実母、襲来
フラローサ・オルエンヌ、というのが実母の名前だった。オルエンヌというのは彼女の実家――つまりわたしの母方の祖父の家の名だ。
ローゼン家の遠縁と結婚したけどなおも彼女はオルエンヌ家を名乗り続けている。小国の王家の名は、彼女にとって誇りだったのだろう。
時が戻る前、実母がわたしを迎えに来たのは五歳の時だった。まだわたしは一歳なのに、なぜ来たの? 心の準備なんて少しもできていない。
歴史が変わった? 嫌よ! わたしはローゼン家には行きたくない!
息を呑んで、わたしは彼女等の会話を聞いた。
「お姉様、事前にお知らせしてくださっていたら、お迎えの準備ができましたのに」
困惑を隠しきれないエリィの声がする。
「その嫌味な言い方、お前の実母にそっくりね。わたしがいつ誰を訪ねるかはわたしが決めます。なぜお前に許可を取らなければならないの?」
「そ、そんなつもりじゃ……!」
エリィはたじろいでいる。
わたしはテオドシウスと一緒に実母と義母の会話を盗み聞き続けた。
「お前と顔を会わせるつもりはありませんでした。用件は使用人に伝えたわ。それで終わりよ、用を済ませたら帰ります」
「先ほども申し上げましたけれど、クローディン様と一緒にお話を聞きます。ですが彼は今、兵士舎の方に行っていてご不在で――だからわたしが先に話を聞きます」
「話をすることなんて何もないって言っているでしょう! 本当に愚図なんだから!」
バン、と実母が目の前のテーブルを叩いた。
怒鳴り声に、びくりとわたしの体が震える。
うわあ! 性格が悪い!
まさしくわたしの母って感じだわ。
そういえば彼女はこんな人だった。グラディア家での一年余りの甘やかされた暮らしで忘れかけていたけど、本来のわたしの家族はこういう人なのよ。
「お前の母親はわたしのことを憎んでいた。いつの間にかわたしが家から追い出され、国はお前の弟が継ぐんですってね」
「お姉様にとっても弟ですわ」
実母はエリィの言葉を鼻で笑う。
「半分だけのね」
グラディア家の腹違いの兄弟と違ってこっちの姉妹の仲は険悪だわ。重傷ね、きっと修復不可能でしょう。
城の空気が冷え切ったその瞬間、大きな音を立てて扉が開かれた。
相当急いでやってきたのか肩で息をしたクローディンが入ってくる。
「フラローサ! 随分と久しぶりじゃないか! どうされたんだ、こんなに急に尋ねられたら俺達の最大のもてなしを受けられないぞ」
平素に輪をかけて陽気な義父だけど、これが彼流のやり方らしいということが最近分かってきた。
一方で実のお母様は冷めた目でクローディンを見る。
「西部の男は野蛮ね。人前に出るなら汗くらい拭いてきたらどうなの?」
使用人がしずしずとやって来て、エリィに耳打ちすると、彼女は頷いて言った。
「ともかく部屋へ参りましょう、話はそこで」
フラローサはしぶしぶながらもようやく立ち上がる。
三人が玄関先から移動したところで、テオドシウスが声を顰めてわたしに問うた。
「――母親?」
首を縦に振る。そうか、とテオドシウスは言うと、わたしの手を取った。
「行こう」
その言葉に、わたしは再び頷いた。
三人は客を迎え入れる応接間へと入っていく。その扉の前に、わたしとテオドシウスいた。
テオドシウスが扉になにか魔法をかけると、中の声が聞こえてくる。
「ルナ・ローゼンを連れてきなさい」
実母の声で突然わたしの名が聞こえてきたものだから、思わずテオドシウスと顔を見合わせてしまった。
やっぱりわたしを迎えに来たの? 実母と実父は正式な結婚をしていないから、わたしはルナ・ローゼンではないんだけど、彼女はわたしをそう呼ぶ。
「用件はそれだけよ。わたしの娘をどこに隠したの? 見つけたら望まれない客はさっさと帰るわ。エリィ、お前が来るまでもなかったのよ。クローディン、あなたは尚更いらなかったわ」
「ルナは今、城の中にはいません。数日の間、親族のところへ行かせていますから」
というエリィの声がする。エリィが嘘を言うのを初めて聞いた。
すぐここにいるけれど、わたしは黙っていることにした。
「なぜルナを連れて行きたいんだ? あの子がうちに来て一年になるが、なぜ今なんだ」
クローディンの問いかけに、フラローサは高圧的に答える。
「わたしの子をわたしがいつ迎えに来ようと勝手でしょう? 一年間預かってくれたことには、まあ、一応感謝はするわ。おかげで先帝の血は守られたもの」
「ルナを引き取りたいのは、あの子を愛していらっしゃるからだと思っていいんですよね?」
エリィの真剣な問いかけを笑い飛ばすお母様の声がした。
「愛? 冗談のつもりならとても面白いわ」
実際に、彼女は乾いた笑いを発する。時が戻る前に何度も目にしたから、どんな顔をしているか容易に想像できた。きっと歪んだ笑みだろう。
「あの娘が腹の中で大きくなる度に自分の自由が奪われていくようだった。せめて男だったらまだマシだったのに、生まれてきたのは役に立たない娘――だから不要だった。だけど今は必要なの。愛の問題じゃないわ。愛だなんて笑える――。愛しているわけないでしょう? 自分の子なんて、聞いただけで寒気がするわ」
口に入った嫌なものを吐き出すように母は言った。
胸に重りを乗せられたみたいだった。
――ああ、やっぱりね。
知っていたわ、そんなこと。お母様がわたしを愛しているわけがないってことくらい。
義両親がわたしを愛してくれるみたいに、実母からの愛も期待していたの? 生まれ直しても頭が悪いのは治らないみたい。そもそも持っていないものは誰だって与えられないのよ。本当に馬鹿ね、わたしったら。
テオドシウスがわたしを見たのが分かった。彼の瞳が鋭くなり、再び視線を外される。
わたしが実母に愛されていないってことを、なんとなく彼には知られたくなかったな、と思う。価値のない娘を義妹にしてしまったと気がついて、彼もまた失望しただろうか。
怒ったのはエリィだった。
「どうしてそんな酷いことを言えるんです? 子供は愛されるべきです! あんなに可愛い存在を、どうしたって愛さずにはいられません、自分の子なら尚更でしょう!?」
ハッ、と軽蔑したような笑いは間違いなく実母のものだ。心の底からエリィを馬鹿にしているようだった。
「子供を生んだことのないお前に、一体何が分かるの?」
瞬間、静寂が訪れた。
――今、なんて?
一話が長くなったので切ります
続きは夕方ごろに更新します




