第27話 近所の公園まで
第27話 近所の公園まで
北海道から帰ってきて、二週間。
美佐子の朝は、少しずつ変わっていた。
以前は目を覚ましても、布団の中で長い時間を過ごしていた。
けれど最近は、カーテンを開ける。
窓を開ける。
朝の空気を部屋に入れる。
そして、簡単な朝食を作る。
ほんの小さなことだった。
でも、美佐子にとっては大きな変化だった。
その日の朝。
朝食を終えた美佐子は、窓の外を眺めていた。
「今日は天気がいいわね」
青空が広がっている。
風も穏やかだった。
ふと、近所の公園が頭に浮かんだ。
家から歩いて十五分ほどのところにある小さな公園。
子どもの頃から知っている場所だった。
以前は修一と散歩したこともある。
けれど、最近はほとんど行っていない。
「……行ってみようかしら」
美佐子は立ち上がった。
バッグに財布とスマートフォンを入れる。
帽子をかぶる。
そして玄関へ向かった。
靴を履く。
ドアを開ける。
「行ってきます」
誰もいない家に、そう声をかける。
外へ出る。
歩き始める。
最初は少しだけ緊張した。
久しぶりに一人で歩く気がしたからだ。
けれど、角を曲がると、近所の人とすれ違った。
「こんにちは」
「こんにちは」
それだけの会話だった。
でも、美佐子は少し嬉しくなった。
さらに歩く。
道端の花。
自転車に乗った子ども。
買い物袋を持った人。
犬を散歩させている人。
どれも、以前からそこにあった日常だった。
ただ、美佐子がしばらく外へ出ていなかっただけだった。
やがて公園が見えてきた。
「着いたわ」
公園には、何人かの子どもたちがいた。
ベンチに座っているお年寄りもいる。
美佐子は空いているベンチに腰を下ろした。
木々の葉が風に揺れている。
「……静かね」
北海道の大自然とは全然違う。
釧路湿原の広さもない。
知床の山々もない。
それでも――
ここにはここで、穏やかな時間が流れていた。
しばらくすると、小さな男の子が走ってきた。
「待ってー!」
後ろから母親が追いかけている。
男の子は笑いながら走り、母親に捕まった。
「もう、勝手に走らないの」
「だって速かったでしょ?」
「速いから追いかけてるの」
そんな親子のやり取りを見て、美佐子は思わず笑った。
「元気ね」
そのときだった。
ベンチの横に、どんぐりが一つ転がってきた。
男の子が拾う。
「これ、おばあちゃんの?」
「え?」
男の子が美佐子を見る。
「これ」
「私のじゃないわよ」
「じゃあ、あげる」
「え?」
男の子はどんぐりを美佐子の手のひらに乗せると、母親のところへ走っていった。
「ありがとう」
美佐子は小さなどんぐりを見つめた。
なんだか、おかしくなって笑う。
「こんなもの、もらっちゃったわ」
そのどんぐりをバッグに入れた。
そして、ゆっくり立ち上がる。
「そろそろ帰ろうかしら」
帰り道。
来たときよりも、足取りが軽かった。
家に着く。
玄関を開ける。
靴を脱ぎ、バッグを置く。
そして、バッグの中からどんぐりを取り出した。
テーブルの上に置く。
「北海道のお土産とは、ずいぶん違うわね」
思わず笑った。
けれど――
その小さなどんぐりを見ていると、なぜか嬉しかった。
北海道では、娘たちと大きな景色を見た。
今日は、一人で小さな公園へ行った。
どちらも、自分が歩いて見つけたものだった。
美佐子は窓の外を見る。
「明日は、どこへ行こうかしら」
その言葉が自然に口から出た。
以前の自分なら、そんなことを考えなかった。
でも今は――
明日のことを考えるのが、少し楽しみになっていた。
小さなどんぐりが、テーブルの上に転がっている。
美佐子はそれを見ながら、微笑んだ。
新しい一歩というのは、案外こんなものなのかもしれない。
遠くへ行かなくてもいい。
大きなことをしなくてもいい。
家のドアを開けて、一歩外へ出る。
そして、少し歩いてみる。
それだけでも――
止まっていた時間は、ちゃんと動き始める。
美佐子は、明日の朝もカーテンを開けようと思った。




