36.約束
私は朝から、来年の春の地図のデザインを考えていた。
でも全然思いつかない。
「帰ってきたら、毎日会えると思ってたのになあ」
一昨日は朝から夜までラルフと一緒だった。
夜にはベランダで初めてのキスまでして、最後にこう思った。
──明日も、その次の日も会えるんだから。
だけど、その翌朝から、ラルフはキャロル伯爵家の騎士として正式に働き始めた。
最初の三か月は各隊へ順番に入り、警備区域や巡回の仕方を覚えるんだって。
昨日は紹介や説明で一日が終わり、今日から朝の訓練にも加わっている。
もちろん、剣を一から習うわけではない。国内剣術大会七位の男に、「剣はこうやって持ちましょう」から始めたら、教える人のほうが困るし。
でも、一人で私を護衛することと、騎士団の中で動くことは別で、覚えることは山ほどあるみたい。
「昨日から、ラルフと話してない……」
鉛筆を持ったまま窓へ目をやると、庭の向こうから男の人たちの笑い声が聞こえてきた。
ちょうど訓練場のある方向だったので、私は椅子を離れて窓へ寄る。
朝の訓練が終わったところらしく、騎士たちが剣を片づけたり、水を飲んだりしていた。その中から黒い髪を見つけるまで、時間はかからなかった。
ラルフは三人ほどの騎士と話していた。
一人が何かを話すと、その隣にいた人が笑う。ラルフも何か返したらしく、今度は皆で笑い出す。
ラルフってば、ものすごく楽しそう。
何を話してるのかな。
私は窓枠へ肘を置き、下にいるラルフを眺めた。別に一人で困っていてほしいわけではないし、仕事だって楽しくできるなら、そのほうがいい。
だから、よかったねとは思う。
……思うんだけどさあ。
「私は昨日からラルフ不足なのにぃ」
本人はめちゃくちゃ楽しそうではありませんか。
ふいに、ラルフの向かいにいた騎士がこちらを見上げ──目が合う。
その人は私に気づくと、ラルフの肩を叩いて窓を指した。
ラルフが顔を上げ、こちらに気づく。
「あ」
ラルフが笑った。
それから手を振る。
「ラルフ~」
聞こえる距離ではないのに名前を呼び、私も両手で振り返した。
わーい! 見つけてくれた!
さっきまでの不満が、恐ろしいほど簡単に飛んでいく。
ラルフがもう一度手を振ったので、私もぶんぶん振り返した。教えてくれた騎士まで笑いながら手を上げてきたので、そちらにも振っておく。ありがと~!
やがて隊長らしい人に呼ばれ、ラルフたちは訓練場を離れていった。
私は上機嫌で机へ戻るも──はたと気づく。
「……余計に会いたくなっちゃった」
姿を見て手まで振っただけじゃ足りない。
◇
午後になってもラルフは戻らなかった。
それでも、夕食くらいは会えると思っていた。
ラルフが帰ってきて、婚約者として一緒にいられるようになったのだから、これからは同じ卓で食事をする日だって増えるのかな、と密かに期待していたのである。
ところが食堂へ入っても、ラルフはいなかった。
料理が運ばれても来ない。
「兄様、ラルフは?」
「騎士の宿舎だ」
兄様はパンをちぎりながら、当然のように答えた。
「最初の二週間だけは、騎士の宿舎でほかの騎士たちと寝食を共にさせる」
「二週間も!?」
思わず声が大きくなり、お父様がお茶を飲みながら目を丸くする。その一方で、お母様は笑っている。
何がおかしいの、もうっ。私は超重大な事実を今初めて知ったところなんだよ?
「二週間が過ぎたら屋敷へ戻す。その頃までにはラルフの部屋も用意する。さすがに家族になる男を、いつまでも使用人の階に住まわせるわけにはいかないからな」
「部屋って、どこ?」
「二階の端にある旧小客間だ。廊下の突き当たりで行き来が不便だから、今は物置になっているが、日当たりはいい」
あそこかあ。
確かに窓が大きくて、昼間は明るかった気がする。
ラルフがあそこに住むんだね。ふふ、なんだか嬉しい。
……って、喜んでる場合じゃない!
「夕食くらい一緒にさせてよ……ずっと会えないんだよ?」
「何がずっとだ。たった二日で」
兄様の返事は呆れ切っている。
「だって昨日も今日も、ほとんど話してないんだよ?」
「一昨日は朝から夜まで一緒だっただろ。婚約者だからと特別扱いはしない。今までも騎士団の連中とは顔を合わせてきたが、それは従者としてだ。これからは同じ仕事をするんだから、最初のうちに各隊と動いて互いのやり方を知っておいたほうがいい。最初の二週間くらい我慢しろ。一年待ったんだから、二週間くらいどうってことはないだろう?」
ベラベラと隙を与えない説明に、ぐぬぬ……となる。
でも、一年会えなかったからこそ、帰ってきたらいっぱい会いたいって思うのは普通じゃない?
「今日も宿舎へ戻ったら終わり?」
「食事のあと、夜間巡回へ同行する」
朝から訓練をして、午前は警備について教わり、午後は巡回経路を見て、夕食も騎士たちと食べて、そのあと夜まで巡回。
「ラルフはもうお前の従者ではないんだから仕方ないだろう」
「分かってるよぅ」
私は魚料理へ手を伸ばした。
頭では分かってる。ラルフにはラルフの仕事がある、って。
でも寂しいものは寂しい。
◇
夕食を終えて部屋へ戻る途中も、私はぐぬぬ……としていた。
これが二週間続くのなら、どうやって会うの?
私の予定が空いていても、ラルフが仕事なら会えない。ラルフが休みでも、私が市場や商会へ行く日なら会えない。
二人とも空いているところを探して、何日の何時に会いましょう、と決めるのだろうか。
そんなことを考えながら廊下の角を曲がると、少し先に人が立っていた。
「ラルフ!」
ラルフがこちらを向いた。
「走らないでください」
私は走る代わりにできる限り早く歩き、ラルフのところまで行くと、そのまま腕へくっついた。
「会いたかったぁ」
「朝、会ったっすよね?」
「あれは見ただけで、会ったのとは違うの! それより敬語に戻ってるよ? 午後はどこまで行ったの? 南の街道?」
窓越しでは声も聞こえなかった。
今なら顔を上げればすぐそこにラルフがいて、何を言っても返事が返ってくる。
「気が抜けると出るんだよ。今日は南を見てから港へ戻った。明日は北に行く予定」
「また朝から? 夕食は?」
「朝から。夕食は宿舎。二週間はそうなるって聞いたろ?」
「さっき兄様から聞いた。ひどいよねっ」
「ひどくはないだろ。仕事なんだから」
ラルフまで兄様と同じことを言う。
むうっとして腕をぶんぶんしていると、ラルフが私の顔を見て笑った。
「次いつ空いてる?」
「え?」
「会いたいんだろ?」
もちろん会いたい。
でも、ラルフへ次いつ空いているかと聞かれて、なんだか変な感じがする。
こんな話をするのは初めてかもしれない。
「私は明日も明後日も午後なら空いてるよ。ラルフは?」
「明日は無理だけど、明後日なら午後は何も入ってない」
「じゃあ明後日!」
「分かった」
「絶対だからね?」
「分かってるって」
二人の予定を合わせるのって大変だと思ったばかりなのに、決まった途端に嬉しくなるのだから、我ながら分かりやすい。
「ところで、ラルフは何しに屋敷へ来たの? 夜間巡回なんでしょう?」
「ああ。集合まで時間があったから寄った」
「何しに?」と、聞くと、ラルフが私の耳に髪をかける。
「ジャクリーンの顔を見に」
あっさり言われて、私は返事を忘れた。
昼間は私ばっかり会いたがっているみたいで悔しかったけど、ラルフも夕食を食べて夜の巡回へ出るまでの時間に、わざわざ顔を見に来てくれたのだ。
「ラルフも会いたかった?」
「会いたくなかったら来ないだろ」
「……えへへ、嬉しい」
腕へくっつく力を強めると、ラルフが笑った。
「でも、もう行かないと間に合わない」
「え~? もう? せっかく会えたのに? 可愛い婚約者を置いて行っちゃうの?」
私が腕を離さずにいると、ラルフは廊下の向こうへ目をやり、それから私の手を取った。
「なあに?」
連れていかれたのは窓際だった。
夜なので厚いカーテンが閉められていて、ラルフはその端を持ち上げると、窓と布のあいだへするりと入る。
私まで引っ張り込まれた。
「何してるの?」
顔を上げる。
ラルフが近い。
そう思ったところで、唇へキスされた。
「──え? ……え?」
「じゃあ、巡回に行ってくる」
ラルフはもうカーテンの外へ出ている。
「おやすみ、ジャクリーン。明後日の午後な」
カーテンの陰に残された私は、唇へ手を当てた。
◇
部屋へ戻って寝台へ入ってからも、廊下の出来事が何度も頭の中で繰り返された。
カーテンの陰へ引っ張られて──
「〜〜っ!」
顔を見に来たと言われたところから思い出しては、違うことを考えようとして、また最初から脳内再生開始。
好きだと気づいた夜も眠れなかったし、一昨日の初キスのあとだって何度も思い出した。
今夜も同じで、結局ほとんど眠れないまま朝になった。
てなわけで翌朝、目を覚ました私は、発熱していましたとさ……。
とほほ。




