曹奏四季日々 49
曹操side──
──二月九日。
此処の所、朝食は自室で取っている事が多い。
今は朝の鍛練も出来無い為、起きる時間が遅いから。
第一陣組も私と同じか、他の皆とは送らせた時間に一緒に取っていたりする。
少し前までは私も一緒だったわ。
今は御互いに気を遣い過ぎない様にする為にズラす。
小さな事だけれど、集団生活ならではの必要な配慮。
雷華の提案なのは言うまでもないわ。
朝食を済ませ、そのまま自室で過ごす。
これと言った異常も無く、順調そのもの。
恐らくは、予定日の通りの出産になるでしょう。
だから、今は雷華が出張中でも構わないわ。
何か有れば直ぐに戻ってくるでしょうしね。
以前とは違い、唐突に消えるという懸念は無いのだから。
「……にしても、想像していた以上に大変ね」
そう呟きながら、大きく膨らんだ御腹を撫でる。
脳裏に思い浮かぶのは十ヵ月以上前からの事。
雷華から最終決戦の話を聞かされ、奥の手の準備。
繋がり──子供という確かな形を用いるという事。
まあ、雷華は複雑そうだったのだけれどね。
私からすれば、それまでに成さなかった事の方が問題。
「その可能性が判っていたのなら、どうしてっ!」と。
感情に任せて言ってしまう事も出来たのだけれど。
雷華の考えや気持ちも理解が出来る。
出来てしまうから、何も言えなかったのよね。
私が、私達が子供を産んでいれば繋がりは出来るけれど、子供達の護衛に多くの人員を割く必要が有る。
赤子が故に、念には念を入れなくては動けない。
そういった事態を避ける為でも有ったのだから。
可能な限りの主戦力の投入。
それは敵味方を問わず欺く為には必要な囮。
尤も、雷華の思い描いていた筋書きの全貌は、私でさえも知らなかったけれど……見事な手腕だったわ。
あんなにも愉快だった事は人生でも無かったもの。
楽しくて笑うのとは、また違うのだから。
そういった訳で、仕方が無い事ではあったわ。
ただ…………まあ、そうね。
明確に“子供を成す”という目的意識が有ると昂るわ。
妊娠が確定するまでは私も雷華も激しかったもの。
皆には悪いとは思いながらも、私の特権。
役得だと思った事は否めないわ。
──とは言え、それでも楽な事ではなかったわ。
妊娠初期の悪阻。
その辛さを侮っていたわ。
個人差が有るとは言え、御母様達にも気付かれない様にと隠し通すのは大変だったわね。
勿論、雷華が助けてくれていたのだけれど。
其処を過ぎてしまえば、最初の山は越えたわ。
決戦の前後は、腹部への注意だけは怠らなければ大丈夫。
決戦前、外に行く雷華を見送った。
それを知っていたのは私だけ。
ただ、雷華が目の前で消えるのを見た時は……胸が苦しくなってしまったわ。
帰ってくると判ってはいてもね。
言い表し様の無い、喪失感と不安が有ったもの。
雷華が「見ない方が良いと思う」と言っていた通りにね。
自分には何も出来無いと解るから。
あの時の無力感は一生忘れる事は出来無いでしょうね。
決戦の後は皆に話し、色々と気楽になったわ。
まあ、御母様達の喜び具合が凄かったのだけれど。
孫というのは、そんなにも嬉しいものなのかしらね。
私が理解出来るのは……早くても十六年後。
それまでに私自身は何人産んでいるのかしら。
二年に一人なら九人。
一度でも双子以上なら十人は越えるわね。
「貴方が結婚する時にも、まだ新しい弟妹を身籠っているかもしれないわね」
そう御腹に向かって話し掛ける。
私なら、「もうそろそろ自重して欲しいわね」と。
仲の良過ぎる親に呆れるかもしれない所だけれど。
まあ、それも愚痴よね。
止められはしないし、家族が増える事は喜ばしい。
何よりも愛する者との子供を望む気持ちというのは尊い。
老若男女関係無く、その想いは理解が出来るわ。
勿論、御互いに望んでいる事が前提条件でね。
一方的な行為には本当の愛は無いもの。
──といった事を考えながら、のんびりと寛ぐ。
予定日の近い今は部屋を出る事は限られる。
動けない訳ではないのだけれど。
人は横着──楽を覚えると、そうし易くなるもの。
私達も例外ではないわ。
だから、楽をし過ぎない様にする事も大事なのよ。
──とは言え、安全第一となると仕方が無いわよね。
手首に巻かれた三つ編み柄の飾り紐。
それに氣を流すと、泉里の愛器の様に細い糸が生まれる。
この飾り紐は“架雅弥”。
雷華が私達の為に用意してくれた物。
原材料は私自身の髪の毛。
──とは言っても一本だけなのだけれど。
だから、これは私専用という事ね。
そんな架雅弥は氣を糧に糸の様な触手を生む。
その触手を使って、本棚から動かずに本を抜き取る。
触手の長さや強度は使用者の氣の質量次第。
だから、私達が使うと、これだけで武器になる。
見た目は飾り紐だから怪しまれもしない。
護身用、或いは暗殺用には最適よね。
ただまあ、だからこそ、普段使いは控える。
何しろ、生み出せる触手は一本だけではない。
使い熟せば多数の触手を同時に扱える。
だから、雷華は敢えて言わなかったのよね。
私や軍師陣が、それを使って仕事を熟すから。
ええ、実際に遣って、雷華に見付かって禁止されたわ。
他の者達に仕事が行かなくなるから。
あと、珀花が今の私の様に動かずに仕事をしたり、周囲の物を取ったりしたから普段使いも禁止に。
尤も、これは最初からね。
何しろ、予想の出来る事だから。
珀花が文句を言って、冥琳が怒ったのは御約束ね。
そんな事を考えながら、手元に持ってきた本を見る。
“鉱物図鑑”と書かれている通りに様々な鉱物に関して写真付きで解説されている。
雷華が向こうから持ち込んだ物の一つ。
勿論、現物も雷華が所有しているから、頼めば見られる。
使用許可が出るかは要話し合いね。
危険な物も少なくはないから。
「人間というのは本当に業の深い存在よね」
そう、思わず呟いてしまう。
危険だと判っていても、利用方法を研究し、どうにかして利益を生もうと考えるのだから。
それは御金儲けという事だけではなく、有用性を求めて、という側面も含めての事だけれど。
「危険だから、存在自体を禁止情報にしよう」とは考えず悪用──兵器に利用するのだから。
その結果、どんなに素晴らしい研究結果でも今の世には出せない知識や技術も多いのは複雑な所だわ。
多くの人が長い時間を掛けて成し得た物だけれど。
それを扱えるだけの社会性が伴わないのも人だから。
その矛盾した不完全さこそが可能性であり、欠点。
「……何故、人間という存在を世界は望むのか
それは知ろうとしなければ触れられない事……
それでも尚、資格を問われる事なのよね……」
それに触れる為には、雷華の居る高みに至らなければ。
……長い長い道程よね。
まあ、死ぬまでには、触れられるでしょう。
◆
自室で過ごす事が多いけれど、ずっと居る訳ではなくて、適度には動いている。
病気や怪我ではないのだから、全く動かない
方が不健康。
私達には雷華が居るけれど、一般の家庭では妊婦だろうと特別扱いというのはされない。
臨月でも家事をしたり、働いている。
勿論、気を付ける必要は有るのだけれど。
だから、動けないという事は無い。
まあ、誰かしらが付き添うのは仕方が無い事よね。
今日は流琉が付いてくれている。
「華琳様、今日は“スープカレー”を作ってみました」
「それはカレー味のスープ、という事かしら?」
「いいえ、スープ状のカレーだそうです」
「……とろみの少ないカレーとはどう違うの?」
「え~と…………」
別に意地悪をしている訳ではないのだけれど。
つい、気になってしまって訊ねてしまう。
雷華ではないのだから、流琉も判らないわよね。
……いえ、作っている以上は判っている筈よね。
………………考えるのを止めたわね?
そう視線で問えば、流琉は恥ずかしそうに苦笑する。
つまり、その違いはそれだけ微妙な訳ね。
勿論、拘る人──料理人からすれば、「此処が違う!」と言い切れるのでしょうけれど。
一般人にも判る様に、となると説明し難い。
恐らくは、そういった違いなのでしょうね。
状況が違えば追及するのだけれど、今は気にしない。
雷華も居ない事だしね。
気にすると、私も作ってみたくなるもの。
でも、新しい料理ではあるから楽しみだわ。
どう違うのかも、食べてみれば判るでしょうしね。
……判るわよね?
………………カレーって美味しいのだけれど、味が強いから、カレー味はカレー味になるのよね。
色々と言いたくは有るのだけれど。
美味しいから、言い難いというのも事実。
美味しいというのも、時には悩ましいものよね。
◆
私邸の広間──家族団欒の為の自由部屋。
御風呂と夫婦の寝室を除けば、私邸の中では一番広い。
因みに、私邸に書庫は無く、自由部屋の本棚のみ。
個人個人の所有物は別にしてね。
本棚は定期的に雷華が入れ替えている為、飽きない。
壬津鬼の各研究所も同様。
その本棚の中でも一番人気なのが“漫画”ね。
アレは学術的に考えても素晴らしいと思うわ。
専門的な学術書よりも、頭に入り易いし、残り易い。
知識を得る為の入口という事では非常に優秀だと思うわ。
……まあ、人気なのは“少女漫画”なのよね。
ええ、面白い事は認めるわ。
私も好きだもの。
ただ、真面目に考えてしまうと……
まあ、それを言うと殆んどを否定しまうのだけれど。
最初は、そう雷華に言ってしまったのは懐かしいわね。
漫画は、その世界観を楽しむ為の表現芸術の一種。
芸術の楽しみ方は受け手次第だけれど。
漫画に現実を重ねるのは不粋なだけよね。
今は判るわ。
だから、入れ替えた直後は争奪戦に為り易い。
その対策として、入れ替える時は予告無し。
雷華が居なくても入れ替わる事が有る。
どう遣っているのかを研究している者も居たけれど。
恐らくは、遣り方が判っても、入れ替える時は判らない。
判る様な遣り方を雷華が行う筈が無いもの。
だから、それに気付いて、今は誰も気にしていない。
だって、毎日確認する方が確実だもの。
そういう訳だから、自由部屋に顔を出せば必ず私も先ずは本棚を確認する。
……残念、まだ入れ替わっていないわね。
自由部屋には妊娠した第一陣の面子が居る事も多い。
私も今の彼女達位から、私邸に居る時間が増えたから。
それに合わせて、置かれている物にも変化が有った。
基本的には私達が退屈しない為の雷華の気遣いね。
本当にね、痒い所に手が届く夫だと思うわ。
勿論、妊娠していなくても皆が使える場所。
用途が様々な為、仕事をしている者も居たりするけれど、流石に今は見掛けない。
まあ、此方等で仕事をしている場合は城内だと急かされ、口煩く言われたり、催促される為。
誰とは言わないけれど、仕事を溜めるからよ。
急ぐ事ではなくても先に片付けないから……
──と、思考の中でも御説教してしまう位の常習犯。
遣れば出来るのに……困ったものだわ。
「御早う御座います、華琳様」
「ええ、御早う」
そんな自由部屋に幾つも有る大小の卓の中の円卓の一つを囲んでチェスの対戦と観戦をしていた四人と挨拶をする。
対戦しているのは斐羽と紫苑。
観戦しているのは結と冥琳。
……現状は斐羽が優勢の様ね。
でも、一手二手で形勢が逆転する可能性も有るわね。
油断の出来無い拮抗した良い一戦だわ。
観戦の出来る隣の卓に着けば、結と冥琳が移動してくる。
私と話しながら観戦もする為ね。
見ているだけだと、つい、口出ししたくなるから。
その辺りは軍師が故の職業病の様なものね。
「観戦している事から学ぶ事も多いのですが……」
「どうしても、「自分なら、こうする」が出るものね」
「ええ、こればっかりは判っていても難しいです」
特に冥琳や泉里には珀花・灯璃という常日頃から口を出す相手が居るから、指摘し易い。
桂花は違う理由で口を出すのだけれど。
結達は静かに観戦が出来る方ね。
私は黙っているけれど……酷いと苛々するわ。
今は滅多に無いけれど。
「だけど、こういう話になると、どうしても、あの一局を思い出してしまうわね」
そう口にすると冥琳が渋い顔をする。
それは冥琳と珀花の将棋の一局。
冥琳の勝ち、と誰もが思っていた所で、珀花が雷華に泣き付いて一手だけの助言を得た。
勿論、冥琳の許可が有ってよ。
冥琳自身も勝ちを信じて疑ってはいなかった。
だから、許可をした。
如何に雷華でも逆転する事は不可能。
そう私も思っていたもの。
雷華に言われた通りに珀花は指した。
しかし、私達が見ていても最善手とは思えなかった。
珀花自身も「ぅぅ……」と唸っていた。
冥琳は慎重に考えたが……そのまま詰めに入った。
しかし、其処から十三手目。
珀花は持ち駒も全て使い果たしたが、冥琳も詰め切れず、持ち駒は歩が四枚有るだけ。
しかも、打てない死に駒。
珀花は凌ぎ切った。
其処から、形勢が逆転し──珀花が勝った。
雷華の打たせた一手は冥琳の詰み筋を唯一切り開くもの。
それは終わってみて、初めて気付く一手。
けれど、それは盤面に打った一手ではなかった。
直接的にではなく、冥琳の思考を揺さ振る為の一手。
最善手を選び過ぎて出来た隙。
「必ず手番が交互になるからな」と。
実戦とは違う、規定の有る勝負の奥深さを見せられたわ。
当の冥琳は複雑そうだったけれど。
珀花が調子に乗って騒いでいたしね。
「あの後、何度か似た状況の対局が有ったわね」
「私達も、「この状況からでは如何ですか?」と雷華様に挑戦していましたから……」
「雷華様に遣られた記憶の方が強いですね」
「そうね、私も遣られたもの」
勿論、全敗ではない。
それは雷華が相手ではないから。
雷華は飽く迄も一手の助言のみ。
それを活かし切れない、或いは私達が読み切っていけば、勝てはするから。
珀花や灯璃、翠辺りは自滅も多かったから。
それでも、雷華の一手というのは常に嫌らしいのよね。
熟、敵に回したくはないと思うわ。
「──あ、そう言えば、華琳様は立体オセロは?」
「ああ……アレね、話には聞いているわ
試作品の実物は出来たの?」
「立体化する部分の調整で白熱しているそうです」
「安直ですが、正立方体派が強いそうです
その流れで、立体盤の将棋の話も出ているとか」
「面白そうだけれど……将棋だと長引きそうね」
「試しに、そのまま立体化したそうです
即、没になったそうですが」
「勝負が着かなくなるから当然ね」
──と言うか、将棋やチェスや囲碁等は駄目よね。
“盤上から取る”要素が有る物は適さないわ。
オセロは引っくり返すだけだから出来るのよ。
だから、遊び方を変えれば、出来るでしょう。
ただ、そうなると別の物として作った方が判り易いわ。
既存の物からだと、混同して紛らわしいもの。
「雷華が試験的に提供していた“知育玩具”は?
実際の効果の有無が見られるのは先の話でしょうけれど、子供達の反応はどうなの?」
「概ね良いそうです
特に、特定の正解の無い創造性を養うという意味では他の事にも興味を示す子供が増えたそうです」
「知的好奇心と、それを刺激する為、という目的としては成功しているという訳ね」
「世の中が変われば、人が考える事も変わるものですね」
「それだけ平和だという事でもあるわ」
「そうですね」
そう言って、私達は自然と黙ってしまう。
別の世界とは言え、雷華達が生まれ育った時代は治世。
それでも、紛争や戦争は世界に存在していた。
人が人で有る限り、大なり小なりの集団は出来る。
集団が複数存在すれば、対立や衝突が生じる。
地域や国という形で、その枠と規模が大きくなれば、その紛争や戦争も拡大するのは必然。
世界から無くなってはいない。
そして、乱世を知っているからこそ。
その話を聞いた私達は“世界統一”を思い描いた。
けれど、それでも紛争や戦争の火種は絶えない。
人が人で有る限りは。
ただ、それでも。
少しでも良い未来、良い世界を目指す。
万人を幸せには出来無いけれど。
それで構わないと今は思う。
曹魏の民で有る事こそが幸せ、と。
そう思える国を築き、繋いでいけたなら。
遠い遠い未来で、真の世界平和が成るかもしれない。
まあ、世界としては、それは可能性の閉塞に等しい為、望む事ではないのかもしれないけれど。
人々が心から世界平和を願うのなら。
実現する可能性は有るのではないかしら。
尤も、雷華に言わせれば、「有り得ない事」でしょう。
少なくとも数千年の人の歴史を知っているからこそ。
実現は不可能に近いと考えている。
それを願わない、という訳ではなくてね。
きっと、人が願うにしては大き過ぎるのでしょうね。
世界を一つにしようという考え自体が。
……そう思うと皮肉なものよね。
幼子の為の知育よりも、大人の為の知育こそが世の中には必要だと言えるのだから。
一定年齢以上を鏖殺し、相互幇助の理念を説き、理想的な価値観に幼子から育て上げたとしても、孰れは元に戻る。
そうなる未来が思い浮かぶ程に、人の業は深い。
恒久不変の世界平和なと存在しない。
人々の自戒心と他尊心、その継続を以てのみ。
正しい世界平和は訪れる。
誰しもが誰かの為に、を第一にすれば。
容易く世界平和は成るのだけれど。
それを人々が出来るのであれば、疾うに成っている。
つまり、今の世界こそが、その答えなのだと。
雷華は判っている。
それでも、人は生きる為に理想や夢や目的を必要とする。
それらを無くしては、生きられないから。
本当に……考えれば考える程に世界は意地悪よね。
背負える者には容赦無く背負わせるのだから。
──side out




