第三十八章 迷い
帝都を発してから丸一日。桜華へ辿り着くためには、まだ数日の道程が必要だった。
その道中でつねに龍守から半歩ほど遅れて付き従っていた隼人が、ゆっくりとその傍らに馬を並べる。
「──なあ龍守、お前一体どんな魔法を使ったんだ?」
不意に投げられた疑問に、龍守は目線を真っ直ぐに前へと向けたまま応じる。
「……何がだ」
「惚けんなよ。安比家が抜けて、豊雲家と冬院家を帝都に置いてきたのに、なぜか兵の数が増えてんじゃんか!」
親指で背後を示しながら叫ぶ隼人に対して、思考を中断された龍守は溜め息で返した。
「何だ、そんなことか」
「何だじゃねぇよ! いきなり千人単位の兵の指揮を取れとか無茶振りが過ぎるだろ! 味方が多いのは良いことだけどよ!」
「だったら問題ないだろう。……それと、魔法という表現は大袈裟だ。単に葛城乙彦から見捨てられた貴族家の者たちや、帝都の一部の民が志願兵として加わっているだけだからな」
龍守はそう事も無げに言うが、隼人は鳶色の瞳を見張る。
「……マジか。どうやって仲間にしたんだよ?」
「出立の準備をしていたら、向こうから軍に加えてくれと言いにきた。……ああ、そういえばその中に秋葉子爵もいたな。別の部署に推薦するという約束も果たせておらぬし、代わりに何か適当な将軍位でも与えておくか」
「この人誑しめ。……だけど民はともかく貴族ねぇ。お前あんまり貴族サマたちからの評判良くねぇじゃん、その辺大丈夫なのかよ? 路保みたいに揉めるの嫌だぜ、俺は」
言葉の内容とは裏腹に、大して心配などしていないような隼人の調子に、龍守は肩を竦める。
「とりあえず、葛城乙彦をどうにかするまではこちらに付くだろう。──その後は知らんがな」
「あ〜そういうことか……。じゃ、兵糧は?」
「厳しいな。帝都の民にもそれなりの量を回さねばならぬし、今後のことを考えれば現地調達──掠奪などもってのほかだ。野磨に遣いは出してあるが、そろそろ桂州の倉庫も空になる」
「……ってことは」
「余り悠長に構えておられぬ。兵糧の件がなくとも、葛城乙彦が新都に根を張りきる前に叩くのが最善だ」
「短期決戦ってことか。……お前の得意分野じゃねぇか」
隼人はにやりと笑うが、龍守はほとんど表情を変えぬまま馬を進める。
「ああ。一気に桜華を攻め葛城乙彦の首を獲り──そして、この国の政事をあるべき姿に戻す」
「……あるべき姿、ね」
いつもの龍守であれば、ここで自信ありげに笑うであろう。その反応が普段とは異なる事に違和感を覚えつつも、隼人は会話を続ける。
「それ、お前の頭のなかにはもう見えてんだろ?」
そこで龍守は、初めて隼人のほうをちらりと見やった。
「隼人にしては珍しく迂遠な言いかたをするな。……何が言いたい?」
「いやさ、俺がお前にこんな事言っても釈迦に説法だろうけど──国ってさ、悪人ぶっ倒したらそれで良くなるってわけでもねぇじゃん。その辺お前のなかには何かビジョンっていうか……考えがあるんだろ?」
「……」
「順当にいけば南陽皇子──姫さんの弟が次の皇帝なんだろうけどさ、まだ子どもじゃねぇか。ま、あの姫さんの弟だし前の皇帝よりかはマシなんだろうけど」
沈黙を貫く龍守に構わず、隼人は言葉を続ける。
「どの世界でも、子どもが皇帝になって良いことなんかねぇぜ? 前の皇帝も葛城乙彦の隠れ蓑に使われただけだし、俺が居た世界でも歴史の授業で摂関政治がなんたらとか……とにかく、ろくな事にならねぇよ」
馬上で大きく伸びをしながら、隼人は幾分投げやりな口調で言った。
一方龍守は紅い眼差しを前方に戻し、慎重に言葉を紡ぐ。
「……南陽皇子は聡明だと聞く。優秀な補佐役が付けば問題なかろう」
「それ、誰がやるんだ? ちゃんと選ばねぇとまた葛城乙彦みたいな奴につけ込まれて、結局は元の木阿弥ってことになりかねねぇぜ?」
「……隼人、言いたい事があるならはっきり言え。今のお前はまるで鷹比古が乗り移ったようだ」
僅かに苛立ちを滲ませた龍守に向かい、隼人はふっと口角を上げる。
「じゃあ単刀直入に言うけどよ、お前はやる気はねぇの? 侯爵なんだから家格は問題ねぇだろ?」
「……家格は問題なくとも横槍は入るだろう。織瀬姫にも言ったが、我が家の爵位は金で買ったものだ。そもそも俺を目の敵にする貴族が、路保を筆頭に三十家ほどいる」
「ま、そうだよなぁ。……じゃあさ、もうお前が皇帝になっちまえばいいじゃねぇか」
「──隼人」
龍守は紅い瞳でぎろりと傍らの親友を睨めつけた。
「お前、誰かに下らぬ入れ知恵でもされたのではなかろうな? ──そもそも俺が天下を獲ったら、お前の言う物語は破滅するのだろう?」
「いや、それはそうなんだけどよ。ただ姫さんが本筋から離れたことやり過ぎたせいで、もうストーリーも破綻しまくりだし……。今ならお前が天下獲るのも有りかなって。そうあれだ、隠しエンディング的な? 俺は仕込んだ覚えねぇんだけど」
「お前の言っている意味が一寸たりとも分からん。……俺に叛逆者になって、織瀬姫を裏切れとでも言うのか?」
龍守は忌々しげに舌打ちした。
「今の俺の目的は、織瀬姫との契約を果たすこと。──それだけだ」
「そしたらお前、姫さんと結婚するんだろ? 皇帝になっても何の問題もねぇじゃん」
「皇女は婚姻によって臣籍降下し、その配偶者に皇位継承権が付与されることはない。……この国の常識だ、頭に叩きこんでおけ」
「でもお前常識とか嫌いじゃなかったっけ」
「……殴るぞ」
口調は強いものの、龍守の表情はどこか浮かなげだ。
「隼人までそんな事を言い出すとはな。……そこまでこの国は破綻しそうか」
「お前だって分かってんだろ。どう考えても、このままじゃ今の皇家は保たねぇぜ」
「……だから考えているのだ。織瀬姫を悲しませずに、この国を建て直す方法をな」
龍守は気遣わしげな眼差しを背後に向ける。
かろうじてその表情が判別できるほどの距離で、龍守が懸念する美しい皇女が、静かに馬の背に揺られていた。両脇を侍女たちに守られながら、時折あの花開くような笑顔を見せている。
織瀬の佇まいは皇族らしく凛としたものだったが、その奥にある脆さを知っている龍守は、どうしても最後の決断を下せずにいた。




