第37話 商業ギルドと、お米の道と、家の話
冒険者ギルドの建物のすぐ隣に、もうひとつ同じくらい大きな建物がある。
掲げられた看板には、端正な文字でこう書かれていた――商業ギルド。
午後の陽射しがやわらかく差し込む時間帯。
サオリ(三好沙織)は家事をひと通り片づけ、エプロンを外して身なりを整えると、一人でその建物へ向かった。
(昨日の話し合い、ちゃんと聞けるといいんだけど……)
お米のこと。
そして、家のこと。
これから先もコトコト村で暮らしていくなら、避けて通れない話だ。サオリの屋台はありがたいことに評判が良く、村の広場に出すたび行列ができるようになっていた。けれど、今の三好家は借家暮らし。厨房も作業場も手狭で、ケンの魔道具作りは庭先、サオリの仕込みは工夫の連続、リナの出入りも増えて、暮らしが回っているようで“余白”がない。
そして何より――カレーを作ったら、どうしたって“ご飯”が食べたくなる。
商業ギルドの受付に用件を伝えると、すぐに担当者が出てきた。
身だしなみが整っていて、言葉遣いも柔らかい。村の人々にとっての“商いの相談役”らしい落ち着きがある。
「ちょうどよかった。今からそちらに伺おうと思っていたのですよ」
担当者は笑顔で言い、サオリに応接用の小さなテーブルを示した。
「本日は、どういった御用ですか?」
サオリは一度深呼吸してから、昨日家族で決めた通りの順番で話し始めた。
「ええ。……お米の入手先を聞きたくて」
「お米、ですか?」
担当者が、少しだけ目を見開く。
この村で“米”という言葉が出ること自体、珍しいのだろう。サオリは苦笑して続ける。
「そうなんです。私たちが前に住んでいた場所が、パンよりもお米の方が主食だったので」
「……ということは、ヴォルガノン帝国の方の出身でしたか」
担当者が自然にそう結論づけるように言った瞬間、サオリの背筋が少しだけ強張った。
家族が神様に会って転移してきたことを知っているのは、ごく一部の人だけ。大半には“適当な出身設定”をつけている。ここで話が崩れるのはまずい。
サオリは、にこりと笑って頷いた。
「ええ、そうなんです。……ちょっと長く住むのには向かなかったので、こちらの方に来たんですけど。やっぱり、お米が食べたくなってしまって。ポタージュ公国内で盛んな所を教えてもらおうかと」
担当者は「なるほど」と頷き、すぐに実務の顔になる。
「確かに、お米の流通自体、コトコト村にはございませんからね。手に入れるだけなら――『コンソメの街』に行けば入手できます」
「コンソメの街……」
「ここから南に馬車で三日ほどです。街道の要所でして、コトコト村を含むポタージュ公国北部と、公都セント・シチューへ続く街道が合流する場所でもあります」
担当者の説明は丁寧だった。
“村の外”の地理がまだ自分の中で曖昧なサオリにとって、こういう情報はありがたい。
「街並みも大きいので、お米以外にも色々と揃いますよ。ただし――」
担当者は少し申し訳なさそうに肩をすくめた。
「値段は、お高めになります」
「なるほど……流通が少ないから、ですね」
「はい。ですので、日常的に大量に使うとなると負担が大きいかもしれません。ですが“まず食べたい”という目的なら、コンソメの街が最も現実的でしょう」
サオリはメモを取りながら頷いた。
三日。思ったより近い。初めての遠出としても、まだ現実味がある距離だ。
「他にも、お米が手に入る場所はありますか?」
「ほか、ですか」
担当者は少し考えてから、当然のように言った。
「一番有名なのは『ミズホの村』ですね。……ヴォルガノン帝国から来たなら、ご存知では?」
「え?」
サオリは、ほんの一瞬言葉に詰まった。
“ミズホ”。名前だけでも、妙に日本の記憶を刺激する。うっかり顔に出そうになり、慌てて笑いで取り繕う。
「あ、ああ……そうなんですよ。ルートが違ったらしくて。ミズホの村は通りませんでした。オホホ」
自分で言って少し苦しい。
けれど担当者は深く追及せず、「そうでしたか」と頷いて話を続けてくれた。
「ミズホの村は、公都セント・シチューからさらに馬車で一週間ほど行ったところにある、我が国一番の米どころです」
「セント・シチューから、さらに一週間……」
サオリが指で計算するように空をなぞる。
「セント・シチューまでは一週間くらい……ってことは、二週間。結構遠いですね」
「ええ。ですので、お米を“手に入れたいだけ”なら、コンソメの街がよろしいかと」
担当者はそう言ってから、少し楽しげに目を細めた。
「ただ、ミズホの村には面白い話がありましてね。なんでも数百年前にこの地を訪れた『東方の賢者』が、稲作を伝えたという伝説があるのです」
サオリは思わず瞬きをした。
東方の賢者。稲作。伝説。
(……え、なにそれ。めちゃくちゃ気になる……)
胸の奥の“料理人”ではなく、“元の世界の人間”としての部分がざわつく。
「『水田』という変わった方法で米を作っているらしいですよ。水を張った土地で育てるのだとか。ヴォルガノン帝国に近いこともあって、輸出用の米も作っています」
「水を張った……田んぼ、みたいな……」
サオリは口の中で呟くように言った。
この世界に“田んぼ”がある。しかも伝説つきで。まるで誰かが、意図的に日本的な稲作文化を残したみたいだ。
(東方の賢者……いったい何者なの……?)
けれど今は、旅のロマンより現実だ。
サオリは頭を切り替え、まずは必要な結論を押さえる。
「ありがとうございます。……では、お米の件はコンソメの街が現実的、ということで」
「はい。まずはそちらがよろしいでしょう」
ここまでは順調だ。
サオリはメモを畳み、次の話題に移った。
「あと……借家の件なんですけど」
担当者の表情が、ぱっと明るくなった。
「それはちょうどいいですね。我々も、その提案をしようと思っていたのですよ」
「え?」
「サオリさんの屋台、とにかく評判ですから。住民から“店は出ないのか”と催促が来ているのです」
サオリは思わず「まあ」と小さく声を漏らした。
行列ができているのは知っていたが、“催促が来ている”ほどだとは思っていなかった。嬉しい反面、責任の重さも感じる。
(みんな、期待してくれてるのね……)
担当者は続ける。
「そのご意思があるなら、ギルドが責任を持って子爵様に土地の件を伺ってまいります。土地の手配、条件の確認、契約の取りまとめまで――商業ギルド側で対応可能です」
「助かります……!」
サオリは素直に頭を下げた。
土地の話は正直、何から手を付ければいいか分からなかった。貴族に借りるのか買うのか、相場も契約も、この世界の常識がない。そこを“ギルドが責任を持つ”と言ってくれるのは大きい。
「おそらくですが……金貨一五〇〇から二〇〇〇枚ほどで、店舗付き住居の形は整うと思います」
その金額に、サオリは一瞬息を呑んだ。
安くはない。だが、今の収支と貯蓄を考えれば、“夢物語”でもないラインだ。
担当者は、安心させるように笑った。
「ギルドから低金利でのローン制度もございます。無理のない範囲で返済計画を組めますので、ご心配なく」
「……では、そちらの件はよろしくお願いします」
サオリは深く頷いた。
お米の話も、家の話も、想像以上に前へ進んだ。心の奥に張っていた不安が、すっと薄れていく。
(よかった……どちらも、うまくいきそう)
帰ったらケンに話そう。リナにも話そう。
きっと二人とも喜ぶ。特にリナは「私の部屋!」と大騒ぎするだろう。
サオリは席を立ち、担当者に礼を言って商業ギルドの扉へ向かった。
外はまだ明るい。村の通りには、いつもの穏やかな風景が広がっている。
商業ギルドの建物を出て、数歩。
冒険者ギルドの方角から――なぜか、妙に聞き覚えのある怒号が飛んできた。
「――だから目立つなと言っただろうがぁぁぁ!!」
サオリは足を止め、きょとんと冒険者ギルドの建物を見上げた。
(……え? 何? 今の声、バルガスさん?)
続いて、さらに大きな声。
「防衛の片手間でワイバーン二匹討伐する奴が、B級を名乗れるわけ無いだろうが――!!」
「……ワイバーン?」
サオリは思わず小さく復唱した。
ワイバーン。空を飛ぶ大型魔獣。確かに恐ろしい相手……のはずだ。
(……え? うちの村で? ワイバーンが? それを、B級が?)
意味が分からなすぎて、脳が理解を拒否する。
サオリは数秒だけ固まり、それから、ふっと笑って首を傾げた。
「……まあ、冒険者ギルドって大変なのね」
深く考えるのはやめた。
今日は良い話を持ち帰る日だ。お米のことも、家のことも。気持ちを明るくして帰らないともったいない。
サオリは小走りで家路を急ぐ。
その背中に、まだまだ続く怒号が追いかけてきた。
「ケーーーン!! お前なぁぁぁ!!」
サオリは肩をすくめ、どこか他人事のまま呟く。
「……ほんと、冒険者さんって大変」
そして彼女は、今日の“最高の報告”を胸に、何も知らずに帰っていくのだった。




