小さな英雄王
なんでここにいるの!? わたしを殺すの――!?
叫び出しそうになる赤ちゃんを、十八歳の理性が必死に諫める。ここで叫ぶわけにはいかないわ。テオドシウスの機嫌を損ねたら、生まれたばかりなのに、本当にまた殺されてしまうかも知れないもの。
数度目を瞬かせて心を落ち着けて、目の前にいるテオドシウスに向けてなんとか声を出した。
「……あーう。だあ」
十八歳の自分が発した言葉は0歳の喉と口を通じて見事に意味を成さない音に変換されていく。
部屋の中に他に人はいない。
どうやら彼は看護人の留守を狙って部屋に入り込んだらしかった。
「良かった。このまま死んでしまうかもしれないって、母様が話されているのを聞いたから」
彼の表情に少なからず驚く。それは安堵と心配が入り交じったような情けない笑みだったから。
まあ! それが英雄王様が浮かべていいお顔なの!?
「辛いところはないか?」
自分の未来が辛いの。なんて言えるはずもなく、わたしは彼を見つめ返した。
テオドシウスは微笑んで、わたしの頭に手を置こうとする。わたしの体は反射的に固まる。彼は一瞬だけ驚いたような表情をしたものの、すぐに手を引いて元の笑みに戻った。
「熱が下がったみたいで良かった。人を呼んでくる」
といって彼はわたしの側を離れる。去りゆくテオドシウスの後ろ姿を盗み見ながら考えた。争乱の果てに十八年後にわたしを殺すなんてまだ夢にも思ってもいないであろう、純粋で可愛い少年。まだわたしへの好感度は高そう。
……だけどできれば、顔を合わせたくない。
少し可哀想だけど、お義兄様、わたし貴方が苦手なの。だって殺してきたんだもの。
結局その後、やってきた医者とエリィお義母様にわたしは引き継がれ、ありがたいことにテオドシウスが側に来ることはなかった。……わたしが完全に回復したと医者が判断するまでの短い間だけだったけど。
高熱で寝込んだ三日間と、回復するまでの五日間、わたしはひたすら考えた。自分の置かれた状況と、未来について。
それから、時折部屋の前に現れて、こちらの様子をうかがうような幼いテオドシウスについて。
信じられないことに、わたしは彼に会うまで自分のことを本物の赤ん坊だと思っていたのだ。彼に会って蘇った死の恐怖により、ついでに記憶も蘇った。
赤ん坊の脳みそでは処理しきれないほどの膨大な記憶に怯え時折訳も分からず泣きわめくことはあったけど。
なぜ時が戻ったのかはやっぱり分からないけれど、どうやら本当にわたしは過去にいるみたい。
結局、運命に従うしかないと悟ったわたしは、義妹を気遣うテオドシウスの哀れな視線を受け入れることにした。
だって毎日のようにわたしを遠目に見ては泣きそうな顔をするんですもの。彼の顔を見る度に全力拒否で泣き喚いて暴れるのにも限界があった。
それが数日前の話。わたしは完全に回復していて、とても元気になった。
――そうして今、鏡の中にはふりふりのレースのドレスに包まれた仏頂面の赤ん坊が映っている。
「ほら! 思った通りとっても似合っているわ。なんて可愛らしいの? まるで妖精姫のようだわ!」
嬉しそうにはしゃぐエリィの腕の中で、まるでこの世に生まれて来たくなんて無かったって顔を浮かべている赤ん坊にわたしは語りかけた。
ねえ赤ちゃん、気持ちは分かるわ、本当よ。
「こんなに可愛い子は、きっと素晴らしい人生を歩むに決まっているわ」
それを聞いた鏡の中の赤ん坊が微かに顔を引きつらせ、エリィに向かって文句を言った。
「だあ!? わあ!」
どこが幸せなの!? 十八歳で死んじゃうのに!
「まあ! 大きな声が出てすごい! そうだ、この可愛い姿をお兄様にも見せに行きましょう?」
彼女は腕に抱く赤ちゃんの気持ちなんて少しも知らずに嬉しそうに笑う。一方のわたしは心の中で毒づかずにはいられない。鏡の中の自分自身をにらみ付けた。
ピンク色の癖っ毛に、赤い瞳。毎日毎日少しでも自分を良く見せようと鏡と格闘していたからこの顔を見間違えるはずがない。
大嫌いな姿だわ、泣けてくるほどに。
わたしを抱くエリィは、頬を寄せ優しく囁いた。
「大好きよ、可愛いルナ」
そうなのね。だけどわたしはわたしが大嫌い。
廊下を歩きながらも彼女はご機嫌でわたしを抱えていく。彼女がわたしに話しかける度に、柔らかな薄い茶色の髪の毛がふさりと体にかかる。太陽の日差しみたいな色だと思う。猫の毛のような肌触りも優しくて好きだ。
頬にキスをしてくれる彼女は、血の繋がりのあるわたしを我が子同然に可愛がってくれているみたいだった。
「まあ、ルナ様! 今日も大変お可愛らしいことですね」
廊下ですれ違う使用人達はそう言って腕の中のわたしに微笑みかけた。わたしは唇を尖らせて抗議する。
「ぶう!」
それをまた、皆は笑う。
まあ本当のところ、別に嫌な気分はしない。だってすごく大切にされているから。
大切にされていることについて、戸惑いと少しの恥ずかしさはあったけど。
悪辣姫と呼ばれて周囲から憎まれたわたしでも、赤ん坊の頃はこんなに愛されていたなんて知らなかったし、その愛情がなんの含みもなくただただ慈しむためのものだということにも驚く。この城の人達は、赤ん坊は大事にされて愛されるべきだと信じて疑っていないようだった。
ま、それも今のうちだけだけどね。そのうち、悪辣姫は国中から死を願われるようになるのですもの。
「はあ」
わたしの口から思わず悩ましげな吐息が漏れた途端、エリィが立ち止まった。
正直言って、会いたくはない。だけどわたしの意思なんて今は無いに等しかった。
この城は随分と自由で、ほとんどの部屋に誰もが出入りできる。流石にノックはするけどね。そういうところも、わたしが実母に引き取られ暮らしていた城とは随分と勝手が違っている。
「エリィとルナが来ましたよ」
どうか眠っていますように――!
願い虚しくエリィのノックの後に、明るい声が聞こえてきた。
「はい、どうぞ!」
扉がぎいと開かれる。エリィの腕の中から見ても随分と低い位置にその頭があった。彼は顔を上げ、それからわたしをみて表情を明るくした。
「わあ可愛い! そのドレス、どうしたの?」
くりくりの眩しい瞳。金色の髪の毛がキラキラと光った。目を輝かせてわたしを見る、小さな少年。
可愛いのは貴方の方よ、だなんて言葉が話せたら言って差し上げたいくらいだわ。
「お父様がお戻りになられる日ですから、縫ったのですよ。テオ様の分もありますから、後でお見せしますわ」
「流石母様! すごく楽しみです」
小さな英雄王テオドシウスはそう言って微笑んだ。




