18.聞けないこと
三月まで、あと数日。
港へ続く道の端では、浜大根の薄紫の花が、まだ少し冷たい潮風に揺れていた。
冬のあいだは頬に刺さるばかりだった風も、今日はほんの少しだけやわらかい。
そんな朝、市場入口の露店で、四十匹目のハイモア焼きが売れた。
◇
菓子職人がハイモア焼きを薄い紙で包み、列の先頭にいたお客さんへ渡す。
紙からのぞく尾びれには、こんがり焼き色がついている。
「今日の分は、これで終わりです」
菓子職人が売り切れの札を出すと、まだ並んでいた人たちから残念そうな声が上がった。
列に残っていた女性の一人が、菓子職人へ声をかける。
「土曜も店はやってるのかい?」
「はい。市場が開く頃から焼きます」
「今度は早めに来るかねえ」
女の人は名残惜しそうに露店を見てから帰っていった。
「順調っすね」
「だね!」
露店の前には、焼けた生地と甘いクリームの匂いが残っていた。
買ったばかりのハイモア焼きを手に、市場へ入っていく人がいる──頭から食べる人、尾びれからかじる人、真ん中で割って誰かと半分ずつ食べる人。
私が紙に描いた魚が、今は人の手に持たれて町を歩いている。
てなわけで、ここで肝心の中身の話をさせていただきます!
ミルクジャム、蜂蜜、林檎ジャム、栗ペースト。
最初に出す二つの味を決めるため、候補に選んだのがこの四種類だった。
中身を選べるお菓子にしたかったんだよね。
思いついたときは、私ってば天才かな? って思っちゃった。
ところがどっこい。
『最初は一種類のほうがいいかと……』
菓子職人の言葉である。
『え? 二種類じゃだめなの?』
『どちらが何個売れるか分からんうちは、売れ残る味と足りなくなる味が出ます。数を増やせるようになってから、種類も増やしたほうがいいでしょう』
『う~~……そうだね。じゃあ、まずは最初の一種類を決めないとね』
そこで、菓子職人たちとラルフと私で、四つを順番に焼いて食べ比べた。
最初に焼けた一匹は、約束通りラルフに食べてもらった。感想は「あっま」だった。見たことのない顔で食べてた。
ミルクジャムは、生地と一緒になると甘さが激重だった。濃厚でもったりしつこく、私以外の全員一致で即却下。
私的にはぎりぎりセーフだったけど、多数決で負けた。
蜂蜜は温めると流れやすく、割ったところから垂れてしまう。
それに、ミルクジャムよりも甘かった。甘党を自称する私がギブアップしたので却下。
林檎ジャムは焼いた生地との相性はよかったものの、屋台には林檎を使った焼き菓子がすでにいくつもあり、目新しさがないため却下。
栗ペーストは季節の味としては魅力的だけど、一年を通して最初の味にするには向かないため却下。
季節限定なら、栗ペーストはありかな? という意見だけが残った。……無念。
それなら、一年を通して作れて、甘さを変えやすく、温めても流れにくい中身は何だろう?
と、そこで思い出したのが、前世のカフェでも菓子やパンに使っていたカスタードクリームである。
なんと、今世では見たことがないんだよね。
『カスタード……じゃなくて、卵と牛乳のクリームはどうかな?』
正しくは、卵黄と牛乳と砂糖と薄力粉を使ったクリームだ。
前世の私ことチヨコが、趣味のお菓子作りでよく作っていたレシピの一つで、卵黄と砂糖に薄力粉を混ぜ、牛乳を加えて火にかけて、固まるまで混ぜれば完成。
材料は少ないし、砂糖の量を変えれば甘さも変えられる優れもの!
『……なんでそんなん知ってんですか?』
『む、昔、本で見た? みたいな?』
ラルフのジト目は華麗に無視した。
私が材料と覚えている作り方を話すと、菓子職人が何度か試して、外へ漏れにくい固さにしてくれた。
味も好評で、最初の中身はカスタードクリームに決まった。
なぁんて、ドヤァァ……をぶちかましておいて、前世のたい焼きにもカスタードクリーム味があったんだよね~。
つまり私のアイデアじゃない。
えへっ!
こうして中身も決まり、最初は一日二十五個から始めることにした。
値段は揚げパンより高く、梨のタルトより安く設定した。
卵と牛乳を使い、一匹ずつ型で焼く手間がある以上、揚げパンと同じ値段にはできない。
かといって、市場を歩きながら買う菓子がタルトより高ければ手を出しにくい。
数と値段が決まったところで、材料費や試し焼きの結果もまとめて兄様へ報告した。
許可をもらって、ようやく販売を始めて二週間、一日二十五個のハイモア焼きは毎回売り切れた。
もっと作れないかという声も増えたので、売れた数と養殖型の見積もりを兄様へ持っていき、養殖型を作る許可をもらった。
そして、販売数を一日四十個に増やしたのだ!
で、その四十個が、たった今、全部売れたってわけ!
しかも、夕方前に完売!
「一個ずつ焼いていく天然型だと追いつかなくなったね」
私が露店の売り切れの札を見ると、ラルフもそちらへ目を向ける。
養殖型ができるまでは、今の型で焼ける数の限界が四十なんだよね~。
「確かに。一匹ずつ焼くんじゃ、数を増やすにも限度がありますね」
「養殖型の出番、ありそうでよかったあ。あ、そうだ、商会に寄ってもいい?」
「養殖型の進み具合を確認したいんっすね? 行きましょう」
◇
ミドルトン商会へ着くと、応接間へ向かう廊下でレナと鉢合わせた。
「こんにちは、レナ! 今日ね、四十個全部売れたの!」
「そうですか。増やした分が売れたなら、養殖型を作る判断は合っていたようですね」
レナは私にそう答え、それからラルフへ目を向けた。
「……お、お疲れ様です」
「お疲れ」
会話はそこで終わった。
レナは抱えていた紙を持ち直し、「仕事がありますので」と告げて、倉庫へ続く廊下を歩いていった。
私はその背中を見送る。
──……うーん。
やっぱり、なんか変わったよねえ?
レナがラルフと出かけてから、ずっとこんな調子である。
仕事で必要な話はするけど、前みたいにラルフの近くへ寄ったり、自分から話を続けようとしたりしなくなった。
それだけじゃない。
レナの私への口調は優しくなったわけじゃないけど、前みたいにちくちく刺してくることは、ぐんと減っている。
なのにラルフのほうは、何も変わらない。
出かけた次の日には「休みは二日もいらないっすよ」と言って、ハイモア焼きの試し焼きへ来たくらい。
「ちゃんと休んでよ」って私が言ったら、ラルフは「十分休みました」と返し、そのまま菓子職人にあれこれ質問を始めた。
私は休ませようとしたんだよ?
なのに本人が来てしまったのだから、私が縛りつけて連れてきたわけではない。
ここ重要!
って、今はそこじゃなくて!
気になっているのは、ラルフが休みだった日のこと。
レナとどこへ行って、何を食べて、何を話したのか、私はものすごぉく気になっている。
知りたいなら聞けばいい。いつもみたいに、「教えて」って言えばいいだけ。
そうしたら、きっとラルフは答えてくれる。
──なのに、ラルフにも、レナにも、聞けない。
さっきみたいに、何も気にしてない顔で、いつも通り笑ってる。




