第29話:赤の衝撃ヤンニョム・フロッグと、空飛ぶ魔王
コトコト村の朝は、香ばしい揚げ物の匂いから始まった。
昨夜の夕餉を賑わせた「ワーベアーの熊カツ」は、サオリの計算通り多めに作られていた。
一晩寝かせて味が落ち着いたカツを、今朝は自家製パンで挟み、たっぷりのソースと千切りキャベツを添えた
「特製・熊カツサンドイッチ」へと姿を変える。
「おはよー! わあ、今日も朝から豪華だね!」
リナが階段を駆け下りてくるなり、カツサンドをひっつかんだ。
聖剣ジェディアスを腰に差し、修行へのやる気は十分だ。
「リナ、しっかり噛んで食べなさいよ」
「んぐんぐ……おいひい! パパ、ママ、行ってきます!」
リナは元気よくカツサンドを3つも胃袋に収めると、今日もお師匠様であるブイヨン子爵の屋敷へと飛び出していった。
あのおバカな……いや、天真爛漫なエネルギーは、三好家の元気の源だ。
「よし、俺も二日後に肉を取りに行く前に、例のスコープ付きライフルを形にしちまうかな」
ケンは紅茶を飲み干すと、昨日手に入れた単眼鏡と太い金属パイプを抱えて、中庭の工房(という名の作業場)へと籠もった。
「じゃあ、私も出陣ね」
サオリは手押し車の屋台を点検し、エプロンの紐をキリリと締め直した。
今日のメニューは、昨日ケンがギルドから持ち帰った「50キロのウォーターフロッグ」を主役にした自信作だ。
村の中央広場、噴水の前はすっかり三好家の屋台の指定席になっていた。
サオリが手際よく火を起こし、大きな鍋に油をなみなみと注ぐ。
パチパチという音と共に油が温まるのを待ちながら、もう一つの小鍋で特製ソースを仕上げていく。
今日の目玉は、「ウォーターフロッグのヤンニョムソース掛け」。
いつもの塩ハーブも王道だが、今日は刺激が欲しい気分だった。
昨日、昼間のうちに仕込んでおいた真っ赤なヤンニョムソースは、コチュジャン風の辛味に蜂蜜の甘み、そしてニンニクのパンチが効いた「中毒性抜群」の逸品だ。
「さあ、揚げるわよ」
下処理済みのカエル肉に、水溶きの唐揚げ粉をくぐらせ、熱い油の中に滑り込ませる。
シュワシュワという小気味よい音と共に、カエル肉は見る間に黄金色に色付いていく。
その隣で、真っ赤なソースを温める香りが風に乗って広場に漂い始めると、吸い寄せられるように村人たちが列を作り始めた。
「お待たせしました、特製屋台、オープンです!」
「待ってたよお嬢さん! 今日は何だい? 随分と刺激的な匂いじゃないか」
「今日はウォーターフロッグの唐揚げ、ピリ辛ソース掛けです!」
「おお、美味そうだ。とりあえず6本頼む!」
サオリは揚げたてのカエル肉を真っ赤なソースに潜らせ、ツヤツヤにコーティングして串に刺した。
「はい、どうぞ。辛いので気をつけてくださいね」
「ほう……随分と赤いな。どれ……」
お客さんが大口を開けて一口。
その瞬間、動きが止まった。
「……甘い! いや、辛い! でも美味い! なんだこれ、止まらん!
カエルってこんなにジューシーだったか!?」
絶賛の声に、他のお客さんの期待も最高潮に達する。
「こっちも辛串5本!」
「私は12本ちょうだい!」
「はい、お待たせしました! 12本ですね、銀貨3枚と銅貨6枚ちょうどいただきます!」
サオリの腕は休まることがない。
揚げる、絡める、手渡す。
その一連の動作は流れるように美しく、お客さんの笑顔が何よりの調味料だった。
そんな喧騒の中、列の最後尾から不意に、周囲の村人とは明らかに異なる「場違いなオーラ」が漂ってきた。
そこに立っていたのは、身の丈ほどもある豪華なマントを羽織った、モデル顔負けの美男子だった。
整った顔立ちに、どこかチャラい笑みを浮かべ、彼はサオリをじっと見つめている。
「お嬢さん、お名前は?」
「……サオリですが。何本にします?」
忙しさのあまり、サオリは相手の容姿など気にせず、事務的に問いかける。
しかし、その男はメニューを見るどころか、サオリの手を(取ろうとしてかわされたが)握らんばかりの勢いで身を乗り出した。
「サオリさん。……君を、僕の妃として迎えたい」
「は?」
サオリの手が止まった。
あまりにも唐突すぎる、そしてあまりにも斜め上のナンパである。
「君を一目見た時、僕は雷に打たれたと思ったよ。
この胸の鼓動、わかるかい?
そう、僕たちは運命の赤い糸で結ばれていたんだ。
大丈夫、案ずることはない。僕はこれでも一国の王だ。
君は今日から、僕の国の王妃になるんだよ♡」
男はキラキラしたエフェクトが背後に見えるようなウィンクを飛ばす。
「あの、何を言って……お客さん、後ろが詰まってますから……」
サオリが困惑し、周囲の村人たちが
「あいつ、またやってるよ」
という冷ややかな視線を送っていると――。
「おーい、サオリーー!」
聞き覚えのある艶やかな声。
広場の向こうからやってきたのは、コトコト村のギルドマスター、バルガスの妻であるカミラだった。
彼女は魔族特有の凛とした美しさを湛えながら、足早に駆け寄ってくる。
「カミラさん!」
「サオリ、気を付けろ! 『奴』が来たか!」
「カミラさん、これって……」
カミラは男を指差し、忌々しそうに言った。
「そうだよサオリ。これが、例の『アレ』だよ。……アビスガルドの困った魔王、ヴァンドレッドだ」
「あ~、カミラじゃないか。久しぶりだね。相変わらずお美しい。
何で君は僕の誘いを断って、あんなムサイ男のもとに行ってしまったんだい?」
ヴァンドレッドと呼ばれた魔王は、全く悪びれる様子もなく、カミラにまでチャラい言葉を投げかける。
「ヴァン、ちょっと黙ってな。
サオリ、この男は『強くて優しい』なんて言われてるけど、中身はただの絶望的なチャラ男なんだよ。
適当にあしらっていいからね」
「ちょっと二人とも、何をアレコレ言ってるんだい。
僕は真剣に二人の幸せを……いや、今はサオリさんとの結婚を考えてるんだよ。
さあサオリさん、僕との結……」
その時だった。
サオリの周りの温度が、スッと下がった。
いや、彼女の背後に、ある種の「殺気」にも似た静かな怒りが立ち上っていた。
愛する家族と平穏な暮らしを第一に考えるサオリにとって、突然現れて家庭を壊そうとする(ような発言をする)不届き者は、浄化すべき「汚れ」でしかなかった。
「二度と」
「え、何だい? サオリさん、僕との結――」
「二度と来るなーーーー!!」
サオリの鋭い踏み込みと共に、渾身のアッパーカットが放たれた。
それは「浄化」のスキルが乗っていたのか、はたまた母としての怒りか。
拳はヴァンドレッドの顎を完璧に捉え、物理法則を無視した衝撃が魔王を突き上げる。
「アッ――!? ぶっ飛ぶほど愛してるぅぅぅぅぅ……!!!」
魔王ヴァンドレッドは、真っ青な空の彼方へと吸い込まれていき、キラリと光る星になった。
「……ふぅ。カミラさん、騒がしくてごめんなさい。それと、ヤンニョムソース一本サービスしますね」
「あ、ありがとうサオリ……。今の、ちょっとスッキリしたわ」
嵐のようなナンパ劇が終わった広場。
サオリは何事もなかったかのように再びトングを握り、カエル肉を揚げ始めた。
異世界の隅っこで、三好家のママは今日も最強である。




