第二十三章 捕虜
龍守が不在であっても、敵が攻め手を緩めてくれる訳ではない。緒戦のような大規模な戦闘こそなかったものの、連日の戦で兵たちも疲弊していた。
「全く安比公爵は馬鹿なのですか!? 兵は無限に湧いてくるわけではないのです! 安易に援軍を寄越せだのなんだの……こちらの気も知らないで! 大体そちらが無茶な出撃をして兵を消耗させているからこんな事態になっているというのに!」
だん、と卓に拳を打ちつけて倶知比古が叫んだ。
「……痛う……」
「倶知比古、気持ちは分かるけど少し落ち着け。ひ弱なお前がそんなことしたら骨折するぞ」
拳を押さえてうめく倶知比古を見やり、隼人が肩を竦めた。
「路保の要求なんざテキトーに流しときゃいいんだよ。いつも龍守はそうしてるじゃねぇか」
「あれは龍守様だから出来るんですよ……。人を丸め込むことにかけては特段の才能をお持ちですから」
「……あの、私が安比家の陣へ赴いてお話しして来ましょうか? 路保殿はともかく、初臣殿に話せば何とか──」
「駄目だ」
「それはいけません」
織瀬の提案は、隼人と倶知比古に即座に却下されてしまう。
「龍守から言われてるんだ。姫さんと安比家の連中は──特に路保は極力接触させるなって」
「そんな、なぜですか?」
「……おそらくその理由を、織瀬姫様がご理解なさっていないからですよ」
「そういうこと」
「……」
解せないという顔をして織瀬が黙り込むと、不意に天幕の入り口が捲れ上がった。
「おーい隼人! 龍守から近衛軍っぽい奴らはなるべく殺すなって言われてるから、俺と兄貴で何人か生捕りにしてきたけど……。何か龍守に会わせろとか騒いでる奴がいるんだ。どうする?」
返り血やら砂ぼこりやらで汚れた顔を、雷矢がひょいと覗かせる。
「どうするったって、どのみち龍守は留守なんだから無理に決まってんだろ。とりあえず他の捕虜たちと一緒に桂州に送って──」
「……隼人殿。差し支えなければ、私にそのかたたちとお話しをさせていただけませんか?」
おずおずと声を上げる織瀬に、隼人が眼を瞬かせる。
「何だって?」
「今の皇宮の様子など、近衛軍のかたにいくつかお伺いしたいことがあるのです。……駄目でしょうか?」
「駄目ってことはねぇけど……。倶知比古、あのじゃじゃ馬はまだ戻って来ねぇの?」
「少し遠くの偵察を頼んでしまったので、しばらくは戻られないかと」
「仕方ねぇな」
隼人が短髪をがしがしとかき回す。
「姫さんをひとりで行かせられねぇから、俺も行くわ。じゃじゃ馬貸してもらってるし」
「別に隼人が来なくても、お姫様なら俺が守るぜー?」
「馬鹿に姫さんは任せられねぇ」
「ひっでぇのー。自分だって龍守に馬鹿馬鹿言われてるくせに。なあお姫様?」
「ふふっ……お二人が居てくださるなら心強いです。ありがとうございます」
柔らかに微笑む織瀬に、雷矢は屈託のない笑みを向け、隼人も唇を緩める。
「おう! 全力で守るぜー!」
「そうと決まればさっさと行くぞ」
「はい」
雷矢と隼人に前後を挟まれながら、織瀬は捕虜たちの元へと向かった。
*
捕虜たちが収容されている天幕に織瀬が足を踏み入れた途端、騒めきがさざなみのように広がっていった。
「翠蓮皇女殿下……」
「連合軍にいらっしゃるという噂は真であったのだな……」
囁きの海のなかで、織瀬は目を凝らす。すると手足を縛られた捕虜たちのなかに、見知った顔があることに気がついた。
「貴方は確か……飛燕殿といいましたか」
織瀬が眼の前で膝をつくと、捕虜はぽかんと眼と口を開いた。
「一度しかお会いしていないので、私のことを覚えているか分かりませんが……。飛燕殿はあの宮中での反乱の最中、龍守殿の命を受けて諸将への伝令に走ってくださったかたですね」
「は、はい……。翠蓮皇女殿下のことは、もちろん覚えておりますが……」
飛燕は数度ぱくぱくと口を開け閉めしたのち、慌てて顔を伏せる。
「もっ……申し訳ございません。皇女殿下の玉顔を不躾にも──」
「飛燕殿、顔を上げてください。貴方にお訊きしたいことがあるのです」
そして織瀬は、飛燕へ皇宮の状況や弟妹たちの様子を尋ねた。
「──そうですか。では今のところ南陽皇子たちに変わりはないのですね?」
「はい。現状では連合軍の勢いが盛んなこともあり、葛城公爵は皇族がたにまで目を配る余裕がないのかと……。ただ今のように連合軍がやや優勢という状況ならともかく、もし連合軍の勝利が確実なものとなれば……その、言いづらいですが南陽皇子たちの身の安全が危ぶまれます」
「……なぜですか?」
「葛城公爵は──これは私の個人的な印象なので、当てにならぬかもしれませんが──どこか破滅的なところがお有りです。追い詰められれば、何をするか分からない」
「……」
飛燕の発言を咀嚼しながら、織瀬は黙り込む。
「……そういや、龍守も葛城乙彦は得体の知れねぇところがあるって言ってたな」
「龍守殿が……」
織瀬はぎゅっと着物の胸元を握りしめる。
(私は龍守殿のおかげで逃げられたけれど、珀亜たちは未だ葛城公爵の元にいる。何か私にできることがあれば……)
実弟である南陽皇子──珀亜に付けられている侍従たちは、明瑠や菊理たちと同じ一族の出である。よって今まではもしものことがあっても彼らが珀亜を守ってくれるだろうと信じていたのだが、情勢が変わりつつある現在において、その考えは楽観的すぎるように思われた。
(それに珀亜は侍従たちが守ってくれるとしても、陛下や紅蘭は……)
彼らの側付きのほとんどは、葛城乙彦の息のかかった者たちである。あの反乱の最中にあわよくば皇族たちの命を奪わんと目論んでいたことからも解るように、乙彦が血縁を理由にその毒牙を納めるとは思えなかった。
(何とかして助けたいけれど、今私が皇宮に戻ることはできない。ならばやはり誰かにお願いするしかない……)
織瀬は懐のあたりをそっと押さえた。その時、不意に一人の男が兵士たちの海のなかから転げるように姿を現し、織瀬に向かって額づいた。
「翠蓮皇女殿下! どうか私を那岐山侯爵へお取次ください!」
「あっ、こいつだよ。龍守に会わせろって騒いでたの」
雷矢が兵士を指差しながら言った。
「貴方は、近衛軍の──」
「東苑軍所属の由比と申します! 至急那岐山侯爵にお伝えせねばならぬことが──!」
「おいおい、何か知らねぇけど落ち着けって。今龍守はここに居ねぇんだ」
さりげなく織瀬の前に身体を割り入れる隼人を見上げて、由比が声を震わせる。
「そんな……。まさか、那岐山侯爵は陶州に行かれたのでは……」
「そうだけど……それがどうした?」
「ああ、何ということだ。遅かったか……」
由比はがくりとうなだれ、絞り出すような声で語った。
「……陶州の一件は、全て葛城公爵の策略なのです」
「何だって?」
「連合軍の要である那岐山侯爵を戦線から離脱させるために、葛城公爵が丹陽伯爵を脅し、那岐山侯爵のご家族を殺害させたのです。そうすれば那岐山侯爵は陶州を攻めざるを得ず、戦火に巻き込まれた民たちの心は那岐山侯爵から離れ、策に乏しい連合軍は自滅するだろうと……」
「葛城公爵……そのために龍守殿のご家族を……」
織瀬はぎゅっと唇を噛みしめた。
「……葛城乙彦、よく龍守の性格を解ってるじゃねぇか。こりゃ姫さんがいなけりゃ完全に詰んでたな」
織瀬を振り返り、隼人がにやりと笑う。
「隼人殿……」
「大丈夫だ、姫さん。姫さんのおかげで龍守はいつもの龍守に戻ってる。本調子のあいつなら葛城乙彦の策になんか嵌りゃしねぇよ」
そうして、隼人は再び二人の兵士──飛燕と由比に鳶色の瞳を向けた。
「ところでお前ら二人……。これだけ色々教えてくれるってことは、お前らは葛城乙彦に付いてるわけじゃねぇんだな?」
隼人にそう声をかけられ、由比は実直そうな面を上げる。
「勿論でございます。私はあの宮中での一件で那岐山侯爵の采配に感銘を受けました。──実は此度のことも、あらかじめ加々美将軍の許可を得たうえでわざと捕まったのです」
「あー……兄貴の差し金か。ムカつくけどそれなら信用できるな……」
真剣な眼差しで語る由比とは打って変わって、 飛燕はおどおどと眼を泳がせる。
「わ、私はその……那岐山侯爵に名を覚えていただけて、高貴なかたに名を呼ばれることなどなかったものですから、私でお役に立てることがあればと思い……。それに翠蓮皇女殿下にも覚えていただけて……ぜひお二方のために力を尽くせればと……」
最後は消え入るような飛燕の言葉を聞き、隼人はうんざりしたように肩を竦めた。
「……龍守の奴、息するように人を誑かしやがって」
「飛燕殿。そのお気持ち、とても嬉しく思います。……早速ですが、ひとつ頼まれてはいただけませんか」
「はい。なんなりと」
「ありがとうございます。……この文を南陽皇子に届けていただきたいのです」
織瀬は懐から取り出した書状を飛燕へ差し出した。
「……南陽皇子に文を?」
「はい。やはり難しいでしょうか?」
「いいえ、何とかなると思います。先程申し上げた通り、葛城公爵は皇族がたにまで眼が行き届いておりませんから」
飛燕は文を恭しく受け取った。
「命に代えても、南陽皇子にお届けいたします」
「ありがとうございます。……その文には私の名も、南陽皇子の名も書いておりません。筆跡も出来る限り変えて、内容も南陽皇子以外の者は解らぬような書きかたをいたしました」
そこでふと、
(だけど龍守殿であれば、私の稚拙な暗号文なんてすぐに解読してしまうのでしょうね)
そのような思いが頭をよぎり、織瀬は慌ててかぶりを振る。
「……翠蓮皇女殿下?」
「す、すみません。とにかくもし他のかたに見られたとしても文の内容は解らないでしょうから、あまり気負わないでくださいね」
「かしこまりました」
頭を垂れる飛燕を見やり、隼人が腕を組む。
「その文を届けさせるならそいつを解放しないとだけど、一人だけじゃ不自然だよな……。あとは誰がいいか……」
「加々美公子! それならば私にお任せください!」
由比の発言を聞き、隼人は露骨に顔をしかめる。
「……やめてくれ、その気色悪りぃ呼びかた……」
「ですが、公子……」
「やめろ! 俺はもう加々美の姓は名乗ってねぇの! ただの隼人だ!」
「はあ……では隼人様。今ここに囚われている者たちの中には、私以外にも東苑軍所属の者がおります。そこの飛燕とともに、どうぞ我らを解放してください。必ずや翠蓮皇女殿下と那岐山侯爵のお役に立ってみせます」
由比の真っ直ぐな視線を受けて、隼人はがしがしと短髪をかき回す。
「うーん……どうすっかな。兄貴の部下なら大丈夫そうだけど……姫さんはどう思う?」
「私は信じてもよろしいかと思います。……こういっては何ですが、龍守殿のいない中では戦も膠着しておりますし、ここは彼らの力を借りて葛城公爵を内部から攻めるのもひとつかと」
「成程なあ……。よし、じゃあお前たちついて来い。倶知比古のところで作戦会議だ」
隼人は腰に佩いていた短剣で、二人の足首を縛めていた縄を切り裂いた。それを見て、雷矢が子どものような叫びを上げる。
「えっ? 何でそいつらの縄解いてんだよ隼人! せっかく俺と兄貴で捕まえてきたのに!」
「……この熊野郎。今までの話聞いてたか? コイツら使って何か色々工作したいって姫さんが言うから、とりあえず連れてくんだよ。足縛ったままの男連れてくの面倒だろ」
「ええ〜そいつらが嘘つきでお姫様襲ったりしたらどうすんだよ」
「そしたらお前がぶった斬りゃいいだろ」
「……あ、そっか。じゃ、お前らついて来い。裏切りたければ裏切ってもいいぞ! 雷矢様が叩き斬ってやるから!」
楽しそうに笑う雷矢に、飛燕と由比が顔を見合わせる。
「……雷矢のヤツ、絶対姫さんの言ってたこと分かってねぇな。まあ、ちょっと前まで字も読めなかったヤツだししょうがねぇけど」
呆れたように頭を掻く隼人を見上げ、織瀬は微笑む。
「ですが、私が教えるととても熱心に聞いてくださるんですよ。この前は建日殿と一緒に兵法書を読んでおりました」
「へえ。……でもあの様子だと全然身についてなさそうだな」
隼人はひとつ肩を竦める。
「ま、熊野郎の話はいいや。俺たちも倶知比古んとこ戻るぞ」
「はい」
二人の捕虜を追い立てる雷矢に続き、織瀬と隼人も天幕を出た。




