第12話 硫黄山の白い煙と温泉たまご
第12話 硫黄山の白い煙と温泉たまご
翌朝。
美佐子はカーテンを開けて、窓の外を眺めた。
朝の屈斜路湖は静かだった。
湖面に朝の光が差し込み、周囲の山々も柔らかな色に包まれている。
「お母さん、起きてる?」
部屋の外から長女の声がした。
「起きてるわよ」
「朝ごはん行こう」
「はいはい」
美佐子は笑いながら支度をした。
朝食を済ませ、三人はホテルを出た。
今日の予定は、硫黄山。
そして、そのあと神の子池へ向かう。
車に乗り込むと、次女が楽しそうに言った。
「今日は食べるものが二つあるからね」
「二つ?」
「温泉たまごと、メロンソフト」
美佐子は笑った。
「もう、食べることばっかりね」
「旅行なんだからいいの」
「昨日も聞いたわ、その言葉」
三人で笑いながら車を走らせた。
しばらくすると、窓の外に白い煙が見えてきた。
「お母さん、あれ!」
長女が指差す。
「硫黄山だよ」
近づくにつれて、白い噴気がいくつも立ち上がっているのが見えてくる。
駐車場に車を止め、三人は外へ出た。
「わあ……」
美佐子は思わず声を漏らした。
目の前に広がる荒々しい景色。
白い煙が地面から立ち上り、硫黄の匂いが漂っている。
普段暮らしている場所では、なかなか見ることのできない光景だった。
「すごいね」
次女も驚いた顔をしている。
「地面から煙が出てる」
「本当に生きてる山みたい」
美佐子は少し離れた場所から、じっと硫黄山を眺めた。
山のあちこちから白い煙が上がっている。
風が吹くと、その煙がゆっくり流れていく。
「自然ってすごいわね」
「お母さん、近づきすぎないでね」
長女が注意する。
「分かってるわよ」
「お母さん、景色に夢中になると、どこまでも行きそうだから」
「そんなことないわよ」
「昨日も龍の祠で、しばらく動かなかったじゃん」
「あれは……」
美佐子は言葉に詰まった。
「思い出してたのよ」
「分かってる」
長女が優しく笑った。
三人は硫黄山を眺めながら、ゆっくりと歩いた。
白い煙。
黄色くなった岩。
独特の匂い。
美佐子は何度も振り返った。
「来てよかったわ」
「でしょ?」
次女が笑う。
「でも、お母さん」
「なに?」
「次は食べる番」
「……温泉たまご?」
「正解」
三人は笑った。
売店で温泉たまごを買う。
美佐子は殻をむきながら、湯気の立つ卵を眺めた。
「熱そうね」
「熱いよ」
「じゃあ、先に食べてみて」
次女が言う。
「どうして私なの?」
「お母さんが一番食べたそうだから」
「そんなことないわよ」
そう言いながら、美佐子は一口食べた。
「……おいしい」
「でしょ?」
「もう一個食べようかしら」
娘たちが顔を見合わせた。
「食べるんじゃん」
「だって、おいしいんだもの」
三人で笑った。
そのあと、さらに売店を見て回った。
すると、次女があるものを見つけた。
「お母さん!」
「今度は何?」
「メロンソフト!」
美佐子は思わず笑った。
「本当に食べるの?」
「食べる」
「さっき温泉たまご食べたばかりじゃない」
「別腹」
「誰の?」
「私たちの」
「便利な言葉ねえ」
結局、三人でメロンソフトを買った。
ひんやりとしたソフトクリームを口に入れる。
「おいしい」
美佐子は目を細めた。
次女が笑う。
「お母さん、嬉しそう」
「だって、おいしいもの」
長女も笑った。
「今日のお母さん、朝からよく食べるね」
「いいじゃない」
美佐子も笑い返した。
「北海道に来たんだもの」
その言葉を口にしたとき、美佐子自身が少し驚いた。
以前なら、旅行先でも夫のことばかり考えていたかもしれない。
けれど今は違う。
硫黄山を見て驚いた。
温泉たまごを食べて笑った。
娘たちとメロンソフトを食べている。
そんな何気ない時間が、素直に楽しかった。
「お母さん?」
「なに?」
「次、神の子池だよ」
「そうね」
美佐子はソフトクリームを食べながら頷いた。
「どんなところかしら」
「すごく青いんだって」
「じゃあ、楽しみね」
三人は車へ戻った。
車が走り出す。
硫黄山が少しずつ遠ざかっていく。
美佐子は窓から外を眺めた。
今日は、修一との思い出を辿っているわけではない。
ここで見た硫黄山も、食べた温泉たまごも、メロンソフトも、今日初めて作った思い出だ。
そして、これから向かう神の子池もそうだ。
「お母さん」
長女が言った。
「何?」
「神の子池、楽しみだね」
美佐子は笑った。
「ええ」
そして、前を向いた。
「楽しみね」
車は、次の目的地へ向かって走っていった。




