第43話 屋敷の厨房は戦場、そしてニノンは壊れた
ブイヨン子爵邸の庭先は、先ほどまで冒険者たちの“修行と紹介”で賑わっていた。
リナは新しい仲間――ニノン、クルトン、ルーと打ち解け始め、ケンとサオリも「いよいよ旅立ちが近い」という現実を噛みしめている。
その空気を、別方向からぶち壊す勢いの足音が近づいてきた。
「サ、サオリ様っ……! 何卒、我々にご教授を……!!」
厨房の奥から、料理長らしき男が半ば転げるように飛び出してきたのだ。
髪は乱れ、目は血走り、手には大きなメモ帳。完全に“授業を受ける気満々”である。
「やっぱりサオリさんが来ると、こうなるよね」
カミラが肩を揺らして笑う。
サオリは苦笑いを浮かべつつ、持参した小袋――自家製ミックススパイスを抱え直した。
「そうですね。……じゃあ、皆さんで食べましょうか?」
「やったー! みんな、ママの料理美味しいんだよ!」
リナが得意げに胸を張る。
その横で、静かに、しかし確実に――ニノンが小さくガッツポーズをしていた。
(……あれ?)
ケンがその動きを見逃さない。
「ニノンちゃんも、食べるのが好きなのかい?」
尋ねると、ニノンは一瞬だけ“取り繕う”顔をした。
だが、すぐに観念したように頷く。
「はい。実は私の国……エルフ国エルダー・リーフは粗食文化でして。精進料理のような、質素な食事が美徳なんです。……私はそれに耐えられなくて」
ニノンの声は丁寧だが、どこか切実だった。
「それが嫌で世界を旅するようになって……美味しいものには、目がないんです」
クルトンが尻尾を揺らしながら、軽く補足する。
「ニノンは美味しいものを食べると、人格が変わるにゃ」
ルーも淡々と頷いた。
「見てて飽きない。……ただし、巻き込まれると大変」
「えっ、そんなに?」
ケンが思わず目を丸くすると、リナが笑顔で断言した。
「じゃあきっと、ニノンはママの料理気に入るよ!」
――この時点で、リナはまだ知らなかった。
“気に入る”どころでは済まないことを。
サオリが一歩前に出て、料理長たちに向かって微笑む。
「ふふ。それでは、厨房をお借りできますか?」
「はっ! どうぞ、こちらへ!」
料理長は深々と頭を下げ、まるで王族を案内するかのようにサオリを厨房へ誘導する。
カミラも同行し、料理人たちがわらわらと集まっていく。メモ帳を構える手は真剣そのものだ。
ケンは思わず呟く。
「……何でここに料理人がいるんだ?」
カミラは当然のように返した。
「サオリさんが来てるからでしょ」
「……そっか」
納得するしかなかった。
厨房は広く、火口も多い。
けれど今日の主役は、サオリ一人で十分だった。
「今日はもうお昼時なので、早く作れるものと、時間のかかるものを一緒に作ります」
料理人たちが一斉に姿勢を正す。
「ブラッディブルのお肉が残っているそうなので、煮込み料理とステーキでいきますね」
ざわ、と空気が動いた。
ブラッディブルは希少で旨いが、扱いが難しい――そういう認識なのだろう。
「まずは煮込み料理から。これは、すね肉……足の先の肉ですね。これを煮込んでいきます」
料理人たちがざわめいた。
「足の先の肉って、あの硬い……」
「廃棄する肉だろ……?」
サオリは動じない。むしろ、そこが料理人の腕の見せ所だという顔をした。
「それを美味しくするのが料理ですよ」
そう言って、まな板の上で玉ねぎをくし切りに、人参を乱切りに、ガリケ――この世界でのガーリックを薄切りにしていく。
手際が良すぎて、料理人たちのペンが追いつかない。
「こんな感じですね。肉の方は一口大に切って、塩胡椒をしっかりめに振ります」
次にフライパンへ油。
ジュッ、と音が弾ける。
「しっかり焼き目が付くまで焼いて、そこに玉ねぎ、人参、ガリケを入れます。全体に油が回るまで炒めて――小麦粉を振り入れます」
「小麦粉……?」
料理人が小声で呟く。
粉を“煮込み”に入れる発想がないのだ。
「粉っぽさがなくなるまで炒めてください。ここ、重要です」
サオリは続ける。
「そこに、赤ワイン2、水1くらいの割合で入れます。今日持ってきたミックススパイスも入れて――二時間くらい煮込みます」
鍋に注がれた赤ワインの香りが立ち上り、料理人たちが思わず喉を鳴らす。
「水分が半分以下になったら、ワインと水を足して調整しますね」
“煮込みは待つ料理”だ。
そう理解した料理人たちが、次々と頷いている。
サオリは手を止めず、次に行く。
「次はスープを作ります。干し肉はありますか?」
「こちらにありますが……?」
料理長が戸棚を開け、干し肉の塊を差し出す。
「干し肉は旨味が多いので、これでスープを作りますね」
どよめきが起こった。
干し肉は保存食で、硬くて塩辛い――“そのまま食べるもの”の認識が強いのだろう。
「これは簡単に作れますよ。玉ねぎをくし切りにして、干し肉も同じくらいに切ります」
バターで炒めて、そこに水と牛乳。
煮込み時間はたった十分。
「吹きこぼれないように見ててくださいね」
香りが変わった。
さっきまでの赤ワインの奥深い香りに、今度は乳の優しさが加わる。厨房が“別世界”になっていく。
「続いてステーキにいきます」
料理人たちの目がさらに真剣になる。
「肉は、ハラミ……胸の肺周りの肉ですね。この肉を使います」
料理人の一人が恐る恐る質問した。
「肉は……場所で違いがあるんですか?」
「ええ、違いますよ」
サオリは丁寧に、しかし熱を帯びた声で語る。
「部位によって脂肪や筋の入り方が違うから、調理方法も変わります。腹回りは脂があるのでジューシーで美味しい。ヒレ――背中の肉は脂が少なくて柔らかいから繊細な味が楽しめる。肩や足先は固いから、煮込みが合う」
料理人たちのメモが止まらない。
「部位ごとに調理を変えて、最も美味しい方法を探すのも、料理人の醍醐味です。……では調理に戻りますね」
ハラミに塩胡椒、そしてミックススパイス。
焼き目を付け、まな板へ戻して休ませる。
「前回のローストビーフと同じですね」
続いてソース。
「玉ねぎとガリケをみじん切りにして小鍋で炒めます。そこにビネガーと白ワインを入れて煮詰めて――」
煮詰まったところで、極弱火にしてバターを数回に分けて投入。
「一気に入れると、乳化――白っぽいとろみが出にくいので、数回に分けてくださいね」
最後に盛り付け。
皿の上に並ぶステーキは、見た目だけで“勝ち”が分かる。
「皆さんが待ってるので、先にステーキを持って行って、煮込みは時間がかかるのでゆっくり食べましょうか」
料理人たちから、自然と拍手が起こった。
サオリはその反応を見て、静かに満足する。
料理人は“教える”ことで、また腕が磨かれるのだ。
そして食事が始まった。
――そこはカオスだった。
主犯は、ニノン。
「……っ!!」
一口食べた瞬間、ニノンの瞳が光った。
顔が変わった。
“エルフの上品さ”が、すっと消えた。
「美味しい……!」
そう呟いた次の瞬間、フォークが止まらない。
手が止まらない。
そして、目が止まらない。
自分の皿が空になる。
隣の皿が視界に入る。
ニノンの手が伸びる。
「えっ、ちょっ――」
誰かが声を上げる前に、ステーキが消えた。
「ニノン!?」
ルーが頭を抱える。
「食べ物が無ければ冷静な人。でも美味しいものがあるとこうなる。……ごめんなさい」
クルトンは平謝りしながら、尻尾を垂らす。
「ホントにごめんなさいにゃ……!」
しかしニノンは止まらない。
リナも最初は「すごい!」と笑っていたが、次第に目が本気になっていく。
「……私の分……」
リナとニノン、二人の食いしん坊が火花を散らす。
料理人たちが慌てる。カミラが腹を抱えて笑う。
ケンが「うわ、ほんとに人格変わるんだ……」と呟く。
結果――追加でステーキを二キロ焼くことになった。
「美味ぇよ、これ最高だー!」
誰が叫んだのか分からない。
たぶん料理人の誰かだ。
あるいはニノンかもしれない。もう判別は不能だった。
サオリは苦笑いしながらも、フライパンを振る。
こんな“幸せな混乱”なら、悪くない。
やがて煮込みも完成し、足先の肉が信じられないほど柔らかく、濃厚で、香り高い一皿になって運ばれてくる。
料理人たちの目が潤む。
「……これが、廃棄肉……?」
誰かが呟き、また拍手が起こった。
そしてニノンは、完全に確信した顔でサオリを見つめた。
(この人の料理を、もっと食べたい)
それは憧れではなく、もはや恋だった。
サオリの料理に恋をしたエルフ――ニノンの旅は、ここからさらに加速していくのだった。




