30.養子先、決定
秋用の地図へ栗と葡萄の絵をるんるんと描き足していたら、レナに「描きすぎないでくださいね」と止められた。
最近はイイカンジの人がいるらしく、前より当たりはだいぶ柔らかい。
ハイモア焼きは、夏のあいだ減らしていた数をそろそろ戻せそうか菓子職人へ聞いているところだ。
◇
「ジャクリーン、ラルフ。少しいいか」
朝食が終わったところで、兄様に呼び止められた。
「なあに?」
「ラルフの養子先についてだ」
「見つかったの!?」
ついつい声が大きくなってしまった。
近くで食後のお茶を飲んでいたお父様が肩をびくっと揺らし、お母様とブレンダ姉様は「あら」「まあ」と微笑む。
「まだ決定ではない。有力な候補が一つ出た」
「どこ?」
「ナイト男爵家だ」
なんだか、ものすごく騎士っぽい名前だなあ。
と思っていたら、本当に騎士の家だった。
ナイト男爵家は、代々騎士を多く輩出している家らしい。
当主のデイヴィッド・ナイト男爵は王国第一騎士団の団長。
男爵夫人は元女騎士で、かなりの腕前だとか。
長男のロジャー様は二十六歳で、王国第三騎士団の副団長を務めている。すでに妻帯していて、次の男爵になる人でもある。
次男のガイ様は二十二歳で、第二王女殿下の護衛隊に所属。現在は寮暮らしだそう。
三男と四男は十六歳の双子で、ジョニー様とジョン様。もちろん、二人とも騎士を目指してる。
「へえ、子どもが全員男の子なんだね」
ラルフが入ったら五人兄弟かあ。
年齢的には三男になるってことだよね?
食卓でお肉の取り合いとかしちゃうのかも。
「跡継ぎは長男に決まっている。次男以下もそれぞれ進む道があるから、ラルフが養子に入っても家督の問題は起きない。それと、ナイト男爵家は爵位こそ男爵だが、代々騎士団で功績を重ねていて、家としての立場は強い。陞爵の話も何度か出ている」
「じゃあ、なんで男爵のままなの?」
「断っているからだ」
爵位って、上げてあげますと言われたら、ありがとうございますと受け取るものじゃないの?
「そういうのって断れるの?」
「男爵本人が、爵位が上がれば付き合いも仕事も増えて面倒だと言っている」
王国第一騎士団団長が、面倒だから爵位はいりませんと言っていいのだろうか。
「それで何度も断ってるの? 怒られない? 顰蹙とか買わないの?」
「今さらだろうな」
すごい人なのか、変な人なのか、判断に困る。
「でも、どうしてラルフを養子にしてくれるの?」
養子を探すと言ってから、まだそんなに経っていない。
兄様は何軒か条件の合う家へ話をしたらしいけど、こんなに早く有力候補が出るとは思っていなかった。
「ナイト男爵は、ラルフの名前を知っていたぞ」
「お会いしたことはありませんが……」
それまで黙っていたラルフが口を開いた。
「国内剣術大会で七位に入っただろう? 騎士団から誘いを受けたことも含めて、向こうには記録が残っているんだ」
「ああ……それで」
前々から思ってたけど、反応が薄いなあ。
私が七位を取ったら自慢しまくるのに。
「もともと騎士を多く出している家だ。ラルフ自身を評価したうえで、息子として迎えることに利があると考えている。それに、下の息子たちへの刺激にもなるらしい」
「刺激?」
「双子が腕はあるが、少し自信を持ちすぎているところがあるそうだ」
兄様が淡々と説明する。
「ラルフを見て、『もっと頑張れ』ってするってこと?」
「簡単に言えばな。だが、それだけが理由ではない。男爵からは、名を貸すだけのつもりなら断ると言われている。養子にする以上、本当に自分の息子として迎える。結婚したあともナイト家の人間であることは変わらない。家の行事や、必要なときには役目も果たしてもらう。その条件で構わないなら、まず本人と会って話したいそうだ」
私と結婚するためだけの仮のお父さんと仮のお母さんじゃないってことかな?
うん、いいことだね。
「ナイト男爵家ってどこにあるの?」
「王都だ」
「…………王都?」
「正確には王都の端だがな」
私は兄様を凝視した。
──ハイモアから王都までは、馬車で五日もかかる。
「私、近いお家がいいって言ったよね」
激オコ!
「お前の希望だけで決められるか」
「でも五日だよ? 一回会いに行ったら、帰ってくるまで十日だよ?」
「だから、養家によっては頻繁に会えないと言っただろう?」
「月に一回か二回って言ってたじゃん」
「それは多くても、という話だ。王都なら難しい。理解しろ」
王都の端なら、ちょっと顔を見に行って夕食までに帰る、なんて絶対に無理。
朝から出ても、次の日も、その次の日も、そのまた次の日もラルフには会えないなんて……。
「もっと近いお家はなかったの?」
「距離より、ラルフを本当に息子として迎える意思があることが重要だ。ナイト男爵家は、まずラルフ本人と会いたいと言っている。実際に家を見て、当主たちと話したうえで双方が了承すれば、正式に養子縁組の話を進める」
「いつ行くの?」
「三日後だ。王都に着いた翌日に男爵家を訪ねて、もう一泊してから帰る予定だ」
「私も行ってもいい?」
「だめだ」
即却下された。
「なんで? 私もナイト男爵家の人に会いたい。ラルフが一年住むところだよ? どんなお家か知りたいよ」
「お前の養子先ではない」
「私の結婚相手の養子先だよ!」
「今回はラルフ本人と、ナイト男爵家が決める。俺も同行する。だが、最終的にどう思うかは……ラルフ、お前が決めろ。とはいえ、断られる可能性があることも頭に入れておけ」
「はい」
ラルフが答える。
「……私、邪魔しないよ?」
兄様は間を置かずに返した。
「絶対する」
「しない!」
「口を挟まないでいられるのか? 一時間黙って座っていられるか?」
それは、無理かも。
「男爵からラルフへ質問している途中で、『ラルフはね!』と割り込まないと言い切れるか?」
「…………」
言い切れない。
だって、ラルフのいいところを言い忘れていたら教えたいし。
「お前がついて行けば、ナイト男爵家がラルフを見る場なのか、ジャクリーンがラルフを売り込む場なのか分からなくなる」
「売り込まないよ」
「では、黙っていられるんだな?」
負けた。
「…………お留守番する」
ブレンダ姉様がころころ笑っている。
お母様まで「それがいいわねえ」と頷いた。
◇
三日後。
玄関前には、王都へ向かう馬車が止まっていた。
「忘れ物はない? 外套ある? 剣は?」
「外套は着てます、剣も持ってます」
「お腹空いたときの干し肉は?」
「あります。昨日、お嬢様が鞄に入れたでしょう」
入れた。胡椒多めのをたくさん。
「じゃあ、えっと、えっと──」
「お嬢様」
ラルフに呼ばれて、口を閉じた。
十一日もラルフと離れるなんて、今までなかったから、不安で仕方がない。
「……ちゃんと帰ってきてね?」
「帰ってきますよ」
そうだよね。面談へ行くだけなんだから、帰ってくるに決まってるよね。
「ジャクリーン」
馬車の前から兄様に呼ばれる。
「出発できない」
ちょっとくらいいいじゃん。けちんぼ。
「……行ってらっしゃい」
「行ってきます」
ラルフが馬車へ乗り込む。
扉が閉まり、馬車が動き始めた。
私は門を出ていくまで見送り、姿が見えなくなってから屋敷へ戻った。
◇
最初の数日は、市場へ行ったり、姉様の結婚式の準備を手伝ったりして過ごした。
五日目になると、今日はもう王都へ着いたかな、明日はナイト男爵家でどんな話をするんだろう、と気になって仕方がない。
「ジャクリーン? あなた、さっきから部屋の中を三周も歩いているわよ」
「……考え事しながら歩いてただけ」
「座って考えたら?」
「……うん」
今だってこうなのに、一年も離れて暮らすなんて無理じゃない?
でも、その一年がなければ結婚できない。
だったら、私もただ待っているだけにはしたくない。
ハイモア焼きも地図もあるし、まだやりたいことだっていっぱいある。
それに、結婚したらラルフと二人で暮らす家が欲しい。
小さくてもいい。私が絵を描く場所と、ラルフの剣を置く場所があって、できれば市場にも近い家。
そうだ。一年で、その家を建てるお金を貯めよう!
帰ってきたら、ラルフに話そっ。
◇
十一日目の午後。
馬車が門を入ってきたと聞いた途端、私は部屋を飛び出した。
「お嬢様、走ってはいけませんよ」
途中でメイドに止められたけど、今日は無理!
玄関広間へ着いたとき、ちょうど兄様が入ってくるところだった。
「ただいま」
「ラルフは?」
兄様の挨拶へ返す前に聞いてしまった。
「後ろにいる」
兄様の肩越しから、見慣れた黒髪が入ってきた。
「ラルフ!」
そのまま抱きつこうとして、兄様の視線が私を刺す!
くううううう!
私は行き場をなくした両手を握った。
「おかえりなさい!」
「ただいま戻りました」
ラルフは少し疲れているように見えたけど、怪我もない。
「男爵と夫人は怖くなかった? 兄弟にいじめられてない? ご飯は美味しかった? 嫌なこと言われてない?」
兄様が横で額を押さえる。
「ジャクリーン。ラルフは戻ってきたばかりだぞ」
そうだった。
「ご、ごめん。休んでからでいいよ」
「話すくらいなら平気ですよ」
◇
結局、荷物を置いて着替えたあと、ラルフは私の部屋へ来た。
私は椅子へ座らせ、向かいに自分の椅子を持ってきた。
「ナイト男爵家、どうだった?」
「……変な家でした」
「嫌だった?」
「いや、悪い意味じゃないですよ? 俺が想像してた貴族の家と、ちょっと違っただけです。名前だけ使わせるつもりじゃないってのは、本当でした。俺が何者なのか、剣をどう覚えたのか、これからどうするつもりなのかまで聞かれました。結婚が済んだからって、ナイト家と無関係になるつもりなら迎えないとも言われました。分かりやすくて、俺は嫌いじゃないです」
「そっか。それで? ラルフはどうしたいの?」
ここで、ナイト家がいいとか悪いとか、私が先に言ってはいけない。
少し待つと、ラルフが私へ向き直った。
「ナイト男爵家に入りたいと思います」
これで結婚へ近づいた!
「ほんとに、いいの?」
「はい」
その言葉を聞いて、私は頷いた。
「分かった。じゃあ、私も頑張る」
「何をです?」
「一年で家を建てるお金貯めるの!」
「……家?」
ラルフの眉が寄る。
「結婚したら、ハイモアで二人で暮らす家。私、いっぱい稼ぐの」
ラルフが何とも言えない顔をしている。
なんで?
「家って、いくらかかるか知ってます?」
「知らないけど?」
「土地は?」
「えっと、まだ」
「場所は?」
「これから決める」
「……まずトリスタン様に相談してくださいね」
「分かってるよぅ。でも、目標にするくらいはいいでしょう?」
「まあ……それは」
「じゃあ決まり」
私もハイモアでやれることをやる。
ただ寂しく待っているだけなんて、嫌だもん。
そんな暇があったら絵を描いて、お菓子を考えて、家のお金を貯めるのだ。
◇
さらに数日後。
また兄様に呼ばれた。今度はラルフも一緒である。
執務室へ入ると、机の上に一通の手紙が置かれていた。
「ナイト男爵家から正式な返事が来た。先方は、ラルフを養子として迎えることに同意した──これから、必要な手続きを進める」
ラルフはナイト男爵家の息子になる。
そして、一年間、王都で暮らしたあと、私と結婚する。
嬉しい。
だけど、これから一年間、隣にラルフがいなくなると思うと、手放しでは喜べなかった。
──ラルフが王都へ行く日は、来てほしくない。




