54話 カレーの暴力と夢のマイホーム
サオリがケンを見送ったあと、彼女は迷いなく厨房に立っていた。
ケンが米を買って帰ってくるなら――今度こそ、カレーを“完成”させなければならない。前回は米がなくて、皆が悔しそうにナンや芋で食べた。あの顔を思い出すと、自然と手に力が入る。
「よし。今日は仕込みからきっちりやるわ」
サオリは玉ねぎを刻む。涙が出るほどの香りが鼻に刺すが、止まらない。続けてにんにくとしょうがをみじん切りにし、トマトはざく切りに。香りと酸味と旨味――土台になる材料が、次々とまな板の上に並ぶ。
フライパンに油を引き、玉ねぎ、にんにく、しょうがを入れて炒め始める。じゅわっと音が立ち、甘い香りが立ち上がった。焦らず、じっくり。飴色になるまで、ひたすら炒める。
その途中で、ふっと思いついた。
「……この前の果物って、マンゴーっぽかったわよね」
甘みとコクを足すのにちょうどいい。サオリは急遽、あの果物を刻んで加えた。炒めるほどに香りが丸くなり、玉ねぎの甘さと重なって、ベースの匂いが一段深くなる。
玉ねぎが飴色になったところで、トマトを投入。酸味が入ると、一瞬フライパンの空気が変わる。サオリはさらに炒め、トマトが崩れてペースト状になるまで粘り強く火を入れた。
そこへ塩とスパイスを入れる。
粉状に砕いた唐辛子。
クミン。
コリアンダー。
ターメリック。
ナツメグ。
胡椒。
スパイスが油に触れた瞬間、香りが爆発する。鼻から頭の奥まで抜けていく刺激が、料理人の背筋を正す。
「本当はカルダモンも欲しいんだけど……明日探しに行こうかしら」
ひとり言を落としながら、サオリは混ぜ続ける。香りがまとまり、色が深くなり、艶が出て――カレーのベースが完成した。
次は具だ。
別の鍋で、まだ在庫が豊富なブラッディブルのばら肉を炒める。脂が溶け、肉の旨味が鍋に広がっていく。程よく焼き色がついたところで、先ほどのカレーベースを投入。さらに水、そして牛乳を加え、煮込みに入る。
ぐつぐつ、ぐつぐつ。
サオリは塩で味を調整し、木べらについたソースを少し舐めて目を細めた。
「……もう少しパンチが欲しいわね」
迷いなく唐辛子とコリアンダーを追加。もう一度味見。
「……うん。美味しい」
サオリ特製カレーの完成だった。
*
カレーが出来たら、次は“合わせる主食”だ。
サオリはそのままパン屋へ向かい、予約していたナン風のパンを引き取った。数は――百個。
店の人が苦笑しながら「毎度どうも」と言うほどの量だが、サオリは平然としている。なぜなら、いつもの広場は“戦場”になるからだ。
屋台を引いて広場へ出すと、匂いにつられて人が集まった。
まるで蟻の行列だ。隊列を乱さず、しかし目が真剣。カレーの匂いは、秩序すら作る。
「いらっしゃい、カレーありますよー!」
声を張った瞬間、列が伸びた。次々と売れる。皆、口に入れた途端に顔が変わる。笑う人、黙る人、うなずき続ける人。美味しい時の反応は、言葉より正直だ。
そして――当然、いる。
ニノンが列の中にいた。目の輝きがいつも以上に危険で、手元には皿を持つ準備までできている。
順番が回ってくるや否や、ニノンは息を吸って宣言した。
「鍋ごと全部ください」
「ニノンちゃん。一人一皿までよ」
「全部ください」
「ニノンちゃん?」
サオリがにこやかに笑った瞬間、ニノンの顔が引きつった。
「ウッ」
そして――倒れた。
サオリが目を丸くするより早く、横からクルトンがすっと手を伸ばしていた。手刀がぴたりと入り、ニノンは見事な“気絶”をしたらしい。
「みねうちだにゃ」
クルトンがしれっと言う。
「サオリさん、ご迷惑をかけてすいません。 4人分下さいこれ、これお金です」
ルーがきっちりと支払い、皿を受け取る。リナも現れ、当然のようにニノンを担ぎ上げた。
「ママ、後でね!」
そう言って、リナはニノンを運んでいく。息ぴったりの連携に、サオリは思わず笑ってしまった。
(いつの間にか、チームワークも良くなってるのね)
その後もカレーは止まらず売れ続け、ナン百個も、鍋の中身も――綺麗さっぱり完売した。
*
片付けを始めたころ、商業ギルドの職員が広場へやってきた。
「サオリさん。今からギルドに来てもらえますか?」
「はい、分かりました。屋台を片付けたら、そちらに伺いますね」
サオリは屋台を家へ運び、その足で商業ギルドへ向かった。
応接室で迎えた職員は、どこか申し訳なさそうな顔で頭を下げた。
「サオリさん、すいません。わざわざ来ていただいて」
「大丈夫ですよ。それで、何の用ですか?」
職員は書類を取り出し、丁寧に説明を始めた。
「ブイヨン子爵様より正式に依頼がありまして。コトコト村の北部――工業地区のさらに北側に、第2商業区を作ることになりました」
「第2商業区……?」
サオリの眉が上がる。
「その際、サオリ様のご家族に土地の優先権を与える、とのことです」
「え、優先権……ですか?」
「はい。第二商業区の予定地図をお渡ししますので、ご家族でお決めになってください」
職員は地図を差し出した。紙の上に描かれた区画は、ただの線なのに、サオリの胸の奥を熱くした。
店も、工房も、住まいも。
“いつか”ではなく、“具体的に”そこへ向かう道ができた気がした。
「分かりました。主人と相談します」
「お願いします」
ギルドを出たサオリは、地図を胸に抱える。カレーの匂いがまだ髪に残っている気がした。
こうして三好家の夢のマイホームへの道は――偶然ではなく、正式な形で開かれたのだった。




