第46話 ワイバーン肉は“臭い”のか、“濃い”のか
キッチンに立つサオリの目は、いつもより少しだけ真剣だった。
今日の主役――ワイバーン肉。
未知の食材。しかも、あの“空を飛ぶ竜”の肉である。
「さて……まずは素直に、味を見ましょうか」
サオリは包丁を入れ、赤黒い塊を小さく切り分けた。筋が多い。繊維が太い。触っただけで“硬い肉”だと分かる。
フライパンに油をひき、強火で表面を焼く。ジュッと音が立ち、脂の香りが上がった――が、同時に鼻を刺すような、独特の匂いも混じった。
「……匂い、あるわね」
焼き上がった一切れを、サオリは慎重に口に運ぶ。
噛んだ瞬間、眉が動いた。
「臭い……? いや、違う。臭いというより――濃い」
濃い。
味が強い。旨味も強い。けれど、その“強さ”が、食べ慣れた肉の軽やかさを押しつぶしてくる。
「癖が強い。でも……どこかで、似たのを……」
頭の中で何かが繋がりそうで繋がらない。
サオリはゆっくりと息を吐き、次の実験に移った。
「これだけ“濃い”なら、煮込み向き。……ただし、灰汁は覚悟ね」
鍋に湯を沸かし、肉を入れる。
すると――
「……やっぱり」
表面に浮かぶ灰汁が、想像以上の勢いで湧いてきた。
サオリは一切焦らず、丁寧に、丁寧に、灰汁を掬い取る。
まるで、濁った水を澄ませるみたいに。
湯を捨て、もう一度。
今度は塩をほんの少し。
それだけで“素材の輪郭”が見える。
味見。
「……鳥に近い?」
鶏肉に似た方向性。だが、鶏より重く、舌に残る。
“臭み”と感じたのは、実は臭いではなく、強すぎるコク――つまり濃度だったのかもしれない。
「臭みを消す……じゃない。薄めるのよ。旨味の“圧”を、野菜で受け止める」
サオリの目が決まった。
料理人の顔になる瞬間だ。
サオリは肉の表面をしっかり焼き、香ばしさを立てる。
玉ねぎ、人参、キャベツ、セロリをざくざく入れる。
鍋に戻し、コトコト火を入れる。
灰汁は取る。取って取って、澄ませる。
そして味見。
「……まだ濃い。野菜が足りない。肉が多い」
迷いなく、作り直した。
肉を減らす。
野菜を増やす。
煮る。
灰汁を取る。
香りを確かめる。
味を確かめる。
そして、スープをすくい、口に含んだ。
「……やっぱり」
サオリの口元が、ほんの少し上がる。
確信だ。
「これ……出汁になるわ。しかも、かなり上質なやつ」
ワイバーンの“濃さ”は、邪魔ではない。
正しい形で扱えば、武器になる。
つまり――スープの核、フレンチの土台だ。
サオリは鍋から肉を引き上げ、今度は“肉そのものを美味しく食べる”方向に切り替えた。
「硬さは火加減で。癖は酸味と香りで。……よし、ポワレにする」
まずは肉を常温に戻し、水気をよく拭く。
塩と胡椒をやや強めに。
フライパンに油をひき、弱めの中火。
皮があるなら皮目から。なければ筋目を見て、焼き縮みが暴れない方向に置く。
ジュッ……と音を立てるのは、最初だけ。
あとは焦らず、焦らさず、じっくり火を入れる。
途中で脂をかけ回し、香りをまとわせる。
焼き色が付いたら一度休ませる。
「ソースは……ネスタド(マスタード) 。酸味と辛味と甘味で、濃さを整える」
小鍋に白ワイン。
酢。
刻んだ玉ねぎとガリケ。
煮詰める。
そこにネスタドを溶かし、最後はバターでまとめる。
香りが立った瞬間、サオリは頷いた。
「よし。これなら“竜の肉”でも、品良く食べられる」
仕上げに皿へ盛り、ソースをかける。
そして、もう一品。
――さっきの鍋のスープを、丁寧に濾して整える。
澄んだ黄金色。
余計な角がなく、ただ深い。
「これ、うちの店の柱になるわね……」
サオリは一人、小さく呟いた。
「ご飯できたわよ~」
二階のリビングに声をかけると、すぐにドタドタと足音が来た。
「お腹すいたよ~!」
「出来はどうだい?」
ケンが椅子に座りながら聞く。
「結構いい感じにできたわよ」
「へぇ、それは楽しみだ」
まず出したのは、最初に焼いたシンプルな一皿。
素材の確認用だ。
「いただきまーす!」
リナが勢いよくかぶりつき、むぐむぐ噛んだあと、正直な顔になった。
「……う~ん。あんまり美味しくないかも」
ケンも一口。ゆっくり噛み、頷いた。
「鶏肉に近い感じはあるが……癖があるな。それに硬い」
「そうなのよね」
サオリは次の皿を出す。
見た目からして違う。香りが違う。
「だから、ポワレにしてみたの。
ワイバーンのポワレ、ネスタド (マスタード)ソース掛けよ」
二人が食べる。
「美味しい!」
リナの声が一段上がった。
「さっきと全然違うよ!」
「……おん。うまい」
ケンがしみじみ言う。
「臭みも硬さも消えてる。ネスタド の辛みと酸味と甘みが、ちょうどいい」
「でしょ?」
サオリは満足げに頷いた。
「でも、これだけじゃないの。
ポワレを作る前に、灰汁を取って野菜と一緒に煮たでしょ。そしたらね――」
サオリが、澄んだスープを出した。
「飲んでみて」
ケンとリナが一口。
リナが先に目を丸くする。
「……美味しい。これ、飲んだことあるよ!」
ケンもスプーンを置き、確信した顔で言う。
「サオリ、これ……コンソメスープだろ」
「そう! コンソメ!」
リナが嬉しそうに言い直す。
サオリは笑い、説明する。
「もともと鶏っぽいと思ったんだけど、臭いんじゃなくて“味が濃すぎる”のよ。
野菜を増やして、灰汁を取って、旨味を整えたら――ブイヨンが出来たのよ」
「お師匠様? これ、お師匠様にあげるの?」
「ははは、違うぞリナ」
ケンが、笑って突っ込む。
「ブイヨンっていうのは、フレンチの出汁みたいなものさ。たまたま子爵様と同じ名前なだけだ」
「そっか……同じ名前なんだ」
リナは納得すると、すぐ次を要求した。
「ママ、お替り!」
「はいはい、ちょっと待ってね」
サオリは嬉しそうに鍋へ向かう。
ワイバーン肉は、ただの“珍味”では終わらなかった。
この世界の食材と、地球の技術。
その掛け合わせが、家族の暮らしをまた一段、豊かにしていく。
こうしてサオリは――
ワイバーンを“肉”としてだけでなく、“出汁”として使うことで、異世界のフレンチに深みを与える道を見つけたのだった。




