第三十章 紅蘭の企み
朝堂で伯父である葛城乙彦──決して、父などではない──と対しながら、紅蘭は込み上げてくる笑いを押し殺すのに必死だった。
(何よ、伯父様も結局のところ俗物じゃない。あんなに佐穂彦や私のことを殺したがっていたくせに。いざ眼の前に死体を転がされると、あんなにも動揺するなんて)
扇の陰で忍び笑いをする紅蘭の視線の先で、乙彦が豺牙に詰め寄っている。実のところ、乙彦が激昂しているのは皇帝を殺害したことそのものに対してではなかった。その怒りは皇帝の死が他殺であることを隠蔽する工作が不足しているためだったのだが、政事に興味のない紅蘭は知る由もない。
「豺牙、貴様自分が何をしたか分かっているのか? これでは病死を装うこともできぬ」
「なぜ怒るのだ? 葛城公爵とて皇帝を除きたがっていたではないか。あの反乱の火事を利用して──」
「あれは焼死に見せかけ、罪を反乱軍の連中に被せられる状況だったからだ。全く余計なことをしてくれたな……」
そう吐き捨てながら、乙彦は足下で啜り泣く女を面倒くさそうに見下ろす。
「螺鈿よ、そろそろ泣くのは止めろ。これからのことを考えねばならぬというのに、お前はまだ──」
「……まだ? まだ泣いていて何が悪いの!?」
涙で崩れた厚化粧の下で、螺鈿が顔を歪ませた。
「佐穂彦が……私の息子が殺されたのよ、そこの獣のような男に!」
「はっ……死んだ途端に母親面か。今まで見向きもしなかったくせに、白々しいことよ」
「お兄様はなぜ平気な顔をしていられるの!? 貴方の子でもあるというのに!」
「……」
乙彦はまるで汚物でも見るような眼差しを螺鈿へ向け、ひとつ舌打ちをした。
(なんてみっともないお母様。お父様に愛されず、伯父様からも疎まれて……)
いつも不遜な態度をとっていた母が、惨めに地に這いつくばっている。それを見れたと思えば、想定外だった皇帝殺害も許容範囲と言えた。
(私が一番になるためには……私より立場が上の女は潰しておかないとね)
事の全てが紅蘭の望みを叶えるために進んでいるようだった。このまま協力者の指示に従っていれば、いずれ憎い姉を排除し、念願の那岐山龍守を手に入れることができるだろう。
そう紅蘭がひとり悦に入っていた時、まるでそこに冷や水を浴びせるように豺牙が誰にともなく問いかけた。
「皇帝も地下道で言っていたな……。皇帝と紅蘭皇女は先帝の子ではないのか?」
乙彦と紅蘭が、同時に口角を引きつらせる。
「貴方は何を馬鹿なことを言っているのかしら。そんなことあるはずないでしょう? ……ねぇ伯父様、お母様は佐穂彦の死で気が触れてしまったのだわ。落ち着くまで表に出さないほうが良いのではないかしら。……そうね、暴室にでも入っていただくのはどう?」
「紅蘭、貴女……!?」
娘の裏切りとも言える提案に、螺鈿はぽかんと口を開ける。
「ああ、それは良い考えだな。……豺牙、皇太后陛下はご心労がたまっているようだ。暴室へお連れして治療を受けさせよ」
「分かった」
豺牙は無造作に螺鈿の腕を掴み、無理矢理に引き立たせた。
「何をするの、私は皇太后よ! お前のような下賤の者が気安く触れるなど……! お兄様、ねえ……せめて連れて行くならお兄様が連れて行って。お願いよ、お兄様……!」
「目障りだな。……豺牙、さっさと連れて行け」
「ああ」
豺牙に引きずられるようにして、螺鈿は朝堂を出て行った。初めは懇願するように兄を呼んでいたものの、扉を出た途端にそれは金切り声に変わる。だんだんと遠ざかっていくその声を聞きながら、紅蘭は勝ち誇ったような気分になった。
(さあ、五月蝿い女もいなくなったことだし、後は私が伯父様を丸め込めば……)
紅蘭は甘えるような上目遣いで、乙彦に話しかける。
「ねえ、伯父様。私から提案があるのですが、いっそのこと都を遷すのはどうかしら」
「なんだと?」
「だって、皇宮の地下にあんなものがあるなんて……。今この時にも、足の下で下賤の者たちが蠢いているかもしれないと思うと吐き気がしますわ。それに伯父様にとっても、いつ何時足下から敵が攻めてくるかもしれないなんて、よろしくないのではありませんか?」
「……確かにな」
思案する乙彦を見つめながら、紅蘭はわざとらしく眉根を寄せる。
「私がお父様からあの地下道の存在を知らされていたから良かったものの……そうでなくては今頃、皇帝陛下と南陽皇子を奪われて大変なことになっていましたわ」
本当は先帝からではなく協力者からの情報であったのだが、それを明かすことは紅蘭の自尊心が許さなかった。
「南陽皇子……。紅蘭よ、南陽皇子は今どうしている?」
「宮でお休みいただいておりますわ。強い薬を使いましたから、数日は目覚めないでしょう。……南陽に皇帝を殺したことを責め立てられたら厄介ですわ。あれが眠っている間にご決断いただいたほうがよろしいのではないかしら。……それでは、私も疲れたのでこれで失礼いたしますわ」
紅蘭は優雅に一礼すると、考え込む乙彦を置いて朝堂を出た。
*
「あら、もう戻って来たのね」
回廊の向こうから現れた大柄な影に、紅蘭は笑いかけた。
「お願いしたとおり、私が那岐山侯爵について言ったことは伯父様に伝えなかったのね。偉いわ」
「……俺は国がどうなろうと興味はない。俺が欲しいのは──」
豺牙は洞穴のような眼を紅蘭に向けた。紅蘭はこのような卑しい身分の男になど全く興味はないが、その瞳に自分の姿が一切映っていないことが忌々しくてならなかった。
(なぜ皆お姉様ばかり求めるの。……この男もお姉様が欲しくて私に協力しているだけ。佐穂彦もお姉様を欲しがってた。南陽もお姉様ばかりで私を姉とは思っていない。伯父様だって、隙あらばお姉様を手に入れようとしていた。お父様も最期まで私を見てはくれなかった。そして、那岐山侯爵も……)
手の中の扇を折れるほどに握りしめながらも、紅蘭は努めて愛らしい笑みを浮かべた。
「ええ、約束は忘れていないわ。私の望みが叶った暁には、翠蓮お姉様は貴方にあげる。……そのためにも、ちゃんと協力して頂戴ね」
「分かっている」
翠蓮──その名を聞いた瞬間、豺牙の空虚な瞳の奥に、隠しようもない欲望の炎が燃え上がったような気がした。紅蘭は豺牙の顔から足先までを眺めながら嗤う。
(なんて粗野で、品のかけらもない。那岐山侯爵とは大違いだわ。……ねぇお姉様。もしこんな男に貞操を奪われたとしたら、お姉様はどんな顔をするのかしら?)
泣き叫ぶ姉の顔を想像し、紅蘭は今度こそ声を抑えずに哄笑した。




