第十五章 胸奥
「──成程成程。葛城公爵の暗殺未遂に皇宮への放火、そして皇女誘拐に通行手形の偽造、更には正当防衛とはいえ道中での刃傷沙汰……こりゃあ捕まったらただじゃ済みませんな。良くて斬首、確率が高いのは車裂きか凌遅刑か……」
街路のざわめきを抜け、織瀬たちは野磨の屋敷へと通されていた。そこで一通りの経緯を聞いたところで、野磨はしたり顔で頷く。
「龍守様のお考えがどうであるにせよ……家臣としては葛城公爵を失脚させるしか生き残る道はありませんなぁ。いや、こりゃまた難題だ。お疲れ様です、鷹比古殿」
「……気遣い痛み入る」
野磨からの労いを受け、鷹比古は苦笑する。
「だがまだ我々は慣れているから良いものの、一番災難だったのは──」
「姫君ですなぁ」
野磨は腕を組みながらうんうんと頷く。織瀬は気まずそうに視線を落としながら、
「いえ……そもそも私が焚き付けてしまったような面もありますから……」
と応じた。
そんな織瀬を横目で見ながら、龍守はまるで冗談でも言うような軽い口調で、家臣たちの会話に入る。
「だが織瀬姫の言葉がなくとも俺はああしていたぞ。葛城乙彦と一対一で対峙できるような僥倖など、滅多にないだろうからな。まさにあれは天の配剤だった」
「……龍守様。だからって普通はいきなり暗殺とか誘拐とかしようとは思いませんぞ」
野磨は織瀬と龍守の顔を交互に見やりながら、何かを察したように眉を下げた。
「これは俺の勝手な想像ですが……おおかた葛城公爵が何か龍守様の逆鱗に触れることでも言ったんでしょう?」
「……」
「お、図星ですな」
沈黙する龍守にひとつ肩を竦めると、野磨は部屋の隅でごろりと横になっている隼人に視線を向ける。
「なあ隼人。龍守様がこういう風に後先考えずに行動する時はだいたい──」
「自分の周りの人間が侮辱された時だな」
「──だそうですよ、龍守様。今回の場合だと、姫君に対して葛城公爵が何か酷いことを言うかなんかして、それに切れちまったんでしょう?」
「えっ……。そうなのですか、那岐山侯爵……?」
「……」
問いかける織瀬に一瞥もくれぬまま、龍守は立ち上がった。そのまま乱暴に扉を開け放つと、ひとり庭園に向かって歩いて行く。
「那岐山侯爵……!」
「……野磨殿に隼人殿。少しは空気を読んでください。あの様子だと、とても織瀬姫様のお耳に入れたくないことでも言われたのでしょう」
「そんな……! 待ってください、那岐山侯爵!」
倶知比古の言葉に色を失った織瀬は立ち上がり、慌てて龍守の後を追った。
その後ろ姿を視線だけで見送りながら、隼人はやれやれと肩を竦める。
「本当にカッコつけだよなぁ、あいつ。汚れ役引き受けて何も姫さんに言わねぇんだもん」
「ま、らしいといえばらしいがな」
「……おふたかた、後で龍守様に恨まれますぞ」
「いいんだよ鷹比古。姫さんだって何も知らずに守られてばっかりってのは嫌だと思うぞ。それに龍守は馬鹿だけど……ただの馬鹿じゃねぇってことぐらいは姫さんにも分かってもらわねぇと……」
「隼人殿。織瀬姫様はそんなことくらい分かっていらっしゃいますよ」
最後は口の中でもごもごと呟く隼人に、倶知比古は嘆息する。
「いくら龍守様が見目麗しく文武に優れたかたでいらっしゃっても、今までの破天荒な行動を見れば普通の女性ならすでに距離を置こうとしているでしょう。今までの女性たちがそうであったように。……ですが織瀬姫様は和仁家の一件でも龍守様に悪感情は持っていないようですし、少なくとも龍守様がご自身なりに筋の通った行動をしていることは察していらっしゃると思います。……隼人殿は龍守様以外の人間に興味がないので分からないでしょうけど」
「は? んなことねぇよ」
「あるでしょう。……まあせっかくの機会ですから、お二人にきちんとお話しいただくのも良いと思って私も織瀬姫様を煽ってしまいましたが」
「さすが、鷹比古殿の弟子ですなぁ。人を動かす術を心得ていらっしゃる」
「……本当に、初めて会った時からは想像もつかぬ姿だな」
「野磨殿の仰るとおり、これも先生のご教示の賜物です。……ですが織瀬姫様は龍守様の扱いに慣れていらっしゃらないから、少し心配ではありますね」
倶知比古に釣られ、那岐山家の家臣たちは揃って不安そうな眼差しを庭園へと向けた。
*
「……っ、那岐山侯爵……! 待ってください……!」
庭園は瑞々しい緑に満ちているが、それに一瞥もくれることなく、龍守は前を向いたままずんずんと先に進んで行く。
織瀬は半ば走るようになりながら、陽光に輝く金の髪を追った。
「那岐山侯爵……っ! あの、野磨殿たちが言っていたことは……!」
本当なのか、と問いかけたかったのだが、息が上がった織瀬はそれ以上言葉を紡ぐことが出来なかった。
「……っ、はあ……」
膝に手をつき息を整えようとする織瀬の上に、陰が落ちる。
「……わざわざ追って来るほどのことではないでしょうに」
「那岐山侯爵……」
織瀬は眼を瞬かせ、龍守を見上げる。
「あちらに四阿がございます。少し休んでから戻りましょうか」
「はい……」
身を翻す龍守の後に続きながら、織瀬は困ったように視線を落とす。
(思わず追いかけてきてしまったけれど……どうしよう……)
葛城公爵と龍守との間で交わされたやりとりが気になるものの、それを訊ねて良いものか織瀬は迷う。
「──織瀬姫。どうぞこちらへお掛けください」
「あ……はい。ありがとうございます……」
龍守に促された織瀬は、四阿のなかにまるで置物のように腰を下ろした。正面で長い足を組みながら四阿の外へと目線を向ける龍守をちらりと窺いながら、躊躇いがちに口を開く。
「那岐山侯爵、あの……先程の話なのですが、本当なのですか?」
「……」
「もし、その……私のために怒ってくださったのならば、ありがとうございます」
「織瀬姫、貴女は……」
龍守はしばし瞑目したのち、紅い瞳を織瀬へと向けた。
「貴女は良く礼を言いますね」
「え?」
「それに、謝罪も良く口にする。皇族である貴女にとって、貴族も平民も──この橘花国に住う者は全て臣下であるはずです。なぜそれほどまでに遜るのか、初めてお会いした時から不思議でした」
「……申し訳ありません。ご不快でしたか……?」
「いいえ。単純に疑問だったのでお尋ねしたまでです」
「……外廷でお会いした時にも言いましたが、私は皇女とは名ばかりの存在です。それにも関わらず、何の益もないのに私のことを案じてくれるかたがいることが有難いと思っているのです。──それに皇女という立場も、自分の力で手にした地位ではありません。ただ父が皇帝であったというだけで……」
「成程。多くの貴族にとって耳の痛い言葉ですね。……しかしその考えかたは、皇族としては異端だということは自覚しておられますか? そして身分制度という国の秩序を維持するためには、その考えは危険ですらあると言うことを」
「……はい」
なぜ龍守が急にこのような話を始めたのか、その意図を察することは出来なかったものの、織瀬は頷く。
「自覚していらっしゃるのなら……これから私が申し上げる提案は貴女の考えに反するかもしれませんが、お聞きいただけますか。私が考え得る限り、葛城家に対して取れる最良の対抗策です」
「何でしょうか?」
「織瀬姫。貴女に我々の──反葛城家を掲げる者たちの、旗印になっていただきたいのです」
「……那岐山侯爵。それは、まさか……私の名を使って挙兵するということですか」
「……織瀬姫」
龍守は軽く眼を見張り、そしてかすかに哀れむような眼差しを織瀬に向けた。
「貴女は聡すぎますね。……まるで私の心を読んだようだ」
「それは……」
織瀬は無意識のうちに襟元を掴み、言いかけた言葉を飲み込んだ。
(察したのではない。私は知っているだけ。このままでは前世と同じ道を辿ってしまう……)
俯く織瀬に、龍守は穏やかな口調で語りかける。
「情け無い話ではありますが、那岐山家の兵力のみで葛城家に対抗するのは不可能です。織瀬姫の心情としては複雑でしょうが、鷹比古の配下の報告によると安比家を始めとする反逆者たちがここ桂州にほど近い山に潜伏しているとのことなので、まずは彼らを味方に引き入れようと考えています。……しかし、それでもまだ足りない。より多くの味方を得るためには、見栄えのする旗印が必要です」
「……それが、私だと」
「ええ。長年皇太后に虐げられていた美しい皇女が、橘花国の危機を救うために立ち上がる──この物語は、多くの者たちの心を惹きつけるでしょう」
「上手くいくと思うのですか?」
「無論です。貴女はご自身の魅力に無自覚のようですが、これには一定の効果が見込めます。貴女が同意してくださるならこの方向で動こうとは思いますが、気が進まぬようなら拒否していただいて構いません。……この計画は貴女以外の者には明かしておりませんので、また別の方法を考えます」
「那岐山侯爵……」
織瀬は睫毛を伏せて思案する。約束された未来を避けるために今まで行動してきた。しかし結局織瀬は皇宮から連れ出され、反葛城家の象徴にされようとしている。単に主導する人間が安比初臣から那岐山龍守へと変わっただけで、織瀬の置かれている状況は前世と変わりないように思える。
(けれど……今世で私は、自分の意思で那岐山侯爵を信じると決めた。そして那岐山侯爵はこうして私の意思を尊重してくれている……)
状況は同じでも、そこに至るまでの過程は大きく異なるのだ。そして主導する人間が違うのなら、始まりは同じでも結果は異なってくるのではないだろうか。
(……決めたわ)
翡翠色の瞳が、真紅のそれとかち合った。
「那岐山侯爵。貴方の提案に同意いたします。……皇女としての私の存在を、貴方でしたらきっと上手く使ってくださるでしょう」
「……織瀬姫。感謝いたします」
龍守が微笑む。
「貴女とこうして一対一で話すことができてよかった。外に出てきた甲斐がありましたね」
「……もしや、この為に部屋を出たのですか?」
「いえ、そう言う訳ではないのですがね……。単純に、居た堪れなくなっただけです」
ばつが悪そうに髪をかき上げる龍守を、織瀬は不思議そうに見つめる。
「織瀬姫。皇宮から脱出する際にも言いましたが、私が葛城公爵を暗殺しようとした件について貴女が責任を感じられる必要はないのですよ」
「え?」
「私が勝手に腹を立てて殴りつけてしまっただけですから。……隼人にも良く言われるのです。口と同時に手を出すのは止めろと。あいつはあいつで口より先に手が出る奴なので、どの口が言っているのだといつも思っているのですがね」
「那岐山侯爵……」
「今までの貴女の振舞いを見るに必要以上に自分を責めかねないと思ったので、あえて葛城公爵を殴った理由は言わなかったのですが。……私の配下は貴女と違って察しが悪く余計なことまでぺらぺらと口にするので、つい苛ついて部屋を飛び出してしまったのです」
「それは……」
織瀬は思わず口元に手を当てる。
(もしかして野磨殿たちは、那岐山侯爵の行動の意味を私に伝えたくて、わざとその意図に反することを言ったのかしら)
考え過ぎかもしれないが、今まで無謀だと思っていた龍守の行動への印象が、織瀬のなかで変わりつつあるのは事実である。
(那岐山侯爵は、家臣のかたたちから大事に思われているのね)
それはきっと単なる忠誠心ではなく、もっと深い絆があるのだろう。そして家臣たちがそのような行動をとる理由を、織瀬は不思議と理解できるように感じた。
*
「……なんだ。意外と大丈夫そうだぜ」
植栽の陰から四阿を窺いながら、隼人が呟く。
「最初は深刻な顔してしゃべってたけど、なんか龍守笑ってるし」
「だがここからじゃ何を話しているか全く聞こえんな。姫君の顔も見えんし……」
「どうやら葛城公爵への対抗策を話し合っているようですな。龍守様は皇女殿下の名を利用して兵を集めるつもりのようです」
「おお、流石は忍びたちの長。鷹比古殿は耳が良いですなぁ」
「つーかせっかく美女と二人きりなのに、そんな色気のねぇ話してんのかあいつ。マジでらしくねぇな」
「確かに。龍守様は息をするように女人を口説くかただからなぁ。……しかしいくら龍守様でも、皇女相手だから遠慮なさっているのか」
「ええ……あいつの辞書に遠慮なんて言葉ねぇぞ、絶対」
「あの、いい加減部屋に戻りませんか」
狭い木陰でひそひそと言葉を交わす男たちの背後から、ため息が聞こえた。
「隼人殿や野磨殿はともかく、先生までそんな覗きのようなことを……」
倶知比古の嘆く声に、鷹比古が振り返る。
「覗きではない。これは家臣としての務めだ。──というよりも、こうせねば龍守様の要求に応えられぬ。前振りもなく無茶なことを言ってくるのが茶飯事だからな」
「おっ、鷹比古が開き直ったぞ」
「……日頃の苦労が偲ばれますなぁ」
「先生の仰ることは非常に良く分かるのですが、しかし──」
「分かっている、倶知比古。隼人殿に野磨殿も、龍守様たちは問題なさそうなので戻りましょうか」
「おう」
鷹比古に促され、隼人たちも立ち上がった。
なおこのような龍守に対する諜報をたびたび行っていた鷹比古は、これまでついぞ気づかれたことはなかったのだが、今回に限っては隼人と野磨が連れ立っていたために龍守に気配を悟られていたようである。この後しばらくして倶知比古は、龍守に『いい大人が覗きなどして恥ずかしくないのか』と至極常識的な説教をされる鷹比古という、世にも珍しい光景を目撃することとなった。




