泥棒騒ぎ【前編】
わたしは乳母といることも多いけれど、乳母のところにはいつもジェイク・バレンがいる。
ジェイク・バレンは未来ではテオドシウスの忠臣として常に従う騎士に成長する男だ。
わたしが英雄王に対して起こした反乱に巻き込まれて実母が亡くなったから、わたしのことを殊更恨んでいて、死の間際にもテオドシウスに先んじて殺そうとしてきた人だ。だけど今はまん丸のただの赤ちゃん。
未来で亡くなってしまう彼の母は今ままだ健在で、わたしの乳母になっている。名はアンナ・バレン。
わたしがこの城に来た数日後に雇われたんだって。エリィお義母様が実際にわたしを生んだわけじゃないから、当然お乳は出なくて、だから乳母が必要だったの。彼女の夫も城の騎士として雇われ、家族三人でこの城に住んでいる。
そんなわけでアンナはジェイク・バレンとわたしを一緒に世話することが多い。死ぬ前に敵対していた彼と隣のベッドで世話をされるのは良い気分とは言えないけれど、彼が赤ちゃんの成長の見本になってくれるから、わたしも彼の挙動を真似して、生後数ヶ月の人間というものを見事に演じられるという利点はあった。
「あーう。あーあ」
あなたはわたしの家来になるのよ。テオドシウスのじゃなくてね。
隣で寝かされながらわたしに向かって手を伸ばすジェイクにそう話しかけると、赤ん坊らしくにこにこ純粋な笑みを浮かべてきた。
「うーばぶぅ」
とジェイクが答える。ねえそれってどういう意味? 赤ん坊がなんて言っているのかなんて理解不能だわ。周りの大人達はこんな存在達によく付き合えるものね。
わたし達の様子を見ていたアンナは破顔する。
「まあ、ふたりともとってもお話が上手なのね。二人のおしゃべりったらなんて可愛らしいのかしら! エリィ様にもご報告しなくちゃ!」
……正直言って平和ぼけだと思う。
この国で悠長に赤ん坊の世話をできた時なんてこれが最後だったんじゃないの。わたしが仕掛けた戦争で、補給に町に立ち寄った兵士が町を破壊したついでに貴女も殺すのよ。
後にその報せを聞いたジェイクだってひどく嘆き悲しむことになる。明るく朗らかだった性格が、暗く染まるほどにはね。
アンナはわたしの手を優しく握り語りかける。
「ルナ様ってば本当に天使のようだわ。お世話をさせていただき、アンナはとても幸せです」
善意十割の態度にどう接すればよいのか分からなくなる時があって、わたしはごくごく控えめに、赤ん坊らしからぬ笑みでぎこちなく笑いを返す。
アンナが同じようにジェイクの手を握り何事かをささやきかけると、ジェイクはケラケラと笑っていた。なるほど、そうすれば良かったのね。
アンナには、死なせてしまって悪かったと思っているわ。こんなに献身的にわたしの世話を焼いてくれていたなんて知らなかったの。今度の世界では、貴女だって死なずに済むようにちゃんと考えて動くから。
死ぬ前のわたしって、とにかく自分が勝利することばかりを考えていた。その過程で何人の人が死んでいくかなんて、考えることもできないほどのお馬鹿さんだったんだわ。後悔している? ――うん、まあね。生き方が間違っていたってことは認めるわ。だって結局敗北したんだもの、どこか間違ってたってことでしょう?
そんなことを考えていると、アンナがわたしを抱っこしてくれた。今度こそケラケラと笑ってみせる。アンナも楽しそうに声を出して笑った。良かった、今度は正しい反応だったみたい。礼を言うわ、ありがとジェイク。
バレン夫妻がこの城で働き始めたのは、エリィの功績が大きいそうだ。
英雄王の九人兄弟のうち、グラディアがもっとも影が薄い。目立った功績もないし、外見の特徴だって後生に伝わっていない。もらった領地も、千年前は山だけがあるひどい辺境の地だったという。
だけど今はそれなりに栄えていた。
標高が高いこの町だけどかつての王達が交易路を整備したおかげで、人の行き来も盛んだ。城下町の人口だって多い。
バレン家の夫婦は結婚に反対されて駆け落ち同然で故郷を飛び出し、旅をしながら暮らしていたそうだ。丁度この城下町に立ち寄った際にアンナが産気づき、偶然町を散歩していたエリィが真っ青な顔をして宿場から飛び出してきたアンナの夫に事情を聞き、城医を呼んであげたらしいわ。エリィったら本当にお優しいこと。わたしだったら平民なんてほっとくけど。
バレン夫妻は生まれたばかりのジェイクを置いて旅に出るわけにも行かず、しばらく城下町に滞在していたところに、引き取られたわたしが来て、エリィが彼女のことを覚えていて、もし良かったら乳母と騎士として働かないか、と誘ったらしい。わたしを迎え入れる前に準備をしていたようだから、エリィは中々のやり手ではある。
どうしてそんなに詳しいのかって?
アンナがわたしとジェイク相手にそんなことを語りかけてくれるから、事情はだいたい分かってしまった。
赤ん坊になって初めて知ったけど、人間関係や本音が知れるという点ではすごく良い立場だ。逆に言えばそれ意外は不便だということだけど。
などと考えていると、ふとアンナがわたしを抱っこしたまま壁際に視線を送り、動きを止めた。わたしをチラリと盗み見たけど、腰高ほどの棚がある他には何もない。
「うー」
ねえ、そこに何があるの? 問いかけたけど答えは無い。
それでもアンナはしばらくの間、その場所を見ていた。
次なる違和感を覚えたのは夜のことだった。
「エリィ様、またです。今度は先代様が蒐集された東方の陶器の花瓶が」
そう言ったのはエリィの侍女だ。夜泣きしていたわたし――こればかりは許して。だってなんだか怖くて不愉快で、自分の意思とは裏腹に泣いちゃうんだもの――の世話をするべく起きていたエリィに侍女がそっとそう囁いた。
乳母のアンナがわたしの対応をすることはもちろんあるけど、エリィも何かとわたしの世話を焼きたがる。そんなときは侍女の誰かも大抵側にいて、この時もそうだった。
彼女の遠慮がちな雰囲気から、エリィと二人きりになれる時間を探していたように感じる。わたしもいるけど、やっぱり数には数えられてはいない。
燭台の橙色の光が、エリィの顔を照らしている。そう、と言って彼女は眉を下げた。
「クローディン様にはお伝えしていない?」
「はい、ご命令のとおりに秘密にしています」
「今は国が大変な時期だもの、城内部のささやかなことでご心配をおかけしたくないわ。引き続き、秘密にしておいてくださいね」
はい、と侍女はまた返事をする。
会話はそれで終わって、銘々の考えに没頭しているようだった。わたしも一緒に言葉の意味を考える。夜泣きしていたわたしが黙り込んだことには、二人とも気付いていないようだった。
その夜の会話が一体何だったのかは、ほどなくして知れた。
その時アンナは別の用事でいなくて、エリィもやはりいなくて、わたしは他の使用人達に世話をされていた。彼女等の中には赤ん坊の扱いが非常に雑な人もいて、わたしはそれが苦手だったけど、その日は運悪くそういう人に当たってしまった。
そんな時に、会話があったのだ。
「今度は花瓶だそうだね」
と言ったのは、使用人の女性の一人だった。
先日の夜に侍女が言っていた件だとはすぐに分かったけど、花瓶に一体なんの問題があるのかは分からない。
赤ん坊の世話などする気のない彼女等は、口元に笑みを浮かべた。
「あたしは王妃が怪しいと思うよ。あの王妃、所詮は外の国から嫁いで来たのでしょう? きっと自らの領地に財産を送って私腹を蓄えているのよ。大きな戦が起きたら逃げるつもりよ」
うわ。嫌なこと聞いちゃった。
どこにだって嘲笑はある。非の打ち所がないほどの良識と美貌と家柄を持っているエリィでさえ隙あらばそんな風に言われてしまうのだ。
何度も言うけど赤ん坊の前では皆、気が緩む。無害で無力で、善悪の判断ができない赤ちゃんには、何を聞かれても平気だと思っているらしい。彼女等に余計な世話を焼かれたくないわたしが泣き声ひとつあげずに大人しく過ごしていることも、彼女らの気の緩みに拍車をかけているみたい。
「宝石に絵画ときて、次に花瓶ね。その次に何が無くなるか賭けない?」
その使用人の言葉に、エリィを悪く言った女性がわたしをチラリと見て鼻で笑った。
「案外、いなくなるのはこの赤ん坊かもね。笑いもせず泣きもせず、じっとこっちを見てるなんて不気味だわ。いなくなってくれた方がせいせいする」
などと言ってわたしを叩いて小さくつねったものだから、彼女の顔を見て微笑んであげると、顔を引きつらせていた。貴女、わたしが大人だったら粛正しているところよ、お分かり?
「あたしはアンナが怪しいと思うわ。あいつこそ流れ者だもの。今日だって赤ん坊の世話を放り出して何をしているんだか。身分もはっきりしない人間をこの城で雇うなんて、王妃はどうかしているわ」
「王妃とぐるなのかもしれないわね」
ありえる、と言って二人は笑う。どこの家の子女だかしらないけれど、貴女達の方がよほど品性がないわ。
アンナは赤ん坊の世話をするための用品を買いに、ちゃんと許可を貰って城下に行っているのよ。サボっている貴方達とは違うの。
だけど問題が起きていることは分かった。どうやらこの城から物が盗み出されているみたいだ。誰がそんな大胆不敵なことをするのかしら。二人が言っているようにエリィ? それともアンナ? ――いいえ、あり得ない。別に根拠はないわ。わたしが二人を好意的に見ているから、犯人から除外するだけ。
ひとしきり城の者達の悪口で盛り上がった後、一人が言う。
「あたし少し寝るわ。何かあったら起こしてちょうだい」
ええ、ともう一人が応じると、本当に寝入ってしまった。
本当に本当に重ね重ね何度も言うけど、皆、赤ん坊の前では気が緩む。
起きている方の使用人――エリィを悪く言ってわたしを邪険にしている方――がそっと立ち上がると、部屋の中を見渡して、わたしの方を見て動きを止めた。
彼女の手がわたしに伸びてくる。すべてはあっという間の出来事だった。彼女はわたしの髪に付いていた花の形を模したそれはそれは見事な金の髪飾りを取ると、自分の袖の中にそっと隠してしまったのだ。
わたしは目を丸くした。
なんてこと! 犯人が分かってしまった。しかも、わたしのお気に入りの髪飾りを盗むなんて許せない!
絶対に捕まえて断罪してやるわ!
だけどわたしは赤ん坊。
それをどうやって人に伝えたらいいの?




