あ、あ、あ!?
部屋に入った途端、真っ先にわたしはエリィお義母様の温かな腕の中に抱きしめられた。
「ルナ!」
ぎゅうぎゅうに抱きしめられて痛いくらい。
「あう! きゃあ!」
良かったわ! 本当に心配したんだから!
そう伝えるとエリィは額を寄せて微笑む。
「心配かけてごめんね。もう大丈夫よ」
顔色は悪くない。彼女の言うとおり、体調は良いのかもしれない。昨日はびっくりしちゃったけど、わたしももう大丈夫。義母の様子を見て幾分かは安心した。
だけどエリィがわたしの耳元で囁くように言った言葉には驚愕せざるを得なかった。
「あのね――いるの。赤ちゃん」
「あ―――!? エッ!? あ、あ、あ!?」
赤ちゃん!?
あ、赤ちゃん!?
赤ちゃん!!!!?
赤ちゃんてあの、一人じゃ何にもできない弱い生き物の、アレ!?
全く以て予期しないことだった。
自分を取り繕う余裕なんてなくて、目を見開いてエリィを凝視した。まだ少女の面影を残すような彼女が妊娠しているとはにわかには信じられない。
でも、テオドシウスはもっと前に生んでいるのよね。だから二人目になるのね。
妊娠初期の女性は時に体調を崩してしまうことがあるって聞いたことがある。わたしも実母に散々愚痴を言われたっけ。
ともかく、だからエリィも倒れてしまったのかしら。
え! でも赤ちゃんだなんて!!
冷静と驚愕が言ったり来たり。心の落ち着きはまだ取り戻せない。
わたしはテオドシウスを振り返る。彼は昨日、しきりにわたしに病気じゃない、大丈夫と言っていたけどこういうことだったのね、と合点がいった。
いたずらっ子のようにエリィは笑う。
「無理をするなってお医者様に叱られてしまったわ。だけど今はもう少しだけ頑張らないとね? クローディン様のお帰りはもう数日後だもの、あとひと頑張りよ!」
そう言ってわたしを床に下ろすと、彼女が立ち上がろうとする。
と、テオドシウスがエリィの前に進み出た。
「母様」
とだけ言ったテオドシウスにエリィが顔を向けた瞬間、彼は彼女に手を翳す。次には彼女は目を閉じベッドに横たわった。
――――死!?
「きゃああああ! わあああああ! あああああああ!」
こ、殺した!? 殺した!!!!
鬼! 悪魔! やっぱり貴方には血も涙も心も無いんだわ!
油断するべきではなかった。愛するディアナ以外には決して優しさなんて抱けない彼の本性を知っていたはずなのに……!
わたしは大絶叫しながらテオドシウスの体を力の限りに何度も叩く。怒りで我を忘れていた。
すぐに彼の声がする。
「落ち着けルナ! 何もしてない! 眠ってもらっただけだ! ――ほら、ちゃんと見ろ!」
言われてエリィを振り返る。彼女は規則正しい寝息を立て、良い夢でも見ているのか口元には微かな笑みが浮かんでいた。
わたしは力が抜け、その場に座り込んだ。
「母様は絶対に無理をされるから、眠っていただいた方がいい。父上がご帰還なされた時の戦勝祝いは俺が代わって支度をしよう」
狼狽えたのは使用人達だ。
「て、テオドシウス様が!?」
だって貴方はまだ子供でしょう!? そんな言葉を、だけど使用人達は飲み込んだみたいだった。彼は英雄王の生まれ変わりで、言動が時に大人を凌駕するくらいであるということを思い出したのかもしれない。
テオドシウスは彼等に眩しいくらいの笑みを向ける。今ならこれは作り笑顔だって分かるけど、ほとんどの人はこれに懐柔されてしまうのだった。
「先だってのルナの誕生日も料理から招待客の動きまでぼくがほとんど手配しました。母様はお忙しかったから手を取らせたくなかったんです。
叔父上もいますし、ぼくはほんの少し手伝いをするくらいですよ」
先日の誕生日は、隙が無いほど見事な進行だった。戦勝祝いの会の準備はエリィとセドリックがほとんど終わらせていると聞いているし、あと数日くらいなら、エリィは休んでいてもいいかもしれない。
「ルナだってそう思うだろ?」
「うん! うん!」
それは確かに良い考えだわ、と思ってわたしが頷くと使用人達から笑いが漏れた。
どうして笑うの? わたしは本気でそう言うのよ。
大人っていつもそうよね。子供が本気で言ってることを随分軽くあしらってくれるのよ。貴方方より見えているものは多いくらいなんですけれど?
だけどわたしの思いは半分も伝わらない。まあ、場が和んだのならよしとするわ。
わたしはエリィを振り返る。彼女のお腹はまだぺちゃんこで、そこに本当に命が宿っているのかなんて見た目からじゃ分からない。
それでもわたしは誇らしかった。
どうしてって?
だってこれってわたしの手柄ですもの。
記憶の限り、テオドシウスに弟や妹はいなかった。これってわたしが来たから義両親の運命が変わったってことでしょう?
半年前の泥棒騒ぎの時、エリィが盗難に気づきながらも心配をかけまいと黙っていたことを、クローディンは少し叱っていた。わたしの勘違いじゃなければ、あの時から夫婦の距離は以前よりも縮まったように思うの。食事の席もエリィがクローディンの次に座ることも多かった。――それはクローディンがそうしてくれと言っているせいだけど。
わたしがクローディンを外に行かせまいと大泣きすることがあったし、時が戻る前よりも義父はきっと城に残ることが多かったはずだ。
エリィとクローディンの間に第二子ができたのは、だからわたしのおかげじゃない!?
ふふん、と口元の笑みが隠しきれない。
気分が最高によかった。
そうでしょ? そうよね! わたしのおかげに決まっているわ!
だからとても嬉しかった。何があってもこの子のことは守り通そうってそう思う。まるでいつかテオドシウスに言われた言葉みたいだわ。でも本心からそう思うの。だってこの子はわたしが生み出した存在に等しいから。わたしが運命を変えることができたっていう一つの証だったから。
――あれ、でも、待って。
浮き足立った心に、ふいに冷たい風が吹く。
「ルナ、これからセドリック叔父上のところに行くけど、一緒に来る?」
テオドシウスがそう言っている声に、返事ができない。
嫌な不安が頭をかすめた。それは急速に思考という形になる。
もしも、もしもよ?
わたしが運命をちっとも変えていなくて。
もしも時が戻る前の世界でもエリィが今妊娠していたとして。
だけど未来でテオドシウスに兄弟はいなかった。
一度思ったら、考えが止まらない。
嫌に鳴る心臓を、わたしは両手で抑えた。
ねえ神様。この子って、無事に生まれてくるの――?




