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第三十二章 悲嘆

 まるで仮面を被ったように不自然な龍守(たつもり)の表情を見た瞬間、織瀬(おりせ)は彼が良くない知らせを伝えに来たことを直感的に悟った。


織瀬(おりせ)姫、お伝えせねばならぬことがございます。貴女の弟君が──皇帝陛下が、崩御なされたようです」


 どくん、と心臓が大きく脈打った。まるで砂嵐に襲われたように、視界が灰色で埋め尽くされていく。自分の名を呼ぶ龍守(たつもり)の声が、ひどく遠くに聞こえた。


「──織瀬(おりせ)姫、お気を確かにお持ちください」


 両肩に力強いぬくもりを感じた。いつの間にか地にへたり込んでしまった織瀬(おりせ)の肩を、龍守(たつもり)の両手が支えている。


龍守(たつもり)殿……そんな、佐穂彦(さほびこ)が……死……」


 織瀬(おりせ)の頭のなかを、前世の記憶が巡った。──前世の仇敵だった龍守(たつもり)は、今世では織瀬(おりせ)の協力者となっている。過去で失われていた隼人(はやと)の右腕は無事であり、侍女たちも何事もなく織瀬(おりせ)のそばに仕えている。多くの出来事が前世とは変わっている。

 それでも、全てを救うことは出来なかったのだ。





「私は……私は何と浅はかなのでしょうか。運命を変えられると驕っていたことへの、これが罰なのでしょうか」


 ぽつりと呟かれたその言葉の意味を図りかねて、龍守(たつもり)は眉根を寄せる。


織瀬(おりせ)姫……?」

「殺すなら……私を殺せば良かったのに。自分の失態の責任は私がとるべきなのに……なぜ、佐穂彦(さほびこ)を……」


 翡翠色の瞳は虚ろに乾いたままだったが、細い指先がかたかたと震えている。


「ごめんなさい、ごめんなさい佐穂彦(さほびこ)……。私が愚かなばかりに……」

織瀬(おりせ)姫」


 龍守(たつもり)は再びそう呼びかけるが、その瞳は伏せられたまま龍守(たつもり)を見ようとはしない。悲嘆に暮れているのは明らかなのに、涙ひとつこぼさず己を責め続ける織瀬(おりせ)の姿は、龍守(たつもり)の眼にひどく痛々しく映った。


(このような時は、抱き寄せて慰めるべきなのだろうが……)


 軽々しくそのような行動をとることが躊躇われて、龍守(たつもり)は伸ばしかけた腕を下ろす。


織瀬(おりせ)姫も、このような事態は当然覚悟していただろう。皇族に命の危険があるゆえに、由比(ゆい)飛燕(ひえん)を皇宮に潜入させるなどという危険な策を取らざるをえなかったのだから……)


 鷹比古(たかひこ)が非難したように、龍守(たつもり)もこの一件については無謀であると感じていた。

 しかし自分の身内が危険に晒されている状況で、しかも隠し通路という存在があるのならば、龍守(たつもり)とておそらく織瀬(おりせ)と同じ行動をとっていたことは疑いない。実際龍守(たつもり)織瀬(おりせ)を皇宮から連れ出した件も、無謀であったという点は変わらないのだ。

 龍守(たつもり)が成功し、今回の一件が失敗したのは、運の良し悪しに依るところも大きいだろう。


(そう、運が悪かった……。しかし、本当にそれだけか?)

 

 胸のうちで疑問が首をもたげるが、その疑問を処理するよりも今優先すべきは織瀬(おりせ)である。龍守(たつもり)織瀬(おりせ)の瞳を真剣な眼差しで見つめる。


織瀬(おりせ)姫、お聴きください。……葛城(かづらぎ)乙彦(おとひこ)は残された皇族や官吏、民たちを連れて帝都を出たそうです」

「帝都を……。まさか、遷都……行き先は桜華(おうか)ですか」

「……その通りです」


 まるで未来を見てきたかのようなその発言を訝しみつつ、龍守(たつもり)は頷きを返す。


「……私のせいです。あのような地下通路が存在する宮などに、葛城(かづらぎ)公爵が居座るはずがありません。帝都を追い立てられた者たちに、何と謝罪すれば良いのか……」

織瀬(おりせ)姫。ご自身の行動を反省することは必要ですが、自責の念にかられている暇があるなら別のことに眼を向けるべきです」

「別のこと……」

「申し上げました通り、この遷都はおそらく突発的なものです。同行を躊躇った貴族は財産を掠奪され、民を帝都から出すためにそこここで放火や家屋の破壊などが行われたようです」

「そんな……」

「これから諸将を集めて軍議を行います。そこで俺は葛城(かづらぎ)乙彦(おとひこ)を追撃するのではなく、帝都に残された民たちを慰撫することを第一とすべきと提案するつもりです」

「民たちを……」


 ようやく顔を上げた織瀬(おりせ)に、龍守(たつもり)はそっと微笑みかける。


「そうなれば、貴女の手をお借りすることもあるでしょう。……どうか過剰にご自身をお責めになりませぬよう。冷たいようですが、起こってしまった出来事を変えることはできません。今はこれから何を為すべきか、それを共に考えましょう」

龍守(たつもり)殿……」

織瀬(おりせ)姫、貴女はどうやら悲しむことが不得手のようですね。……今ここには俺しかおりませんから、泣いても構わぬのですよ」


 昨夜織瀬(おりせ)龍守(たつもり)に対して言ったものと似た言葉をかけると、みるみるうちに織瀬(おりせ)の顔に感情の色が滲んだ。先ほどまで生気が感じられなかった翡翠色の瞳から、雫がひとつこぼれ落ちる。すると堰を切ったように両目から涙があふれ、花びらのような唇から嗚咽がもれた。


「私……私、弟を助けたかったんです……。私ひとりだけ逃げてしまったことが、申し訳なくて……私のことは貴方が助けてくれたから、今度は私が弟たちを助ける番だと……」


 震える華奢な身体は、ひどくか弱く見えた。今度は自然と伸びた龍守(たつもり)の手が、宥めるように織瀬(おりせ)の背をさする。


葛城(かづらぎ)乙彦(おとひこ)豺牙(さいが)、そして紅蘭(こうらん)皇女──。お前たちにもお前たちなりの理由があるのだろうが、織瀬(おりせ)姫の涙の分の償いはしてもらうぞ)


 遠く離れた新都桜華(おうか)に狙いを定めるように、龍守(たつもり)は紅い瞳を細めた。





「──那岐山(なぎやま)侯爵。姫様をお慰めくださり、ありがとうございます」


 織瀬(おりせ)の様子が落ち着いたことを見届けた龍守(たつもり)が天幕を出ると、皇女付の二人の侍女が深々と頭を下げた。織瀬(おりせ)は今、天幕のなかでひとり横になっている。後は織瀬(おりせ)自身で心の整理がつけられるまでは、邪魔をするべきではなかった。


「立ち聞きとは無粋な真似をする……と言いたいところだが、お前たちの立場上仕方ないか」


 途中から天幕の外に気配を感じていた龍守(たつもり)は、軽く肩を竦めた。すると、菊理(くくり)がぽつりと呟く。


「……あたし、あんたのこと誤解してたわ」

「ん?」

「眼の前に傷心の美女がいたら、迷わず押し倒す奴かと思ってた」

「おい、菊理(くくり)!」


 明瑠(あかる)が慌てて、菊理(くくり)の二つに束ねた髪の片方を引く。


「ははっ。まあ、その認識はあながち間違ってはいないがな」


 乾いた笑いを響かせたのち、龍守(たつもり)は複雑そうに唇を歪める。


「……あのように純粋な姫君を、俺が穢すわけにはいかんだろう」

「……?」


 自嘲的ともいえるその言葉に侍女たちは小首を傾げるが、龍守(たつもり)は誤魔化すように話題を変えた。


「ところでお前たち、今回の事の顛末は聞いているな?」

「……はい。倶知比古(くちひこ)殿から聴きました」

「それにしてはお前たち、あまり動揺していないのだな」

「私たちは翠蓮(すいれん)宮の侍女です。皇帝陛下とはあまり接点がございませんでしたから──」

「さすがに可哀想だとは思うけど……あたしは皇帝嫌いだったから、別に」


 投げやりな菊理(くくり)の発言に、明瑠(あかる)が慌てる。


菊理(くくり)、お前はまた……!」

明瑠(あかる)だって気づいてたでしょ! あの子──皇帝はいつもいつも姫様に甘えてたけど……時々、葛城(かづらぎ)乙彦(おとひこ)と同じ眼で姫様を見てたんだから!」

「……」


 明瑠(あかる)は無言で唇を噛む。

 由比(ゆい)飛燕(ひえん)の証言を裏付けるような菊理(くくり)の叫びに、龍守(たつもり)はこめかみを押さえた。


「……菊理(くくり)。今の発言、織瀬(おりせ)姫の前では慎めよ」

「分かってるわよ、それくらい。でもあんたには言っておいたほうがいいでしょ」

「……どういう意味だ」

「え、嘘でしょ惚けてんの? ……まあ良いわ。私はまだちょっと疑ってるけど、姫様は完全にあんたのこと信用してんの。だから絶対裏切らないでよね」

「言われるまでもないな、それは」


 面白い冗談を聞いたように、龍守(たつもり)は形良い眉を上げた。


「では俺は軍議があるのでもう行くぞ。……それこそ言われるまでもないだろうが、織瀬(おりせ)姫を頼んだぞ」


 龍守(たつもり)はふっと唇を緩めると、その場を去って行った。


「……お前の物怖じのなさはどこから来るんだ、菊理(くくり)。私は肝が冷えたぞ」


 すっかり高くなった陽の光のもと、輝く金の髪が見えなくなってから、しばらくして。明瑠(あかる)が呆れたような溜め息混じりに言った。

 それに対し、菊理(くくり)は不本意そうに頬を膨らませる。


「だって一応釘は刺しとかないじゃない。効くかどうかは分かんないけど……。姫様あんなに頑張ってたのに結局皇帝は殺されちゃったし、珀亜(はくあ)様もたぶん桜華(おうか)に連れてかれちゃったんでしょ? このうえ那岐山(なぎやま)龍守(たつもり)にまで裏切られたら……」

「──私は今の那岐山(なぎやま)侯爵が裏切るとは考えづらいと思うが」

「あたしもそう思うけど、あいつ姫様の前世でやらかしてるみたいだし、用心するに越したことないでしょ。……それに、今の姫様は那岐山(なぎやま)龍守(たつもり)のこと信用しきってる。もしあいつに裏切られたら、今回の事以上に姫様は……」

「……そうだな」


 明瑠(あかる)菊理(くくり)は、織瀬(おりせ)のいる天幕に向けて憂うような眼差しを向けた。

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