01
乾いた風がカーテンを揺らす。
うっすらと汗ばむような熱気ですら心地よく感じるのは、夏の気配を感じさせる青い空のおかげかもしれない。
「これまでご苦労だった、ロロメルテ。前任のパティシエ、ジェノワの体調が回復したそうだ。君の仕事は来週いっぱいまでで終了となる」
ディノアマト様からのお達し。
屋敷で働きはじめて2ヶ月と少しが経過していたから、そろそろだろうなと思っていたの。
「かしこまりました。これまでありがとうございました」
ジェノワさんはぎっくり腰と聞いていたから、もっと早くにお役御免となる可能性もあったわ。
2ヶ月も続いたのは、むしろ長い方だと思う。
私は来週で、パティシエの仕事を辞めることになる。
「本当によくやってくれた。故郷から遠く離れて苦労しただろう。......私の減量も成功しつつある。君のおかげだ」
「ふふ、ライガ君にも言っておきますから。パティシエがジェノワさんに戻っても、食べ過ぎないでくださいね」
「ああ、気を付けよう」
最初は無理やり連れてこられた仕事だったから、とても嫌だったけど。ディノアマト様も使用人のみんなも本当にいい人達で、別れるのが寂しくなってしまうわ。
「これまでの君の仕事は本当に素晴らしいものだった。クロカンブッシュ、チェリータルト、キャロットケーキ......。数えればきりがないが、どれも美しく、おいしく、本当に感動的だった」
ディノアマト様はおいしいスイーツの味を思いだしているのか、噛み締めるような、嬉しそうな顔を見せた。
「お役に立ててよかったですわ」
「来週まで、また期待している。最後までよろしく頼む」
残り一週間。みんなにもお別れのあいさつを済ませなければならないわ。
しんみりしてしまいそうな空気だけど、じつは今、屋敷は別の話題で持ちきりだったの。
「緊急事態っす!!ディノアマト様を気に入ったリンダーグ王国の令嬢が、婚約者になりたがってるらしいっす!!」
驚きの情報を持ってきたのは、ライガ君だったわ。
仕事休みのお昼の時間中。いつも通りリリー、ライガ君、ノクトラス、私でご飯を食べている時だった。
「おい!?まじかよ!?」
「俺のお父様から聞いたっす。確かな情報っすよ」
「......!......!」
ライガ君のお父様は軍のお偉いさんらしいの。その情報なら、信憑性は高いのでしょう。絶句しているのは、もちろんリリー。
「ついに......。うううっ......」
リリーは机に突っ伏してうなだれている。
「おい、元気出せよ」
「まだディノアマト様が受け入れるかはわかんないっす」
リリーはよろよろと顔を上げたわ。
「リンダーグ王国の令嬢でしょ?そんなのお受けになるに決まってるじゃない。ディノアマト様がご結婚してリンダーグとの結びつきができれば、キャルトナータとリンダーグとの関係がより強固になるもん」
「まあ、そうっすけど......」
「リリー、元気だして」
気の抜けたようなリリーの顔は、その日戻ることがなかったの。
それからは、真偽不明な新しい情報が毎日入ってきたわ。
「そのご令嬢はリンダーグ王国の中でも、聡明で美しくて、非の打ち所がないと有名らしいっす!」
「キャルトナータ国内でも、ディノアマト様と令嬢をくっつけようとして顔合わせパーティを企画しているらしいぜ」
「ご結婚されたら、甘党なことは隠されるのかしら?」
「…………もうムリ」
「ディノアマト様の噂を聞いた宝石屋がうちでうちで、と営業をかけまくっているらしいな」
「ご令嬢へのプレゼントなんて、中途半端なもの渡せないっす。そうとう高額なものになるでしょうね~」
「憧れるわね~」
「…………聞きたくない」
話題の少ない屋敷の中では、当然ディノアマト様の恋愛の話なんていいネタだもの。話をしすぎて、これが本当の話なのか、面白半分で派生した噂なのか、よくわからなくなっていったわ。
そうやってディノアマト様にはこっそりと噂に花を咲かせていた頃のこと。
「リンダーグ王国との友好を示すパーティが開催されるのだが、よければ君も参加しないか?」
ディノアマト様から思いがけないご提案があったの。
「……私に、ですか?」
なぜパーティに使用人が?パーティたるものが何か、庶民の私にはわからないけど、たぶんあんまり使用人が参加するものではないのではないかしら。というか、これはもしかして、噂のご令嬢との顔合わせなのでは?
「ああ。そのパーティではリンダーグ王国と我が国の料理人が腕を振るう。しかし私は減量中だろう?普通に参加すれば間違いなく、自制を忘れて好きなだけ菓子をむさぼってしまうだろう……。その監視の意味もあるし、せっかくならリンダーグ王国の職人の菓子を味わってみてはどうかと思ってな」
「ああ、なるほど……。確かに誰か見ていた方がいいかもしれませんね」
ディノアマト様が大量のスイーツを前に、我を忘れて菓子を頬張る様子が簡単に想像できる。これまで我慢していたことも重なって、反動が来てしまうかもしれないわ。
「リンダーグ王国のスイーツの味を知ることは、間違いなく君の能力向上にも役に立つ。もうすぐ最後なのだから、ここでしかできない経験を積んでいってくれ」
「ディノアマト様……」
仕事を辞めた後でも、とにかく国民のパティシエ力を上げさせたいのですね。
スイーツ界の先々まで考えたご提案に、私はちょっとあきれてしまう。いえ、もちろん嬉しいですけど。
「楽しそうですし、ぜひ参加させていただきたいです!ただ、そういった場にふさわしい衣服を持っておらず……。おそらくドレスが必要ですよね?」
「ああ、そんなに大仰なものではない。同僚たちは軍服で参加するだろうし、何かこぎれいなものがあればそれで充分だ」
本当かしら?
というか、もしご令嬢との顔合わせのためなら、女性同伴ではない方がいいのでは?
もしかしてディノアマト様は、ご令嬢からアプローチを受けている話を知らないのかしら?
「そうですか……?」
いろいろ考えたけれど、私はリリーから洋服を借りて、参加することにした。
もしご令嬢が参加するとしても、敵情視察は大切。どんな方なのか見たいし、それに私の人生で今後訪れることがないかもしれない『パーティ出席』というイベントは、ぜひ体験してみたい。
「……というわけで、例のご令嬢が参加するかもしれないパーティに出席することになったの!いい感じの洋服を貸してくれない?」
「…………ええ!?なにそれ!!全然いいけど……本当に!?本当に顔合わせが始まってしまうのね……」
噂でしかなかったパーティが実際に企画されていたことに、リリーはショックを受けているわ。
そうよね、もしお互いに気に入れば、婚約の話はきっと簡単に進んでしまうもの。
「ていうか、貸すのはいいけど、そんなパーティに出られるような服はさすがに持ってないよ?」
やっぱり。そんなおしゃれな私服、みたいなレベルのもので参加する場所じゃないわよね。
「そうよね……?ねえ、リリーはパーティに参加したことある?どういうのがちょうどいい?」
「ええー?私もさすがに他国との友好パーティみたいなのは参加したことないかな。だけどリンダーグ王国でしょ?向こうは貴族社会だから、本当にぴっかぴかのこんなボリュームのドレスを着てくると思うわよ」
リリーは手ぶりでふんわりと広がったスカートを表現する。
そんなに豊かな国なのね。けれど、向こうの衣服に合わせると、キャルトナータ側の価値観で見た時に派手すぎるかも。
キャルトナータ側の参加者として適切で、かつ豪華な服って何なのかしら。ああもう、考えるのが疲れてきた。そもそも、パーティの経験がないのだから、考えても無駄かもしれないわ。
「もういいわ。考えても仕方ないから、リリーの持っているうちで一番自信のある服を貸してくれない?」
「ロロメルテって結構雑だよね……。はい、これかこれが一番ましかなあ」
リリーはタイトなワンピースを差し出してくれた。……サイズが入らないかも。
もう一枚はゆったりとしたデザインで、私でも着れそう。
「ありがとう!!これにするわ!」
「代わりにしっかりと偵察してきてね。私の未来はあなたにかかってるから」
リリーはがっしりと私の肩を掴む。
もちろんでございます。必ずや新たな情報を収集してまいります!




