37.全部嬉しい!【完】
──ラルフがハイモアへ帰ってきてから、半年ほど経った。
今年の誕生日は、ちゃんと二人でいつものベランダへ出て、二十歳の贈り物を交換した。
去年は王都とハイモアから送り合ったから、直接渡せたのは二年ぶりだ。
そして季節は春。
ハイモア港は朝から人で溢れていた。
市場へ向かう人たちを見ていたら、私もついそっちへ足が向いてしまう。
だって、新しい屋台が出てるかもじゃん?
「ジャクリーン、そっちじゃない。今日は先に商会だろ」
隣を歩くラルフが、私の手を引く。
「あっ、そうだった」
市場へ入ろうとしていた足を止め、ミドルトン商会へ続く道へ向きを変える。繋いだ手はそのまま。
ちょっと前までは手を繋ぐだけで緊張していたけど、今では二人で出かけるときに繋ぐのが普通になった。
何より、ラルフの敬語がすっかり消えた。
名前で呼ばれるのも当たり前になり、「お嬢様」なんて、もうずいぶん聞いていない。
ラルフはキャロル家の騎士として働き、訓練や領内の護衛、警備へ加わっている。
ナイト家の息子でもあるので、数か月に一度は王都へ行く決まりだ。
私の予定へ合わせていた頃とは違う。私に仕事があるように、ラルフにも仕事がある。
だけど今日は、朝から二人で歩いている。
ラルフは午後から仕事なので、午前中限定でデートなの~!
浮かれていたら、ラルフが急に手を引いた。
一歩戻された直後、目の前を野菜を積んだ荷車が通り過ぎる。
「前見て歩け」
「見てたよ?」
「は? どこを」
「んと、市場?」
「なんで疑問形だよ」
ラルフは呆れていたけど、手は離さなかった。
◇
ミドルトン商会で用事を済ませたあと、ラルフとは市場の端で別れた。
私はこのあと屋敷へ戻る。ラルフは騎士たちの訓練へ合流するそうだ。
「ねえ、仕事が終わったら、一緒に新居へ行かない?」
「ああ、いいぞ。夕食までには戻れるだろ」
「やった! じゃあ、あとでね!」
「分かった」と答えたところで、ラルフが私の手を離し──そのまま行くのかと思ったら、身を屈めて私の頬へ軽く唇をつけた。
「~~っ!」
びっくりして頬を押さえると、ラルフは悪い顔でニヤッと笑った。
「いいかげん、慣れてくんない?」
唇へのキスはまだ数えるくらいしかしてないけど、頬ならほとんど毎日するの。
廊下で不意打ちのキスをされた翌朝に私が熱を出してから、不意打ちは頬だけになったんだけどね。
私が照れ隠しで睨むと、ラルフは笑いながら仕事へ向かっていった。
一人だけ余裕なの、ずるい~~!
初めてキスした日は、自分も照れてたくせに!
◇
屋敷へ戻ると、兄様から呼ばれた。執務室へ入ると、机の上には手紙と書類が何枚も並んでいた。
「王都の雑誌社から、琥珀糖について取材の申し込みが来たぞ」
以前ハイモア焼きを取り上げた雑誌とは別のところから来たらしい。
「今度は、お前が受けろ。琥珀糖は一年かけてお前も記録を取ったものなんだから、自信と責任を持ちなさい」
自信と責任という言葉に背中が伸びる。
「はい、引き受けます」
海藻を探したところから、冬と春と夏で作り方を変えたことまでなら説明できる。
値段や販売数は、必要ならレナやゴードンに確認すればいい。
兄様は頷き、その手紙を別の書類の上へ置いた。
机の端には、まだ紙が積まれている。
「ねえ、それ何?」
「結婚式の招待客についてだ」
「え、まだ増えるの?」
「お前が活躍したせいか、仲良くなりたいって言う人間が増えたんだろう?」
「え~」
実は、結婚式まであと三か月なのだ。
結婚式は、ハイモア港に停泊させた船の上で行う予定で準備を進めている。
船上結婚式! 港町らしくて最高!
と決めたところまではよかったんだけど……問題は、その先なんだよね。
どの船を使うのか。どこへ停泊させるのか。招待客を何人乗せられるのか。甲板のどこまで飾ってよいのか。花はどうするのか。雨が降った場合はどうするのか。
招待状も決めなければならない。衣装も仕上げなければならない。
ナイト家とは招待客や宿泊場所について手紙をやり取りしている。
あと、新居へ入れる家具も決めないと。
結婚準備をしているからといって、ハイモアの仕事がお休みになるわけではない。
新しい店ができれば見に行きたいし、案内が増えれば地図へ入れるか考えたい。
とっても忙しい!
◇
新居だけは、もう決まっている。
市場から少し離れた通りにある、赤い屋根の一軒家だ。
白っぽい壁に大きめの窓があり、私が絵を描く部屋も作る予定。ラルフの剣や道具を置く場所もあるし、二人で暮らすには困らない広さなの。
本当は、結婚する頃までに家を建てるお金を貯めたかったけど……無理でした~。
土地を買って、家を建てて、家具を揃えるには、一年じゃ足りなかったのだ。
家って、高いんだね。知らなかったよ。
というわけで、まずは借家からスタートです。
夕方になり、騎士の仕事を終えたラルフと一緒に新居へ行き、家具を置く場所を確認する。
まだ何も入っていない部屋の真ん中へ立つと、思ったより広く見えた。
「ここに机を置きたいなあ。あと、こっちに絵の具の棚かな!」
「棚、でかすぎないか?」
「そうかなあ」
「今持ってる分なら半分で入るだろ」
「これから増えるかもしれないじゃん」
ラルフは何か言いたそうだったけど、私は窓のほうへ行った。
「いつか自分たちの家を建てようね」
窓から振り返ると、ラルフと目が合った。
「金貯めないとな」
「うん!」
ラルフのところへ戻って手を繋ぐと、頬へキスされた。
「んもうっ!」
私はすぐに頬を押さえた。
「なんで今するの!?」
「したかったから」
「そ、そういうの、さらっと言うのもずるーい!」
ラルフは楽しそうである。
むかつくううう!
…………嬉しいけど。
◇
屋敷へ戻ってからは、ブレンダ姉様の部屋へ行った。
招待状に使う紙を見てもらいたかったのである。
薄い青と白の二種類を持っていったら、姉様は両方を並べて、船上なら青のほうが似合うのではないかとアドバイスをくれた。
「そうだわ。ジャクリーンには、先に伝えておこうと思っていたの」
姉様がにこにこしながら、お腹へ手を添えた。
「……赤ちゃんができたの」
「えええ~~っ!!」
大声を出したら、廊下の向こうから兄様が来た。
姉様に何かあったのかと思ったようだ。
それからしばらくは、結婚式の招待状どころではなくなった。
だって、兄様と姉様の赤ちゃんだよ?
ということは、私、叔母になるの?
おば……さん?
そこだけ響きが気になるけど、まあ、「ジャクリーンちゃん」って呼ばせれば無問題かな。
あー、もー!
──地図の更新。琥珀糖の取材。船上結婚式。招待状。衣装。ナイト家への手紙。新居の家具。姉様の赤ちゃん。
忙しい!
でも、全部嬉しい!
◇
夜になってようやく今日の予定が全部終わり、私はラルフと一緒に、いつものベランダへ出た。
誕生日にも、王都へ行く前にも、帰ってきた翌日にも来た場所である。
春の夜はまだ冷えるので、私は肩へ薄い上着を掛けていた。
「今日も疲れたあ」
柵へ腕を載せると、隣のラルフが笑った。
「でも、楽しい」
「だな」
忙しいけど、やめたいものは一つもない。
赤い屋根の家へ何を置くか考えるのも楽しいし、姉様の赤ちゃんだって楽しみだ。
ちょっとにやけてしまったので、海のほうを向いた。
波の音が心地いい。
すると、隣から声がした。
「……そういや、ここで『いっぱいしようね』って、言われたんだよな、俺」
「そんなこと──」
言っ……たね、はい、言いました。
「い、言った……けど、何、いきなり」
ラルフが王都へ行く前、キスを一年後のご褒美にすると言われたとき、私は確かに言った。
帰ってきたときは私から『ご褒美』の話をしたくらいだし、忘れるわけない。
あのときの私ったら、よく言えたよね……。
なんか、恥ずかしくなってきた。
私が熱くなった顔を手で隠すと、ラルフが笑った。
「ゴードンに褒められる。『お前、よく我慢できるな』って。まあ、あいつの褒め言葉は煽り半分だし、まんまと煽られてんだけどな」
その言葉に、手を下ろす。
「二人で、何の話をしてるの?」
知らないところで私の話をしないでほしい。
というか、ゴードンは何を褒めているの?
「俺が、かなり我慢してるって話」
「……我慢? 何の?」
「キスの、その先」
──突然だけど、我が国は割と寛大で、婚約すれば『その先』をするのは許される風潮だ。
ラルフは困ったように笑う。
「旦那様たちには、ガキの頃から世話になってるから、結婚する前に娘へ手ぇ出すのはよくねえな、って分かってる。それにジャクリーンも慣れてないしな」
「つまり? 三か月待ってくれるの?」
「待つ。でも、待つのは『その先』だけな」
そして、ラルフが私の頬へ手を伸ばす。
最近、この動作を見ると分かるようになった。
キスされるって、分かっているのに心臓は律儀に毎回しっかり大演奏を始める。
いつものように軽く触れて終わるのだと思った。
でも──今日は、なんか、違……う?
唇が触れても、ラルフが離れない。
あと、なんか、すごい。……語彙力がなくなってて、実況は不可。
いつもより長いと気づいたあたりから、どうすればいいのか分からなくなって、肩にも腕にも力が入った。
いったん唇が離れて、目を開けたら、すぐ近くに琥珀色の目があった。
琥珀色の目を持つ動物って、肉食が多いんだっけ?
……あれ? なんで今そんなこと考えたんだろう? ラルフは危険な動物じゃないし、私を食べたりもしないのに。
もう一度唇が重なる。
恥ずかしいからいったん離れてほしい……なんて考えていたくせに、唇が離れると、今度は物足りなく感じてしまう。
私が固まっていると、ラルフが片手で顔を覆って呟いた。
「……はあ……早く結婚してえ……」
かなり切実な声に聞こえたけど……聞き間違いだよね。
だって、ラルフが顔を上げた頃には、もう見慣れたラルフなんだもん。
ずるいなあ、もう。
いつか絶対、私のほうがラルフをドキドキさせてやるんだから!
そんな決意をして、私はラルフに抱きついた。
【完】
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