第11話 龍の祠へ
第11話 龍の祠へ
摩周湖をあとにした三人は、屈斜路湖へ向かっていた。
車窓から見える景色は、深い緑の森へと変わっていく。
美佐子は後部座席から外を眺めていた。
摩周湖では、四十年前に見ることのできなかった景色を見ることができた。
「お母さん」
運転している長女が声をかける。
「もうすぐホテルだよ」
「そう」
美佐子は頷いた。
今夜は屈斜路湖プリンスホテルに泊まる。
明日は硫黄山へ向かう予定だ。
「神の子池も行くんだよね?」
美佐子が聞くと、次女が答えた。
「うん。硫黄山を見てから行くよ」
「楽しみね」
美佐子は窓の外を眺めた。
神の子池は、修一と訪れたことのない場所だ。
この旅を始めたころは、夫との思い出を辿ることばかり考えていた。
けれど、今は少し違う。
夫との思い出を大切にしながら、娘たちと新しい景色を見る。
それも楽しみになってきていた。
やがてホテルに到着した。
三人はチェックインを済ませ、部屋に荷物を置いた。
少し休んでいると、長女がスマートフォンを見ながら言った。
「お母さん。この近くに龍の祠があるみたい」
「龍の祠?」
美佐子は顔を上げた。
「うん。湖畔のほう」
その場所を見た瞬間、美佐子の表情が変わった。
「……ここ」
「知ってるの?」
「ええ」
美佐子はスマートフォンの画面をじっと見つめた。
「新婚旅行のとき、お父さんと行ったわ」
「じゃあ、行ってみようよ」
娘の言葉に、美佐子は少しだけ迷った。
けれど、すぐに頷いた。
「そうね。行ってみましょう」
三人はホテルを出た。
湖畔へ向かう道を歩いていく。
木々に囲まれた道。
足元には落ち葉が重なり、森の中は静かだった。
その景色を見ているうちに、美佐子の記憶がゆっくりと四十年前へ戻っていった。
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まだ若かった美佐子と修一は、新婚旅行でここを訪れていた。
湖畔へ向かう道を、二人で歩いていた。
最初は楽しく話していた。
けれど、森の中へ入っていくにつれて、修一の様子が少し変わってきた。
やたらと周囲を見ている。
右を見て、左を見る。
そして、後ろまで振り返る。
「さっきから何してるの?」
美佐子が聞いた。
修一は声を落として答えた。
「熊、出ないかな」
「熊?」
「うん」
「どうして?」
「だって、こんな森だぞ」
修一は真剣な顔をしている。
美佐子は笑った。
「そんなに簡単に熊が出てくるわけないでしょう」
「でも、出たらどうする?」
「どうするって……」
美佐子は少し考えた。
「逃げる?」
「俺が先に逃げるかもしれない」
「ちょっと!」
美佐子が笑う。
「新婚旅行で妻を置いて逃げるの?」
「いや、そういう意味じゃなくて!」
修一も笑った。
二人はそんな冗談を言いながら、それでも少しだけドキドキしながら歩いていった。
やがて、木々の向こうに湖が見えた。
「見えた!」
美佐子が声を上げる。
二人は湖畔へ下りていった。
そこで、美佐子は足を止めた。
「……見て」
目の前に、不思議な形をした自然木があった。
幹から伸びる枝が、まるで大きな龍が身をくねらせているように見える。
「龍みたい」
美佐子が言った。
修一もじっと木を見上げた。
「本当だ」
そのすぐ近くには、小さな龍の祠があった。
森と湖。
龍のような自然木。
そして静かにたたずむ祠。
二人は、しばらく何も言わずに眺めていた。
「すごいね」
修一が言った。
「うん」
美佐子も頷いた。
「来てよかった」
その言葉を聞いて、修一が笑った。
「熊を心配しながら来た甲斐があったな」
「もう、それは忘れてよ」
二人で笑った。
そのとき見た景色が、美佐子の心に強く残った。
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「お母さん?」
娘の声が聞こえた。
美佐子はゆっくりと現在に戻った。
「……ごめんなさい」
「お父さんのこと思い出してた?」
美佐子は頷いた。
「ええ」
三人はさらに歩いていった。
そして湖畔へ出る。
美佐子は立ち止まった。
「ここだわ」
そこには、龍の姿をした自然木があった。
そして、そのそばには龍の祠。
四十年以上の時間が流れている。
けれど、美佐子には昔の景色が重なって見えた。
「本当に龍みたい」
長女が言った。
「でしょう?」
美佐子は嬉しそうに笑った。
「お父さんと来たときも、二人でそう言ったの」
次女が自然木を見上げる。
「なんか不思議だね。何十年も前に、お父さんとお母さんが見たものを、今度は私たちが見てる」
「そうね」
美佐子は静かに頷いた。
祠の前で、三人は手を合わせた。
美佐子は目を閉じる。
そして心の中で、修一に話しかけた。
――あなたと来た場所に、今日は娘たちと来たわ。
少しだけ間を置いて、心の中で笑う。
――あのとき、熊が出ないかって、ずいぶん心配してたわね。
美佐子は目を開けた。
目の前には、あの日と同じように龍の姿をした自然木がある。
「お母さん」
長女が呼ぶ。
「帰ろうか」
「ええ」
三人は来た道を戻り始めた。
帰り道、次女が言った。
「明日は硫黄山だね」
「そうね」
「温泉たまご食べたい」
「私も」
長女まで加わる。
「じゃあ、メロンソフトも」
美佐子は思わず笑った。
「二人とも、食べることばっかりね」
「旅行なんだからいいじゃん」
「そうね」
美佐子は笑った。
ホテルへ戻る道を、三人で並んで歩く。
今日は、昔の思い出を一つ辿った。
そして明日は、まだ誰とも共有していない新しい景色へ向かう。
美佐子は、明日の旅が少し楽しみになっていた。




