30話 純情勇者と空飛ぶ魔王
ブイヨン子爵邸の裏庭には、今日も朝から「カン! カン!」と硬質な木剣の当たる音が小気味よく響き渡っていた。
朝日を浴びて汗を流しているのは、三好家の愛娘であり「おバカ勇者」ことリナ、そしてコトコト村を守る兵士たちである。
リナが真の勇者であることは、混乱を避けるために一部の要人にしか明かされていない。
そのため、兵士たちの間では「ブイヨン子爵にその才能を見出され、弟子入りを許された将来有望な腕利き冒険者の少女」として紹介されていた。
リナは、かつてS級冒険者として名を馳せたブイヨン子爵を相手に、一歩も引かぬ立ち回りを見せている。
「今日こそは、一本あててみせるんだから!」
リナが聖剣ジェディアスの重さを微塵も感じさせない速度で踏み込み、鋭い横一文字を放つ。
対するブイヨンは、隠居したとはいえその身のこなしに淀みはない。
「ふぉふぉふぉ、まだまだじゃ。気合は良いが、筋道が素直すぎるわい」
ブイヨンは最小限の動きでリナの木剣をいなし、その力を逃がしていく。
その光景を周囲で見守っていた兵士たちからは、ため息混じりの感嘆の声が漏れた。
「凄い……あの子、本当に人間か?」
「流石は子爵様が目をかけただけのことはあるな。あの年齢で、あそこから切り返せるなんて信じられん」
「将来有望どころか、今すぐ騎士団の隊長になれるんじゃないか?」
手合わせが終わると、リナはぷうっと頬を膨らませて木剣を下ろした。
「ちぇ~、また当たらなかった! お師匠様、わざと避けてるでしょ!」
「ふぉふぉ、まだ老いぼれ扱いされるには早すぎるわい。若いもんには負けんぞ」
ブイヨンが豪快に笑うと、緊張の解けた兵士たちがリナの周りにわらわらと集まってきた。
「リナ殿、流石ですな。あんな剣筋、見たこともありませんよ」
「子爵様に認められた実力、我らもリナ殿に負けぬよう励まねば。良い刺激になります!」
「えへへ、そんなに褒められると恥ずかしいよぅ。殿なんてつけなくていいよ、リナでいいってば! 皆で一緒に頑張ろー!」
「「オーー!!」」
リナの屈託のない笑顔と、圧倒的な強さは、いつの間にか村の兵士たちの士気を爆発的に引き上げていた。
彼女はもはや、この訓練場におけるアイドルのような存在になっていたのだ。
そんな和やかな空気が流れていた、その時だった。
「ヘギョッ!?」
突然、訓練場の中央に空から「何か」が凄まじい勢いで降ってきた。
地面には小さなクレーターができ、もうもうと土煙が舞い上がる。
兵士たちが一斉に剣の柄に手をかける中、土煙の中からフラフラと立ち上がったのは、仕立ての良い服を泥だらけにした一人の男だった。
「ふ~……やれやれ。あのお嬢さんの愛情表現は、少々過激すぎるなぁ。だが、それがいい……」
男は顎をさすりながら、どこか恍惚とした表情で呟いている。
その姿を見て、ブイヨンが目を丸くした。
「ふぉふぉふぉ、ヴァンではないか。なんとも変わった登場じゃのう。空から降ってくるとは、お主も酔狂な」
「あれ~、ブイヨン爺! ははは、これはまた凄いところまで飛ばされたなぁ。
一瞬、地平線が見えたよ」
軽快に笑い飛ばしたのは、アビスガルドの魔王ヴァンドレッドである。
先ほど広場でサオリにアッパーカットを喰らい、星になったはずの彼は、驚異的なタフさでここまで飛んできたらしい。
そんな彼の視線が、ふと傍らにいたリナを捉えた。
その瞬間、ヴァンドレッドの瞳が獲物を見つけた肉食獣のように(といっても、中身は完全にチャラ男だが)キラリと輝く。
「おやおや、これはこれは。こんな美しいところに、本物の愛らしいお姫様がいるじゃないか。
今日はなんて幸運な日なんだ」
ヴァンドレッドは泥を払い、騎士のような優雅な仕草でリナの前に膝をついた。
「お姫様? 誰が? ここにお姫様なんていないよ?」
リナが不思議そうに首を傾げると、ヴァンドレッドは甘い吐息と共に囁いた。
「君だよ、君。……お名前を伺ってもいいかな?」
「リナって言います」
「リナ、か。可愛い名前だ。響きまで僕の心を震わせる。
ねえリナ、君は僕の妃にならないかい?」
「キサキ? ……キサキって何?」
リナの純粋すぎる問いに、ヴァンドレッドはさらに顔を近づける。
「妃っていうのはね、お姫様のことだよ。
どうだい? 僕と一緒に来れば、君は本物のお姫様になれる。美味しいお菓子も、綺麗なドレスも、世界中の贅沢が君のものだ」
「ヴァンよ、お主、何か用事があってここに来たのではないのか?」
ブイヨンの呆れ声も、恋に盲目(?)な魔王の耳には届かない。
「ああ、そうだよ爺。リナと結婚するっていう、人生で最大に大事な用事が今できたんだ!」
「ケッコン!? あの、結婚ってパパとママがしてるやつ?」
「ああ、そうだよ。こう見えて僕は一国の王様なんだ。
僕と結婚すれば、君は世界で一番幸せなお姫様になれる。……これは、ほんの挨拶さ」
言うが早いか、ヴァンドレッドは固まるリナの隙を突き、その柔らかな頬に「ちゅっ」と音を立ててキスをした。
訓練場が、氷ついたような静寂に包まれる。
兵士たちは恐怖で顔を青くし、ブイヨンは「あ、これ終わったな」と確信して目を伏せた。
リナは、生まれて初めての経験に、顔を一気に真っ赤に染めた。
それは初恋の赤さではなく、煮えたぎる火山のような怒りと羞恥の赤だった。
「……いや」
「ん? どうしたんだい? 僕との結婚に感激して言葉が出ないのかな?
それとも、もう一度結――」
「いやーーーーーーーーー!! 変態だーーーーーー!!」
リナが絶叫と共に、腰の聖剣ジェディアスを抜かずに、鞘に入れたまま全力で振り抜いた。
それは剣技というより、もはやプロ野球の強打者によるフルスイングだった。
「アッ――!? 君の愛も、重すぎて最高だぁぁぁぁぁぁ……!!!」
再び、ヴァンドレッドは真っ青な空の彼方へと吸い込まれていき、本日二度目のキラリと光る星になった。
「……全く。あ奴のあれは、もう死んでも治らん病気じゃな」
ブイヨンは深い溜息をつき、空を見上げて肩をすくめた。
一方その頃、コトコト村の外れにある森の広場では、ケンが一人、新しく製作した魔道具の実験に勤しんでいた。
「うん、いいぞ。やっぱり『射出』と漢字回路を組み合わせると、土魔法や水魔法だけじゃなくて、風魔法の制御も格段に安定するな」
ケンの手には、昨日道具屋で購入した太めの金属パイプに、単眼鏡を仮止めした試作ライフルが握られている。
パイプの表面には、ブルーラズリで細かく文字が刻まれ、さらに内部には雷魔法の制御を目的とした『絶縁』の回路が組み込まれていた。
「火魔法と氷魔法の連続射撃は、耐熱回路でなんとかクリアした。だが、一番の収穫はこれだな……」
ケンが遠くの枯れ木に向けて魔力を練る。
無詠唱で小さな雷……いや、大きい静電気位の雷魔法をかける。
ライフルを構え、パチン、という鋭い音と共に、紫電を帯びた魔弾が放たれた。
驚くべきは、その弾道だ。
一度放たれた雷の弾は、風の抵抗を無視するように空中で不自然に軌道を曲げ、標的である枯れ木に吸い込まれるように命中した。
「よし。一度帯電させてターゲットを指定してしまえば、ある程度の自動追尾が可能になる。
これなら、素早い魔物でも確実に仕留められるはずだ」
森の中には、実験の過程で倒された魔物たちが転がっていたが、どれも一撃で仕留められており、地面には雷の帯電による独特の焦げ跡がうねるように残っている。
「絶縁の魔法陣を組み込んだこのグリップも、感電の心配はなさそうだ。これで大体の目途は付いたな。……ん?」
ふと、何かが、凄まじい速度でこちらに向かって飛んできている。
だが、そこに敵意や殺気は感じられない。
「……上か」
ケンが空を見上げた、その直後だった。
「ゴペッ!!?」
という情けない声を上げ、空から一人の男が地面に激突した。
まさにケンの目の前、わずか数メートルの距離である。
「うわっ、なんだ!? 人が降ってきた?」
ケンは驚いて駆け寄った。
地面にめり込んでいるのは、豪奢な服を着た、整った顔立ちの男だ。
しかし、その顔は気絶しており、どこかやり遂げたような(あるいは、叩きのめされたような)妙な満足感が漂っている。
「おい、大丈夫か? 生きてるか?」
ケンがゆすってみるが、男はピクリとも動かない。
鑑定スキルを微かに使ってみると、驚くべき魔力量を秘めた魔族であることがわかったが、今は完全に意識を失っているようだ。
「ダメだな、気を失ってる。
……それにしても、どこかで見たような、いや、サオリが言ってた不届き者の特徴に似てるような……」
ケンは首を傾げたが、放置するわけにもいかない。
「しょうがない。悪い奴じゃなさそうだし、何か事情があるのかもしれない。……とりあえず、家に連れていくか」
ケンは気絶した魔王ヴァンドレッドをひょいと担ぎ上げると、新しいライフルを抱えて我が家への道を歩き始めた。
この男が、昼間に妻をナンパし、午前中に娘にキスをした張本人であるとは、この時のケンはまだ知る由もなかった。
こうして、三好家には思わぬ「客」が迷い込むこととなった。
今日も三好家は、嵐の予感と共に、不思議な平和に包まれている。




