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第二十四章 寂寞

 膝下に跪く村人たちの痩せ細った背中を見下ろしながら、龍守(たつもり)は深く息を吐いた。


(何事も創り上げることは難しいが、壊すことは容易いのだな)


 三年にも満たない。龍守(たつもり)がここ(とう)州を去り(けい)州へと赴任してから、それだけの年数しか経っていない。それにも関わらず龍守(たつもり)の眼に映る光景は、三年前とは全く別の様相を呈していた。


(……いや。正確に言えば初めてこの地を踏んだ時に見たものと、寸分違わぬ光景が広がっているというべきか)


 村人たちの最前で額づく郷長の喉から、ひゅっと息を吸う音がもれる。


「た……龍守(たつもり)様……。本当に、本当に申し訳ございませんでした。お父君と弟君を襲えと命じたのは私です。どうか、どうかこの老いぼれの首でご容赦願えませんでしょうか……」


 その声が震えているのは、恐怖のためばかりではないだろう。溢れ出しそうになる感情を必死で押さえ込んでいることが、ありありと見てとれた。


(ああ、俺はこのように弱々しい者たちを斬ろうとしていたのか)


 ここに居並ぶ村人たちの顔は、ほとんどが見知ったそれだ。今の龍守(たつもり)には彼らが己の意思で強盗まがいのことをするはずがないと解るが、頭に血を上らせたままの自分が同じ判断ができるとは到底思えなかった。


「……織瀬(おりせ)姫に、礼を言えていなかったな」

龍守(たつもり)様?」


 その呟きが聞こえていたのかどうか、訝しげに眉を動かす鷹比古(たかひこ)の横を通り抜けると、龍守(たつもり)は郷長の前に膝を付いた。


「申し訳ございません、申し訳ございません龍守(たつもり)様……」


 郷長の顔の下に隠れた地面の色が、段々と濃くなっていく。やがて村人たちの中から次々と声が上がった。


「郷長だけの責任ではありません。お父君たちの乗った馬車の御者を斬ったのは私なのです……!」

「私が龍守(たつもり)様のご家族を……。どうか斬るなら郷長ではなく私を……」


 そこここから啜り泣きの声がもれる。


「……郷長よ。面を上げよ」

「……」

「聞こえなかったか? 面を上げよと言ったのだ」

龍守(たつもり)様……」

「ふっ……たった三年で三十年分は老けたな」


 生気の失せたその顔を見て、龍守(たつもり)は薄く笑った。そして目の前に並ぶ男たちから、各戸の前で震える者たちへと、ゆっくりと紅い瞳を向ける。


「……いつからこの郷は女人禁制となったのだ?」

「は……」

「女だけではないな、子どももおらぬ。男と年寄りしかおらぬ郷など俺は初めて見たぞ。……一体何があった」

「そ、それは……」

「……」


 言い淀む男たちの上に視線を巡らせた後、龍守(たつもり)は腰を上げた。


丹陽(たんよう)伯爵はとんだ下衆野郎のようだ。丁度良い、心置きなく叩き潰せる。──なあ鷹比古(たかひこ)?」

龍守(たつもり)様。こちらは寡兵だということをゆめゆめお忘れなきよう。……丹陽(たんよう)伯爵を討つだけならともかく、それ以上のことは──」

「大したことはなかろう。丹陽(たんよう)伯爵の首を獲り、ついでに奴に攫われた女子どもを奪い返すだけだ」

「また簡単に仰いますな……」


 鷹比古(たかひこ)がこめかみを押さえてうめく。


龍守(たつもり)様……貴方の家族を殺した我らの……我らの家族をお助けくださると言うのですか……?」


 喘ぐような郷長の声を聞きながら、龍守(たつもり)は馬に飛び乗った。


「あくまでついでだ。俺の目的は丹陽(たんよう)伯爵の首だからな。……お前たちには悪いことをした。帝都に戻れたら、もっとましな州牧を送るよう掛け合おう」


 それだけ言うと龍守(たつもり)は手綱を握り、まだ見えぬはずの州牧の屋敷へと鋭い眼差しを向けた。





「──先程の郷は(とう)州の入り口に当たります。本来は通過するだけの予定でしたが、思わぬ足止めを食らいましたな」


 鷹比古(たかひこ)は平時と変わらぬ抑揚のない声でそう言った。


「それも向こうの思惑だろう。わざわざあの郷の者たちを使ったのは。……姑息な事この上ないがな」

「……龍守(たつもり)様。本当によろしかったのですか?」

「何がだ」

「あの郷の者たちを不問としたことです。人質を取られていたとはいえ、あの者たちが義龍(よしたつ)様たちを手にかけたことは事実です」

「……鷹比古(たかひこ)。俺は父を人質に取られて、返して欲しければ橘花国を滅ぼせなどと言われたら、躊躇いもなくそうするぞ」

「……龍守(たつもり)様」

「俺にもそれなりに忠義心はあるがな、それでもやはり天秤にかければどちらが重いかは明白だ。……俺にあの者たちは斬れぬ」


 ふっと唇を歪めると、龍守(たつもり)は馬足を速めた。

 次第に距離が離れていく背で、金の髪が揺らめく。


「──出立前に姫様相手に激高していた男とも思えませんね。目の前に親の仇が並んでいたのに……」


 背後に従う兵士たちの中から、不意に涼やかな女の声が聞こえてきた。騎乗のまま進み出て隣に並ぶ皇女の侍女に、鷹比古(たかひこ)は深くこうべを垂れる。


明瑠(あかる)殿。その節は龍守(たつもり)様が失礼をいたしました」

「いえ、私に謝られても……。しかし貴方はそれで良いのですか、鷹比古(たかひこ)殿。那岐山(なぎやま)侯爵は村人たちを許したとしても、貴方にも思うところはあるのでは」

「私は龍守(たつもり)様の臣下ですからな。龍守(たつもり)様が許されると仰るなら、それに従うのみです」


 明瑠(あかる)の問いにそう答えると、鷹比古(たかひこ)は手綱を握り直し、主の背を追うべく馬を叱咤した。


「……まるで古の聖君のような物言いをなさる。変わられましたな、龍守(たつもり)様……」


 馬上で頬を切り裂くような風を受けながら、鷹比古(たかひこ)はそう感慨深げに呟いた。





 丹陽(たんよう)伯爵は小物だった。

 精鋭揃いとはいえ、龍守(たつもり)が連れている兵はおよそ三百。地の利があり、私兵だけでなく州兵も動かせる州牧という位にある者ならば、迎撃することも難しくは無かっただろう。

 しかし軍の先頭に立つ龍守(たつもり)の、冷たく光る紅い瞳に射抜かれた途端、丹陽(たんよう)伯爵はあっさりと白旗を上げた。


「申し訳ございません……。全て、全て葛城(かづらぎ)公爵のご命令なのです。私はこのような非道なことはしたくなかった。しかし拒絶すれば我が家はどうなるか……。申し訳ございません、申し訳ございません……」


 ひたすらに謝罪を繰り返す様は、村人たちと変わらない。──しかし決定的に違うのは、この男が卑怯だということだった。龍守(たつもり)は剣の柄を握る手に力を込める。


丹陽(たんよう)伯爵、お前の言い分は分かった。だがなぜ何の関係もない村人を巻き込んだ?」

「それは……それも葛城(かづらぎ)公爵のご指示で……」

「成程な。しかしお前の目的が村人に俺の家族を殺させることならば、すでに目的は達したはずだ。なぜ未だ人質たちを解放せぬ?」

「……」

「答えぬか。──そういえば俺が(とう)州に赴任した時、この地には奴隷商人たちの定宿が多くあったな。二年で出来うる限り叩き潰したはずだが……そこで失業した屑どもに再び仕事を与えるなど大した慈善家ではないか、丹陽(たんよう)伯爵」

「はて、仰っていることの意味が……っ!」


 喉元に剣先を突きつけられ、丹陽(たんよう)伯爵は息を呑んだ。


「──随分と上等な衣を着ているのだな」

「……」

「この部屋にたどり着くまでの間、着飾った女たちを幾人も見た。あれは全てお前の妾か? ……己の欲を満たすために、(とう)州の者たちからどれだけ搾り取った」


 耳に届く己の声は、驚くほどに冷淡だった。幾ら問い質しても震えるばかりのこの男に対し、怒りと同時に虚しさが湧き上がる。


(このような男に……俺は家族を奪われたのか)


 今すぐに斬り捨ててやりたいが、斬る価値もないように思われた。初めに父たちの訃報に接した時に龍守(たつもり)の中に生じた激情は未だ胸の奥に燻ってはいるものの、それを発露させることに対し理性が警鐘を鳴らしている。


(あの時の感情のままに(とう)州に攻め入っていたとしたら……俺は取り返しのつかないことをしてしまっただろう)


「……な、那岐山(なぎやま)侯爵……?」


 急に黙り込んでしまった龍守(たつもり)を、丹陽(たんよう)伯爵はおずおずと見上げる。


「……誰が顔を上げて良いと言った」

「ひっ……」


 龍守(たつもり)は無造作に目の前の頭を掴むと、そのまま床に押し付けた。


「その汚らわしい舌で我が家名を口にするな」

「おっ……お許しください……」

「弱いことは罪ではない。狡猾であることも今を生き抜くためには必要だろう。……しかし己の身勝手な欲のために弱者を利用し、不利と見れば己が弱者の振りをする。そのような卑怯者が俺は一番嫌いなのだ」

「も、申し訳ございません……」


 まるでそれ以外の言葉を忘れてしまったかのように丹陽(たんよう)伯爵が同じ言葉を繰り返していた時、


「──龍守(たつもり)様、郷の女性や子どもたちを発見いたしました。数名衰弱している者もおりますが、明瑠(あかる)殿の見立てでは今すぐ命に関わるものではないとのことです」


部屋に入って来た鷹比古(たかひこ)は、這いつくばる丹陽(たんよう)伯爵にちらりと一瞥を投げたものの、すぐに興味を失ったように龍守(たつもり)の元へと歩み寄った。


「……義龍(よしたつ)様と義守(よしもり)様につきましては、御首(みしるし)のみしか見つけることができませんでした」

「ご苦労だった、鷹比古(たかひこ)。それで十分だ」

「……龍守(たつもり)様。この男をお斬りになられぬのですか」


 冷ややかな鷹比古(たかひこ)の言葉に、丹陽(たんよう)伯爵はびくりと肩を震わせる。


「珍しいな、鷹比古(たかひこ)。お前にしては血の気の多いことを言う」

「この男は我が恩人の仇です。龍守(たつもり)様が手を下されぬのでしたら、私が……」

「待て。この男には訊かねばならぬことが──」


 そう龍守(たつもり)が言いかけた時、遠くからごおっとまるで大風が吹いたかのような低い音が聞こえてきた。


「……何だ?」


 龍守(たつもり)は訝しげに眉を寄せる。その横でかすかに鼻をひくつかせた鷹比古(たかひこ)が、はっと目を見張った。


龍守(たつもり)様! いけません、これは──」

龍守(たつもり)様、鷹比古(たかひこ)様! 今すぐに脱出を! 屋敷のそこここから火の手が上がっております!」


 部屋に駆け込んできた兵士が、息も絶え絶えになりながら叫ぶ。


「どうかお急ぎを! このままでは──」

龍守(たつもり)様!」


 龍守(たつもり)がほんの一瞬腕の力を緩めたその時だった。床に押さえつけられていた丹陽(たんよう)伯爵が起き上がり、狡猾な狐のような眼を見開いたと思うと、懐に隠し持っていた短剣を振りかぶった。


「この、汚らわしい贅閹(ぜいえん)の──!」

「……」


 龍守(たつもり)はつゆほども動じることもなく、丹陽(たんよう)伯爵を組み伏せるべく腕を突き出した──だが。


「……鷹比古(たかひこ)。俺はこの男を殺すのは待てと言ったはずだが」


 突如動きを止めた丹陽(たんよう)伯爵は、悲鳴を上げることすら許されず、そのまま龍守(たつもり)の足元に崩れ落ちた。こめかみに深々と突き刺さった苦無を伝って、鮮血が床に滴り落ちていく。


「申し訳ございません」


 眼を開いたままの丹陽(たんよう)伯爵の骸を冷たく一瞥した鷹比古(たかひこ)は、少しも悪びれた様子を見せずそう言った。


「ですが、どのみちこの男は大した情報を持ってはおらぬでしょう。その欲深さにつけ込んだ葛城(かづらぎ)公爵に利用されただけでしょうからな」

「……お前、普段俺に対して言っている言葉を鏡を見ながら十回は言うべきだな。──さて、それはともかく脱出したほうが良さそうだ」


 龍守(たつもり)の鼻腔にも焦げ臭い匂いが届き始めた。龍守(たつもり)は危険を知らせに来た兵士に紅い瞳を向ける。


「人質たちは逃がしてあるな?」

「はい。皇女殿下の侍女殿が指示してくださって……。すでに脱出を始めております」

「さすが織瀬(おりせ)姫の侍女、有能だな。──鷹比古(たかひこ)、俺たちも出るぞ」

「はっ」


 龍守(たつもり)たちは部屋の扉に向かって走った。

 屋敷内はすでに薄く靄が漂い始めている。この火災は伯爵家の人間にとっても想定外だったのか、州牧邸の中は混乱の坩堝と化していた。


「全員を助ける余裕はありませんでしたので……とりあえず兵士ではない者たちは縄を切り、自力で逃げるように言ったのですが……」


 兵士の言葉を聞きながら、鷹比古(たかひこ)は軽蔑を滲ませた口調で言った。


「素直に逃げた者のほうが少ないようですな。ほとんどの者は家財を持ち出そうと──」

「ちっ、火事場泥棒で命を失うなど馬鹿のすることだ!」


 鋭く舌打ちした龍守(たつもり)は剣を抜き放ち、そばで衣装棚を探っていた男に突きつける。


「……ひっ……!」

「今すぐ逃げるか、この場で俺に叩き斬られるかさっさと選べ」

「もっ……申し訳ありません!」


 走り去って行く男を見やり、鷹比古(たかひこ)が溜め息を吐く。


龍守(たつもり)様。我らにも全員を助ける余裕は──」

「解っている。これはたまたま目についただけだ。行くぞ!」


 煙が立ち込める中を、龍守(たつもり)たちは一心に駆けた。

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