26.持つべきものは姉様
ブレンダ姉様は自室にいた。
「姉様ぁ!」
扉を開けるなり呼ぶと、長椅子に座っていた姉様がこちらを向いた。
膝の上には刺繍の見本らしい布が載っていて、卓上には紅茶が用意されている。
「あら、ジャクリーン。どうしたの?」
「姉様に相談が──」
そこまで言って、背後にいるラルフの存在を思い出した。
はっ! そうだ、ついてくるんだった……!
どうしよう……。
姉様はそんな私の様子から事情を察したらしい。
「そうだわ。ジャクリーンのドレスを一着作ろうと思っていたの。採寸したいから、ラルフは休憩でもしてらっしゃいな」
「ドレス、ですか? 聞いてませんが……」
ラルフが訝しそうに聞く。
「今、急に作りたくなったのよ」
すごい。理由になっているようで、なっていない。
でも姉様はにこにこしていて、これ以上の説明をする気がなさそう。ラルフは腑に落ちない様子なものの、姉様へ逆らう理由はないらしい。というか逆らえないか。
「……分かりました」
返事をしないままでいると、ラルフが退室し、扉が閉まって足音が遠ざかっていった。
「うう~~~」
私は長椅子へ駆け寄り、そのまま姉様へ抱きついた。
「あらあら」
「姉様、助けて……っ」
なでなでと頭を撫でられて、思い切り甘える。
「何から助ければいいのかしら?」
「ラルフから」
「ラルフが何かしたの?」
「した……あれ? したの、かな? …………うんっ! した!」
姉様の隣へ座り、私は昨夜のことを最初から順に話した。
「──でね『俺の嫉妬です』って言ったの! それで私、意味分かんなくて聞いたの。そしたら『俺は従者以上にはなれません』って言って、『今の発言は忘れてください』って! そのまま部屋の扉を閉められたんだよ! なのに、朝はいつも通りなの!」
姉様は紅茶へ手を伸ばしながら、ふむふむと聞いている。
「それでね……」
ここから先は、昨夜の話をするより恥ずかしかった。
「考えてたら、分かったの」
「何が分かったの?」
「……私、ラルフが好きみたいなの……」
私は姉様の反応を待ったけど、姉様は驚きもせず、「そう」と言って紅茶を飲んだ。
「それだけ?」
「では、何と言えばいいの?」
「もっと驚いてよ! 私、ラルフが好きなんだよ!?」
「ええ、ようやく気が付いたのよね?」
「!?」
「なんとなく、そうかしらって思ってたわ」
「はっ! もしかして、『もだもだする時期』って……!」
「ふふ、いいわねえ……もう一度味わいたいわ」
姉様は私が自分で気づくまで待っていたようだ。
「それで、あなたはラルフとどうなりたいの?」
「……どう、とか分からないよ」
姉様は私の答えを聞いて、紅茶のカップを受け皿へ戻した。
「これからもラルフが従者としてそばにいてくれれば満足なの?」
来年も、その次も、そのまた次も一緒にいる。誕生日の夜にそう約束した。
だったら今まで通りでもいいような気がする。
ラルフは私の従者で、毎日一緒にいて、出かけるときもついてきてくれる。
それなら私は嬉しい。
「……うん」
「では、ラルフがほかの女性と結婚しても構わないのね?」
「嫌!」
姉様が目を丸くしたので、私は自分でも驚いた。
だって嫌だ。レナと二人で出かけただけでも面白くなかったのに、結婚なんて絶対に嫌。
ラルフが誰かと結婚したら、その人と暮らすんでしょう?
仕事が終わったらその人のところへ帰って、その人の誕生日を祝って、贈り物をして、髪に何かついていたら取ってあげたりするの?
「……絶対嫌」
「そう。では、あなたが別の男性と結婚するのは?」
私は伯爵令嬢で、もう十八歳だ。いずれ誰かとの縁談が来る可能性はある。その人と結婚して、その人の妻になる。
ラルフは私の従者だから、結婚先についてきてくれるかもしれない。
でも、私は別の男性の妻で、ラルフはその後ろに立つ従者だ。
「それも嫌」
「では、どうしたいの?」
これからもラルフと一緒にいたい。
ラルフがほかの女性と結婚するのは嫌。
私も別の男性とは結婚したくない。
それなら、残っている答えは一つしかないのでは?
「……ラルフと結婚したい」
口にしてみると、驚くくらい納得した。
そこで、昨夜の言葉を思い出した。
『俺は従者以上にはなれません』
ラルフは従者で、私は伯爵令嬢だ。
「……できないよ」
一気に明るくなった気分が、急降下する。
「私は、伯爵令嬢で、ラルフは平民だもん」
だからラルフも、従者以上にはなれないと言ったのかもしれない。
考えてたら目が熱くなってきた。
「何を悩む必要があるの?」
「? だ、だって、貴賤結婚は認められてないんだよ?」
私でも分かるんだから、姉様が分からないはずないよね? と首を傾げると、姉様も首を傾げた。
「そのままでは無理でしょうね。でも、ラルフをどこかの養子にしてしまえばいいのではなくって?」
出かかっていた涙が止まった。
「貴族の家の養子になれば、平民の従者のままではないでしょう?」
「そんなことできるの!?」
「できるわよ」
姉様は何でもないことのように答える。
「でも、そんな都合よくラルフを養子にしてくれる家なんてある?」
「探せばいいでしょう。お義母様でしたら、他家の弱みの一つや二つや三つや四つ五つ六つ七つ八つ九つくらい知っていましてよ」
そんなに?
「……お母様は社交界で何を集めてるの?」
「長くお付き合いしていれば、各家の事情も、困り事も、貸し借りも分かるものよ」
それを最初に弱みと呼んだのは姉様なんだけど?
お母様の部屋のどこかに、各家の秘密を書き連ねた恐ろしい手帳でも隠されていないよね?
今度からお母様がにこにこしているだけで、誰の何を知っているんだろうと考えてしまいそう……。
「もちろん、無理やり養子にさせるという意味ではないわ。事情の合う家を探してお願いすればいいのよ。お義父様とお義母様なら、そのくらいの伝手はお持ちでしょう」
「そ、そうなんだ……」
「身分の問題だけなら方法はあるわ」
私は目元を拭った。
貴族社会って、抜け道があるんだね。
「だけど、問題はそこではないわ」
「え? 何?」
「ラルフがどうしたいかよ。あなたの従者でいるのと、あなたの夫になるのとでは違うでしょう?」
さっきまで簡単に思えていた話が、急に重くなる。
ラルフは十三年間、私の従者として生きてきた。
私と結婚するなら、従者のままではいられない。
貴族家の養子になって、貴族として生きて、私の夫になる。
平民として生まれたラルフを快く思わない人だっているだろうし、養子になった家で最初から歓迎されるとも限らない。
私の従者でいるほうが、きっとずっと楽なのだ。
「あなたと結婚する覚悟があるかどうかなの」
「……」
ラルフが本当はどうしたいのか、そこはまだ分からない。
「ラルフに覚悟がない場合は諦めなさい」
「え?」
姉様はいつものおっとりした様子で紅茶を飲んでいるのに、言っていることが急に厳しい。
「ラルフにその気がないのなら、二十歳までにお見合いをして婚約なさい」
「ええっ!?」
私の気持ちが上下に振り回されている。
「ラルフがだめなら、ほかの人と結婚しないといけないの?」
「そうよ。結婚する気のない男性を待つつもりなの? それと、結婚しないという選択は許しません。あなたはキャロル家の娘なのですから」
「でも……」
「ジャクリーン。あなたはラルフが好きなのでしょう? だったら、自分がどうしたいのかは伝えればいいわ。でも、ラルフがどうするかはラルフが決めることよ」
養子になる方法があると分かったところで、本人が嫌だと言えば終わりなのだ。
「……断られたら?」
「諦めるしかないわ」
「え~~? そこは『きっと大丈夫よ』とか言ってくれてもいいとこでしょ!?」
私が情けない声を出しても、姉様はにこにこしている。
「嫌だと言うラルフを無理に養子にして、無理に結婚するわけにはいかないでしょう?」
「それは、そうだけど」
「なら、聞いてみなければ分からないわ」
優しく恋愛相談に乗ってもらうつもりだったのに、ずいぶん厳しい。
「で? どうするの? ジャクリーン、今決めなさい。諦めるのか、求婚するのか」
ラルフが私を好きだとは、まだ聞いていない。
嫉妬したとは言われたけど、結婚したいと言われたわけでもない。
私が求婚したら、困らせるかもしれない。
断られるかもしれない。
そう考えると怖い。
でも、私がどうしたいのかなら、もう分かっている。
だったら──
「求婚する!」




