10.梨のタルト屋さん、宣伝計画①
翌朝、市場の入口へ着いたとき、私は得意げだった。
昨日、屋敷へ戻ってすぐに夕食まで地図へ使う印を清書したり、店ごとの案内紙に入れる項目を書き出した。
徹夜はしてない。
ラルフが見張っていたから、できなかったとも言うけどね。
朝食前に起きて仕上げたのだから、私の本気を褒めてほしい。
昨日は結局、仕事を終わらせるなら一緒に行けばいいだろうとラルフが言い、レナも「……仕方ありませんね」と折れた。
なので、三人で市場の南側を回ることになったのである!
まあ、ちょ~っと眠いけど。
「お嬢様、眠そうですね」
「ね、眠くないよ。目を閉じたほうがいいアイデアが出そうなだけ」
「危ないからやめてください」
ラルフに帽子の後ろを引かれ、荷車へ突っ込む前に止められた。
危ない危ない。
あと半歩で、朝から小麦粉の袋と仲良くなるところだった……。
「お嬢様は、来なくてもよかったんですけどね」
つんつんレナは私の左を歩いている。
右にはラルフがいる。
なぜ私が真ん中なのかって?
私が割り込んだからです!
二人だけで昨日の続きみたいに話されるより、私も全部聞いたほうが仕事になるでしょ?
だから、これは合理的な位置取りであって、ほかに理由なんてないの。
「今日回る店の場所、私も見たほうが描きやすいかなって思って」
「印の清書は終わったんですか?」
「終わったよ」
レナの目が疑い深く細まる。
むむむ、失礼な。
「本当ですか?」
「ラルフ、見せてあげて」
私が言うと、ラルフは持っていた筒から清書した紙を抜き、レナへ渡した。
レナの眉が跳ねる。
「……期限までに仕事を終えるのは当然です」
朝から超つんつんしている。
でも、だめ出ししないなら、出来が悪いわけではないんだよね?
そこは口に出してほしいんだけどなあ。
市場の南側にある食事処を三軒回り、店名と開いている時間、入口の位置を確かめた。
私は店主へ何を一番見せたいか聞き、レナは案内紙へ入れる情報と費用の希望を書き留め、ラルフは通りから店が見える場所を確認していく。
三軒目を出たところで、甘い匂いが鼻腔をくすぐった。
薄く切った梨へ蜂蜜を塗り、縁が色づくまで焼いた、あのタルトの匂いである。
「梨のタルトの匂いだよ〜」
実は今日、この辺りを回ると決まってから楽しみにしていた。レナとラルフにも食べてもらうのだ。
あれを食べれば、私がどうして地図に梨のタルトを描きたがるのか分かるはず。
百聞は一見にしかずならぬ、百聞は一口にしかず!
古びて文字が霞んだ看板があるだけの小さなお菓子屋さんへ向かおうとしたところで、ちょうど二人連れの女性が店の前で足を止めた。
一人が看板を見上げ、もう一人も隣から文字を確かめるように眺めている。
入るかな?
そう思って見ていたのに、二人は扉へ手をかけず、そのまま隣の通りへ歩いていった。
あれ?
私は店へ目を戻した。
看板の文字は掠れて、少し離れると何と書いてあるのかほとんど読めない。
もしかして、何のお店か分からなかったのかな?
地図に梨のタルトを描いて、ここに美味しいお菓子がありますよって知らせても、店まで来た人に扉を開けてもらえなかったら食べてもらえないってこと?
地図に描くより先に、こっちをどうにかしたほうがいいかも……。
「レナ、ラルフ。ここ、寄っていかない?」
「タルトを食べるためですか?」
「それもあるけど、店主さんと話がしたいの」
レナは店先を見てから、扉へ向かった。
私も続こうとして、ラルフに肩を掴まれる。
「お嬢様。今、店主に何を言おうと考えてます?」
「んとね、『看板を大きくして可愛くしよう』って。あとね、地図のことも!」
ラルフは私の肩を掴んだまま、店の扉へ目を向ける。
「勝手に決めちゃだめですよ。ちゃんと店主の希望を聞かないと」
そうでした。
「……聞いてから言う」
さっきまでの三軒でちゃんと話を聞けていたのに、梨の匂いで気持ちが急いちゃった。
店へ入ると、蜂蜜の匂いが濃くなった。
「あら、お嬢様。今日もいらっしゃってくれたのですかぁ」
店主のおばあさんは、焼き上がったタルトを台へ並べていた。にこにこしていて話し方が優しくて、ホッとする。
「はい、今日は聞きたいことがあって来ました」
先に聞く!
「お店で困っていることはありますか? 初めて来た人に買ってほしいものは何ですか? 普段は一人で焼いて、並べて、包んでいるんですか? 混むのは何時頃ですか? 看板を直してみませんか?」
ふふん、どうよ。
私だって聞けるんだから。
褒められる準備はできてます!
「お嬢様、いっぺんに聞きすぎです。一つずつにしてください」
「……」
褒められなかった。
世の中は厳しい。
おばあさんの話を聞けば、この店は三十年以上前からあり、近所の客は扉を開けて入ってくるけど、旅人は店先で迷って帰ることが多いらしい。
看板は亡くなった旦那さんが作ったものなので捨てたくないのなら──
「塗り直すのはどうかなあ。文字は上からなぞるとか」
「いいですねえ。文字を読みやすくしてほしいです」
古い物を残したいなら、残したまま使える形を探せばいい。
「じゃあ、今の看板は塗り直して、店先にもう一つ案内板を置くのはどうですか? 梨のタルトの絵を入れたら、何のお店か分かりやすいと思うの」
「毎日出したりしまったりできるものがいいですねえ。でも、そんな大ごとにするお金はありません」
おばあさんが、申し訳なさそうに背中を丸める。
「そっかあ」
私のおこづかいで払ってもいいけど、だめって言われそうだなあ。どうしよう。
そのとき、後ろからレナの大きなため息が聞こえた。
「兄に相談します。商会の販促実験として引き受けられれば、店主さんに費用は負担させません」
砂漠に降る雨のような言葉に私はその場で飛び跳ねる。
「ありがとう、レナ!」
「お礼は不要です」
鼻先で扉を勢いよく締めるような拒絶に、気持ちがしぼんでいく。
……レナとは仲良くなれないのかな。
◇
その日の午後、私たちはミドルトン商会の応接間で、梨のタルト屋さんの話をした。
ゴードンは椅子へ深く座り、私が描いた店先の下書きを眺めている。
午前中に聞いたことをもとに、看板の修正内容と、案内板ラフを描いたのだ。
「一軒だけなら、やってみてもいいな。ミドルトン商会の販促実験としてやる。職人の手配と値段の交渉はこっちで持つ。お姫さんには意匠と絵を頼む。客が増えりゃ、菓子に使う砂糖も、包み紙も、うちから買う量が増える。店が儲かって、うちの商いも増えるなら、試す価値はある」
完成した看板と案内板は商会が負担し、私が考えた試作品は私のお小遣いで。家のお金は使わない。
これなら兄様へ報告しても、怒られない……よね?
「まず三週間、今の店のままで売れた数を店主へ書いてもらう。そのあいだに試作品を作るが、店先は変えねえ。看板と案内板を変えたあとはひと月、同じように数える。一日あたりの売れた数が増えなきゃ、見た目を変えて終わりだ」
「増えるよ。梨のタルト、美味しいもん」
「味はお姫さんが保証するってか?」
私は昨日食べたタルトを思い出した。
「だってね、本当に本当に美味しいんだよ?」
「分かった分かった」
ゴードンは声を上げて笑った。
それから私の隣へ椅子を寄せ、肩越しに下書きをのぞき込む。
「もうちょい見せろよ。お姫さんの絵は近くで見たほうが面白え」
赤茶色の髪が視界の端へ入り、肩が触れそうになる。
私は紙を動かそうとしたけど、その前に、丸めた地図が私とゴードンのあいだへ差し込まれた。
「近すぎだ」
ラルフが地図の筒でゴードンの肩を押している。
「なんだよ、従者くん。仕事の紙を見てるだけだろ」
「目がついてんなら向かいから見ろ」
ゴードンは引くどころか、椅子の背へ腕を載せた。
「お姫さんの横のが見やすい」
「てめえの見やすさなんざ知るか」
ゴードンはラルフへ、にやりと笑いかける。
これ、絶対にわざとだよね?
「ゴードン、ラルフで遊ばないで」
「バレたか」
「バレバレだよぅ」
私はゴードンの椅子を元の位置へ押し返した。
ラルフは私の椅子ごと自分のほうへ引いた。
床を擦る音がして、レナが額へ手を当てる。
「兄さん、仕事の話をして」
「してるだろ。お姫さんの扱いも、今後の商売には重要だ」
そこに私まで含められるのは納得できない。
「? 私は、商品じゃないよ」
「ああ、商品より手がかかる企画屋だな」
企画屋は嬉しいけど、商品より手がかかるは余計だと思うの。




