第十六章 同志
庭園での龍守との会話から数日。織瀬は野磨の屋敷で、久方ぶりの穏やかな日々を過ごしていた。柔らかな布団で眠れること、清潔な衣服を身につけられること、温かな食事を口にできること──それらのありがたさを噛み締める。
しかしそんな恵まれた環境にも関わらず、織瀬の心には薄らと靄がかかっていた。気にかかるのはもちろん、龍守が話していた挙兵計画だ。
(いくら皇女としての私の名を使うとはいえ、気位の高い安比家が那岐山侯爵の提案に乗るだろうか──)
埃の目立つ書庫のなかで、織瀬は手にした書物をしばし見つめ、ため息を吐く。もし安比家が龍守の提案に乗ったとしたら、どこかで安比路保と顔を合わせねばならなくなる。龍守の計画が上手くいくことを願ってはいるものの、そのことを考えただけで織瀬は背筋が凍るように思われた。
(……那岐山侯爵ときちんと話をしたのは、あの庭園での会話が最後だわ。食事の席などで顔を合わせてはいるけれど、いつも慌ただしくしていて挨拶以外の言葉は交わせていない。挙兵の準備で忙しいのだろうけれど……)
隼人を始めとした家臣たちの状況も似たようなもので、言ってみればここ数日織瀬は放置されている。
野磨の主君であったり同僚であったりする龍守たちとは違い完全なる居候である織瀬は、何もせず世話になっているばかりでは落ち着かず、こうして書庫の整理などを手伝っていた。
今のところ龍守は屋敷の使用人や州庁の官吏たちには織瀬の身分を伏せているため、織瀬は比較的自由に行動することができている。桂州に到着した時に龍守が織瀬のことを『いずれ自分の妻になる姫君』などと言ったおかげで、時々織瀬のことを見物に来る者たちの姿に閉口することはあるものの──。
(那岐山侯爵が挙兵の準備を整えるまでの間、暇を持て余しているわけにもいかないし……。私は私の出来ることをしましょう)
と言っても、軍事に関しては織瀬が首を突っ込んでも邪魔になるだけである。よって織瀬は、──言い方は悪いが──屋敷内や州庁の雑務などを手伝って時間を潰すしかなかった。
(それにしても、この書庫はあまり手入れがされていないのね。見たところここ数ヶ月間の書類が収められているようだけれど、分類もされていないし時系列もばらばら……。これでは後で資料を探そうとしても見つけるのが大変だわ)
織瀬は一瞬の思案の後、おもむろに書類の束を手に取った。州庁の文書を勝手に弄って良いのかという逡巡が頭をよぎったものの、ここは龍守から言われている『桂州では自由にお過ごしください』という言葉を拡大解釈してしまおう。どのみち時間はあるのだし、何よりこの雑多な紙の束を放置しておくことは、織瀬の性格上耐えられなかった。
*
「──織瀬姫、そんなところで書物に埋もれて……一体何をなさっているのです」
艶のある薫りが鼻をくすぐり、織瀬は瞬きをしながら顔を上げた。
「那岐山侯爵……?」
気づけば窓の外が、鮮やかな夕映えに染まりつつある。
「まあ、もうこんな時間なのですね」
「……昼餉の時も茶の時間にも顔を見せぬと、野磨の屋敷の使用人が慌てて私のところに来たのです」
「申し訳ありません。書庫にいるとは伝えてあったのですが……」
「これだけうず高く積まれた書物のなかに居たら、戸を開けただけでは貴女の姿が見えなかったのでしょう」
呆れたように息を吐いて、龍守は織瀬の傍にしゃがみ込む。
「それで? この紙の束と埃が共演する舞台で、貴女は何を演じていたのですか?」
「その……皆さんお忙しいのか、書類が分類されていないようだったので……少し片付けをお手伝いしようかと……」
「皇女が書類の片付けですか」
「今床に積んであるものはとりあえず事象ごとに分類して日時順に並び替えましたので、そのまま書棚に収めていただければと……。あと余計なことかもしれませんが、書類の目録も作りましたので……」
「……」
織瀬は恐る恐る龍守に目録を差し出した。それをぱらぱらと捲りながら、龍守はふっと唇を緩める。
「貴女は皇女よりも、文官に向いているかもしれませんね」
「えっ?」
「惜しいことだ。皇族でなければ私の部下にならないかと勧誘するところです」
「えっと……ありがとうございます……?」
反応に困る織瀬を見て、龍守は目を細めた。
「織瀬姫。そろそろ夕餉の支度も整いますので、私と一緒に参りましょう。……挙兵の件についてもお話ししたいことがあるのです」
「分かりました……あっ」
床に積まれた書物の間をすり抜けようと四苦八苦する織瀬に、龍守は苦笑混じりに手を差し伸べる。
「それは後で州庁の者たちに片付けさせましょう。……せっかく整理したのですから、ぶつかって台無しにしないようお気をつけください」
「はい。ありがとうございます」
差し伸べられたその手に自然に自分の手を重ね、織瀬は微笑んだ。
*
夕餉の後、織瀬と主だった家臣たちを前にして龍守が口を開いた。
「──さて。早速だが挙兵の準備が整った。明日俺たちはここを立って安比公爵家と合流する」
「それはまた随分と急ですなぁ」
野磨は腕を組んで唸る。
「それじゃあ俺は最初から合流するのは厳しいですぞ……。部下たちに諸々の引き継ぎをして一週間……いや、三日もあればなんとか……」
「野磨。初めに言っておくが俺はお前を連れて行く気はないぞ」
「ええっ!? そりゃないですよ龍守様! 隼人たちは連れて行くのに俺は除け者ですかい?」
「野磨殿。貴殿には州牧としての務めがあるでしょう」
「鷹比古殿……それはそうですが……」
鷹比古からの真っ当な指摘に、野磨は拗ねたように唇を尖らせる。
「俺は州庁で書類の整理でもしてろってことですかい……」
「それはさっき織瀬姫が終わらせた。全く、俺がいなくなってからまだ二月も経っていないのだぞ。どうやったらあそこまで乱雑になるのだ」
「俺は龍守様や鷹比古殿とは違って、整理整頓とか苦手なんですよぉ」
「……ともかく、お前には後方支援を頼みたい。兵糧や武器などの確保、輸送、負傷兵の手当てなど──この桂州は拠点とするにはうってつけだからな」
「……おい龍守。それ野磨にやらせて大丈夫か? 兵站は軍の要だぜ。物資の補給とか管理とか……書庫の整理も出来ねぇ奴には無理だと思うけど。鷹比古か倶知比古にやらせたほうが──」
「やる! 俺にやらせてください龍守様!」
ばんと卓を叩きながら、野磨が立ち上がる。
「ほう。急にやる気になったな」
「隼人に馬鹿にされて黙っていられません! 前線に出なくても龍守様のお役に立てると証明して見せます! 善は急げだ、早速手配に取り掛かります!」
言うが早いか、野磨はまるで扉に体当たりを喰らわせるような勢いで部屋を飛び出して行った。
「なんだあいつ。俺は別に馬鹿になんてしてねぇけど」
「……隼人殿。貴方は無自覚に人を煽ることにかけては天才的ですね」
倶知比古が呆れたように呟いた。
「さて。兵站についてはとりあえず野磨に任せよう。鷹比古、お前は軍師として俺と行動を共にしろ。そして倶知比古、お前は本陣で織瀬姫の世話と護衛を──」
「おい、ちょっと待てよ龍守!」
「織瀬姫様を戦場に連れて行くのですか!?」
龍守の言葉に、隼人と倶知比古が驚愕の叫びを上げながら身を乗り出した。ひとり鷹比古だけが冷静な瞳で龍守を見つめている。
「……名目上、この挙兵を呼びかけたのは織瀬姫ということになっている。発起人が戦場に不在というわけにいくまい」
「だからってお前……!」
「隼人殿。私なら大丈夫です」
織瀬は穏やかに微笑んだ。
「むしろ私のほうから、皇女としての私の立場を上手く使ってくださるよう那岐山侯爵に頼んだのです。……戦いにおいてお役に立つことは出来ませんが、私に出来ることなら何でもいたします」
「前線で刃を振るうことのみが戦ではありません。貴女の存在は十分に我らの役に立っていますよ。……ところで先程帝都から報告があったのですが、那岐山家の爵位が剥奪されたようです」
「え?」
「那岐山家だけでなく、安比家や豊雲家、冬院家など──あの反乱に関わった全ての家の爵位が剥奪となったようです」
「……当然と言えば当然ですな。反逆者やら誘拐犯やらを、そのまま貴族にしておくわけにもいかぬでしょう」
鷹比古は眉間に深い皺を寄せて呟くが、当の龍守はどこ吹く風である。
「そういうことなので、織瀬姫は今後私のことを龍守と名でお呼びください」
「……はい?」
織瀬は翡翠色の瞳を瞬かせた。
「爵位を剥奪された私は平民です。貴族でもないのに姓を名乗るわけに参りませんから、今の私はただの龍守です。ですから今後はそうお呼びください」
「それは……」
困惑する織瀬だが、龍守は何食わぬ顔で立ち上がった。
「さて。気は進みませんが明日は安比路保と話さねばなりませんし、早めに休むことにいたしましょう。……織瀬姫にも当分ご不便をかけることになりますから、今夜くらいはゆっくりお休みください」
「は、はい……」
眼を泳がせる織瀬を一瞥し、龍守は楽しげに笑った。
*
翌日の昼下がり。桂州を出た織瀬は、龍守とともに幕中で安比家の者たちと対峙していた。
この場にいるのは織瀬と龍守、安比路保と初臣、そして安比家の兵士が数名。安比家の当主である路保との交渉は龍守が行うため、織瀬はその場に同席してさえすれば良いと言われてはいるものの、それだけでも息が詰まりそうだった。
「──それで? 盟主は当然私なのだろうな、那岐山侯爵」
当たり前のように上座で嵩にかかった態度をとる路保に対し、龍守は凪いだ微笑を浮かべる。
「もちろんです。この軍の盟主は安比公爵と──こちらの翠蓮皇女殿下です」
「ふん、翠蓮皇女か……卑賤の母から生まれた皇女に、どれほどの価値があるものか」
路保は舐めるように織瀬を見やった後で、吐き捨てるようにその名を口にした。路保の視線にぞくりと背筋に悪寒が走るものの、それ以上に視界の隅で龍守の指先がかすかに引き攣れたことが気になって、織瀬ははらはらしながらも努めて平静を装う。
「路保、皇女殿下に失礼だぞ……!」
傍らに立つ初臣が慌てて嗜めるも、路保は庶兄の顔を一顧だにしない。
「那岐山侯爵、どうせ攫うなら紅蘭皇女のほうが良かったのではないか? あちらなら公爵家の血筋でもあるし──」
「おや。自らが滅ぼそうとしている血筋を尊ぶなど、矛盾しておりますね」
「……この、生意気な成り上がりめが」
皮肉っぽく笑う龍守に対し、路保は侮蔑を隠すつもりはないらしい。龍守は穏やかな微笑を崩さぬままだが、
(眼が全く笑っていないわ……)
紅い瞳の奥に冷ややかな焔が見える。自分が侮辱されたことよりもそちらのほうが気がかりで、織瀬はさりげなく龍守の表情を窺った。
「何にせよ、今ここに集っている者たちは全て爵位を持たぬ平民です。そうでなくとも翠蓮皇女は皇族なのですから、盟主になっていただくのは当然です」
「だが容姿以外に何の取り柄もない皇女が盟主となって、賛同者を集められるとは──」
「安比公爵。失礼ですが今一度良くお考えください。……翠蓮皇女の存在なくして、この挙兵に大義は全くないのですよ」
「何だと?」
表情に似合わぬ冷ややかな龍守の言葉に、路保が眦を吊り上げる。
「聡明な安比公爵でしたらご理解いただけるとは思いますが、大多数の者たちから見て我々はただの反逆者にしか過ぎません。葛城公爵の振舞いには看過しがたい点があるものの差し当たって国政は滞りなく運営されておりますし、このまま眼を閉じていれば平穏な日々が送れたものを、我々が波風を立てていると恨む者たちもおりましょう」
「ふん、そんなものは臆病者の寝言に過ぎぬ」
「ですがそんな臆病者たちを味方につけねば我らに勝機はありません。理想だけで戦に勝てれば今頃摂政の位には貴方が座っていたでしょう、安比公爵」
「……」
むっつりと押し黙る路保に、龍守は人の悪そうな笑みを浮かべる。
「そこで翠蓮皇女の存在を利用させていただくのです。安比公爵も仰る通り翠蓮皇女はこのお美しさですから、それだけで人々の注目を集めることができます。更に言えば人々は劇的な物語を好む。──十七、八歳の若く美しい姫君が、自らの危険を顧みず滅びゆく国を救うために立ち上がる。これは大変魅力的な筋書きだとお思いになりませんか?」
「……良いだろう」
路保は立ち上がり、己より背の高い龍守を睨め付けた。
「盟主の件についてはお前の提案に乗ってやる。だが進軍の指揮を執るのは私だ。分かったな?」
「仰せのままに。安比公爵閣下」
優雅に一礼する龍守に対し小馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、路保は護衛たちを引き連れて天幕を出て行った。
しばしの静寂ののち、織瀬は恐る恐る龍守に声をかける。
「あの、那岐山侯爵……安比公爵はもう行かれましたけど……」
礼をしたまま微動だにしない龍守に、安比家家中でひとり残された初臣が歩み寄った。
「龍守、申し訳ない。路保は昔からああで──」
「……」
不意に顔を上げた龍守は、無言のまま初臣の胸ぐらを掴みあげた。
「な……那岐山侯爵、初臣殿に何を……!」
慌てる織瀬にかすかに紅い瞳を向けたものの、龍守はすぐに初臣へと向き直る。
「たっ、龍守やめろ。首が……!」
「お前はあいつの兄だろうが初臣。さっさとあのクソみたいな性格を矯正しろ」
「む、無理に決まっているだろうそんなの。路保は私どころか両親の諫言すら聞かぬのだから……」
「お前たちがそうやって甘やかした結果があの仕上がりではないか。製造者責任で何とかしろ」
「無茶を言うなよ……。兄と言っても庶出の私が何か言ったところで……」
「それはお前に威厳がないからだろうが。生まれがどうのと言い訳してる暇があったらさっさと家督を奪ってこい。そうすれば俺はあんなクソ野郎を盟主だなんだと持ち上げずにすむのだぞ」
「そんな無茶苦茶な……うっ、息が……」
「な、那岐山侯爵。そのあたりでお止めください。安比公爵だって大人なのですからその性格はご本人の問題で、兄君だからと初臣殿に責任を求めるのは酷ですよ……!」
さすがに黙って見ていられず口を挟む織瀬だが、龍守は初臣を掴み上げた手を緩めようとはしない。
「那岐山侯爵!」
「……」
無言のまま、龍守が織瀬のほうを見やる。
(……まさか)
その視線で何かを察した織瀬は、半信半疑で再び龍守に語りかけた。
「初臣殿を放してあげてはくれませんか。龍守──殿」
「織瀬姫がそう仰るなら」
あっさりと龍守は初臣を解放した。
咳き込む初臣を、織瀬は心配そうに見上げる。
「大丈夫ですか、初臣殿」
「ええ……ご心配には及びません。慣れていますから……」
苦しげに息を吐きながら微笑む初臣から視線を移し、織瀬は龍守をきっと睨みつける。
「龍守殿。隼人殿や鷹比古殿からも言われていたでしょう。決して手を出してはならないと──」
「それは路保に対しての話でしょう。私はあいつには手を出しておりません。心の中で切り刻むのに留めたのですから、むしろ褒めていただきたいものです」
「貴方という人は……!」
「翠蓮皇女。龍守は昔からこういう奴ですから、何を言っても無駄ですよ」
初臣が苦笑する。
「しかし……あの穏やかで常に微笑を絶やさぬ翠蓮皇女すら怒らせるとは、さすがは龍守だな」
「そうだろう。俺に不可能はない」
「……一応言っておくが褒めてないぞ」
しばしの沈黙の後、龍守と初臣は顔を見合わせて吹き出した。するとそこへ、天幕の外から穏やかな声がかけられる。
「ご歓談中失礼いたします。安比将軍と那岐山侯爵がこちらにいらっしゃると聞き、ご挨拶に伺いました」
(この声は……)
聞き覚えのある声に、織瀬は天幕の入り口へと視線を向ける。
龍守は初臣に対していた時とは声の調子を変え、慇懃にその呼びかけに応えた。
「どうぞお入りください。本来ならばこちらから伺わねばならぬところ、わざわざ足をお運びいただき恐縮です。……豊雲公爵閣下」
「……公爵閣下は不要ですよ。那岐山龍守殿」
柔らかな微笑を浮かべながら、豊雲青弦が天幕の内へと入ってきた。その後ろに付き従うのは、宴の場で顔を合わせた二人の武人である。
「あれ、誰かと思ったらお姫様じゃん。何でこんなところにいるんだ?」
まじまじと織瀬を見つめる雷矢の襟元を、後ろから建日が掴む。
「雷矢、お前青弦様のお話を聞いていなかったのか!? 那岐山侯爵が翠蓮皇女殿下を皇宮から連れ出して、今は皇女殿下が我らの軍の盟主になられているのだぞ!」
「え、そうなの? じゃあお姫様が俺たちの大将か! よろしくな!」
「あ、はい……よろしくお願いします。一応、盟主は私だけではなく安比公爵も……」
「ええ〜、あんないけすかない奴どうでもいいよ。俺はお姫様と一緒に戦うぞ!」
「……雷矢、悪いけど少し静かにしていてくれないかな。私は龍守殿と初臣殿と話がしたいんだよ」
穏やかだが有無を言わさぬ青弦の言葉に、雷矢はびくりと肩を跳ねさせる。
「あ……うん。黙ってます……」
「ありがとう。──翠蓮皇女殿下、それに初臣殿に龍守殿、私の護衛が騒々しくて申し訳ありません」
「謝罪など不要でございます。豊雲公爵閣下が我らの呼びかけに応じてくださったことに、まずは感謝を──」
「龍守殿。私たちは今では仲良く爵位を失っている身ですし、そう畏まった口調で話さずとも良いですよ。見たところ年も近そうだし、どうぞ普段どおりにしてください。──私もそうするから」
飾らぬ態度で、青弦は織瀬と初臣にも微笑みかける。
「翠蓮皇女殿下と初臣殿も、どうぞ私のことは青弦と気安く呼んでいただければと思います」
「はい、よろしくお願いいたします。青弦殿」
「こちらこそ。共に戦えることを光栄に思います。──ところで龍守殿。緒戦はどうなりそうなのかな?」
「帝都からの報告によると我らへの追討軍が派遣されたらしい。数はおよそ四千騎」
「四千だって!? 聞いてないぞ龍守!」
「今言った。話の腰が折れるから少し黙っていろ初臣」
「な……何でお前はそう偉そうなんだ龍守……」
「今の我らの戦力はどれくらいなのですか、龍守殿」
「安比家と冬院家を合わせて二百。那岐山家の兵が千。あとは織瀬姫の名を使って義勇兵を募ってはいるが、どれだけ集められるか。──時に豊雲家のほうはどうなのだ?」
「……今ここにいるのが豊雲家が動員できる全てです」
申し訳なさそうに頭を掻く青弦に、背後で借りてきた猫のようになっていた雷矢が叫ぶ。
「青弦様、そんな顔しないでください! 俺と兄貴で二百人分くらいの働きをするからさぁ!」
「雷矢、静かにしていろ!」
拳を振り上げる雷矢を、建日が嗜める。それを見やって、龍守が笑った。
「ほう、それは頼もしいな」
「二百人分になるかは分かりませんが、この者たちが強いのは事実です」
力強い青弦の言葉に、龍守が頷く。
「分かった。実力のほどは俺の配下と手合わせでもして確かめさせよう。──隼人、そこにいるのだろう?」
「あれ、バレてたか」
天幕の端をめくって、隼人が姿を見せた。
「後で気配の消し方を鷹比古に習っておけ。──丁度良いからそこの二人と一戦してこい。お前が認める実力ならば一軍を任せようと思っている」
「別にいいけど……二戦やんのはメンドいから二人まとめてでいいか?」
「そこは任せる」
「龍守殿。口を挟んで申し訳ないが、建日も雷矢も手加減というものを知らないんだ。一対一でも心配なのに、二人まとめてなど──」
「お、奇遇だねぇ。俺も手加減できるほど器用じゃねぇんだ。──そこの二人、表出ろよ。相手してやるから」
「ああ!? 何だお前!」
挑発的な仕草を見せる隼人に、雷矢が髪を逆立てる。これまで理性的な振舞いを見せていた建日ですら、剣呑な眼差しを隼人に突き刺している。
「隼人、あくまで実力を測るだけだ。やり過ぎるなよ」
「分かってるって。ほら、お前ら早くしろ」
「指図すんな! 泣かせてやるから覚悟しろ!」
「……」
喚き立てる雷矢と静かな怒りを立ち上らせる建日を引き連れて、隼人は天幕から出て行った。
「……心配ですね」
ぽつりと青弦が呟く。
「大丈夫だ。俺の部下は命令を違えたことはない。青弦殿の護衛を傷つけることはないだろう」
「いえ。私はあの二人ではなく、貴方の部下殿を心配しているのですよ」
「……」
居心地の悪い沈黙が漂う。またしても黙っていられなくなった織瀬は龍守の袖口を引いた。
「……龍守殿。青弦殿に謝罪してください」
「なぜ?」
「なぜって……どう考えても非常識なのは貴方ですよ。他家の家臣のかたをあんなふうに──」
「他家の家臣ではありません。今の我らは同志です」
「同志……?」
「ええ、共に戦う同志です。それ故にその実力を正確に見定めておかねばなりません。彼らに一軍を率いるだけの才があるか否か──判断を間違えば、それだけで多くの仲間の命が散ることになるのですから」
「龍守殿……」
織瀬ははっとして口元を押さえる。
「申し訳ありません。私が浅慮でした」
「いいえ、貴女の感覚がまともですよ。ただ今はとにかく戦力の強化が第一なのです。──青弦殿もどうか理解していただけるとありがたい」
「ええ、分かっています」
青弦はまるで雲のように掴みどころのない笑顔を龍守に返した。
そこで今まで沈黙を強いられていた初臣が、龍守と青弦の顔を交互に見やりながら躊躇いがちに口を開く。
「……なあ龍守、敵の兵力はこちらの三倍だぞ。一体どう葛城公爵を攻めるつもりなんだ? 今の私たちの勢力ではまともにやり合っても勝てないぞ」
「お前たちだってどのみち反乱が失敗すれば似たような状況になっていたではないか。あの時はどんな作戦を立てていたのだ? 参考にするから言ってみろ」
「それは……失敗した時のことを考えては士気が落ちると路保が……だから特別何も……」
「……」
反乱に参加していた初臣と青弦が揃って押し黙る。龍守はひとつ肩を竦めると、不意に織瀬に視線を向けた。
「織瀬姫、貴女はどう思われますか」
「えっ……私ですか?」
「ええ。貴女の意見を伺いたい」
突然話を振られて、織瀬は翡翠色の瞳を泳がせる。
(ただ黙って着いて来れば良いという話だったのに、龍守殿はどんな意図があって私の意見など……)
龍守や初臣は将軍位を得ている身である。軍事に対しては門外漢である織瀬の意見など何の役にも立たぬのではないか──。そう思いつつも、織瀬はゆっくりと口を開く。
「そうですね……。まずは緒戦は必ず勝たねばなりません。ここで勝利を収めれば私たちに味方する者たちも増えるでしょうし……」
「そのためにはどんな策がありますか?」
「えっと……以前に書で読んだものですと、敵内部に間諜を放って誤情報を流させるなどし混乱や内部崩壊を狙うですとか……。あとはこちらの兵力を実際より多く見せ、相手が怯んだ隙を突いた将軍の話もありますね。兵ではない者にも武器を持たせて欺いたとか……」
「成程。決戦の前に敵を制する──兵法の基本ですね」
「あとは……大軍に正面からぶつかるから不利になるのですから、相手の戦力を何らかの方法で分散させそこを各個撃破するなどでしょうか。もっともその何らかの方法というのが問題なのですが……。とにかく何か劇的な勝ち方をすれば、それが良い宣伝にもなって味方も集まるのではと思うのですが。──申し訳ありません、曖昧過ぎて答えになっておりませんね」
「いいえ。大変貴重なご意見です」
龍守は口角を上げ、青弦と路保は感心したように織瀬を見やる。
「驚きましたね。翠蓮皇女殿下は兵法にも通じているのですか」
「昔から勉学に励んでいらっしゃいましたが、さすがですね」
「いえ、そんな……」
向けられた複数の視線に居心地の悪さを感じ、織瀬は睫毛を伏せた。そんな織瀬を一瞥し、龍守は青弦と路保に声をかける。
「さて、そろそろ隼人たちの様子を見に行くとするか。その後冬院家にも挨拶に行かねば」
「ああ。そうだな」
「ええ」
龍守の呼びかけに頷きを返す男たちに続き、織瀬は天幕を出た。




