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あの日の君に会いに』 ――二人の始まりの場所へ。愛した日々を、もう一度確かめるために。  作者: 雨宮ぐみ


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第13話 神の子池の青

第13話 神の子池の青


硫黄山をあとにした三人は、神の子池へ向かっていた。


車が進むにつれて、周囲の景色は次第に静かになっていった。


大きな道路から細い道へ入り、森の中を進んでいく。


窓の外には、どこまでも木々が続いている。


「本当にこんなところに池があるの?」


次女が言った。


「あるんじゃない?」


長女が地図を確認する。


「案内にはちゃんと書いてあるよ」


「でも、森しか見えないよ」


美佐子は二人の会話を聞きながら笑った。


「まあ、森の中にある池なんだから、森しか見えないのは普通じゃない?」


「それもそうか」


しばらくして、車を降りる。


三人は森の中の道を歩き始めた。


木々に囲まれた細い道。


鳥の声は聞こえるが、人の姿はほとんどない。


美佐子は周囲を見回した。


「……静かね」


「うん」


長女も少し声を落とした。


そのとき、次女が突然立ち止まった。


「ねえ」


「なに?」


「熊……出ないよね?」


美佐子と長女が同時に次女を見る。


「今それ言う?」


長女が苦笑した。


「だって、こんな森だよ?」


「確かに……」


美佐子も周囲を見回す。


「昨日も龍の祠で、お父さんが熊を心配してたわね」


「じゃあ、お父さんの気持ちが今なら分かるね」


次女が言う。


「分かるわ」


美佐子は真顔で頷いた。


「ちょっと怖いわね」


「お母さんまで!」


長女が笑う。


「だって、誰もいないじゃない」


「大丈夫だよ」


長女はそう言ったものの、自分も少し不安になったのか、周囲を見回した。


「……でも、熊がいたらどうする?」


次女が聞く。


「走らない」


長女が答えた。


「じゃあ?」


「騒がない」


「じゃあ?」


「……お母さんを置いて逃げない」


「そこは絶対だからね」


美佐子が言った。


三人で顔を見合わせる。


そして、思わず笑った。


「でも、本当に出てきたら?」


次女がまた聞く。


「そのときは……」


長女が考える。


「三人でゆっくり戻ろう」


「うん」


「大声出さない」


「うん」


「走らない」


「うん」


美佐子が頷く。


「じゃあ、ちゃんと三人一緒に歩きましょう」


「そうしよう」


三人は少しだけ間隔を縮めて歩き始めた。


さっきまでより、三人の距離が近い。


「なんか、お母さん」


次女が笑った。


「手をつなごうか?」


「子どもじゃないんだから」


そう言いながら、美佐子は笑っていた。


そのとき――。


ガサッ。


三人の足が止まった。


「……今の何?」


次女が小声で言う。


「分からない」


長女も動かない。


「熊?」


「ちょっと!」


美佐子が小声でたしなめる。


三人はじっと音のした方向を見る。


木の葉が揺れている。


しばらく待つ。


すると――。


小さな鳥が木の枝から飛び立った。


「……鳥」


長女が呟いた。


「鳥だったね」


次女が胸を撫で下ろす。


美佐子も息を吐いた。


「もう……驚かせないでよ」


「私じゃないよ。鳥だよ」


「そうだけど」


三人はまた歩き始めた。


今度は誰も熊の話をしなかった。


……数分後。


次女がぽつりと言った。


「でも、熊じゃなくてよかった」


「また言ってる」


三人は笑った。


そんなやり取りをしながら歩いていると、木々の間から青いものが見えてきた。


「……あれ?」


長女が立ち止まる。


「池じゃない?」


三人が足を速める。


そして――。


美佐子は言葉を失った。


目の前に広がっていたのは、深い青色をした水だった。


「……きれい」


それしか言葉が出なかった。


池の水は、青とも緑とも言えない不思議な色をしている。


森の緑を映しながら、底まで見えるほど澄んでいた。


「すごい……」


次女も立ち尽くしている。


「写真で見るより、ずっときれい」


長女も池を見つめた。


美佐子はしばらく動かなかった。


ただ、目の前の景色を見ていた。


「お母さん」


長女が声をかける。


「どう?」


美佐子は池を見つめたまま答えた。


「不思議ね」


「何が?」


「こんなにきれいなのに、今まで知らなかったなんて」


次女が笑った。


「じゃあ、今日知ったからいいじゃん」


「そうね」


美佐子も笑った。


三人は池の周りをゆっくり歩いた。


角度が変わるたびに、水の色が違って見える。


木々の間から差し込む光が、水面に揺れている。


「こっちから見ると、もっと青く見えるよ」


次女が呼ぶ。


「本当?」


美佐子もそちらへ歩いていく。


「わあ……」


また声が出た。


「さっきと違うわ」


「でしょ?」


「同じ池なのにね」


三人は何度も池を眺めた。


けれど、美佐子は途中でスマートフォンをしまった。


「どうしたの?」


長女が聞く。


「写真もいいけど……」


美佐子は池を見た。


「今日はちゃんと目で見ておきたいの」


娘たちは黙って頷いた。


三人で並んで池を眺める。


しばらくすると、次女が言った。


「ここ、お父さんは来たことないんだよね」


美佐子は頷いた。


「ええ」


「じゃあ、ここは私たち三人の思い出だね」


美佐子は娘の顔を見た。


そして、ゆっくり笑った。


「そうね」


神の子池の青。


それは、修一との思い出ではない。


今日、三人で初めて見つけた景色だった。


森の中で熊が出ないかとドキドキしたこと。


小さな物音に驚いたこと。


そして、目の前に現れた美しい青い池に感動したこと。


それら全部が、今日の思い出になった。


「そろそろ戻ろうか」


長女が言う。


「そうね」


三人は来た道を戻り始めた。


帰り道、次女が笑いながら言った。


「結局、熊は出なかったね」


美佐子も笑った。


「出なくてよかったわ」


「お父さんも、ここを歩いたら絶対ドキドキしてたよね」


美佐子は少し笑ってから、


「そうかもしれないわね」


と答えた。


三人の笑い声が、森の中に響いた。


神の子池を離れても、美佐子の心にはあの青い色が残っていた。


そして今日から、この場所もまた、自分たち三人の大切な思い出になった。

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