甘い甘いお砂糖みたいな
この帝国では一歳になったら洗礼を受ける習わしがある。皆が信仰しているのは主に女神教と呼ばれるものだ。
万物を生み出した女神を信じていて、至る所に教会があった。このグラディア王都にも帝都ほどではないにせよ、大聖堂と呼ばれる教会があって、そこでわたしは洗礼を受ける。
教会の中には聖なる火が常に焚かれていて、その煙に赤ん坊をくぐらせるのが女神教の洗礼だった。
だからわたしも今日、燻される。
「けほっけほ! げほっ!」
視界が真っ白に染まり死ぬのではないのかという恐怖に包まれた頃、わたしは救出される。涙目のわたしをエリィが笑いながら抱っこしてくれた。
皆こんな試練を乗り越えて大人になったのね。以前のわたしも概ね同じだったはずだけど、少しも覚えていない。神様なんて少しも信じていないから、洗礼なんて受け損な気がするけど、皆嬉しそうにわたしを見ていた。これがきっと通過儀礼なのね、耐えてみせるわ。
その後は司祭からの有り難いお言葉を貰って、わたし達は城へと帰る。
お城の中へ一歩踏み入れた瞬間、エリィがわたしに頬ずりをして、はしゃぐ気持ちを抑えきれないように上ずる声でこう言った。
「さあ、お誕生日パーティよ!」
――この忙しい中で、一体どうやって準備をしていたの!? って驚くくらい大層な祝いの場が設けられていた。
向かった先の会場は城の広間だった。何代か前のグラディア王の時代に作らせたパーティ用の会場で、高い天井にシャンデリアがぶら下がり、天井には神話の絵、壁にもずらりと叙事詩の場面が描かれた絵画が並ぶ、この城には珍しい豪華絢爛な場所だった。
正装した親族等が集まりわたしを待っている。その最も奥にわたしは通されて、ふわふわのクッションの上に座らされた。
正直言ってびっくりしていた。夢の中にいるみたいに現実感がない。隣にいた、やはり正装しているテオドシウスがわたしに向けて微笑む。
「今日のために、俺と母様と――皆に協力してもらって準備したんだ」
「主にテオ様がしてくれたのよ」
反対側にいたエリィがそう言ってわたしの髪を優しく撫でる。
領地内の諸侯から、わたしへの祝いの品が続々届く。わたしへの祝いの品ってことはつまり、両親への売り込みだ。自分たちは貴方方が大切にしている娘をこれほど大層な贈り物をしていますよ、だから重用してください――あるいは敵対しないでくださいってところかしら。
穿ち過ぎ? まあ、いただいた品は悪くなさそう。有り難く頂戴しておくわ。
集まった親族達がわたしに次々と挨拶をする。此度の戦勝祝いも同時に述べる人もいた。親族の中の活きが良い人達は戦に一緒に行っているから、残っているのは家を任されている夫人や不在を預かる有力者。
残っている者達の中で特筆すべきは先代王の正妻の第一子でありクローディンの腹違いの兄についてでしょうか。
セドリックというのが彼の名で、クローディンの長期不在をエリィと共にやり過ごすため自分の領からわざわざやってきてくれたみたい。
性格は豪快、声が大きくてどこにいても彼の居場所が分かるほど。驚くことにわたしにもテオドシウスにも随分と優しく接してくれて、顔を合わせる度にその大きな手で頭をぐしゃぐしゃに撫でてくれた。
今日もそうだ。
短めの黒髪に大きな体のセドリックは大股でわたしのところへ来ると、大げさな態度で跪いた。
「我等が妖精姫! 途中からグラディア家に加わったにも関わらず、一瞬にして皆を虜にしてしまった罪深き赤ん坊! 一歳の誕生日に、心からのお祝いを」
皆から笑いが漏れる。顔を上げたセドリックの顔は朗らかで、邪念などどこにもなかった。
クローディンより十は年上らしい。顔はよく似ている気がした。
妖精姫っていうのは、女の子を褒める常套句なようなもので、本物の妖精姫であるディアナが現れるまでそこかしこで言われていた。
「俺からは、音楽の贈り物を」
セドリックが手を叩くと、彼が準備してくれた楽団が曲を奏で始めた。それは美しい旋律で、愛する故郷を歌った古い曲だった。
クローディンは先グラディア王の側室の子だ。実は本妻にも子供はいた。それも四人。男児もいる。
彼が王になったのは、子が英雄王の生まれ変わりだと預言を受けてからだという。もしもそれがローゼン家だったら、とんでもないお家騒動になっていたことだろう。
だけどグラディア家一族はクローディンに対する不平不満など一切ないようだった。時が戻る前も、クローディン亡き後グラディア家が揉めたという話は聞かない。
すべては家の存続のために皆が動き、狼の群れの如く、グラディア家は統制されていた。
でもそのセドリックも、クローディンが死ぬ戦で一緒に死んだはずだ。あの戦には、それだけ有力者が集っていて、大勢が死んだ。だから余計にグラディア家は衰退することになる。
彼等はそんなことを少しも知らなくて、今日という日を心から楽しんでいるようだった。
皆が曲に合わせて踊り始める。わたしはそれを座って見つめていた。
かつては踊るのが好きだったっけ。皆がわたしを見て褒め称えた。だってわたしは美しかった。こういう場所での所作は身につけていたし、誰よりも目立つドレスで着飾っていた。
だけど遠い昔のことのように感じる。ここで踊っている人達の中にはダンスがめちゃくちゃな人もいるのに、誰も馬鹿にしないどころか、むしろ笑い合っていた。それは間違いなく幸福な光景で、光に照らされる人々は輝いていた。
かつてわたしが手に入れて、すがりついていた価値ってなんだったんだろう。見かけの美しさなんて、生きる上で邪魔にしかならなかったのに。
時が戻る前に、誰がくれたかも覚えていないオルゴールを持っていたっけ。ネジを巻くと綺麗な音が鳴って、わたしの心を慰めてくれた。
くるくる回る人々はさながらオルゴールの上の人形のようにいつまでも幸せそうに踊っていた。
パーティが始まり、少し経った頃、エリィがおもむろに立ち上がりコホン、と咳払いをした。
侍女が彼女に渡したのは分厚い封筒で、一見すると本でも入っているように見えたけど、そうではなかった。それは手紙だった。
「ルナ、貴女のお義父様からよ」
そう言うと、エリィは封筒の中から紙の束を取り出すと得意げに読み上げ始める。戦地より帰還中の義父がわたしに向けて寄越した手紙だった。
――俺の最愛の娘、最高に可愛いルナへ
などという書き出しから始まるクローディンからの祝いの手紙は長すぎて途中でうつらうつらしてしまい、途中で何度かテオドシウスに小突かれるほどだった。
わたしは自分の胸に手を当てる。
ねえ赤ちゃん。貴女、とても愛されてるわ。
パーティはまだ続く。
またしてもエリィは立ち上がり、側にいたアンナを呼び寄せた。これ以上、何が始まるの? と思っていたわたしの鼻先に、突然それが示される。
――まばゆいばかりに輝く、わたし用のそのドレスが。
それはまさしく、わたしがこの前城下で見染めたあの見事な布に他ならなかった。
「きゃあ! きゃあ!」
我も忘れて歓喜の悲鳴を上げるわたしに、エリィは満足そうな笑みを向けた。
「アンナから聞いたの。ルナがこれをとても気に入って見ていたって。これはわたし達からよ」
アンナは驚いたように目を見開く。
「とんでもありませんエリィ様! わたしは何も……これを服にしたらどうかと言ってくださったのはテオドシウス様ですし」
「でも一緒にデザインを考えてくれたわ。わたしははやりの服に疎いから、一人じゃこんなに素敵なものを作ることはできなかったもの」
アンナは顔を真っ赤にしてひどく恐縮したように首を横に振った。確かに彼女のセンスは優れていると思う。伊達に色んな土地を旅して来たわけじゃなさそう。
時が戻る前の記憶の限りのどんなドレスよりも、このドレスは美しく思えた。
と、隣にテオドシウスが、手元に何か光るものを持ちさっとわたしに近づけた。思わず硬直する。一瞬それがナイフに見えたから。
わたしの強張る顔を見て、テオドシウスも少しだけ固まる。でもすぐにいつものあの人を蕩かすような笑みを浮かべてそれをわたしに差し出した。
「ルナ、一歳の誕生日おめでとう。これはぼくからの贈り物」
彼の手の中には、輝く金色の髪飾りがあった。
半年前、わたしが泥棒に盗まれて無くしてしまった髪飾り。それとは少し異なるけど同じように小花があって、細かな装飾がなされていた。
ドレスを着て髪飾りを付けて、鏡の前に連れて行かれる。鏡には、着飾られた赤ん坊が写っている。少しの戸惑いとともに。
わ、びっくりするほどよく似合ってる。
「世界で一番可愛い女の子だよ」
テオドシウスがわたしの手の甲にキスをした。それは本心? それともエリィの前だから? わたしの心臓がチクリと疼く。
砂糖を入れすぎの紅茶を口に含んだ時みたい。舌の上でジャリジャリと、溶けきれなかった砂糖の音がしてきそう。甘すぎて、わたしには毒のようだった。




