第四十一章 願い
翌日、青天のもとで龍守たちは作戦の最終確認を行なっていた。
織瀬の描いた桜華周辺の地形図と宮城の見取り図を前に、鷹比古が口を開く。
「帝都で新たに加わった者たちを数えれば、今の我らの兵力はおよそ八千。桜華の兵はこの四倍と考えられるため、正攻法でいけば勝ち目はございません。しかしながら斥候たちからの報告によると、葛城公爵の求心力低下もあり桜華の兵たちの士気はそれほど高くないとのこと。そしてこちらの──」
鷹比古の骨ばった指の先が、図面の線のひとつをなぞる。
「──翠蓮皇女殿下がご存じだった秘密通路を使えば、葛城公爵のもとまで労せずして辿り着くことが可能です」
「ここにもそんなもんがあるのか……。これも姫さんの親父さんが作ったのか?」
呆れと感心が混ざったような隼人の問いかけに、織瀬は苦笑した。
「さすがに全てではありませんが……この赤字で記した通路については私の父が作らせたものなので、存在を知っている者は私と珀亜のみです。よって他の道を使うより危険は少ないかと」
織瀬の言葉に無言で頷く鷹比古の横で、倶知比古が軽く手を挙げる。
「龍守様、私からもひとつご報告が。桜華から逃れてきた民からの情報ですが、隼人殿の兄君──東苑軍の加々美将軍が内応の罪で捕縛された模様です」
倶知比古はちらりと隼人を窺うが、隼人は僅かに肩を竦めるのみだ。その代わりに鷹比古が、顎に手を当てながらひとつ嘆息した。
「成程、私の配下が加々美将軍と接触出来なかったのも道理ですな。……すでに捕縛されていたとは」
鷹比古の口調には、かすかに隼人への配慮が滲む。しかし当の隼人はあっけらかんとしたものだ。
「ま、ちょっと調べればうちと那岐山家の繋がりも分かるだろうし、むしろ今まで無事だったのが不思議なくらいだぜ」
「加々美将軍はそのあたりの立ち回りがお上手ですからな。……しかし加々美将軍と連携できれば良かったのですが仕方ない。龍守様、この上は次善の策を採って──」
そう言いかけた鷹比古が不意に口を閉ざし、その眼差しを上座へと向けた。それに釣られるように、隼人と倶知比古も視線を巡らせる。
彼らの視線の先にいるのは、主君である龍守である。織瀬もちらりと隣の龍守の表情を窺う。軍議の開始からほとんど一言も発することなく、ただ黙然と座す龍守は、家臣たちの議論が途切れたことにも気づいていないかのようだった。
「おい龍守、珍しく存在感ねぇじゃねぇか。……今の俺たちの話、聴いてたか?」
口調こそ非難するような響きを持つものの、隼人の鳶色の瞳はどこか気遣わしげだ。それに対して龍守はゆっくりと口を開く。
「……聴いている。こちらの兵力八千に対し桜華の兵は三万から三万五千。正面からかかっても勝機はないが、皇家の地下通路を使えば雑兵の相手をせずに葛城乙彦の元へ辿り着ける。可能ならば朱鷺也殿と連携を取り内部から切り崩したかったが、朱鷺也殿が捕縛されてしまった。よってなるべく派手な戦闘を起こし敵の注意を引きつけ、その隙に別動隊が葛城乙彦の首を獲る。──俺もその作戦で異論はない」
淡々とした龍守の発言を聞き、隼人がぐしゃぐしゃと短髪を掻き回す。
「聴いてたんなら何か言えよ、調子狂うな……。じゃ、葛城乙彦暗殺班は俺と鷹比古で、倶知比古はいつも通りじゃじゃ馬たちと一緒に姫さんの護衛、龍守には正門で暴れてもらうってことで──」
「いや。お前たち──隼人と鷹比古は、織瀬姫とともに桜華を離れろ」
「え……」
織瀬は思わず目を見張った。
「龍守様、織瀬姫様が桜華を離れるとは一体……」
「どういう事だよ龍守!」
「……何をお考えですか、龍守様」
龍守の指示に、隼人と倶知比古は驚きを口にし、鷹比古は怪訝そうに眉を寄せた。しかし龍守は全く意に介すことなく言葉を続ける。
「本隊の指揮は倶知比古に任せ、葛城乙彦のところへは俺が向かう」
「はあ? 何だそれ、意味解んねぇよ!」
「龍守様、先生と共にならともかく、私ひとりで本隊の指揮は荷が重すぎます……!」
隼人と倶知比古が口々に抗議の声をあげる中で、鷹比古だけは唇を引き結び静かに龍守を見つめていた。その研ぎ澄まされた眼差しに、龍守は紅い瞳を向ける。
「鷹比古。お前の見立てでは勝率はどれくらいだ」
「……五分五分、と言ったところですな。歴史上寡兵で大軍を破った例は少なくありませんが、今回の戦いがその前例に並ぶことができるかどうかは、蓋を開けてみねば何とも言えませぬ。士気が低いとはいえ葛城公爵側の軍は正規兵、対してこちらは那岐山家の兵以外は寄せ集めですからな」
「そうか、お前にしては楽観的だが……まあ良い。その五分の確率で負けた場合、敵は確実に織瀬姫を狙ってくる。今の俺たちの挙兵にかろうじて正当性を与えているのは、織瀬姫の存在だからな」
そして龍守は、傍らの織瀬に視線を移した。
「織瀬姫」
「……はい」
「申し上げました通り、貴女には今から本陣を離れていただきます」
「龍守殿、その判断の理由をお聞かせ願えますか」
織瀬の真摯な眼差しと、龍守の紅い瞳が交わる。
「貴女もお気づきとは思いますが、帝都から桜華への途上、我々はあえて貴女の存在を誇示するような行軍を行いました。騎乗する貴女の姿を見たと、葛城家側の斥候が桜華へ伝えているでしょう」
龍守はすっと紅い瞳を細めた。
「俺たちの狙いが葛城乙彦であることに対し、敵の狙いは貴女です。貴女がもし本陣に留まった場合、数に劣る我々は貴女を守るために十分な兵を割くことができない。……ここまで申し上げれば、聡明な織瀬姫ならご理解いただけますね?」
「……はい。ですが……」
織瀬は頷くが、龍守の指示に対しての疑問は払拭できなかった。これから戦が始まろうという時に、武と知それぞれの要といえる隼人と鷹比古をあえて側から離そうとする龍守の判断には、違和感を感じざるをえない。
「……龍守殿、私には菊理と明瑠がおります。この上隼人殿と鷹比古殿と共にというのは、護衛の数が過剰ではありませんか?」
「俺としては菊理と明瑠には、むしろ桜華に残ってもらいたいのです」
戸惑う織瀬へ、龍守は語りかける。
「彼女たちが留まりその姿を見せることで、織瀬姫が本陣にいると敵に錯覚させられます。それにあの二人は、貴女に次いで桜華の構造を熟知している。宮城に突入するにあたって、俺とともに来てもらいたいのです。……もちろん、主である貴女の許可をいただければですが」
「……」
織瀬は無言のまま視線を那岐山家の家臣たちへと向けた。隼人、鷹比古、そして倶知比古──三人それぞれに困惑の表情を浮かべてはいるものの、彼らは口を開こうとはしない。
(──みな私の決断を待っているのね)
そう解釈した織瀬は、ひとつ息をついたのち、真っ直ぐに龍守に向き直る。
「……分かりました、龍守殿。私は貴方の判断に従います」
*
それから、半刻ほど後。
慌ただしく出立の準備を整えた織瀬は、隼人と鷹比古とともに再び龍守と見えていた。
「隼人、鷹比古。織瀬姫を頼んだぞ」
「かしこまりました」
「おう、全力で守るから心配すんな」
鷹比古は恭しくこうべを垂れ、隼人は快活な笑みとともに胸を叩いた。
「……何が頼んだよ。姫様を守るのはあたしたちの役目なのに……」
隣からぼそりと不満そうな呟きが聞こえてきて、龍守 の背後にいた倶知比古は堪らず苦笑する。
本来であれば常に織瀬の傍にいるはずの二人の侍女たちは、すっかり那岐山家の家臣たちに溶け込んでいた。
「このクソ野郎。なんであたしたちが姫様と離れなきゃなんないのよ」
「……」
菊理は唇を尖らせ、普段ならそれをすかさず諫めるはずの明瑠さえ、むっつりと押し黙っている。
「明瑠、菊理」
織瀬は歩み寄り、侍女たちの手をそっと握った。
「貴女たちが私を大切に思ってくれていること、心から感謝しているわ。……戦場に残さなければいけないことは申し訳ないけれど、どうか龍守殿に協力して頂戴」
「姫様……」
「……姫様のお願いならしょうがないけど、後で特別手当もらいますからね!」
「ありがとう、二人とも。──龍守殿。明瑠と菊理のこと、どうかよろしくお願いいたします」
「無論です。この戦の後、必ず無事に貴女の元へお返しいたします」
そして龍守は、織瀬の前に跪く。
「──そして貴女との約束も、必ず果たしてご覧にいれます」
軍装の上をさらりと金の髪が滑る。
低頭する龍守を見下ろす織瀬は、僅かに躊躇うように翡翠色の瞳を揺らしたが、やがて何かを決意したように自分の髪に手を当てた。
「……龍守殿、貴方にこれを託します」
織瀬は龍守の前に膝を付くと、髪を纏めていた簪をそっと引き抜いた。
「……織瀬姫?」
織瀬の肩から背へと艶やかな黒髪が流れる様を、龍守が不可解そうに見つめた。簪に嵌め込まれた宝玉と同じ色の瞳で、織瀬は龍守の紅い瞳を見つめ返す。
「翡翠は古来より生命の象徴と言われています。また、持ち主を災いから遠ざけるとも……。どうか貴方が持っていてください」
微笑みながら、織瀬は簪を差し出した。龍守は一瞬戸惑ったような表情を見せたが、すぐに見慣れた笑みを浮かべる。
「戦に向かう男に装身具を託すとは……。織瀬姫、貴女はその意味を理解しているのですか?」
「……え?」
「まあ、いいでしょう」
龍守は可笑しそうに肩を揺らした後、再び恭しく頭を垂れた。
「翠蓮皇女殿下、叶うならば手ずからその簪を私の髪に挿してはいただけませんか?」
冗談めいた龍守の口調に、織瀬は一瞬目を見張ったが、すぐに唇を綻ばせる。
「はい。……失礼いたします」
満月の光を思わせる金髪に、そっと銀の簪を挿し入れた。簪に嵌め込まれた翠色の輝きが、龍守の金髪に思いのほか良く映えている。
「龍守殿、ご武運をお祈りしております。……どうかこの橘花国を、貴方の手で救ってください」
そう口にする織瀬の心は、頭上の青天のように澄み切っていた。




