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目覚まし時計がなる。
毎日聞いているはずのそれはとても懐かしく聞こえた。
今日は起こしてくれなかったのかと思って、そのことを疑問に思う。
誰が俺を起こしてくれるのだ?
確実に母さんではない。
平日でも九時を過ぎないと母さんは起きてこない。
ましてや今日は日曜日だ。
昼になっても起きてくるかどうか怪しい
それでは父さんか?
それもない。
父さんは今単身赴任だ。
起こしてくれるわけがない。
いつも起こしてくれていた人が誰だかわからないまま着替えて朝御飯を作る。
きっと気のせいだろう。
そうして準備をしていると、なぜか皿を三枚用意していた。
必要なのは二枚だけだ。
今この家にいるのは俺と母さんだけ。
兄弟がいるわけでもない。
きっと寝ぼけているんだろう。
昨日はあのあとゲームを引っ張り出して少しも身が入らないまま二時間ぐらいやっていた。
そのせいで寝不足なんだろう。
自分で用意した朝ご飯を一人で食べ、それを一人で片付ける。
昼まで二度寝するのもいいだろう。
二階に戻って部屋にはいる。
ふと机を見るとケータイが光っていた。
どうやらごはんを食べている間に電話があったらしい。
相手は信也だ。
いったい何の用だろうか。
一応リダイヤルする。
待っていたのかすぐに信也が出た。
『謙吾?さっき電話したんだけど』
「うん。それでかけ直した」
『そうか。ちょっと用があるんだけどいい?』
どうも信也らしくないどこか真剣な声だった。
「いいよ。どこかいくのか?」
『そういう訳じゃないんだ。今日起きたら机の上に二枚の紙があってさ。一枚は俺宛、もう一枚はお前宛なんだ。そして不思議なことに二つとも書いたのはお前みたいなんだよ』
俺が書いた俺宛の手紙が信也のところに?
いったいどういうことだ?
「よくわからないけど何が書いてあるんだ?」
『うん。今から読むよ。えーと、俺へ。これは昨日、つまり12月23日に書かれて信也に渡されたものだ。信じるか信じないかはどうでもいい。それよりも俺はなにか違和感を感じているだろう。それは些細なことかもしれない。俺にもどんな違和感があるのか予想がつかない。ただ俺に1つ言いたいことがある。写真を見ろ。動物園にいったときのものでも遊園地のものでもいい。最近とった写真を見て欲しい。それを見てなにか感じたのなら10時にかかってくる電話を待てばいい。』
「それだけか?」
『それだけだよ。意味わかる?』
「さっぱりだ」
だけど手紙の俺が言っているように違和感は感じている。
まるで誰かもう一人この家に住んでいたかのような感じだ。
とりあえず写真を取り出す。
最近の写真と言えば動物園に遊園地、あとは水族館とかのもある。
どれも特におかしいところはないような気がする。
俺と信也、そして風城さん。
三人でいったときに近くにいた親子連れに頼んでとってもらったものだ。
なかなか楽しかった覚えがある。
この写真のどこにもおかしな所はないはずだ。
いや、なぜこの面子なのか。
信也はいい。
問題は風城さんだ。
特に仲が良かったというわけではなかったはずだ。
そう思って眺めていると1つの事に気がついた。
俺と信也の間に明らかにおかしなすき間が空いている。
まるでそこにもう一人誰かがいたような。
なんだろうこれは。
なにかがあった気がする。
それでも思い出せない。
なにか1つ大切なことがある気がする。
時計を見る。
10時まであと30分はある。
信也に電話を掛ける。
『どうした?』
「おかしいところを見つけたよ。それと聞きたいことがある」
『うん。どうぞ』
「遊園地のも観覧車のところでとった写真が一番分かりやすいと思う。俺と信也の間に明らかにおかしなすき間があるんだ。他の奴にはないすき間が。まるでそこに人がいたかのような」
『ちょっと待って…。本当だ、確かにこれはおかしいね』
「それとこれははっきりではないけれど写真がずれてる気がするんだ。普通なら人を真ん中にするだろ?そうすると三人の真ん中の人が写真の真ん中に来るはずだけどどうもそれがずれてるみたいだ」
『うん。言いたいことはわかるよ。それで、聞きたいことって?』
さてこれが肝心だ。
「お前宛の手紙にはどんなことが書いてあった?」
『確か、休みに遊びにいった人数を三人と記憶しているなら電話をしてくれ。四人ならしなくてもいい。だったかな?』
そこで確信する。
確かにもう一人いたのだ。
いったいそれは誰なんだ?
クラスのやつらではない。
クラスの奴らとそこまで仲がいいわけではない。
ならば親戚か何かか?
それでもおかしい。遊園地に行ったのは普通の休日で、親戚が来るにはすこし難しい。
それに、なぜ俺も信也も覚えていない?
俺たちが忘れてしまったのか?
電話がなって考えを中断させられた。
見覚えのない電話番号。
時間はちょうど10時。
きっと、手紙の俺がいっていた電話なのだろう。
思いきって出る。
『えっと、安仁屋くんでいいのかな?』
電話の主は風城さんだった
「うん。合ってるよ。」
『えっとね、安仁屋くんからの手紙が二通あって片方が私宛でもう1つが安仁屋くん宛なんだけど』
「わかった。読んでくれる?」
『じゃあいくよ。俺へ。父さんの部屋を見てみろ。そのあと金庫を見てみるといい。これで終わりだよ』
父さんの部屋?
金庫?
『安仁屋くん金庫なんか持ってるの?』
「いいや。ただの引き出しだよ。鍵がつくからそういってるだけ」
そう。
その言い方は俺しかしない。
「ありがとう。とりあえず手紙の指示にしたがってみるよ」
電話を切る。
父さんの部屋は俺の部屋の下だ。
外に出て階段を降りる。
父さんの部屋のドアを開けるとそこに広がっていたのは、女の子の部屋だった。
ドアを閉めた。
きっと見間違いだ。
俺の父さんは結構な仕事人間だった記憶がある。
こんな変な趣味を持つ人ではなかったはずだ。
部屋を間違えたに違いない。
そこに母さんが通りかかった。
「おはよう。父さんの部屋になんか用でもあるの?」
「うん、ちょっとね。やっぱりここ父さんの部屋?」
「当たり前でしょ。どうしたの?」
「いや、なんだかすごいことになってたから思わず。」
「すごいこと?」
そう言って母さんはドアを開けてしまう
そして目の前の光景を見て
「ああこれね。これはあの子のよ」
「あの子?あの子って誰?」
「なにいってんの。もちろん…あれ」
母さんは首をかしげる
「おかしいな。誰かがここに住んでいた気がするんだけど。それが誰だかわからないわ」
「俺もだよ。誰かがここにいたんだ。けどわからない。まるで忘れたみたいに」
俺は部屋に戻った。
次は確か金庫、もとい引き出しのなかだったか。
鍵を開けなかを確かめる。
そこには一通の封筒があった。
中の手紙を確認する。
『この手紙に気づいたなら、彼女がいなくなったことに気がついているだろう。
彼女はクリスマスに消えるといった。
記憶もなくなってしまう、と。
きっとそうなって、俺もみんなも彼女がいたことを忘れてしまうだろう。
けど、俺はそんなの嫌だ。
彼女は俺にとってかけがえのない存在だ。
だから俺はせめてそれに抗ってみようとこれを書いている。
俺の予想があっていればきっと今は昼過ぎだろう。
下の場所に足を運んで欲しい。
一人じゃなくて二人にも手伝ってもらえれば全部の場所に行けるはずだ。
タイムリミットは、きっと今日いっぱい。
クリスマスイブが終わるまでだ』
そのあとにはいくつかの場所が書いてあった。
少し離れたところにあるクレープ屋、その近くの商店街、学校、公園、そして隣町の墓地。
もう一度手紙を読み返す。
肝心の名前が書いていない。
わざと書かなかったのか、そうではないのか。
自分で書いたはずなのにそれすらも思い出せない。
きっと俺が彼女のことを忘れてしまったからなのだろう。
急いで下に降りる。
今は少しでも時間が惜しい。
俺はケータイを片手に、二人へと電話をかけながら家を飛び出した。
その後は公園へと自転車を走らせた。
見覚えのある場所だった。
いつか、誰かと一緒にここへ来た。
それは覚えている。
みんなでここへ来て、ベンチに座って話をした。
夕日が綺麗なんだよ、と誰かが教えてくれた。
けれど、その日は雲りで、彼女は寂しそうだった。
今、俺の前では赤々と輝く太陽がまさに沈もうとしている。
それでもまだ思い出せない。
確かにここに来た時に彼女はいた。
でもそれは誰なのか。
わからない。
それぞれ別々の場所に行ってもらった二人からも連絡が来た。
俺と同じように確かにもう一人いたはずだけど、思い出せないそうだ。
忘れてしまった。
楽しい時間だったはずだ。
いい思い出だったはずだ。
それを忘れて思い出せない自分が情けない。
隣町へと行くために駅に着いた頃にはもう周りは真っ暗だった。
幸い指定された町にいく電車は夜中の2時まで運転している。
あとは警察に見つからないことを祈るばかりだ。
電車のなかで地図を確認する。
駅に着いた後はバスに乗って、そこからまたしばらく歩く。
名前からしてきっと墓地だろう。
そこにいったい何があるのかは、行ってみないとわからない。
今夜はきれいな満月だ。
暗いが月明かりがあって足下がそれなりに見える。
ケータイの画面に表示した地図を見ながら進んでいく。
駅に着くと、出てすぐにあるバス停でバスを待った。
どうやら間に合ったらしく、次に来るバスが最終のようだ。
来たバスに乗り、山を上る。
降りたバス停には木で出来たボロいベンチがただひとつおいてあるだけだった。
病院を通り過ぎ、坂を上ったところにその墓地はあった。
俺からの手紙を取り出す。
簡単な見取り図が書いてあるが、暗くてどこがどこなのかよくわからない。
少し戸惑いながらも歩いて行くと、一度その道を歩いたことがあるような気がしてきた。
それを元に少しずつ歩いて行く。
やがて一つの墓石の前に止まった。
『美山綾』
その墓石を見た瞬間にすべてを思い出した。
綾。
すっと涙が流れた。
忘れないと言ったのに、覚えていると約束したのに。
俺は忘れてしまった。
綾。
俺は綾が好きだった。
きっと誰よりも、これまでもこれからもこれ以上ないほどに、綾が好きだった。
いや。
今も好きだ。
けれど、綾は死んでいる。
去年のクリスマスイブを前に死んでしまった。
俺のそばにいた綾は綾という概念。
そうわかっていても彼女が愛おしい。
そばにいたい。
そばにいてほしい。
俺は昨日までの自分が何を考えていたかも思い出した。
つまり、綾とずっと一緒にいる方法を。
彼女はどうしてここにいた?
サンタのクリスマスプレゼント。
綾が願った、本当に強い願いを叶えてくれた。
それならば。
時間を確認する。
あと三十分で日付が変わる。
携帯で信也に電話をかける。
『なんだよ、謙吾こんな時間にさ』
「思い出したんだ。俺たちと一緒にいた綾の事を」
『綾?ちょっと待って。綾…綾…そんな人がいた気がする…』
「思い出せよ。綾だよ。三十七番って呼ばれてた綾だよ!」
『綾…三十七番…。綾ちゃん。綾ちゃんか!』
どうやら思い出したらしい。
しかし、三十七番で思い出されると何だか少し複雑だ。
『忘れてしまっていた、ってことはもう綾ちゃんはいないんだね』
「勝手にしんみりすんな。今から綾を連れ戻すぞ」
『そんなことができるのい?』
「ああ。綾に戻ってきてほしい。そう、強く願うだけだ。」
『わかった。謙吾がそう言うんだ。信じるよ』
次は風城さんだ。
「思い出したよ。俺たちと一緒にいたのは綾だ」
『綾…。そう言えばそんな人がいたような…』
「一緒に飯も食べた。昨日は四人で一緒にクレープを食ったり商店街を歩いた」
『…うん、思い出したよ。忘れないってずっと思ってたのに』
「これから忘れなければ良い。いまは、綾連れ戻すのが先決だ」
『出来るの?』
「綾に戻ってきて欲しい、って強く願うんだ。そうすれば、綾は戻ってくる」
『うん、わかった。やってみるよ』
電話を切る。
時間を確認すると、日付が変わるまであと一分だった。
目を閉じ、手を会わせる。
もう一度綾に会いたい。
ずっとそばにいたい。
まだまだやりたいことは一杯あるんだ。このまま居なくなるなんて皆嫌だし、俺が許さない。
だから、戻ってこいよ、綾。
しゃらん
鈴の音が聞こえた。
本当は聞こえていないかもしれない。
俺が勝手に聞こえたと思っただけかも知れない。
でもそうじゃない。
確かに鈴の音が聞こえた。
そう、おれは確信していた。
目を開ける。
「ふぇ、?!私、どうして?」
「良かった。また会えた」
綾を抱き締める。
強く、強く、ありったけの想いを込めて。
「痛い、痛いよ謙吾」
「なら、今綾は生きてるんだ」
「私、クリスマスイブに消えたはずじゃ」
「俺の、みんなの思いが届いたんだ。サンタさんが俺たちの願いを届けてくれたんだ」
墓石の上に紙があるのが目に入った。
手を伸ばして取ってみる。
二つに折り畳まれたそれを開けるとクリスマスカラーの便箋に文が書いてあった。
『謙吾くん、ハッピークリスマス!
君とお友達の強い、とても強い想いは確かに受け取った!
その想いの強さを祝福して、老いぼれジジイからのクリスマスプレゼントだ!
それは『美山綾』という概念。
これは一年ポッキリのものではなく、君がその概念を信じている間存在する。
つまり!
君が、美山綾は存在すると信じていれば彼女はそこに存在するということだ!
それではここらで老いぼれジジイは退散するとしよう。
是非、彼女という存在を大切にしてくれたまえ。
最後にもう一度、ハッピークリスマス!』
俺が信じていれば綾はそこにいる。
そんなの簡単だ。
俺は綾を信じる。
これからもずっと。
戻ってきた綾を手放すようなことはしない。
サンタさん、ありがとう。
「ねぇ謙吾。もういいかな」
綾を抱き締めていることを忘れていた。
「おっと、ごめん」
綾の顔が真っ赤だった。
たぶん俺も、そうに違いない。
手を差し出す。
「さぁ、帰ろう。みんな待ってるよ」
「うん」
その手は自然に握られた。
ゆっくりと坂を下る。
バスで上ってきた道を、なにも話さず、ただ並んで歩いていた。
それだけで満足だった。
きっと綾もそうだろう。
苦労して町に出るとクリスマスツリーがきらびやかに輝いていた。
「うわぁ、綺麗」
綾が感動していた。
「こんなのはじめて見た」
俺も見上げる。
クリスマスツリーが俺たちを祝福しているように見えた。
そんな勝手な解釈も、今日ぐらい許されるだろう。
「なぁ綾」
二人で見つめ合う。
綾が目を閉じた。
俺は顔を近づけて、キスをした。
暖かかった。
確かにそこにいた。
綾が笑った。
また歩き出す。
手を繋いで、腕を組んで、ゆっくりと。
焦る必要はない。
時間はたくさんある。
綾はもう消えない。
俺が消させない。
これからずっと、俺たちはそばにいる。