第19話 父が好きだったドラマの場所
第19話 父が好きだったドラマの場所
知床峠を越え、山道を下ってきた三人の車は、羅臼の町へ入っていた。
窓の外には、青い海が広がっている。
「羅臼まで来たね」
次女が窓の外を眺めながら言った。
「ええ。知床五湖からずいぶん走ったわね」
美佐子は、ここまでの道のりを思い返していた。
知床の森。
五つの湖。
エゾシカ。
そして、知床峠から見た国後島。
今日一日だけでも、たくさんの景色を見た。
「お昼、どうする?」
長女が運転しながら尋ねる。
「道の駅らうすに行くんでしょう?」
「そう。そこで海鮮を食べようと思ってる」
「海鮮!」
次女の声が一気に明るくなった。
「私、もうお腹空いた」
「さっきからそればっかりね」
美佐子が笑う。
「だって、朝ご飯食べて、知床五湖歩いて、峠まで行ったんだよ?」
「それはそうね」
そんな話をしながら車を走らせていると、前方に道の駅らうすの案内が見えてきた。
「もうすぐだね」
長女が速度を落とした。
そのときだった。
「……あれ?」
美佐子が道路脇を見た。
「どうしたの?」
次女が尋ねる。
「何か看板があるわ」
道路沿いに立っていた看板には、
『純の番屋』
と書かれていた。
「純の番屋?」
次女が首を傾げる。
「何だろう?」
美佐子も看板を見つめた。
「ちょっと気になるわね」
長女が言った。
「寄ってみる?」
「そうね。せっかくだから」
「でも、お昼……」
次女が心配そうに言う。
「すぐ見て、道の駅に行けばいいでしょう」
「本当に?」
「大丈夫よ」
車は看板の案内に従って進んだ。
しばらくすると、海の近くに建物が見えてきた。
「ここかな?」
長女が車を停める。
三人が降りると、そこには小さな番屋があった。
そして、建物の近くには、この場所について説明する案内が設置されていた。
美佐子が近づいて読んでみる。
「……『北の国から』」
その文字を見た瞬間、美佐子の表情が変わった。
「え?」
長女と次女も説明を読む。
そこには、この番屋がテレビドラマ**『北の国から』**の撮影に使われた場所であることなどが紹介されていた。
「だから『純の番屋』なんだ」
長女が納得したように言った。
美佐子は建物を見つめていた。
そして、突然、昔の家の光景が頭に浮かんだ。
「……お父さん、このドラマ好きだったわ」
「ああ!」
長女が声を上げる。
「そうだった!」
次女も思い出した。
「お父さん、ビデオでよく見てたよね」
「ええ。何度も見てたわ」
「ビデオテープ、いっぱいあったよね」
「そうそう」
三人の会話が弾み始める。
「『北の国から』が始まると、お父さん、テレビの前から動かなかったよね」
長女が笑った。
「ええ。私がご飯を呼んでも、『ちょっと待って』って」
「言ってた!」
次女も笑う。
「『今、いいところだから』って」
美佐子も思わず吹き出した。
「そうだったわね」
昔の夫の姿が、ありありと蘇ってくる。
テレビの前に座って、真剣な顔で画面を見ていた修一。
そんな何気ない日常が、今では懐かしい。
美佐子は番屋の説明をもう一度見た。
「ここ、食事もできるみたいね」
「本当?」
次女が目を輝かせる。
「じゃあ、ここで食べる?」
三人で番屋を見る。
ところが――。
「……あれ?」
長女が入口を確認する。
「今日は営業してないみたい」
「え?」
次女が残念そうな顔をする。
「本当だ。今日はお休みみたい」
「そうなの……」
美佐子も少し残念そうに番屋を見た。
「せっかくだから、ここで食べてみたかったわね」
「お母さん、食べ物の話になると急に元気になるね」
次女が笑う。
「あなたたちもでしょう」
三人で笑った。
食事はできなかったが、番屋の周りを少し見て回る。
建物の向こうには海が広がっていた。
潮風が吹き、波が静かに揺れている。
「海、気持ちいいね」
長女が言った。
美佐子も海を眺めた。
「ええ」
「お父さんがここに来たら、喜んだかな」
次女が尋ねる。
美佐子は少し考えた。
「きっと喜んだでしょうね」
そして、少し笑う。
「でも、その前に『腹減ったな』って言ってると思うわ」
「やっぱり!」
三人の笑い声が海辺に響いた。
夫の話をしているのに、悲しくない。
むしろ、昔の修一を思い出して、自然と笑ってしまう。
それが美佐子には嬉しかった。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
長女が車のほうへ歩き出す。
「うん」
次女も続く。
「道の駅らうすでお昼だね!」
「そうね」
美佐子も笑いながら車へ向かった。
車に乗り込む。
「純の番屋から道の駅らうすまでは?」
次女が尋ねる。
「車で二分くらいよ」
「二分なら我慢できる!」
「さっきから、お腹空いたって言ってるものね」
美佐子が笑う。
「だって、もうお昼だもん」
車が走り出す。
純の番屋が少しずつ遠ざかっていく。
美佐子は窓の外を眺めながら思った。
今日は、思いがけず夫の好きだったドラマの場所を見つけた。
一緒に来ることはできなかった。
けれど、娘たちとここで夫の話をして、笑った。
それだけで十分だった。
「お母さん、着いたよ!」
娘の声に、美佐子が前を見る。
道の駅らうすが見えてきた。
「じゃあ、食べましょうか」
「待ってました!」
娘たちの声が重なった。
美佐子は笑った。
羅臼の海を眺めながら、三人の昼食の時間が始まろうとしていた。




