07.地図の行方①
描き直した案内図と刷り代にかかる値段を兄様へ送り、まずは宿屋へ少部数だけ置いてよいと許可をもらった。
版で刷った線画へ、私が作った見本に合わせて屋敷の者と色を塗り、昨日ようやく受付へ置いたのである。
そして今日は、ちゃんと誰かが持っていってくれるのか気になって、朝からラルフと宿屋へ来ていた。
「──あっ」
受付脇の椅子に座って地図の籠をちらちら見ていると、男の人が一枚手に取った。
「ラルフ、行くよ」
小声で言うや否や、私は椅子から立ち上がり、向かいに座っていたラルフの袖を掴んだ。
「どこへですか」
「あの人のあとをつけるの」
「『お見守り』相手を変えたんすか?」
男の人は、折らないように地図を丸めて宿屋を出ていく。
「違うってば。地図を持っていった人を追いかけるの」
革の鞄から紙の端が何枚も見えているし、観光へ来た人というより、港の商会か倉庫へ用事がある人かな?
紺色の上着は旅で少しくたびれているけど、襟元まできちんと留めている。
ハイモア港へ遊びに来たわけではない人が、私の地図を持っていったのって、なんだかすごいよね。
だって、仕事のついでに見る気になったということでしょ?
見る気がなければ、荷物になる紙なんて持っていかないもん。
「すぐ後ろに張り付こっ」
「そんなことをしたらすぐに気づかれます」
「じゃあ、どうすればいいの?」
ラルフが、治安の悪い顔で不敵に笑う。
「まず、相手の真後ろには立たないことです。店の窓や荷車を間に挟みましょう。角を曲がった直後に走って追いつこうとすると、足音でばれますからね。あと、見過ぎたらだめです。視線を感じ取れる人もいますから」
「……詳しいね?」
「行きますよ。対象の肩から上は見ないでください」
私はラルフに手を引かれ、宿屋の壁沿いへ寄った。男の人が通りの先で地図を広げる。近づきたいのに、ラルフが私の肩を掴んで離してくれない。
「ね、遠くない? 何を見てるのか分からないよ」
「分かる距離まで寄ったら、向こうにもお嬢様が分かります」
男の人は地図を上下へ動かし、描かれた建物と通りを見比べていた。
わああ、使われてる! 地図として使われてるよ~!
男の人は迷わず坂道へ向かった。
そこは、私が大きな星を描いた場所へ続く道だ。
赤茶色の屋根越しに港が見えて、灯台と船を一枚の絵みたいに眺められる。何度か時間を変えて見に行き、ここが一番だと決めた。
「顔がにやけてますよ」
「だって嬉しいんだもん!」
「声を抑えてください」
「はあい」
男の人は坂を上り、家と家のあいだにある石壁の前で足を止めた。
そこからなら、港へ並ぶ船と、倉庫街の赤茶色の屋根がよく見える。今日は空も明るく、海の向こうまでよく見える。
男の人は地図を見てから景色を眺め、近くで網を直していたおじさんへ話しかけた。
「この辺りで港を眺めるなら、ここが一番ですか?」
おじさんは石壁の向こうを見て、首を傾げた。
「ここも悪くないが、一番と言われたら違うな。夕方なら、古い潮見台へ上がる石段の途中だ。海へ沈む夕日が、帆柱のあいだから見えるぞ」
「潮見台?」
「この坂を下りて、青い扉の家を右だ。ん~? その地図は、潮見台は描いてあるが石段の途中までは載ってねえなあ」
私はラルフの背中へ隠れたまま、頭の中で地図を思い返す。
潮見台は描いてある。町の高いところに残っている石造りの塔だから、建物としては知っている。でも、そこへ上がる石段の途中が絶景だなんて知らなかった。
男の人が礼を言うと、今度は魚籠を抱えた女の人が会話へ入ってきた。
「朝なら東の突堤だよ。漁船が戻ってくるところを見たいなら、あっちのがいいでしょ」
今度は、荷車を引いていた男の人も足を止めた。
「船を見るなら南の防波堤だろうがよ!」
三人とも違う場所を言っている。しかも、全員が自信満々。
私が一番だと思った場所が、皆の一番とは限らないんだ……。
朝と夕方で景色が違うことも、町の人に聞けば私の知らない場所が見つかることも、最初に地図を描いたときには考えてた。
なのに、描くのが楽しくなって、自分で歩いて見つけた場所を詰め込むうちに、いつの間にか『ここが一番』と決めつけちゃってた。
「お嬢様」
ラルフが小さな声で呼んだ。
「帰りますか?」
「……ううん、帰らない」
男の人は礼を言うと、教えられた道を地図で確かめながら坂を下り始めた。
さっきまで話していた三人も、それぞれの仕事へ戻ろうとしている。
「あ、あのっ」
声をかけると、三人がそろって振り返った。
私が領主家の娘だと気づいたらしく、魚籠を持った女の人が慌てて頭を下げる。残り二人もそれに倣う。
私は慌てて両手を振った。
「そのままでいいです! あの、あのね、今のお話、もっと聞かせてください!」
「今の?」
「海が綺麗に見える場所のこと。夕方は潮見台の石段で、朝は東の突堤なんですよね? ほかにもありますか?」
網を直していたおじさんが、少し考えた。
「雨上がりなら、倉庫街の裏ですな。水たまりに灯台が映って幻想的ですぜ」
「水たまり?」
「あー……綺麗な靴で行く場所じゃないですね、すんません」
「ううん、教えてくれて嬉しいよ」
私はすぐにラルフを見上げる。
「ねえっ」
「今日は雨上がりではありません」
「分かってるぅ。雨が降った次の日に行ってみようねってこと!」
「仕方ないですね……いいですよ」
「楽しみだね~」
返事をしたあとで、違う違う、今は私が話す番ではないと思い出す。
「あ、それで? ほかには?」
「魚市場の裏にある石段が穴場ですね。満潮になると、足元まで海が来ます」
私は紙を出そうとして、持っていないことに気づいた。尾行することしか考えず、鉛筆も板も宿屋へ置いてきてしまったのだ。
ラルフが従者服の内側から、小さな手帳と鉛筆をスッと出す。
「できる男だねえ」
治安悪い顔なのに、とは言わないでおこう。
私は手帳を受け取り、聞いた場所を書き留める。
「でも、私が選んだ坂も──」
そこまで言って、口を閉じた。
危ない危ない。ここであの坂のよさを語り始めたら、私の話だけになってしまう。
「ううん。続きをお願いします」
魚籠を持った女の人が、港の向こうを指す。
「冬なら、北の浜もいいですよ。風は強いけど、海の色が一番濃くなるんです」
「そうなんだあ!」
教えてもらった場所は、六つになった。
朝の海が見たい人、夕日が見たい人、船が見たい人。同じ港でも、見たいものによって行く場所が違う。
だったら地図にも、朝、夕方、船、季節の印をつけようかな? 地図を持った人が、自分で行きたい景色を選べるようにするの!
「ありがとう! ほかの人にも聞いてみます!」
「地図、直すんですかい?」
「はい。……私、分かったつもりでいました。でも、もっとちゃんと、ここに住んでいる人の話を聞かないと、って反省しました」
領主の娘としてかなり格好悪いけど、知らないまま偉そうに地図を配り続けるほうが嫌だ。
よし、明日から町じゅうの人に聞きまくるぞ!
「お嬢様、対象を見失います」
「!」
潮見台へ向かうと思っていた男の人が、いつの間にか反対の道を進んでいた。もうかなり遠くにいる。
いけないいけない。反省と新しい案に夢中で、尾行してるのを忘れるところでした。
私とラルフは三人へもう一度礼を言い、男の人のあとを追った。




