或る人の墓
春が過ぎ、夏が来て、また秋がやってきた。わたしがグラディア家に来て一年が経ち、アラン・マクイストン戦の勝利からは半年が経っていた。
わたしは少しずつ自分の意思というものを円滑に周囲に伝えられるようになり、困ることも以前よりは少なくなった。
使用人達はとりわけわたしに甘くて、こっそりとたくさんお菓子をくれる。グラディア領にある食事は驚くほど豊かで、お菓子の種類も多いからついつい食べ過ぎてしまう。
「普通のご飯でここまで太るものかしら?」とエリィは訝しんでいたけど、幸いまだ気付かれてはいない。
グラディア家の姫としてわたしは大切にされていた。皆に馴染み、城の中を自由に歩き回れるようになっていた。
義両親からの愛はますます強い。愛情というものを受け止めるのにも慣れてきた。ようは、ありのまま受け入れておけばいいのよ。そういうものだと思っておいた方が、困惑しなくて済むわ。
例えばある日の朝はこんな風。
朝食の席、一番の上座にクローディンがいて、その次にエリィが座る。その次にテオドシウスが座っていて、その隣にわたしが座っていた。
夕食はお客様がいることも多いけど、朝はいつも家族四人だけで食べる。
ふやかしたパンを口に運んでいると、目の前にいるクローディンがわたしを見て感心したように言った。
「ルナは見る度に美人になっていくな。そろそろ結婚の申し込みが来るんじゃないのか。ヘンな男に目を付けられないか心配だ」
つまり親馬鹿ってことよ。
ふふ、と得意げにエリィが笑う。ゆったりとした服を着ているせいか、彼女のお腹はまだそこまで目立ってはいなかった。
「頭もとってもいいし、物事もよく分かっているんですよ!」
言ってからエリィはわたしの顔を見つめながらクローディンを指さした。
「この人はだあれ?」
……始まった、と思いながらも彼女の遊びに付き合うことにする。
わたしはにっこりと笑って答えた。
「ぱぱ!」
「おお! そうだ、俺がお前のぱぱだぞ!」
何度もやっていることなのに、その度に新鮮にクローディンは感激する。不思議だわ。面白くもある。
エリィは次に自分を指さした。
「じゃあわたしは~?」
わたしはまたにっこりと笑った。
「まま!」
きゃあきゃあと、エリィが歓喜の悲鳴を上げた。
「すごいわルナ! 天才よ!」
別にわたしは天才じゃない。つまりは彼女も親馬鹿なの。
義両親は二人して盛り上がっている。おまけのつもりでわたしもうふふと笑うと、ますます彼等は破顔した。
エリィは笑いながら、今度はテオドシウスを指さした。
「じゃあこの人は?」
「…………………………」
「なんか言ってくれよ」
テオドシウスが苦笑した。だって彼をなんて呼べばいいの? 言葉が話せるようになっても分からない。
時が戻る前のわたしが彼を呼んでいたのはこうやって。
英雄王。
冷徹公。
皮肉りたいときだけ、お義兄様。
多くの場合、こう。――――敵。
「ちょっと難しかったかしら。ルナのお義兄様よ。テオドシウスお義兄様」
わたしは誤魔化す。
「まま! ぱぱ!」
二人を指さしながらそう言う。
この誤魔化しは上手くいったみたいで、テオドシウスの名前を呼ばなかったことなど二人は気にせず、自分達を呼ばれたことの喜びを分かち合っていた。
「よくやるよな」
と、テオドシウスはわたしに向けて囁いた。口調とは裏腹に、その目には好奇心が宿っていた。彼もまだ、わたしを好意的に見ている。
わずかな変化があった。
人前でやりすぎなほと自分を偽り良い子ぶっていたテオドシウスは、わたしの前での姿に引き摺られてか徐々に偽らなくなっていた。少なくとも、家族の中ででは。
息子の変化を両親は温かに受け入れている。まるで良い子でも大人びていてもどちらでも構わないっていうように。だからテオドシウスも、少し安心できたのかもしれないわね。
家族の距離はそんな感じ。驚くほど気遣いがあって、戸惑うくらいに思いやりがあった。
時々、過剰じゃないかしら? って思うくらいに。
それはそんなある日のことだった。お昼ご飯を食べた後、わたしはエリィに外に連れ出され、馬車に乗り込んだ。彼女の手には白い花束がある。誰かに会いに行くのかしら、とわくわくしていたけれど、馬車は貴族等の屋敷を素通りし郊外を目指していく。
城から少し離れた森の先で馬車が止まる。秋晴れの空は高く、鳥の群れが空を渡っていた。
おいで、とエリィが抱っこをしてくれたから大人しく腕の中にいた。
小さな森を抜けると、小高い丘が見えた。丘の上には小さな建物があって、よく見るとそれは教会だった。乳褐色のレンガ造りで、同じ素材で庭をぐるりと囲っている。
教会にいた司祭の老人に声をかけ、エリィは庭へと出る。規則正しく石が並ぶ。そこは墓地だった。
墓石は古いものも新しいものも混ざっていたけど、刻まれる名はほとんどグラディアのものだ。ここは一族の墓地のようだった。
わたしは義母の顔を見上げた。彼女は真っ直ぐに、ある一つの墓石を目指して歩く。
そこには既に花束が供えられている。新しいから、きっと今日置かれたものだろう。
その花束の横に自分が持ってきたものを並べると、エリィはわたしを地面に下ろしてくれた。
反射的に墓に刻まれた名を読む。それは衝撃的な名だった。
――シャリア・グラディア。
「しゃあ! しゃりゃあ!」
シャリア! ねえ! シャリアって書いてあるわ!
知っている名前。だってわたしがいつも読む本に書いてある名前だもの。ルキウスという人へ本を贈った主が、シャリアだった。
そうね、と言ってエリィはわたしの頭を撫でる。
「シャリア様のお墓よ。今日が命日で――。クローディン様がもういらしたみたいだわ。お二人きりでお話ししたいでしょうから、わたしは少し時間をずらして来るのよ、ルナと来たのは初めてね」
エリィはそれからかがみ込むと、土の上に膝を付け手を組み目を閉じた。
「シャリア様。この子がルナです。以前お話したことがありましたね。お会いするのは初めてです。血縁上はわたしの姪に当たる子ですが、本当の娘と同じように思っています。大人になるまでの間、グラディア家でテオドシウス様の妹として育てることをお許しください。
貴女の息子もとても良い子に育っていますわ。誰よりも聡い子で、貴女に似てとても優しい子です。大切にお預かりしていますわ、どうか見守っていてくださいまし――」
エリィが故人に話しかけている間、情報が他にないか墓に目を走らせた。
没年が記されていた。それは四年前の日付だった。
いつの間にか目を開けていたエリィが、墓を凝視するわたしに話しかける。
「とても素敵な人だったのよ。お義母様の憧れの人。ううん、誰にとっても憧れの人だった。綺麗で、優しくて、笑顔はまるで花のようだった――……」
ふうん? でもそれって自分のことじゃないの?
綺麗で優しくて花の咲いたような笑顔をするのはエリィだもの。
ぽたりと水滴を感じ、見上げるとエリィが涙を流していた。慌てて彼女の涙を拭う。悲しみは母体に悪いんじゃないの!?
拭っても拭ってもエリィの目から涙が溢れてしまう。
シャリアって人はじゃあ、最近亡くなったのね? そうしたら、十歳の誕生日に本を贈られたルキウスもまだ若いのかしら。この前、夢かと思ったけど、ルキウスって言う人に会ったのよ。
預かっている息子ってルキウスのこと? やっぱりお城のどこかにいるのね。ちゃんと会ったことはないけど、別の棟にいるのかしら。わたしもまだお城の人全部に会ったわけじゃ無いものね。いつかまた彼に会えるかも。そうしたら、女の子の部屋に無断で立ち入ったことを叱らなくちゃならないわ。
エリィが涙を拭いて、わたしの髪を撫でる。
「ごめんね、もう大丈夫よ。ルナもご挨拶しましょうか」
と言われたので墓に向かって頭を下げた。
「こんちゃわあ」
よくできました、とエリィが褒めてくれるので、わたしは大変に気分が良い。
生まれた年と没年を見るとシャリアはまだ二十代で亡くなっているみたい。生まれた年はクローディンの二つ上だ。エリィがこれだけ慕っているってことはもしかしてクローディンのお姉さんだったりして。
いずれ分かるかしら? そのうち誰かに聞いてみよう。
そんな風にして過ごしていると、教会の方が騒がしくなる。
扉から飛び出してきたのはエリィの侍女だった。
「エリィ様! た、大変でございます!」
息を切らせて彼女は走り寄ってくる。だがここがどういう場所か思い出したようだった。
一呼吸置いてから言う。
「申し訳ありません、お一人の時に――」
わたしもいるけどね?
「お、お客様が、突然お見えになって」
誰がいるわけでもないのに、彼女はエリィの耳に手を当てて小声で囁く。わたしには少しも聞こえない。
けれどさっとエリィの顔が青ざめるのが見えた。
墓参りを急ぎ切り上げ、エリィと一緒に城に戻る。エリィは裏口から城に入り、庭で本を読んでいたテオドシウスを見つけると、丁度良かったとばかりに抱えていたわたしを降ろした。
「テオ様! ルナと一緒にお庭にいていただけますか? 後でアンナを向かわせますから!」
なんの疑問も抱かずに、テオドシウスは素早く頷いた。
「はい、分かりました。ルナ、おいで」
尋常ならざる義母の様子に、うんともすんとも言えずに、テオドシウスにがっちりと手を繋がれた。
エリィが城に入った途端に、テオドシウスがわたしに言う。
「誰か来たみたいだ。見たこと無い人だった。俺も気になるんだ、妙に城がざわついててさ。――見てみないか?」
と尋ねられたので頷くと、テオドシウスはわたしを抱えて城の壁に面した空気取りのための小さな窓へと連れて行った。
草木があって、わたし達が覗いていることは外からもちょっとやそっとでは気付かれなさそうだ。
窓から覗くと丁度城の入り口が見えた。
客人は玄関ホールに設置された革張りの椅子の上に腰掛けている。その前にエリィが立っていて、お客様の顔は見えないけれど、たっぷりとした生地のドレスを着ているから間違いなく女性だ。
「誰だ?」
テオドシウスがわたしの上から覗いている。と、エリィがその人の前からどいて、お客様の顔が見える。
わたしは目を見開いた。
「え……」
知っている人だった。
わたしと同じ髪の色。背が高くて美人だけど、険しい顔つきだから大層な迫力がある。
記憶の中よりもずっと若い。当たり前か、わたしだって一歳なんだもの。
テオドシウスが何かに気付いたようにわたしを見る。だけど今に限って、彼を気にしている余裕なんてなかった。
突然の来客の正体――それはわたしの実母だった。




