23.曰く、もだもだの時期
夏とは暑い季節である。前世でも今世でも、そこは変わらない。
朝から日差しは石畳を照りつけるし、海風だって涼しいどころか、昼には温められた町の熱を連れてくる。
そんな暑さの影響を、ハイモア焼きも見事に受けていた。
「──三十匹?」
市場の露店で、私は聞き返した。
「ええ。今月に入ってから、四十を焼いても残る日が増えましたからな。しばらく三十で様子を見ようかと」
菓子職人はそう言いながら、今日の分の生地を型へ流している。
春には八十匹に増やしたハイモア焼きも、暑くなり始めた七月には売れ残る日が出て、四十匹へ減らしていた。
そして八月に入ったら、その四十匹でも多いらしい。
私は型の中で焼かれている魚を見る。
春の八十匹から、とうとう三十匹まで減ったのに、この魚たちときたら笑っていやがる……。
「まあ、暑いもんねえ」
私だって今食べたいか? と聞かれたら、冷たい果実水へ手を伸ばす。
「秋になれば、また増やせると思いますよ」
「だよね。売れないのに焼いても、材料がもったいないもん」
季節には季節の都合があるのだ。
ハイモア焼きよ、今は三十匹で耐えるのです。
秋になったらまた華麗なる復活を遂げようではないか!
ついでに、前に試した栗ペースト味も季節限定で出せるか相談しよっと。
◇
屋敷へ戻ると、私宛ての手紙が届いていた。
部屋へ持ってきてもらった冷たい果実水を飲みながら、差出人を確かめる。
名前を見た途端、体が固まった。
……文通をしたいとは言われた。言われましたとも。
でも、先月ハイモアで会って、そのときに話したばかりである。王都へ戻ってすぐ書いたのだろうか。
机の横に立っていたラルフも、封書へ目を向けた。
「開けないんすか?」
「開けるけどぉ……」
封を切ったら文通が始まる気がする。
いや、もう向こうから届いた時点で始まってる?
返さなくていいかな。
分かってる、だめだよね。
公爵令息様が送ってくださった手紙に、伯爵令嬢の私が返事をしないのは非常にまずい。
しかも相手は、二年間こちらから月三十通を送りつけた被害者である。
どの面下げて無視するの?
「ポール様からの手紙かあ」
「ストーン公爵令息様ですよ」
「え? あ、そっか、そうだね、ストーン公爵令息様だった」
いけない、いけない。また気軽に、ポール様呼びしちゃってた。気を付けないと。
私は封書を持ったまま椅子へ座り、意を決して封を切った。
中には便箋が二枚。
先日のハイモア訪問で世話になったことへの礼から始まり、港や倉庫について有意義な話ができたこと、ハイモアの町にも興味を持ったことが書かれている。
そこはいい。問題は二枚目である。
「……『これからも、ハイモアでしていることを教えてほしい』って書いてる」
しかも文末には──
「『君から返事をもらえたら嬉しい』」
私は便箋をラルフへ差し出し、そのまま机へ額をつけた。
「はあ……こんなのもらったら、返事書くしかないじゃんねー」
「そうっすね」
つん。
ん?
私は顔を上げた。
ラルフは相変わらず目つきが悪く、私の手紙を持って立っている。
いつも通り……だよね?
「ねえ、どうしよう?」
「何がです?」
ラルフが聞き返す。
「え? その、返事……」
「俺に聞かれても困ります」
つん!
「……どうしたらいいと思う?」
「何を書くかは、お嬢様が決めることです」
返された便箋を受け取る。
言っていることは正しい。
でも、なんか……。
「どうしたのラルフ、怒ってる?」
「怒ってません」
「怒ってるじゃん」
「怒ってませんよ」
絶対、嘘。だって、いつもより目が怖いもん。
「……私、何かした?」
「してません」
「じゃあ、なんで怒ってるの?」
「だから怒ってないですって」
ラルフは空になった果実水のグラスを持ち上げた。
「もう一杯持ってきます。今日は暑いんで、ちゃんと水分取ってください」
「……うん」
世話は焼くけど、つん! な態度。
意味が分からない。
◇
その日の午後、私は一人で机に向かっていた。
ラルフはお父様にチェスの相手として捕まっている。
そもそもラルフにチェスを教えたのは、お父様だったんだけど、気づけば教えた本人が勝てなくなって、今では冗談半分にラルフを「師匠」と呼んで、たまにこうして連れていくのだ。
ラルフってば、王都のチェス倶楽部で優勝した兄様よりも強いんだよ。
こないだも、『港一のチェス紳士』を名乗るおじさんを完膚なきまでに負かしていた。おじさんは涙目だったなあ。可哀想に。
でも、私と勝負するときはいっつもラルフが負けるんだよね。だから、私が港一のチェス淑女なの。えっへん!
って、話が脱線しちゃった。
つまり、今は助けてくれる人がいないんだよね。
まあ、ラルフがいても、手紙の話でつんつんされるから、どっちにしろ助けはないんだけど……。
──そんなわけで、ポール様への返事を前に、私は一時間ほど悩んでいる。
「うえ~ん、返事どう書けばいいの~~?」
手紙とポール様の組み合わせは、どうしても黒歴史を思い出す。
しかも文通なんて続けていたら、周りから変なふうに思われそうで嫌だ。
ポール様とジャクリーン嬢は最近よく手紙を交わしているらしい、なんて思われたくない。
え? なんで嫌かって?
嫌なものは嫌だから!!!
説明終了!
「──ジャクリーン?」
声をかけられ、私は顔を上げた。
ブレンダ姉様が扉のところに立っている。
「姉様ぁ!」
私は椅子から立ち上がり、ポール様からの手紙を持って姉様に駆け寄る。
「どうしたの?」
「相談があるの」
姉様と長椅子へ並んで座り、手紙を見せながら事情を話した。
「でしたら、訪問のお礼と、手紙をいただいたお礼を書けばよいのではなくて?」
「そのあとも手紙が来たら?」
「そのときに考えればいいわ。……ジャクリーンは、公爵令息様と手紙を交わしたくないの?」
「別に仲良くするのが嫌なわけじゃないよ? でも文通は嫌なの」
「どうして?」
姉様に理由を聞かれ、私は詰まった。
「………………嫌だから」
姉様は口へ手を当て、くすっと笑った。
「姉様?」
笑うなんてひどい。
「ごめんなさい。笑ってはいけないわね。……そうねえ、無理に長い手紙を書かなくてもいいと思うわよ。お礼を書いて、ハイモアで元気に過ごしていることを伝えるくらいなら、誤解もされにくいでしょう」
「うん。絶対に誤解されたくないから、そうする」
なんか……姉様が、じっと見てくる?
「姉様、なあに?」
「んふふ。誰に誤解されたくないのかしらと思ってね」
「誰って、皆だよ。皆!」
お父様なんて、この前、ポール様と婚約できるかもしれないとか言い出した。
あれを毎回やられたらたまったものではない。
「それで? ラルフは何と言っているの?」
「……怒ってるの」
姉様の目が煌めく。
「まあ!」
「ラルフは、怒ってないって言うけど、絶対怒ってるの。ポール様の話をすると、つんつんする」
「それ以外のときは?」
「普通だよ」
「じゃあ、何に怒ってるのかしらねえ」
「それが分からないから困ってるんだよぅ」
私が何かしたなら謝るし、だめなところなら直したい。
ラルフは前から遠慮なく言う人なのに、今回は何も言ってくれない。
「この時期って、もだもだするのよねえ……いいわねえ」
姉様は、なぜか楽しそうだ。
そして、うっとりと目を細めてる。
「ねえ、『この時期』って、何ぃ?」
「手紙の返事は、トリスタンにも一度見てもらったほうが安心だと思うわ」
話を変えられた。
いや、相談してたことは手紙の返事だから、変ではないけど、質問には答えてもらってないよね?
時期って、季節のこと? 八月のこと?
あ、夏ってこと? 暑い時期にもだもだするものなの?
それなら私のこれは、夏バテの一種?
んなわけあるかーい!




