番外編 01.帰る場所(ラルフ視点)
俺が今まで見てきた騎士は、全員が騎士道を重んじていたわけではない。
下衆な奴も少なくなかった。立場を利用して横柄な態度を取る者もいれば、貴族のボンボンが騎士の地位を金で買っただけで、実力がない場合も珍しくなかった。しかも、そういう奴に限って質が悪い。
俺が以前、騎士団への誘いを断ったのは、お嬢様のそばを離れたくなかったことももちろんだが、口だけの薄っぺらい『騎士道精神』とやらに不信感を持っていたからだ。
だが、ナイト家の連中は違った。
弱者を守るだの、名誉を重んじるだの、道徳の模範になるだのと口にしてんなあ……と鼻白んでいたのに、実際にその通りに行動していたことに面食らった。
男爵家の者たちの剣筋は、俺のものとは違って正しくて美しかった。
俺の剣は、言葉を選ばずに言えば野蛮だ。正式に習ったわけではなく、勝つためなら使えるものは使うし、相手に隙があれば遠慮なく突く。そうやって国内の剣術大会で七位まで行ったので、自分でも『騎士の剣』だとは微塵も思っていない。
だから、ナイト家のような連中には嫌われると思っていた。
ところが、最初の面談でジョンとジョニーの二人と手合わせをしたら、その日のうちにナイト男爵から養子として迎えたいと言われた。
何をどう判断したら、あれで息子にしようと思えるのかは分からない。
俺が二人を相手に綺麗な剣を披露したわけでもない。二人の動きを見て、できた隙を突いて勝ったのだから、見方によれば卑怯でさえあったと思う。
デイヴィッド・ナイト男爵は強い奴が好きらしいので、それで充分だったのかもしれない。
嫌いな人間自体がほとんどいないらしく、最初から俺の出自や育ちを気にしている様子もなかった。
男爵夫人は元女騎士で、俺の剣が正統派ではないことを知っても、それがどうしたという態度だった。
何をするにもきびきびしていて、だめなものはだめとはっきり言う。
貴族としての振る舞いを教わっている最中、何度か立ち方や礼の角度を直されたが、できるようになればあっさり褒めてくれた。
長男のロジャーは、話しているとトリスタン様を思い出した。
真面目で堅物で、曲がったことが嫌いな正義漢。
次男のガイは逆に、俺が今まで見てきた中では一番『騎士様』という言葉が似合う男だった。
人当たりがよく、立ち振る舞いまで爽やかで、兄弟の中では断トツに女にモテるらしい。
ああいう男なら、お嬢様も格好いいと思うのだろうか。
……そこまで考えて、少し嫌な気分になった。自分で考えておいて腹を立てるのも馬鹿らしい。
ジョンとジョニーは、裏表がなく、明るくて、面白いことが大好きな双子だ。
騎士になるつもりではいたものの、最初は何がなんでもなりたいというほどの執着はなかったそうだ。
ところが、俺と手合わせをするようになってから、以前より熱心に剣の稽古へ取り組むようになったらしい。
負けたことが悔しかったのか、俺のような剣でも七位まで行けることが面白かったのか、その辺りは二人にしか分からない。
俺の存在が刺激になったと聞いたときは複雑な気持ちだった。
俺を参考にして大丈夫なのか。もっと綺麗な手本が家の中にいくらでもいるだろうに。
そうは思ったが、二人が以前より熱心に稽古へ取り組むようになったこと自体は悪いことではないので、余計なことは言わないでおいた。
……まあ、「アニキ」と呼んで慕ってくれるのは嬉しかったりする。
貴族として覚えることはかなり多かった。
領地や爵位、貴族社会の家系、王都での付き合い、ナイト家の行事。名前だけ知っていればいいものでもなく、誰と誰にどういう繋がりがあるのかまで覚えなければならない。
お嬢様がこれを全部覚えているのか怪しいので、帰ったら確認してみよう。
彼女は興味のないことは、覚える気が露骨にない。
ダンスも一応教わったが、型は何度か見れば大体真似できたので、相手をつけての練習はしていない。
講師とはいえ、お嬢様以外の異性とダンスを踊りたくなかったからだ。
どうせ踊るなら、一番最初はお嬢様と踊りたい。
彼女を好きになったのがいつだったのかは、正直覚えていない。
少なくとも十二歳の頃には、それが主人に対する感情ではないことくらい分かっていた。
お嬢様は嬉しいときに遠慮なく笑う。
褒めればすぐ得意げになるし、欲しいものを見つければ目が分かりやすく輝く。
そういう顔を見るのが好きだった。
お嬢様が十五歳でポール様へ一目惚れしたときも落ち込まなかった。
伯爵家の令嬢と平民の従者では、どうにもならない。
だから、彼女が誰かと結婚する日が来ることも、その相手が俺ではないことも分かっていた。
分かっていたから、ポール様へ恋をしたと知っても、そういう日が来たのだと思えた。
だが、妬ましかった。
なんであの男なんだとは思ったし、二年間も追いかけ続けるお嬢様を見ながら、なんで俺はこんなお騒がせな女が好きなんだとも思った。
でも、こればかりは仕方ない。
好きなものは好きなのだから。
涙目で「お願い」と言われるのが一番困った。
あれをやられると弱い。危ないことなら止めるが、叶えても問題のない頼みなら、渋るふりをするくらいが限界だ。
ずっと一緒にいても、あの顔に弱いのは変わらない。
俺にとって、お嬢様のそばにいるのは昔から当たり前だった。
仕事だから付き添う日もあれば、休みでも一緒に出かけた。面白そうな物を見つければ、お嬢様なら喜びそうだと思った。
それを特別なことだと考えたこともなかった。
以前、レナと二人で出かけたときもそうだった。
あの日は、お嬢様が俺を休ませるためにトリスタン様へ頼み、別の護衛を用意していた。
そこまでしてもらっておいて、やっぱり仕事をしますと断るのも変な話だ。レナに誘われたことにも、深い意味があるとは思っていなかった。
飯を食って、店を回って、港を歩く。俺にとっては、それくらいの外出だった。
店先に並んでいた淡い黄色の花飾りを見て、何となく足を止めた。
『こういうの、女は好きなのか?』
『えっと、私にはちょっと可愛すぎません?』
『? いや。お嬢様にどうかなって』
『……お嬢様、こういう物がお好きなんですか?』
『可愛い物は大体好きだな』
『……そうですか』
何度目かに足を止めたところで、レナが呆れたように言った。
『ラルフさん。お嬢様は今日はいませんよ』
『? 知ってる』
『でもさっきから話すことがお嬢様のことばかりです』
『そうか?』
言われるまで気づかなかった。
見慣れない物があれば、お嬢様ならどう思うか考えるのが癖になっているのだろう。
港へ向かう途中で、レナが妙なことを言い出した。
『ラルフさん、従者を辞めて、うちの商会へ来ませんか?』
『何だ、急に』
『兄も、ラルフさんなら雇うと思います。荷の管理もできますし、人と話すのも苦ではないでしょう? それに、今より休みも取れますよ。社員寮もありますし──』
『ありがとな。でも、俺は行かない』
『……どうしてですか?』
『俺はお嬢様から離れるつもりはない。目を離すと、とんでもないことしそうだしな』
レナが眉を寄せた。
『なんだか子守りみたいですね。……子守り、いつもお疲れ様です』
『言うほど、あの人は子供じゃない。世間を知らねえだけだ。それに話せば分かる』
『ラルフさん、お嬢様に甘すぎません?』
甘いつもりはなかった。
でも、そう言われては、「お嬢様に、もう少し優しく話しかけてくれないか?」とは言い出せなくなってしまった。
『ラルフさんがお嬢様のそばにいたいのって、義務感とか、キャロル家への恩義ですよね?』
『それもある。拾ってもらって、育ててもらった恩はあるし、お嬢様を守るのは俺の仕事だ』
『仕事じゃなくなったら、離れられるんですか?』
その質問の答えは、考えるまでもない。
『俺が一緒にいたいんだ。あの人が行くなら、どこにだってついていく』
王都を離れると言われたときも、行き先がハイモア以外だったとしても、俺はついていくつもりだった。
『……私がどうして今日あなたを誘ったのか、分かってないですよね』
はあ、と大きいため息を吐くレナに首を傾げる。
『私にはデートのつもりだったんですよ』
そこまで言われて、ようやく気づいた。
思い返せば、よく話しかけられていたし、俺がお嬢様と揃いの腕飾りをしていると知ったときも機嫌が悪かった。
お嬢様にあたりが強いのは俺の勘違いではなかったらしい。
『……あー……悪い』
頭をガシガシかいた。
気まずいし、申し訳ない。
正直、レナのことは貴族への態度やマナーを知らない子供だとしか思ってなかった。
でも、ゴードンも何度か注意していたし、いつかは態度を改めると静観してた。
なんせ、俺も七歳くらいまでは伯爵家の面々にタメ口をきいて、生意気な態度を取っていたのだ。
奥様をはじめ、執事長やメイド長に叱られたり諭されたりして、今のような話し方を覚えた。
時間をかけて覚えていけばいい、と俺を許してくれた人たちに倣い、レナに注意はしなかった。
まあ、冬灯祭のようなことがあれば、次は注意しようとは思っていたが……。
『ラルフさんの気持ちは、よく分かりましたからもういいです』
『ならよかった』
結局、レナから俺を好きだとはっきり言われたわけではない。
だが、レナが俺にそういう気持ちを持っていたなら、諦めてもらうにはあれくらい分かりやすいほうがいいだろう。
レナへ自分の気持ちをはっきり伝えたことに後悔はない。
ただ、お嬢様への態度については、注意しておくべきだったとは思った。
◆
ポール様がハイモアへ来てからは、さすがに平静ではいられなかった。
お嬢様がポール様に恋していないことは分かっていた。
以前みたいに追いかけることもない。手紙だって、トリスタン様に見せた上で返していた。
分かっているのに、面白くなかった。
ポール様がお嬢様を知りたいと言ったことも、手紙を送りたいと言ったことも。
何より、お嬢様がそれに返事をするのを、俺は止められない。
俺は従者だ。
お嬢様が誰と手紙を交わそうが、誰と結婚しようが、口を出す立場ではない。
ずっとそれでやってきた。
だから、あの日も黙っていればよかった。
なのに、お嬢様に何が嫌だったのかと何度も聞かれて、とうとう口から出た。
『…………俺の嫉妬です』
言った瞬間、しまったと思った。
お嬢様は案の定、何のことか分かっていなかった。
分からなくていいと思った。どうせ俺は従者以上にはなれない。好きだと知られたところで困らせるだけだ。そう思っていた。
だから翌日、お嬢様に、好きと言われたときは、本気で意味が分からなかった。
聞き間違いかと思った。家族として好きだとか、ずっと一緒にいたいという意味を、恋愛と勘違いしているんじゃないかとも思った。
それなのに、続けて結婚したいと言われた。
貴賤結婚は認められていないと伝えても、お嬢様は引かなかった。
養子になればいいと言い出し、自分が俺と結婚したいのだとはっきり言った。
それでも、まだ信じきれなかった。
『……俺でいいんですか』
俺は平民で、従者で、態度も愛想がいいとは言えない。
お嬢様が二年間追いかけたポール様みたいな男とは、何もかも違う。
すると、お嬢様は少しも迷わず言った。
『ラルフがいいの』
あの一言は、たぶん一生忘れない。
◆
王都へ来てからは、お嬢様と頻繁に手紙を送り合った。
お嬢様の手紙はとにかく長い。
仕事の話から、昼飯の魚の骨が取りにくかったという話まで、何でも書かれている。
その手紙を、端が丸まるほど何度も読み返したことは内緒だ。
半年ほど経った頃、ジョンとジョニーに手紙の宛名を指摘された。
『アニキィ、婚約者なのに、いつまで『お嬢様』って書くつもりなんだよ~』
『……勝手に読むな』
お嬢様からも名前で呼んでほしいと言われていたが、手紙の宛名までは考えていなかった。
長年そう呼んできたのだから、俺にとってはそれが普通だった。
だが、結婚したあとまで同じなのかと考えると、確かに変な気もする。
散々悩んだ結果、次の手紙から宛名を『ジャクリーン』と書くことにした。
紙の上なら本人の顔を見なくて済むぶん、まだましだった。
……それでも、違和感と気恥ずかしさはしばらく残ったが。
返ってきた手紙では、名前で書いたことを大層喜んでいた。
彼女は、そういうことを隠さない。嬉しいなら嬉しいと書く。会いたいなら会いたいと書く。
一年間で会えるかもしれない機会は五回あったが、結局、一度も会えなかった。
悪天候だったり、互いの予定が合わなかったり、理由はその都度違ったが、会えないことには変わりない。
そのたびにがっかりして、素振りを千回した。三回目くらいには、双子に素振りの理由がバレていた。
ナイト家で過ごした一年で、騎士というものへの見方も変わった。
騎士道を本気で守って生きている人間もいる。そう分かってからは、以前ほど一括りに見なくなった。
だからといって、自分の剣を変えるつもりはない。勝てるなら使えるものは使うし、ナイト家の連中も変えろとは言わなかった。
一年の期限が近づく頃には、ここを離れるのが寂しいと思うほど、ナイト家が自分の居場所になっていた。
五歳より前のことは覚えていない。
気づいた頃には路地で暮らし、そこからはキャロル家で育った。今はナイト家の息子でもある。
結婚のために名前だけ借りたつもりはない。王都にはまた来るし、双子とも会う。
一年が終わればハイモアへ帰ることも、最初から決めていた。
◆
お嬢様に「ただいま」と言うのが、昔からの憧れだった。
遠くから戻ったときに、「ただいま戻りました」と言ったことはある。
だが、それは従者としての帰還報告。俺が言いたかったのは、家へ帰って、お嬢様に言う「ただいま」だ。
これからは、俺にも仕事があって、お嬢様にも仕事がある。別々に出かけて、帰ったら「ただいま」と言う。
これから先、何度も言いたい。
最後の手紙には、帰る日を実際より二日遅く書いた。
驚かせたかった。それくらいは許されるだろう。
お嬢様に会いたい。手紙ではなく、顔を見たい。
紙に何度も書いた名前を、今度は声に出したい。
一年の期限が終わったその日に、王都を出た。
◆
五日かけてハイモアへ戻り、屋敷でお嬢様がミドルトン商会にいると聞いた。
荷物を置き、そのまま商会へ向かった。
「ジャクリーン」
紙の上で何度も書いた名前を、初めて声にした。
「……ラルフ?」
驚いた顔がこちらを向く。
「帰ってきま……いや、ただいま、ジャクリーン」
「えっ、なんで!? 二日後じゃなかったの!?」
一年の期限は五日前に終わっていたと話すと、今度は帰る日を二日遅く教えた理由を聞かれた。
「驚かせたくて……嬉しくない、ですか?」
お嬢様は椅子から立ち上がった。
「すっごく嬉しい! おかえりなさい、大好き!」
「俺も……大好き……です」
両腕を広げ、飛びついてきたお嬢様を受け止めた。
胸がいっぱいで泣きそうになったのは、生まれて初めての経験だった。
【番外編 01 完】




