第33話:魔法の薬草か、秘密のスパイスか
昨夜の大騒動――椅子に縛られた魔王が西の空へ「星」になって消えていったという、コトコト村の歴史に刻まれかねない事件。
そんな激動の夜が明けても、三好家の朝は驚くほど平穏で、いつも通り爽やかだった。
キッチンからは香ばしいパンの焼ける匂い。
そして工房(という名の作業場)からは、金属をいじる「カチ、カチ」という小さな音が規則正しく響く。
パパのケンは、昨夜の魔王戦で得たデータを元に「ライフルの微調整」に没頭していた。
雷回路の反動を抑えるための逃がし、風回路でバレル形状をより効率化するための削り――魔道具師としての探究心に、完全に火が付いている。
(よし……反動はここで逃がせばいい。風の収束は――この角度だ)
一方、ママのサオリと娘のリナは、邪魔をしないよう身軽な格好に着替え、玄関先で靴紐を締めていた。
「よし、今日はスパイス探しに出かけるわよ! ついでにギルドで薬草採取の依頼も受けてきたから、一石二鳥ね」
「はーい! ママの護衛は任せておいてよね。最近はお師匠様……ブイヨンさんに毎日しごかれてるから、森の魔物くらいなら私が聖剣ジェディアスを抜かなくても追い払っちゃうよ!」
リナが胸を張る。
勇者の自覚はさておき、修行の成果だけは本物だ。……本人が調子に乗りすぎる点を除けば。
「いってらっしゃい。気をつけてな」
工房から顔だけ出したケンが手を振る。
サオリは笑って頷き、リナは「まかせて!」と元気よく手を振り返す。
朝露に濡れる街道を歩き、村の門を抜けると、そこにはポタージュ公国の豊かな自然が広がっていた。木漏れ日が差し込む森の入り口で、サオリは深く息を吸い込み、料理人としての鋭い視線で茂みをスキャンし始める。
「いいわね、今日もスパイスがいっぱい。あちこちに自生してるわ。これ、あとで加工してカミラさんにもお裾分けしようかしら。魔族の料理にもスパイスは合いそうだものね」
「ママ、いっぱい取れたのはいいけど、ちゃんと薬草も取ってよね。今日はギルドのお仕事なんだから」
少し呆れたように言いつつ、リナは「冒険者の先輩」として誇らしげだ。
最近はギルドマスターのバルガスや職員のガンツからも「筋が良い」と目をかけられ、薬草採取はリナにとって基本中の基本になっていた。
「はいはい、わかってるわよ。ええと、薬草はどれかしら……『鑑定』!」
サオリが神様から授かったスキルを発動させると、草花の上に情報のウィンドウがふわりと浮かぶ。
それを見たリナが、横から覗き込むようにして解説を始めた。
「ママ、鑑定で出た『ヒーリングフラワー』がポーション用の薬草で、『マジックフラワー』が魔力ポーションの材料だからね。ヒーリングフラワーはポーションの基本だし、マジックフラワーは魔力が回復する大事な花なんだよ。間違えないでね」
「まあ、リナは物知りね。さすが、本物の冒険者の先輩だわ。ママ、頼りにしてるわよ」
「えへへ、それほどでもないよぅ」
鼻を高くするリナ。
勇者としての自覚はともかく、生活知識は着実に伸びている――食い意地と引き換えに。
「あったわ、これがヒーリングフラワーね。これを根っこごと抜くのね?」
「そうだよ。でもヒーリングフラワーは根っこがすごく大きいから、茎を折らないように気をつけて掘ってね」
サオリが土を丁寧に掻き分け、根の周りを崩しながら引き抜く。
思った以上に手応えがある。
「本当ね……かなり重い……よいしょ……」
抜けた。
土を払い、根の断面が見えた瞬間、サオリの瞳がカッと見開かれた。
「……あら?」
「どうしたの? 根っこが大きくてびっくりした?」
「違うのよ。ちょっと待って、もう少し掘って確かめるから……」
サオリは鑑定を維持したまま、周囲の土を手際よく払い落とした。
そして――鮮やかなオレンジ色の断面を確認して、確信の声を上げる。
「やっぱりこれ、ウコンよ!」
「ウコン? 何それ」
「そうよ、ウコン。ターメリック! 料理に欠かせないお宝スパイスよ!」
「ターメリック? ウコン? どっちなの?」
リナが首を傾げる。
サオリは根を愛おしそうに撫でながら、興奮気味に説明を続けた。
「どっちも正解なのよ。根っこのままならウコン、乾燥させて粉に砕けばターメリックって言うの。地球では肝臓に良いって言われてたけど、この世界で『癒やしの花』扱いってことは、それだけ薬効が高いってことよね。ああ……これがあればカレーに深みが出るし、お肉の漬け込みにも最高……!」
「へー。不思議植物なんだね。……あ、ママ、こっちにマジックフラワーがあるよ」
リナが次の採取ポイントへ誘導する。
マジックフラワーは小さく可憐な花を咲かせる植物で、見た目だけなら「魔力が回復する材料」と言われても納得できる。
サオリが葉を少しだけ千切り、香りを確かめた――その瞬間。
「……ちょっと待って」
「なに?」
「これがマジックフラワー? これ……パクチーじゃない!」
「パクチー? ママ、それ、なんか虫みたいな匂いがするやつでしょ?」
リナが露骨に距離を取る。
しかしサオリの顔は、驚きから歓喜へと変わっていった。
「そうよパクチー! この独特の……カメムシ……じゃなくて爽やかな香り、間違いなくパクチー! 魔力を回復させる成分があるなんて、パクチーってば異世界ではすごい出世してるじゃない!」
リナの拒絶反応などお構いなしに、サオリはパクチーの周囲をくまなく探し始めた。
「リナ、お願い。ここの『枯れてるやつ』を探して!」
「いいけど……なんか目的変わってない? 依頼に出すのは綺麗な花の方だよ?」
「いいからいいから! これがあれば、リナが大好きなあのご飯が作れるわよ!」
「ご飯! ちょっと本気で探さなきゃ!」
その一言で、リナの動きが劇的に加速した。
食いしん坊勇者にとって「美味しいご飯」は、最強の動機づけである。
二人は地面を這いつくばる勢いで「枯れたマジックフラワー」を捜索し――やがて、リナが声を上げた。
「ママ、あったよー! 枯れてカラカラになってるやつ!」
差し出されたのは、茶色く乾き、小さな丸い種子がたくさん付いた茎だった。
サオリはそれを受け取り、香りを確かめて満足げに頷く。
「そうよ、これ! 乾燥させて砕けばコリアンダーだわ! ありがとうリナ、流石!」
「また不思議植物……。パクチーがコリアンダーなの? もう、わけわかんないよ」
「ふふふ。葉っぱならパクチー、種ならコリアンダー。どっちも料理には欠かせないお宝なのよ!」
サオリの瞳には、すでに今夜の食卓がフルカラーで浮かんでいる。
意気揚々と森の出口へ向かおうとした、その時――リナが袖を引いて止めた。
「ママ、帰るのはいいけど……まだ依頼分の薬草、全然足りてないよ」
「あら……私としたことが。スパイスに目がくらんで、お仕事を忘れるところだったわね。ごめんねリナ。じゃあ依頼分、ちゃちゃっと取って帰りましょうか」
こうして二人は、今度こそ真面目にヒーリングフラワーとマジックフラワーを採取し始めた。
リナの案内とサオリの鑑定の合わせ技は強力で、あっという間に目標数を達成する。……ついでに、サオリが自分用にウコンとパクチーを大量確保したのは言うまでもない。
村へ戻り、冒険者ギルドの受付へ向かうと、そこにはいつものようにガンツが座っていた。
「おう、リナにサオリさんか。薬草採取か、精が出るな」
「ガンツさん、これ今日の依頼分です! 確認お願いします!」
リナが誇らしげに薬草の束を差し出す。
ガンツは一つ一つ状態を確認し、感心したように頷いた。
「……ほう、どれも状態がいいな。特にこのマジックフラワー、これだけ鮮度が良ければ質の高い魔力ポーションが作れる。ヒーリングフラワーも問題なし。ご苦労だった、これが報酬だ」
スタンプをもらい、報酬の銀貨を受け取った二人は足取り軽くギルドを後にした。
帰り道、リナが期待に満ちた目でサオリを見上げる。
「ねえママ、今日の夜ご飯、何にしてくれるの? あの不思議植物を使うんでしょ?」
「ふふふ、それは帰ってからのお楽しみ。
リナが見つけてくれたコリアンダーと、この新鮮なウコン。前に取って乾燥させてあるクミンとナツメグ、それにガーリックに唐辛子――」
サオリはわざと溜めて、にっこり笑った。
「三好家特製、具だくさんカレーよ!」
「カ、カレー!? やったーーーー!」
リナの歓声が村の通りに響き渡る。
異世界の住人にとっては、単なる「ポーション材料」でも――三好家にとっては生活を彩り、心を満たす最高のスパイスなのだ。
家に戻ると、工房から顔を出したケンが、オイルの匂いをさせながら二人を迎えた。
「おかえり。二人ともいい顔してるな。何かいいもんでも見つかったか?」
「パパ、聞いてよ! ママが森で『お宝』を発掘したんだよ!」
「ほう、お宝か。俺の方もライフルのバレル関係がいい感じに目途が立ったところだ。ちょうど腹も減ったし、そのお宝とやらの成果、楽しみにしてるよ」
夕暮れに染まり始めたコトコト村。
三好家のキッチンからは、やがて村人たちが嗅いだこともないような、刺激的で芳醇なスパイスの香りが漂い始める。
異世界の隅っこで送る三好家のスローライフは、今日もまた一つ――美味しい発見と共に過ぎていくのだった。




