22.絶賛混乱中!
ポール様がハイモアへ来る日。
私は朝食を終えるなり、屋敷から逃げようとした。
「今日は市場へ行ってくるね」
「だめだ」
「……どうして?」
兄様から即座に止められ、ほっぺたが膨らむ。
「今日はストーン公爵令息が来るんだぞ」
「でも、私は商談に出ないもん」
「出ないからといって、格上の家の者が訪ねてくる日に、理由もなく屋敷を空けるものではない」
「市場へ行くっていう立派な理由があるよ!」
「昨日まで何も予定していなかっただろう」
む。バレてる。
助けを求めてお父様を見たけれど、こちらも兄様と同じ意見だった。
「会う予定がなくても、今日は屋敷にいなさい」
「はあい……」
というわけで、逃亡失敗。
別にポール様と会うわけじゃない。
港の利用や倉庫について話すのは兄様とゴードンだし、私は立ち会わなくていいことになっている。
分かってるんだけど……なんか、嫌な予感というか、もやもやというか、そんな感じなんだよぅ。
私は自分の部屋を端から端まで歩き、窓際まで行って戻り、また扉の前まで行って引き返した。
何周目だろう。
「お嬢様、さっきから同じところ回ってますよ」
「だって……落ち着かなくて……」
「では、気分転換に庭の花でも見に行きますか?」
「……ん、行く。絵、描く」
そうして私はスケッチ帳を抱え、ラルフと庭へ出た。
花壇の前へ椅子を置き、花を一輪選んで鉛筆を動かす。
だけど、描いているはずなのに、今日はやたらと屋敷のほうが気になる。
もう来たのかな?
今ごろ兄様たちと話してる?
あとどれくらいで帰る?
そこへ使用人がやって来た。
「お嬢様、トリスタン様がお呼びです。応接室へお越しくださいとのことです」
「……え? なんで?」
「ストーン公爵令息様が、お嬢様にもお会いしたいと仰ったそうです」
私は会わなくていいことになったじゃないの!?
私はスケッチ帳を閉じ、隣のラルフへ助けを求めた。
「……ね、行かなきゃだめ?」
「そうっすね。公爵令息本人から、会いたいと言われてるなら断るのは難しいかと」
「だよねえ……。ラルフ、一緒に来てね」
「もちろんです」
ラルフがいなかったら庭の木にしがみついていたかもしれない。
十八歳にもなって何をしているのかという話だけど、二年間分の黒歴史にはそれくらいの威力があるんだよ。
◇
応接室へ入ると、商談はもう終わったらしく、ゴードンの姿はなかった。
お父様とお母様、兄様、ブレンダ姉様がいて、その向かいにポール様が座っている。
金髪に青い目。十五歳の私が雷に打たれたみたいに一目惚れした、あの完成されすぎた微笑みも記憶のままである。
まあ、うん、格好いいよねえ。それは認める。
顔は華やかだし、姿勢も綺麗だし。昔の私が夢中になった理由については大納得の容姿だ。
でも、逃げたい。
なぜって?
黒歴史の数々が先月の大雨のごとく私に降り注ぐからです!
「久しぶりだね、ジャクリーン嬢」
ポール様が立ち上がった。
「お、お久しぶりでございます。ストーン公爵令息様」
ちゃんとストーン公爵令息様と呼べたぞ、私。
何を達成感にしているんだというつっこみはやめてね。
昔の私は呼びかける機会さえあれば嬉々として「ポール様ぁん♡」と飛んでいったのである。
進歩として認めてほしい。
「急に呼んですまない。君にも会えたらと思って、トリスタン殿にお願いしたんだ」
「い、いえ……」
兄様は、向こうから会いたいと言われたなら断る理由はないと思っている様子だ。
この人、本気でいい機会だと思ってるな?
ポール様との挨拶が済むと、お父様が嬉しそうに勧めてきた。
「せっかく久しぶりに会ったんだ。庭でも歩いてきたらどうだ?」
え。また庭? ついさっきまでいたんだけど。
いや、そうじゃなくて、なんで二人で歩かないといけないの?
私が固まるより早く、お父様がラルフへ声をかける。
「お前はここに残り──」
「ラルフ、一緒に行ってらっしゃいな」
「ラルフも行きなさい」
お母様とブレンダ姉様の声が続き、私は勢いよく二人へ向き直った。
大好きすぎる! ありがとうございます~!
「……承知しました」
ラルフがお父様へ頭を下げ、そのまま私の後ろについた。
お父様は何か言いたそうだったけど、お母様とブレンダ姉様は気にした様子もない。
私は二人へ心の中で手を合わせ、そのままポール様と庭へ出た。
◇
ポール様と並んで庭を歩き、その後ろをラルフがついてくる。
何これ。
十五歳の私にこの光景を見せたら、喜びのあまり倒れるのではなかろうか?
憧れのポール様と庭を歩いて、しかも向こうから会いたいと言われたのである。
昔なら今夜の日記が百ページになったかも?
「ハイモアのことは、前から耳に入っていたんだ」
ポール様が先に話し始める。
「こちらへ来た商人や役人からね。地図を作ったり、店を変えたり、港を盛り上げるために面白いことを次々考えている伯爵令嬢がいると聞いたんだ。君のことだと知ったときは驚いたよ。役人の一人は、又聞きだと言っていたけど、『ジャクリーンお嬢様のことを、領民はかなり慕っているようです』とも話していた」
え、そうなんだ。
そんなふうに言ってもらえてるなんて嬉しい。
「昔の君を知っているから、余計に気になったんだと思う」
うぐぅっ! 黒歴史パンチ!
「当時は、正直に言うと困っていたよ」
「……はい」
ですよね。
「僕は、女性には優しくするようにと育てられていたんだ。だから、あまりきつい言い方をしたくなかった」
ほんと、すみません。
「でも、それを抜きにしても、君のことは面白い子だとは思っていたんだ」
もしかして、前世の少女漫画あるある『面白れえ女』展開ですか?
いやいや、まさか。女性には優しくするように育てられたご子息のお世辞だよね?
だって、二年間追い回していた女への評価として、優し過ぎるもん!
「でも、オクタヴィウスに言われた。反応するから続くんじゃないか、無視したほうがいいって」
侯爵令嬢オクタヴィウス・ペリンカ様。
ポール様の幼馴染で、私が勝手に恋敵認定していた方だ。
幼馴染、美人、侯爵令嬢、婚約者なし。警戒する条件が揃いすぎていたのである。
だからって睨んだり絡んだりしていいことにはならないよね。
ごめんなさい、オクタヴィウス様。
「君から謝罪の手紙が届いたときも、最初は信じていなかった。気を引くための嘘で、また会うための方法なのかと思ったよ」
「……」
兄様にチェックされたあの謝罪文である。
私はあれを送り終えた日に、やるべきことをやったつもりでいた。でも受け取った側には、「これも接近作戦では?」と疑われていたのか。
信用って、なくすとこうなるんだね。
勉強になりました。
でも、できれば別の方法で学びたかったです。
「ところが、本当に君が来なくなった。……手紙も来ない。贈り物もない。僕の行き先で待っていることもなくなった。王都から領地へ戻ったと聞いて、驚いたよ。それからしばらくして、今度はハイモアで君の名前を聞くようになったんだ。昔とはずいぶん違うことをしているらしいと分かって、噂を聞くたびに気になっていた」
ポール様が、あの感じのいい微笑みを浮かべる。
「だから、今の君と話してみたくなってね」
昔の私ー!
聞いてるー!?
あなたが二年間どれだけ待ってももらえなかった言葉を、今、本人から言われましたよー!
なのに。
顔は熱くならない。嬉しくて跳び上がりたくもならない。
「『今の君』のことを、改めて知りたいと思っている」
「……」
「王都へ来ることがあれば連絡してほしい」
「あ……えっと……行く予定はないですが、はい……もし行くときは……」
断れない。
だって相手は公爵令息様である。
しかも「王都へ来い」と命じられたわけでもなく、来ることがあれば連絡してほしいと言われたのみなのだから。
「ハイモアでしていることも、もっと聞いてみたい。地図のことも、港で売っている菓子のことも」
「あ、兄から説明させま──」
「ジャクリーン嬢から聞きたい」
私は、後ろにいるラルフが気になった。
当然、ラルフは何も言わない。
「できれば文通をしたい」
はいぃぃぃ!?
「で、ですが、二度と接触しないとお約束しております……」
「以前の約束は知っている。でも今度は僕から頼んでいる。これから、お互いを知っていかないか?」
ええ? どういうこと? 二度と接触しないって約束したよね?
向こうから頼まれたら送っていいの?
ポール様から手紙が来るの? 来たら返事を書くの? 私が?
公爵令息から手紙が届けば、伯爵令嬢の私が無視するわけにもいかない。
だからといって、ここで喜んで引き受ける気にもならない。断る言葉も見つからない。
また後ろを見たくなった。
……どうして私は、ポール様のことよりラルフの様子ばかり気にしているんだろう。
◇
ポール様を見送ったあと、私は家族と応接室へ戻った。
ラルフもいつも通り私のそばにいる。
「いやあ、よかったなあ、ジャクリーン」
お父様が機嫌よく伸びをする。
「何が?」
お父様には、私が乗り気じゃないのが伝わっていないのだろうか。
「ポール君だよ。向こうからお前に会いたいと言ってくれたし、仲直りしたんだろう?」
仲直り? なの?
まあ、広義ではそうなのかな?
「ストーン公爵夫妻は恋愛結婚だからなあ。息子にも自分で相手を選ばせたいらしくて、まだ婚約者はいないんだ。まあ、二十三歳までの期限付きではあるらしいけど……。あっ! ということは、ジャクリーンはポール君と婚約できるかもなあ」
「なんでそうなるの!?」
ひらめいた! みたいな顔をするお父様に即座にツッコミを入れる。
「よかったじゃないか。頑張れよ」
兄様まで!?
待ってよ、頑張れよ、って何に対して?
「……な、に言って……」
「まあまあ、ジャクリーンは結婚にはまだ早いですよ」
「そうですわ、お義父様」
お母様が言うと、ブレンダ姉様も隣で頷く。
お父様はまだ何か言いたそうだったけど、私はこれ以上ポール様との婚約話を聞きたくなかった。
「私、部屋に戻る」
そう言って立ち上がると、ラルフも当然のようについてきた。
◇
庭でも、ポール様を見送るときも、家族の前でも、ラルフは普段と変わらなかった。
だから、私は何も気づかなかったのである。
「よかったっすね」
ん?
部屋の前の廊下にて、私は振り返った。
「よくないよ? 私は、昔とは違うの。そりゃあ、格好いいとは思ったよ? でも、もう好きじゃないって分かるでしょ?」
考えるより先に言葉が出て、そのまま止まらなくなる。
「王都にだって行きたいと思ってない。行く予定はないって伝えたの、聞いてたよね?」
まだ足りない気がして、私は続ける。
「手紙も、私から書きたいって言ったんじゃない。二度と接触しないって約束してるからって断ろうとした。でも格上の公爵令息様から頼まれたら、私から嫌ですとは言えないでしょ?」
「……そうすか」
返事はこれだけ。
なんで? 私、ちゃんと言ったよね……?
全部説明したのに、ラルフの反応は変わらない。
もしかして、ラルフを怒らせちゃった?




