番外編 02.誓いの日
結婚式の日は、朝から怖いくらいの晴天だった。
雲はなく、風も凪いでいる。
港に停泊した船もほとんど揺れず、海面には陽の光がきらきらと散っていた。
船上結婚式をやりたいと言い出したとき、雨だったらどうする、風が強かったらどうする、そもそも花嫁が船酔いしたらどうする、と兄様には散々言われましたとも。
でも、そんな心配は無用でした! 日頃の行いかな? なーんてねっ。
船には白い花と淡い桃色の花が飾られ、港からでも見えるように何本もの旗が張られていた。
甲板の手すりにも花が連なり、白い帆の向こうには青い海が広がっている。毎日のように眺めているハイモアの海なのに、今日は特別綺麗に見える。
私が着ているのは、真っ白な花嫁衣装。
船の上でも歩きやすいように、スカートは広がりを抑えてもらった。
その代わり、裾には蔦の刺繍が入り、ところどころに小さな真珠が縫い込まれている。
淡い桃色の髪は半分だけ結い上げ、生花と真珠を飾ってもらった。後ろには薄いヴェールが流れている。
支度を終えたときも嬉しかったけど、船へ乗って海の青と白い花に囲まれると、本当に私は花嫁になるんだなあ、と実感した。
そして私の隣には、礼装姿のラルフ。
黒を基調にした礼装のせいか、普段より肩や背中が大きく感じる。
腰には儀礼用の剣を下げ、黒髪もきちんと撫でつけてある。
……格好いいなあ。
飽きずにそう思っちゃう。
十五年前、道端で拾って屋敷へ連れて帰った男の子が、花婿として隣に立っている。
誓いの言葉を交わすため、ラルフと向かい合った。
「これから先も、ジャクリーンと共に生きていくことを誓います」
「ラルフと一緒に生きていくことを誓います」
皆の前でこんなことを言う日が来るなんて、五歳の私は絶対に想像していなかっただろうなあ。
ラルフの大きな手が、私の手を包む。
剣を握るせいか、指の節もしっかりしている。
指輪を嵌めてもらうと、急に照れくさくなった。
いつもなら目つきが悪いだの厳ついだの、好き勝手なことが浮かぶのに、今はときめきしかない。
両家の家族や親しい人たちの前でキスをしたけど、すごく短く触れるだけだった。
離れたラルフが双子たちを見て眉間へ皺を寄せたので、たぶん二人のにやにやした顔が気まずかったんだろうな。
ラルフと双子が目だけでやり取りしているのが、なんだか仲良しっぽくって嬉しかった。
式を終えて船を降りると、港には町の人たちが集まっていた。
私たちの姿を見つけると一斉に手を振ってくる。レナとゴードンもその中にいて、私は負けじと手を振り返した。
「おめでとうございます!」
「ジャクリーンお嬢様ー! お綺麗ですー!」
「ラルフー! 嫁さん泣かすなよー!」
両手を振っていたら裾を踏んで躓きかけ、それと同時に腰に手を回された。
「こら、転ぶぞ」
「えへへ、ありがと」
港では料理が並び、花が配られ、お菓子も山ほど用意されていた。
もちろん琥珀糖もある。それを手に喜ぶ子どもたちの声を聞いていたら、初めて海藻を煮た日のことを思い出した。
町のあちこちで笑い声がして、料理を運ぶ人も楽しそう。
誰かの結婚式というより、領全体がお祭りになったみたい。
嬉しいなあ。
ハイモアへ帰ってきてから、町のことで走り回る私を、ラルフは何度も支えてくれた。そのラルフが夫になった。
ああ、『夫』! なんていい響きなんだろう!
宴が終わる頃には、顔が痛くなるくらい笑っていた。
◇
そして夜──
新居へ戻り、湯浴みを済ませて寝室へ入ったところで、私は固まった。
ラルフは先に寝室へ戻っていた。
濡れた髪を後ろへ流し、白いシャツの釦を首元からいくつか外している。
肩も首筋も、今夜は目につく。
礼装を脱いだだけなのに、どうにも落ち着かない。
姉様とレナが選んだ寝間着が、今になって心許なく感じる。
「緊張するけど、ね、寝るだけだもんね、あはは……」
「んなわけねえだろ、初夜だぞ。……そんな不埒なもん着てる嫁と寝るだけで済むと思ってんのか」
「ふ、ふら……? えっ、だ、だって、姉様が『これくらい普通だわ、むしろ大人しいほうだわ』って! レナも『今年は透けてる生地が流行ってますよ、皆着てますよ』って!」
「ったく……素直すぎるのも大概にしろよな」
ぶつぶつ言いながら、ラルフがこちらへ歩いてくる。
一歩近づかれるだけで、開きすぎた襟元が気になってたまらない。
気づけば、私はそのぶん後ろへ下がっていた。
さらに距離を詰められ、思わず踵を返して扉の取っ手を掴んだものの、開かない。
振り返ろうとしたら、頭の横へラルフの手がついた。
つまり、前世で見た壁ドンならぬ扉ドンである。
「嫌なら『寝るだけ』で我慢する。……だから、逃げんな」
背中のすぐ近くから聞こえた声は、いつもより掠れていた。
怒っているわけじゃない。困っているとも違う。
だったら、何?
気になって振り向くと、思っていた以上にラルフが近くて、鼻先がぶつかりそうになった。
「い、嫌じゃない……嫌なわけない……でも、その……」
「ん?」
「……胸、ちっちゃいけど笑わないでほしい」
言ってから恥ずかしくなって、目を伏せる。
小さい頃から一緒だった。
転んで膝を擦りむいたところも見られたし、熱を出して寝込んだときには世話もされた。髪がぼさぼさの朝だって、食べ過ぎて動けなくなったところだって知られている。
だから、こんなことを気にして、今さらだって分かってる。
でも、ラルフの前に立っているだけで、自分の体がどこもかしこも気になって仕方がない。
「んな余裕あるか」
「……え?」
思わず顔を上げた。
ラルフの眉間には深く皺が寄っている。でも、呆れているときの顔じゃない。
琥珀色の目が、私だけを見ている。
怒ったところも、笑ったところも、眠そうなところも、私の奇行に頭を抱えているところも、それこそ数え切れないほど見てきたのに、こんなふうに見られたことはない。
「ラルフも、緊張してるの?」
「してるに決まってんだろ。……なのに、そんな格好で出てくるし、逃げるし……どうしろってんだよ」
いつも余裕そうにしているラルフが、私と同じように緊張してるんだ。
そう思ったら、なんだか嬉しくなった。
「……ジャクリーン?」
黙ってしまった私を不安に思ったのか、ラルフが名前を呼ぶ。
私は考えるより先に、ラルフへ抱きついた。
「こ、怖くないって言ったら、嘘だけどっ」
声が裏返って、みっともない。
「……でも、ラルフになら──」
言い終わる前に、背中へ腕が回った。
強く引き寄せられて、頬が白いシャツへ押しつけられる。いつも抱き締めてもらうのとは違う。
力が強い。離さないと言われているみたいで、それなのに怖くなかった。
耳を澄まさなくても分かるくらい、ラルフの鼓動が速い。きっと私のよりも。
それが嬉しくて、私も腕へ力を込めた。
途端に、ラルフが長く息を吐いた。
「……ほんっと、そういうこと平気で言うよな」
髪へ指が入り、耳の横から後ろへかき上げられる。
首筋へ触れた指に、ぞくりとした。
「ラルフ……?」
顔を上げようとしたところで、首筋へ唇が押しつけられた。
「ひゃっ」
声が出た。
え。
今の、私の声?
自分の声だなんて信じられなくて、息を止める。
次に触れた唇はもっと近く、耳の下だった。
ぴり、とした甘い痛みが走り、恥ずかしいのか驚いたのか、自分でも分からないまま泣きそうになる。
「や……ラル……」
逃げようとしたわけではないのに、肩が勝手に縮こまった。
ラルフが動きを止める。
「嫌ならやめる」
すぐ耳元で聞かれ、私は首を振った。
手を繋ぐのも、抱き締めてもらうのも、髪へ触れられるのも知っている。
でも、これは知らない。
耳朶へ歯が触れた。
甘く噛まれた途端、足から力が抜ける。
「ん……っ」
膝が折れそうになった体を、ラルフの腕が支えた。
恥ずかしくてたまらない。
さっきから変な声ばかり出ているし、こんな自分を知られるなんて耐えられないと思うのに、もっと近くにいたい。
顔を上げると、ラルフと目が合った。
ラルフが琥珀色の目を細めた。
その視線が顔から離れなくて、また体が震えた。
──今、私、求められてるんだ。
そう分かったら、嬉しくてたまらなくなった。
私はラルフのシャツを掴み、背伸びした。
ラルフは息を詰めたように黙り、私の頬へ手を添える。
目を閉じる前に、ラルフの顔が近づいてきた。
唇が重なる。昼間、皆の前でしたキスとは全然違った。離れたと思ったら、息を吸う暇もないうちにもう一度重ねられる。
何度目か分からなくなった頃には、ラルフのシャツを掴んでいる自分の手にも力が入らなくなっていた。
息をするために顔が離れても、鼻先が触れ合うほど近くにラルフがいる。
「続きしても大丈夫か?」
「……ん、だいじょぶ」
乱れた呼吸の合間に返事をしたら、また唇を塞がれる。
頭まで熱くなって、もう何を考えているのか自分でも分からない。
溺れているみたいだけど、ラルフになら、このまま溺れてしまってもいい。
唇が離れたかと思うと、ふわりと体が浮いた。
「わっ!」
ラルフに抱き上げられ、そのままくるりと回される。
楽しくて笑うと、ラルフがほっとした顔をした。
もしかして、私の緊張をほぐそうとしてくれてるのかな?
……そういうところも、全部、大好き。
──私たちの蜜月は、まだ始まったばかり。
【番外編 02 完】




