↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
橘花国志 翠蓮皇女異聞 〜黄泉がえり皇女は前世の仇とともに天下泰平を目指す〜  作者: 澤村 宇月


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
50/58

第四十四章 最良の選択

 織瀬(おりせ)を見つめる豺牙(さいが)の昏い瞳は、異様な輝きを放っていた。


(豺牙(さいが)将軍……。葛城(かづらぎ)公爵の命で私を狙ってきたのだろうけれど……)


 織瀬(おりせ)はそっと豺牙(さいが)の様子を観察する。


(それにしては、何か違和感がある……)


 その違和感が何に起因するのかは分からない。しかし豺牙(さいが)の言動からは、単に敵の弱みである皇女を見つけたというだけではない、もっと別の目的があるように感じられた。


「姫さん、俺たちの後ろに下がってろ」

「……厄介ですな。何処にこれほどの兵を隠していたのか」


 織瀬(おりせ)を守るように進み出た隼人(はやと)や鷹比古(たかひこ)の背中に遮られて、織瀬(おりせ)の眼から豺牙(さいが)の姿はほとんど認識できなくなった。だがそれにも関わらず、豺牙(さいが)の視線はまるで全身に絡みつくように感じられ、織瀬(おりせ)は言いしれぬ恐怖と不快感に襲われる。


(この感覚……前にも覚えがあるわ。あの宴の時の葛城(かづらぎ)公爵や、前世で私を組み伏せた時の路保(みちやす)殿の眼と同じ……)


 その時に感じたものは、単に命の危険に晒されることとは別種の恐ろしさだった。理解できない欲望の対象として自身が見られていることに、嫌悪すら覚える。


(……駄目、震えてはいけない。しっかりしなさい、私は皇女なのだから)


 そう己を叱咤するものの、つま先から這い上がってくる震えを抑えることは難しい。


「大丈夫だ、姫さん。龍守(たつもり)から頼まれてるからな。姫さんのことは必ず守る」


 織瀬(おりせ)の異変に気付いたのか、ちらりと振り返った隼人(はやと)が安心させるように口角を上げた。


「そこのお前たち、五人ばかりで皇女殿下の周りを固めよ」


 鷹比古(たかひこ)の指示に、那岐山(なぎやま)家の兵たちが隙間なく織瀬(おりせ)の周囲を取り巻いた。そして鷹比古(たかひこ)は、その薄い刃のような眼差しを前方の敵兵たちに巡らせる。


「相手は……三十ほどですな。こちらは我らを含め十名。──雑兵は私と兵たちで片付けますので、豺牙(さいが)将軍は貴殿にお任せしてよろしいか、隼人(はやと)殿」

「おうよ」


 鷹比古(たかひこ)は苦無を、隼人(はやと)は刀を構えながら頷き合う。


「──ったく、こんなことなら槍でも持って来るんだったぜ。馬上で刀は扱いづれぇんだよな」

「槍は嵩張るゆえ仕方ありませんな。……私の暗器をお貸ししましょうか?」

「遠慮しとくわ。どうせ俺には向いてねぇし。……それにしても、全速力で走って来たのに待ち伏せされるとはな。こりゃ後で鼠探しもやんなきゃじゃねぇか、鷹比古(たかひこ)」

「……それについては後ほど話しましょう。──来ますぞ」


 鷹比古(たかひこ)の言葉を合図にしたかのように、敵兵が一斉に織瀬(おりせ)たちに向かって殺到してきた。

 

「翠蓮(すいれん)皇女以外は皆殺しだ! 覚悟せよ!」


 隊長格と見られる兵士が、絶叫とともに鷹比古(たかひこ)を狙って槍を突き出す。


「……出来るものならやってみよ」


 冷ややかな声とともに投擲された苦無が、兵士の首元に深々と突き刺さった。槍を握りしめたまま、骸となったその身体は馬上から崩れ落ちる。

 続いて襲いかかって来た敵兵たちも、鷹比古(たかひこ)の手から音もなく放たれた暗器に貫かれ、そこからかろうじて逃れた者たちも那岐山(なぎやま)家の兵たちの手で次々と斬り伏せられていった。


「……涼しい顔して相変わらず容赦ねぇな、鷹比古(たかひこ)。もう敵さん半分くらいになっちまったじゃねぇか」

「隼人(はやと)殿、貴殿も仕事をなさってください!」


 複数の敵に囲まれながらも、鷹比古(たかひこ)は隼人(はやと)に咎めるような一瞥を投げる。それにひとつ肩を竦めると、


「分かってるって。……じゃあ俺もやるかね」


にやりと笑い、隼人(はやと)は身を翻した。鳶色の瞳に映るのは、馬上で部下たちの戦いを見下ろす豺牙(さいが)である。隼人(はやと)は馬を叱咤し、豺牙(さいが)へ向かって突進した。


「……おい、随分と余裕だな。味方はだいぶ減っちまったぜ?」


 軽口を叩きながら、隼人(はやと)は豺牙(さいが)の首筋目がけて刃を振り下ろす。豺牙(さいが)は手綱を引くと、その攻撃を紙一重のところで避けた。

 豺牙(さいが)は隼人(はやと)から距離を取ると、獲物を狙い定めるように昏い瞳を細める。


「……お前、覚えがある。那岐山(なぎやま)龍守(たつもり)との一騎打ちを邪魔した奴だな」

「ああ? 俺は邪魔してねぇよ。邪魔したのはむしろそっちの弓兵じゃねぇか。……毒矢なんて汚ねぇ手使いやがって」

「……毒だと?」

「惚けんなよ。おかげでこっちは大変だったんだから、なぁ!」


 裂帛の気合いとともに、再び隼人(はやと)は豺牙(さいが)に襲いかかった。しかしそれは抜き放たれた豺牙(さいが)の刀によって、あっさりと阻まれる。


(……速い)


 隼人(はやと)と豺牙(さいが)の戦いを見守りながら、織瀬(おりせ)は息を呑んだ。


(今、豺牙(さいが)将軍が刀を抜くところが見えなかった。以前見た龍守(たつもり)殿の刀捌きも速かったけれど、豺牙(さいが)将軍はそれ以上に……)


 乾いた風が吹き抜けるなか、大地を蹴る馬蹄の音と、金属同士がぶつかる鋭い音が響き渡る。


(……隼人(はやと)殿は強い。本来ならば近衛軍で将軍位を得ていてもおかしくないほどに。だけど豺牙(さいが)将軍は余りにも……)


 幾度も攻撃を試みるものの、隼人(はやと)の刃は豺牙(さいが)の髪の一筋にすら届いていない。初めの余裕に満ちた笑みはとうに消え去り、額から脂汗を散らす隼人(はやと)に対し、豺牙(さいが)は息ひとつ乱してはいなかった。


「……これは、いけませんな……」


 荒い息遣いとともに背後で苦しげな声が聞こえて、織瀬(おりせ)は弾かれたようにそちらに眼を向ける。

 乱戦のなかから抜け出した鷹比古(たかひこ)が、織瀬(おりせ)の傍に並んだ。ふと見ればその腕から鮮血が滴っており、織瀬(おりせ)は眼を見張る。


「鷹比古(たかひこ)殿、その怪我は……!」

「傷は浅いゆえ、ご心配には及びませぬ。……しかし隼人(はやと)殿がこれほど押されるとは予想外ですな」


 傷口を押さえながら、鷹比古(たかひこ)は眉間に深い皺を刻んだ。織瀬(おりせ)の胸中で、不安が雷雲のように立ち込めていく。


「……豺牙(さいが)将軍は、あの緒戦の時に龍守(たつもり)殿と戦ったのですよね? その時はほぼ互角だったと伺いましたが……」

「ええ、むしろ龍守(たつもり)様が僅かに優勢だったほどです。……ですが今の豺牙(さいが)将軍の強さは、あの時とは比較に──」

「……っ、隼人(はやと)殿!」


 織瀬(おりせ)は思わず叫び声をあげた。豺牙(さいが)の攻撃を受けた隼人(はやと)が、馬の背から叩き落とされたのだ。


「……っ、くそ……龍守(たつもり)並のスピードに馬鹿力とか、反則だろ……」

 

 そう毒づきながらも立ち上がろうとする隼人(はやと)に、白刃が突きつけられた。


「……弱すぎるな。こんな奴しか配下に居らぬとは、那岐山(なぎやま)龍守(たつもり)も程度が知れる」

「ああ? テメェ、今なんつった……」

「隼人(はやと)殿! ご無理をなさるな!」


 足元をふらつかせる隼人(はやと)のもとに鷹比古(たかひこ)が駆け寄ろうとしたが、


「豺牙(さいが)将軍の邪魔はさせぬ」


どこからともなく現れた兵たちに、再び周囲を囲まれてしまった。


「……不覚だな。まだ伏兵を残していたのか」


 鷹比古(たかひこ)は応戦しようとするも、負傷した状態では分が悪すぎた。

 鷹比古(たかひこ)とともに戦っていた兵たちもそれぞれ深手を負っており、今この場で無傷な者は織瀬(おりせ)とその周りを守っていた五人の兵だけだ。そしてその無事な兵たちも、苦戦する隼人(はやと)と鷹比古(たかひこ)の姿を目の当たりにして、すっかり戦意を失っている様子が見てとれた。


(そんな……隼人(はやと)殿と鷹比古(たかひこ)殿がいるのに、こんなにもあっけなく……)


 絶望を押し込めるように両手で口元を覆った織瀬(おりせ)に、昏い眼差しが向けられる。


「翠蓮(すいれん)皇女……那岐山(なぎやま)龍守(たつもり)に攫われて、さぞや辛い思いをしただろう。もう大丈夫だ、俺が救い出してやるからな」

「……救う? 何を……貴方は何を言っているのですか……」


 ぞわりと背筋を悪寒が走り抜ける。豺牙(さいが)の眼は、まるで強い酒に酔った者のそれだった。酩酊した視界のなかでは、全てのものが歪み己に都合良く映っているに違いない。

 そして豺牙(さいが)は、織瀬(おりせ)から地面に膝を付く隼人(はやと)と鷹比古(たかひこ)へと視線を巡らせる。


「この二人が奴の腹心か。まずはこいつらから──」

「……っ、やめなさい!」


 織瀬(おりせ)は味方の兵たちの壁をかき分け、豺牙(さいが)の前に飛び出した。全身を覆う恐怖を悟られまいと、努めて凛とした眼差しを豺牙(さいが)に向ける。


「隼人(はやと)殿たちを傷つけることは許しません。……貴方の目的は私なのでしょう? ならば私だけを連れて行きなさい」

「なっ……何言ってんだ姫さん!」

「なりません、皇女殿下!」


 隼人(はやと)と鷹比古(たかひこ)の叫びを聞き、織瀬(おりせ)は僅かに背後を振り返る。自分でも驚いたことに、つい先ほどまで感じていた恐れが、徐々に薄らいでいくような心地がした。


(ああ、そうか。私が蘇ったのは、きっとこの為だったのね……)


 不意にそんな確信を得て、織瀬(おりせ)は自然と唇に微笑みを浮かべた。己の命の使い道を悟った今、恐れるべきことなど何もない。


「隼人(はやと)殿、鷹比古(たかひこ)殿。貴方がたは、龍守(たつもり)殿に──未来の橘花(きっか)国を導く者に必要な人材です。このようなところで命を散らしてはなりません」


 織瀬(おりせ)の唇に湛えられた凪いだ微笑に僅かに目を見張ったのち、隼人(はやと)が大声を上げた。


「馬鹿言ってんじゃねぇ! あんただって龍守(たつもり)に必要な──」

「龍守(たつもり)殿にお伝えください」


 清冽な湧水を思わせる声音が、隼人(はやと)の叫びを断ち切る。


「──龍守(たつもり)殿、私は貴方の才と志を信じています。どうかこの国を、あるべき姿に導いてください」


 そして織瀬(おりせ)は、しっかりした足取りで豺牙(さいが)へ向かって歩き出した。


「翠蓮(すいれん)皇女、ようやく……ようやく俺のもとに来てくれたか」


 陶然とした豺牙(さいが)の眼を、織瀬(おりせ)は冷ややかに見つめ返す。


「取引をいたしましょう、豺牙(さいが)将軍」

「……取引、だと?」


 豺牙(さいが)は不思議そうに呟いた。


「はい。……私の身柄は貴方の好きにしてくださって構いません。その代わり約束してください。──隼人(はやと)殿と鷹比古(たかひこ)殿を含め、この場にいるすべての那岐山(なぎやま)家の兵たちに一際手出しをしないこと。このことを貴方の名において、部下たちにも徹底させること。──よろしいですね?」

「分かった。……お前たち、翠蓮(すいれん)皇女の言う通りにしろ」


 意外なほどあっさりと、豺牙(さいが)は頷いた。


「翠蓮(すいれん)皇女……。お前さえ手に入れば、他の者たちに用はない」

「……っ……」


 豺牙(さいが)は織瀬(おりせ)の二の腕を掴むと、荒々しく馬上に引き上げた。加減を知らぬ豺牙(さいが)の手つきに、織瀬(おりせ)は唇を噛んで痛みを押し殺す。

 そのまま馬首を翻した豺牙(さいが)の背へ、地から沸き上がるような声が浴びせられた。


「待てよ……。テメェも姫さんも、ふざけんのも大概にしやがれ……」


 怒りに声を震わせながら、隼人(はやと)が立ち上がる。


「……姫さん、あんた何にも分かっちゃいねぇよ。こんなこと龍守(たつもり)が許すと思うのか?」

「隼人(はやと)殿……」


 豺牙(さいが)に腰元を囚われながら、織瀬(おりせ)はぐっと喉元で感情を抑え込んだ。


「──龍守(たつもり)殿が許すかどうかは問題ではありません。私はこの橘花(きっか)国の皇女です。国の未来のために、最良の選択をいたします」

「……何だって?」

「念の為、先程の伝言に加えてこちらも龍守(たつもり)殿にお伝えください。──決して、私を追おうなどとしないでください。あの夜の約束を果たせぬことは申し訳ありませんが、どうか橘花(きっか)国を頼みます──と」


 それだけ言うと、織瀬(おりせ)は隼人(はやと)から顔を逸らした。


「さあ、参りましょう。豺牙(さいが)将軍」

「ああ」

「おい、勝手なこと言ってんじゃねぇよ! 俺は龍守(たつもり)と約束したんだ、必ず姫さんを守るって! ……くそっ、テメェらそこをどけ!」


 行手を阻む敵兵を薙ぎ払う間に、豺牙(さいが)と織瀬(おりせ)を乗せた馬の姿が、隼人(はやと)の視界のなかでどんどん小さくなっていく。


「畜生、待ちやがれ豺牙(さいが)! ……姫さんッ!」


 もはや届くことのない絶叫が、荒野に響き渡った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。