09.なんだか面白くない
市場へ吹く風は前より涼しくなり、果物屋の台には葡萄と梨と無花果が並んでいる。
魚を焼く匂いに混じって、通りの菓子店から甘い匂いが漂ってくるようになった。
初秋っていい季節だよね。
なんてったって、美味しい季節!
◇
地図を持った男の人を尾行したあと、食事処の絵入りメニューは完成し、兄様から市場にも置いていいと追加の許可をもらった『ハイモア港案内図』も刷り増した。
地図を見て食事処へ来る人が増え、料理の絵を指さして注文する客もいるそうだ。
実際に注文が増えたと聞くと、にやにやが止まらない。
そんな評判が広がった結果、印刷所の作業台には、地図へ載せてほしいという店から届いた紙が積み上がっていた。
◇
今日はゴードンが、入港した船の荷を確認するため倉庫へ出ている。商会から来ているのはレナだけだ。
掲載を希望する店との話し合いは、レナが取りまとめてくれている。
「十七軒?」
私は椅子に座り、レナがまとめた希望店の一覧を読む。
食事処が五軒、菓子店が三軒、宿屋が二軒、土産物屋が四軒。残りは靴屋と仕立屋と、旅人向けに薬草を売る店である。
「先週、一緒に回った倉庫街側の三軒も入ってるの?」
「入ってます。ラルフさんが、店名と営業時間を確認してくれました。そうですよね、ラルフさん」
「朝しか開かねえ店が一軒あったぞ。一覧に時間も入れとけよー」
「はい!」
ラルフは作業台の向こうで、刷り上がった紙を箱へ詰めながら言う。レナも当然のように頷く。
あれ? いつから、ラルフはレナへそんな話し方をするようになったの?
ぞんざいだけど、響きは優しい。ちょっと前はよそ行きの口調だった気がするけど……まあいいか。
「この店から、少し困った希望が来ています」
レナが一枚の紙を私の前へ置いた。
町の中央にある老舗菓子店からの依頼だそうだ。
砂糖をたっぷり使った焼き菓子で知られ、贈答用として王都へ運ばれる品もあるらしい。
「困った希望?」
「自分の店を、ほかより大きく載せてほしいそうです」
「大きくって、どのくらい?」
「今載っている土産物屋の倍です。看板商品の絵も入れてほしいと」
「倍? すごいね!」
思わず聞き返すと、レナは依頼書を指した。
「その代わり、紙代と刷り代を多く負担するとありますが、私はその条件では受けないほうがいいと思います」
「なんで? たくさん払ってくれるなら、いいんじゃないの? 何が困るの?」
つんとした言い方にむっとして私が唇を尖らせると、レナは依頼書へ目を落とした。
「お金を払える店だけ目立たせたら、払えない店が見つけにくくなります」
ラルフは肩をすくめた。
「俺もレナの言う通りだと思いますよ。金を出した店だけ大きくしたら、何を基準に載せた地図なのか分からなくなるでしょう」
「うーん……じゃあ、店ごとの大きさは揃えたほうがいいのかな」
私は作業台の端に置いていた紙袋を引き寄せ、梨と蜂蜜のタルトを取り出した。
これは、小さな菓子店で買ったものだ。薄く切った梨が花びらみたいに並び、縁にはこんがり焼き色がついている。噛むと梨の甘い汁と蜂蜜が混ざって、生地の端はさっくさくで、口の中が天国になる。
窓が小さくて、看板も古びていて、店主のおばあさんは宣伝が苦手で……こんなに美味しいのに、近所の人しか知らないなんてもったいなさすぎる。
「でも、この梨のタルトの絵はどこかに入れたいなあ」
ぽそり呟くと、ラルフが案内図を指した。
「では、地図から店ごとの絵をなくしたらどうです? 全部同じ大きさの印で載せるんです。食事処、菓子店、宿屋、土産物屋、そのほかの店で印を分ければ、地図を見た人も探しやすいでしょう」
「食事処なら、お皿と匙の印……とか?」
「菓子店なら、焼き菓子の形でもいいですね」
私は紙の余白へ丸い焼き菓子を描き、その隣へ枕を足した。
「宿屋は……うーん……枕とか?」
「枕だけだと寝具屋と間違えませんか?」
「じゃあ、煙突付きの家の絵とかならいいかなあ。ええっと……こんな感じ……?」
私は皿と匙、焼き菓子、煙突付きの家、貝殻、買い物袋を順番に描いた。線を簡単にすれば、小さく刷っても潰れにくい。
印の大きさを揃えれば、老舗も小さな店も地図では同じ扱いになる。詳しい商品や料理を描けないのは寂しいけど、地図が店の絵で埋まることもない。
「でもやっぱり梨のタルトは描きたいよ〜」
「はあ……まだ言いますか?」
んもう、なんで、そんな言い方するかなあ……。
「あっ!」
──今日一番棘のあるレナの声を聞いて、なぜか閃いた。
地図へ入らないなら、パンフレットがあるじゃない!
「店ごとの案内を、別の紙にするのは?」
私が言うと、レナが手元の一覧から顔を上げた。
「別の紙?」
「地図には場所と種類だけ載せるの。詳しい料理や商品は、その店だけの案内紙に描く。たくさん宣伝したい店は、紙をたくさん刷ればいいでしょう?」
レナは希望店の一覧と案内図を並べ、内容を照らし合わせた。
「制作費と印刷費を店が払うなら可能です。店によって載せたい内容も変えられます」
「梨のタルトも大きく描ける?」
「お嬢様がその店から依頼を受ければ」
「今から聞きに行く!」
立ち上がったところで、ラルフに椅子へ戻された。
「まず、今ある依頼を片づけてください」
「ラルフは、私の行動力を潰そうとしてるの?」
「いえ、暴走を潰してます」
その言い方に、レナが堪えきれず笑う。
「それは私もお願いしたいです。お嬢様が一人で店へ行ったら、依頼を受ける前に勝手に全部決めて帰ってきそうなので」
「ははっ、違いない」
二人で納得しないでよ。
行動力を暴走扱いするのは気に入らないけど、店ごとの案内紙が増えれば、私は食べ物も土産もたくさん描ける。
前世のカフェでは、季節ごとにメニューボードを描き替えていた。
店によって色や文字を変えれば、地図から広がった案内紙も、それぞれ違う雰囲気にできる。
「レナ、店の人から、何を載せたいか聞いてくれる?」
「商会の仕事として受けるなら、兄と話をします。案内紙の依頼をまとめる窓口も必要ですから」
「うん、お願いね」
両手を合わせて頼むと、レナは一覧を一枚めくった。
「料金はこっちで決めますよ。地図を作り直す案は、トリスタン様にも確認していただきます」
「うん、大丈夫。分かってるよ」
ラルフは紙箱へ掛けた紐を結び直すために手袋を外し、邪魔そうに袖口を折った。
すると、手首から青い革紐と銀色の魚がのぞく。
「あら?」
レナが、目を見開く。
「ラルフさん、その腕飾り……」
「ああ、これか。露店で捕まったときのだな」
私は袖を上げ、白い革紐を見せた。
「見て見て。ラルフとお揃いなの」
レナの視線が、私の腕からラルフの腕へ移る。
「恋人じゃなくても、大切な人とつければいいんだって。知ってた?」
「……知ってます。お嬢様は護衛対象ですもの。大切に決まっていますよね」
レナの指に力が入り、手にしていた依頼書の端が折れた。本人も気づいたらしく、すぐに紙を伸ばす。
それから依頼書を作業台へ置き、何事もなかったみたいにラルフへ向き直った。
「明日は、市場の南側を確認したいんです。店の入口の位置はラルフさんに見てもらえると助かります」
「俺が? ……まあ、いいけど」
明日の話なのに、なんで私を飛ばして決めてるの?
「お嬢様は、今日決めた印の清書がありますよね。店ごとの案内紙に何を入れるかも考えないといけませんし」
「? そうだね」
「でしたら、お嬢様はお屋敷で作業していてください。市場の場所を確認するだけなら、私とラルフさんで済ませられますから」
「え」
レナは何でもないことみたいに、手元の一覧へ目を戻した。
「昼までには戻れますので、待っていてください」
待っていてください? 何それ。
「ううん。実際に見て考えたいから、私も行く」
思ったより強い声が出た。
ラルフが作業台に残った紙へ顎を向ける。
「今日決めた印の清書も残ってますよ? 早起きできますか?」
「できるよ。今から帰って描くし」
「徹夜は禁止ですからね」
却下が早い。いざとなったら徹夜しようという魂胆はバレてるようだ。
「じゃあ、徹夜しなくていいように今すぐ帰ろ?」
私は梨のタルトを紙袋へ戻し、作業台に広げた紙を集めた。
「そこまでしなくても、お嬢様は来なくて大丈夫です」
レナが依頼書を揃えながら、私にだけ聞こえる音量で言う。
「場所の確認だけなら、私たち二人でできますよ」
仕事が残っているのは分かっている。
場所を見るだけなら、私がいなくても困らないのも分かっている。
でも、どうしてそんなに私を留守番させたがるの?
……なんか嫌。ものすごく面白くない。
「私も絶対に行くから!」




