのはそこではなかった。

 目だった。

 彼女の目には、既に、何も映っていなかった。

 見えているはずである。実際には、見えているはずである。

 しかし、今の彼女には、何も見えていない。闇の中にひっそりと佇むフクロウのようなぎらついた光を放っているにも関わらず、その瞳には、諦念とも憤怒ともつかぬ、今際の際を間近にした人間の絶望が、よく表現されていた。「表現されていた」と表現するのはおかしいかもしれない。なぜなら、彼女は、正に「そう」なのだから。

 まだ登場してから数秒しか経っていないが、ケイのその鬼気迫る演技に、僕は驚愕した。目だけでここまで語れる役者は、おそらくそんなにいない。見ている他の観客達はどうか知らないが、少なくとも僕は、息を飲み、警戒に似た感情を持って彼女の動静に注視した。本能が、「こいつは只者じゃない」と告げていた。最愛の夫に先立たれ奸臣に囲まれて悲劇的な死を遂げようとしている王妃に「完全に」なりきっているケイは、足を動かすのもやっとという感じで、舞台の中央に辿り着き、観客席の方に体を向けた。よく見ると、小刻みに震えている。それが緊張によるものではないことが、僕には見て取れた。彼女は、怒っているのだ。それも、心の底から。

 伏せていた目を、かっと見開き、ケイは怒りに満ち満ちた炎のような視線を観客席にぶつけた。殺意すら感じる視線だった。僕は、全身に鳥肌が立つのを感じた。同時に、野球で豪速球ピッチャーが変化球を使わずに速球打ちが得意なバッターにストレート真っ向勝負を挑むのを見た時のような、深い感動と爽快感を覚えた。彼女は全力なのだ。全力で挑んでいるのだ。そのことを理解するのに時間はかからなかった。

 すうっと息を吸い込み、ケイは、セリフを言い始めた。死の淵に立っている人間が出すとは思えない程の、大きな、よく通る、しかしどこか弱々しい頼りない声を、彼女は出した。王妃の命が最後にきらめく瞬間である。地声が綺麗であるのに加えて、この聞き取りやすさ。僕は彼女のセリフに聞き入った。これまでは、その雰囲気だけで表していた王妃の悲憤を、ケイは、声音とセリフを通して、まるで触ってつかめる程の実体として見事に表現しきっていた。

 僕は、自分の頭の奥が痺れているのに気がついた。それと共に、体が宙に浮くような錯覚を覚えた。こんなことは初めてだった。彼女は、身振り手振りを交え、国のため、民のために死んでいった王の妻として言う、奸臣達への言葉を、挑戦的にすら聞こえる声で喋り続けた。胸に熱いものが込み上げ、僕は泣いていた。彼女の、王妃の、心の叫びが耳目を通して僕の心内に入り込んで来たからだった。それは痛い程だった。

 物書きは人形作りの職人だ。必死になって机に向かい、七転八倒し吐きそうになりながら「形」を作る。かたや役者は、物書きが作り上げた人形に「命」を吹き込む聖人である。人形は、センスの差はあれど、努力すれば誰だって作れる。

 だが聖人は違う。「その人」にしかできない。それが天性のものなのかどうかはさて置き、「その人」だけが、人形に「命」を与えてそれを本物の「人間」にすることができ、見る者を感動させるのだ。

 今僕の眼前にいる演者は、間違いなく「その人」だった。無機質な人形に「命」を吹き込む聖人だった。その姿には、神々しささえ感じられた。

 しかし、僕は、ケイの演技に感動し涙を流しながらも、心のどこかにわだかまりのような思いがあるのを自覚した。

 最初は何なのか、はっきりわからなかった。しかし、さっき智子から演技場の入り口付近で聞いた話が頭に浮かんで来て、それによって、僕はこの感情の正体に目星をつけたのだった。

 これは、嫉妬ではないだろうか。

 自分には無い、高潔とさえ言える程の素晴らしい才能。その才能の輝きの前では、自分はあまりに無力で、ちっぽけな存在だった。

 ケイの才能は、眩しすぎるのだ。眩しくて、影しか見えなくなるのだ。人間の闇を、ものすごく克明に、浮かび上がらせてしまうのだ。

 そうかこの子は不器用なんだ、と、気がついた。答えを見つけたような気がした。不器用だから、自分の才能をぶつけることしか出来ないんだな。不器用だから、あれこれ策略を謀って人を欺いたり、人に取り入ったりすることが出来ない子なんだな。不器用だから、他人に誤解されて、いじめられてしまうんだな。

 目映いばかりの才能があるが故に。

 僕は、たとえ一瞬でも自分がケイに対して嫉妬を抱いたのを、恥じた。自分を憎みさえした。

 才能のある人間を才能の無い人間が、羨んじゃ、いけない。

 嫉妬していじめちゃ、いけない。

 尊敬するべきなんだ。

 尊敬して大事にするべきなんだ。

 僕は目を閉じた。ケイの孤独と心の傷を思った。涙が止まらなかった。

「王の愛を思い出せ! 王が目指していたものを思い出せ!」

そして、静かになった。所々でまばらに拍手が鳴ったかと思うと、やがて、満場の拍手が沸き起こった。

 目を閉じていた僕には、その時のケイの反応をみることは出来なかった。

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