閑話:イケメングレート諜報員の憂鬱03
(……これが、ケーキ屋というものか……!)
もちろんリチャードは、ケーキ屋というものが何かは知っています。
しかし、自分で足を運ぶのは初めてでした。
情報入手のためのハニートラップなら、ケーキではなく花束や宝石を用意しましたし、栄養補給ならばもっと日持ちのする食品を選びます。
ラズベリーの乗せられた真っ赤なケーキ。レモンの添えられたふわふわのケーキ。女子供の好むケーキ屋というものが、こんなにも目を奪い、不思議な高揚感を生む場所だとは知らなかったのです。
(……創意工夫をされたデザイン、柔らかな食材だからこそ、変幻自在な芸術性すら感じる美しさ)
要するにリチャード諜報員は、初めて見るケーキ屋のレベルの高さに圧倒されていました。
ましてやこの店は、『豊食の国』で修行を積んだパティシエの店。初めてのケーキ屋がここでは、刺激が強いでしょう。
リチャードは店に裏の顔があるかどうかなどすっかり忘れて、小さな芸術品に目を輝かせていました。
するとリチャードは、ある商品の名前に気が付きます。
「あっ!!!え!?」
その商品の名前は「マカロン」。そう、「マカオン」ではなく「マカロン」です。
(え!?まさかこれを……?いや、まさか!?)
リチャードは昨日聞いた話を思い出します。
『山ほど積み上げられていても』。
(もしや、マカオン司令官のことではなく、『マカロン』なのか……?)
しかしリチャードは考え直します。
(いや、それでは、ディノアマト准将が、『山ほど積まれたマカロンをいくらでも食べられる』と言った、ということになるじゃないか!
わざわざ夜中に、使用人に対して、菓子への愛を熱弁していたというのか?わざわざ!!あいつが!そんなわけがないだろう!!何の意味もない!)
リチャードはちらりとマカロンを見ます。
奇跡的なほどに丸い、味の想像がつかないパーツの間に、何か白いものが挟まっている。
それはリチャードのこれまでの人生で見ることのなかった、想像もしたことのなかったデザインです。
(いや、もしかすると、本当に、夜中に愛を叫びたくなるほどうまいのか……?)
食べたことのないリチャードが、ディノアマト准将の行動を『ありえない』と一蹴するのは、想像のみでものを語る愚かな行為です。
リチャードは必ず証拠を掴み、自分で見たもののみを信じてきました。
そしてここに、実物がある。
リチャードは自分の舌で、実際に味わって確かめるべきだと考えたのです。
ところでリチャードの百面相は、実際のところかなり不審でした。しかし大量の美麗スイーツの前で、何を買うか選べず挙動不審になるお客様はたくさんいたので、店員さんは全く気にしませんでした。むしろリチャードなどまだマシな方でした。
「あの……、この、マカロンをひとつ」
「はいっ!マカロンですね!」
リチャードは本当は、目立たない女を演じるため、しゃがれた女の声を出すはずでした。
しかし緊張と、ケーキを注文するという高揚で、美少女のような声になってしまいました。
しかし店員さんは気にしませんでした。美少女だろうが老婆だろうが、店のケーキを愛するものは皆仲間だからです。
リチャードは店を出るとすぐに、人通りのない道を探し、路地に入りました。
周囲に誰もいないことを確認すると、買ってきたマカロンの紙袋を開け、まずはマカロンをじっくりと見つめます。表面をコツコツと叩き、手触りを確かめると、口に放り込みます。
「……甘い」
じゃくじゃくとした不思議な食感。挟まったラズベリーの甘酸っぱさ。
そのどれもが、リチャードにとって初めての体験でした。
「……ふふふ、ははははは!なんだ、甘いだけじゃないか!こんなものを山ほど食べられるなんて、やはり奴が言うわけがない!あいつはやはり、ただの尊大で傲慢な、気に入らん奴だ!」
ははははは!と、リチャードは納得した様子で笑い続けました。
リチャードの様子は不審でしたし、通行人からしてもやはり不審でした。実際、通報されてもおかしくありませんでした。
この日のリチャードは、マカロンを大したものではないと判断しましたが、不思議なことに彼は2週間後にはまた強烈にマカロンが食べたくなり、またあの店にやってきます。
しかしリチャードは知らなかったのです。そのマカロンは人気商品。午前中に来なければ売り切れてしまうということを。そして普段のリチャードの仕事の時間では、買いにこれないということを。
ロロメルテが『午前中に』『町におりる』という条件が重ならない限り、任務を放棄しなければ買うことができないということを。
さて、彼はマカロンへの欲望をどうしたのやら。それは神のみぞ知るところ。




