第三十四章 廃都
橘花国の歴史は、約二百年を数える。建国当時の都はここより西方に位置する桜華であったが、建国百年の節目を期に遷都が行われた。場所が遷されても帝都は変わらぬ栄華を誇っていたのだが、その華が散るのは一瞬だった。
都の外縁に配された平民たちの居住区も、貴族たちに与えられた豪勢な邸宅も、今ではその違いが分からぬほど等しく瓦礫の山と化していた。
「──ったく、逃げるんなら自分たちだけ逃げりゃいいものを、何で民衆を巻き込むかねぇ……っておい、倶知比古。お前は力仕事向いてねぇんだから、あっちで姫さんたちと一緒に怪我人の手当てでもしてろって」
「いえ、それが……あちらでも私は余りお役に立てぬようなので……」
生存者を探すために瓦礫をひっくり返す隼人の横で、倶知比古がやり切れなさそうに呟く。
「帝都に残されたのは女性や子どもたちが多くて……手当ても女性がしたほうが良いだろうと、菊理殿に追い出されました」
「……成程な。じゃあとりあえず俺がどんどん瓦礫片付けるから、お前がその下調べろ」
「承知しました」
そこここで焦げたような臭いが漂う廃都で、隼人や倶知比古はときどき配下の兵たちに指示を飛ばす以外は、ただ黙々と作業を続けた。
*
煌びやかだった皇宮も、まるで羽をもがれた蝶のごとき無惨な様相を見せていた。ほんの数ヶ月前、葛城乙彦暗殺未遂事件の現場となった朝堂に佇みながら、龍守は形良い眉を寄せる。
(相当慌てて出て行ったようだが……何か違和感がある。何か、誰かの手の上で踊らされているような……)
己が最も嫌う可能性に思いが至り、龍守はひとつ舌打ちをした。
「──龍守殿。お伝えしたいことがあるのですが、入ってもよろしいでしょうか?」
そこへ入室の許可を求める声が響く。
「構わん。どうぞ入ってくれ、青弦殿」
そう龍守が応じると、穏やかな雰囲気を纏った青年が、それぞれに印象的な風貌を持った二人の従者とともに朝堂へ入ってきた。
「龍守殿。貴族の居住区の捜索は一通り終わりました」
着物だけでなく髪や頬まで煤で汚しながらも、青弦は貴族らしい柔和な表情を崩さない。
「何人か怪我人がいたから、お姫様たちに手当てしてもらってるぜ!」
「火事場泥棒を数人捕まえましたので、とりあえず縛り上げておきましたが……いかがいたしますか?」
青弦と同様に煤と埃まみれになったその配下たちが、龍守にそう問いかけた。雷矢は底なしの体力の持ち主なのかさほど変わった様子はないが、青弦と建日の表情には疲労が色濃く見える。
そんな彼らに、龍守は労いの言葉をかける。
「青弦殿、ご協力に感謝する。建日と雷矢もご苦労だった。──捕らえた者たちは、とりあえず地下牢にでも放り込んでおくか。皮肉なことに、中の者たちも含めてそこが一番無事なようだしな」
調度も殆どが持ち去られており、さながら嵐のあとのような皇宮の有様を思い浮かべ、龍守は深く息を吐いた。
「……青弦殿には申し訳なかった。貴方にあの広い区画を全て任せてしまって」
「いえいえ、どうぞお気になさらず。建日と雷矢もおりますし、那岐山家の家臣のかたがたをお貸しいただいているのですから、こちらが礼を言わなければいけないくらいです」
慌てたように顔の前で両手を振る青弦に、雷矢も同調する。
「そうそう。お前が謝ることねーよ、龍守! つーかさ、安比何ちゃらは手伝いもしねーで、ずーっと外で何やってんだよ?」
「……酒盛りをしているようだ」
龍守はこめかみを押さえながら、搾り出すように言った。雷矢は一瞬ぽかんと口を開けたのち、太い眉を吊り上げる。
「はああ!? どっから持ってきたんだよ酒なんて! 俺なんかもう何日も呑んでねぇんだぜ!」
「……それこそ貴族の屋敷跡からだろうな」
「んだよそれ!? 俺らは龍守が盗みは禁止って言うから真面目に守ってんのに! おい龍守、安比家の奴らも地下牢に放り込んでいいか!?」
「すでに実行犯を十人ばかり叩き込んだのだが、指示役が路保なのでな……。せめて一発殴りに行こうと思ったのだが、初臣と鷹比古に止められた」
「ええ〜何だよそれ。やっちまえば良かったのに! じゃあさ龍守、俺も行くから内緒でそいつぶん殴って──」
「雷矢、いい加減にしろ」
建日が背後から雷矢の後頭部を叩いた。
雷矢の怒涛のような言葉が途切れたところで、青弦が苦笑混じりに龍守に問いかける。
「初臣殿に路保殿を諌めてもらうことは……期待できませんか」
「無理だな。まあ、初臣だけでもこちらに協力しているだけ良しとしよう」
「……路保殿は何を考えていらっしゃるのでしょうね。名目上は我ら連合軍の盟主であられるのだから、率先して指揮をとるべきだし、本人も頼まれずともそうすると思っていたのですが」
「ああ、俺もそれを期待していたのだがな。だが実際は全てこちらに丸投げだ。……路保め、何か良からぬことを企んでいなければ良いのだが」
「……まあ私個人の意見としては、龍守殿の指示に従っていたほうが安心感がありますからね。下手にでしゃばられるよりは、酒盛りでもしていてくださったほうがありがたい」
「青弦殿、貴方もなかなか毒舌なのだな」
ふっと龍守が皮肉っぽく唇を歪めると、青弦はばつが悪そうに頬を掻いた。
「もっとも私が言えた義理ではありませんがね。……あの反乱の折、路保殿に従った己の不明を恥じ入るばかりです」
そう苦笑する青弦の横で、雷矢が首を傾げる。
「……何であんな馬鹿殿が青弦様と同じ公爵なんだ?」
「こら雷矢、口を慎め。どこで安比家の者が聞き耳を立てているか分からないのだから。……青弦様もですよ」
「うん。ごめんね建日」
家臣の苦言に、青弦は素直に頭を下げた。
龍守は豊雲家の主従のやりとりに紅い瞳を細める。
「さて、では俺は後宮の様子を見に行くとするか。あちらは鷹比古に任せているのでな。……青弦殿たちは休息を摂るといい。僅かばかりだが外で炊き出しもしている」
「マジで!? いっぱい働いてたから腹減ってたんだ〜。早く行こうぜ青弦様!」
「……雷矢、みんなの食事なんだからね。一人で食べ尽くしちゃ駄目だよ」
「分かってるってそんなの! じゃ、またな龍守!」
屈託なく手を振る雷矢の背を、建日が勢いよく叩く。
「痛ってぇ! 何すんだよ兄貴!」
「黙れ雷矢。何度も言うが那岐山侯爵にその口調は止めろ!」
「龍守殿……いつもいつも雷矢が申し訳ない」
実力行使で雷矢を嗜める建日を見やり、青弦が困ったように頬を掻く。陣中でも幾度となくあったそのやり取りにかすかに唇を緩めると、龍守は朝堂を出て後宮へと向かった。
*
「──龍守様。丁度良かった、今遣いをやろうと思っていたのです」
侵入を阻む衛士の姿すらない後宮の門をくぐると、眉間に深い皺を刻んだ鷹比古が歩み寄って来た。
「どうした鷹比古。また一段と辛気臭い顔をしているな」
「これでも自制しているのです。──龍守様、後宮の井戸を浚ったところ、ごく最近のものと思われる遺体が二体上がりました。一人は龍袍を纏った少年、もう一人は貴人と思われる女性です。……歳の頃はおそらく三十半ばほどかと」
鷹比古の報告を聞き、龍守は眉根を寄せる。
「三十半ばの貴人だと? 今の後宮には、皇帝陛下に吊り合う二十歳前の女しか居らぬはずだが。下働きならともかく、高貴な女で三十半ばとなると──」
「ええ」
鷹比古が苦い顔で頷く。
「皇太后陛下しかおりません」




